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反抗期

「家まで送ってくれる?」


思いが溢れて、諒真の抱き締める力に応えるように手を背中に回して抱き締めあって暫くしてから、綾恵はおずおずと諒真を見上げた。


遅い時間とはいえ、ホテルのエントランスはまだ人影もある。

いつまでもここに居るわけにもいかないし、なにより綾恵はまだ諒真に話したいことがある。


「『葛城』を名乗ってるわけ、話すから…」


◇◇◇


エントランスで乗り込んだタクシーを降りて、諒真を先導するようにマンションの扉を開けた綾恵は、リビングに灯りが点っていることに安心するようにふう、と息を吐いた。


後ろを歩いてきた諒真を振り返って上がって、と促すと遅い時間に女性の部屋に上がり込むのはどうかと思ったのだろう、躊躇うような様子の諒真に、再度上がってほしいと促すと、リビングのドアがカチャリと開いた。


「アヤちゃん?おかえりー……。お客さん?」


開いたドアから顔を出した寿々は、玄関に立つ諒真の姿を認めると驚いたように綾恵と諒真を交互に見つめた。


「夜分に押し掛けてすみません。生島諒真と申します」


驚いた様子の寿々に、一足先に我に返った諒真が名乗り頭を下げると、寿々は驚きに固まっていた表情をじわじわと笑みへと移していった。


「こんばんは。綾恵の叔母の葛城寿々です。玄関(こんなとこ)じゃなんだから、上がって!」


笑顔で歓迎する寿々の態度に安堵したのか、諒真はお邪魔します、と靴を脱いだ。

寿々も嬉しそうにリビングへと先導し、2人にソファを勧めるとキッチンへと姿を消した。


「なになに、とうとうアヤちゃんを迎えに来たの?」

「はは、そんなところです」


ことり、とコーヒーカップを机に置くと、寿々は好奇心を隠さない笑顔で諒真に尋ねた。

諒真も心なしか柔らかい笑顔で応じている。


「『葛城さん』は叔母さんだったんだね」

「…うん」

「戸籍上は母親だけどねー」


諒真が納得した、という口ぶりで問うと、綾恵はどこかぎこちなく頷くが、それをからかうように寿々が飄々とした口調で続けた。


「…え?」

「だから、戸籍上はアヤちゃんの母です。それにしても、『諒真くん』に会える日が来るとはねー。アヤちゃん、諦めなくて良かったね」


寿々はにこにこと笑顔のまま綾恵に告げる。

その短い会話のなかに、色々と聞き捨てならない情報が多すぎる、と諒真は頭を抱えそうになった。


「寿々さん…、が母親だから、アヤは『葛城さん』なの?」

「あ、実は私が未婚の母でアヤちゃんが実の娘だったとかっていうドラマはないよ。

正確には、養母。養子縁組したから」


いまいち事情が飲み込めず、戸惑いを隠せない諒真に、寿々は実にさっぱりとした口調で説明する。

他力本願と言われようとも、綾恵が辿々しく説明するよりも、寿々に任せてしまおうと諒真を自宅に連れてきて正解だったと綾恵は思う。


「養子縁組、ですか。…何か理由が?」


不思議そうに尋ねる諒真に、殆ど話をしていないというのに綾恵は更に口ごもる。

そんな綾恵の様子に、寿々は可笑しくてたまらない、とでも言いたげににやにやと笑って言いきった。


「反抗期、だよねぇ」

「反抗期」


諒真の知っている、普段穏やかな綾恵からは似ても似つかない単語に思わずおうむ返しに呟くと、楽しそうに大笑いする寿々とは対照的に、綾恵は真っ赤になってうつむいてしまった。


「……もう、橋上って名乗りたくないって、思っちゃって。寿々さんに頼んで養子縁組したの」


綾恵はようやく絞り出したような小さな声で、弁解するようにぼそぼそと話を始めた。


◇◇◇


二十歳(はたち)の春。

綾恵は大学の授業を終えると、まだ新入生を迎えたばかりで落ち着きのないキャンパスを通り過ぎて足早に地下鉄の駅へと向かった。

目指すのは、都内のホテル。両親との食事のためだった。


『たまには一緒に食事しましょう』


久しぶりにかかってきた母親からの電話は、都心のホテルにあるレストランでの家族の食事の誘いだった。

考えてみれば上京して2年、叔母である寿々の家に居候して大学へ通う日々は授業と資格取得に向けた勉強とで充実してはいるものの、両親とはまったく顔を合わせることなく過ぎていった。

これがかつての地元のように離れているのであれば長期休みにでも里帰りする気にもなったかもしれないが、綾恵の両親も都下に住まいを構えているため、いつでも行かれると思うとついまた今度、と足が向かずに時間だけが過ぎていった。

また、母親が買い物のついでに寿々のマンションに顔を出すことも珍しくないためか、久しぶりという感覚も薄かった。

相変わらず忙しく仕事をしている父親と顔を合わせるのは久しぶりだな、などと考えながらホテルのラウンジへと足を踏み入れた綾恵は、すでに揃っていた面子に体を強ばらせた。


「綾恵ちゃんかい?綺麗になったねぇ」


立ちすくむ綾恵に最初に気が付いたのは、父親とそう年頃の変わらない男性だった。

綾恵が知らないその男性は、どうやら綾恵のことを知っているらしい。

柔和そうに淡い笑みを浮かべるその人のそばには、綾恵の父親が立っていた。

二人は纏う雰囲気こそ異なるものの、顔の造作は驚くほど似ている。


「伯父さん…?」

「そうだよ。綾恵ちゃんに会うのは、いつぶりだろうね。まだ幼稚園の頃だったから、覚えているかな」


父親の兄である伯父と顔を合わせた記憶は殆ど無い綾恵は、訝しがりながらも誘導されるままにレストランへと移動した。

そこで目にした光景に、再度体が強ばった。

通されたレストランの個室には、綾恵と同じ年ごろの男性とその両親と思しき男女が待っていたからだ。


「橋上さん、ご無沙汰しています」


個室で待っていた男性が、立ち上がり伯父を迎える。

伯父は鷹揚に手を挙げて腰を折ろうとする男性を制すると、案内にしたがってテーブルの席へとついた。

綾恵も促されるまま、両親とともに席に着くと、待ち構えていたかのように食前酒が注がれ、そのまま食事がスタートする。

家族での食事ではなかったのか、そんな非難を込めた視線を両親に向けるも、母親こそ若干戸惑うような様子を見せるものの、穏やかな笑みを浮かべてその困惑を覆い隠している様子がうかがえる。

父親に至っては、綾恵の視線など全く気にする様子もなく、伯父と同世代の男性と社交辞令のような会話を交わしている。


「綾恵ちゃん、こちらは井上さん。こちらはそのご子息の修一君だ」


綾恵の困惑を察したのだろうか。伯父は綾恵やその両親を井上に紹介すると、おもむろに綾恵と同世代の青年を強調するように紹介する。

なんとなくその意図を察した綾恵は、ぺこりと頭を下げると交わされる会話にできるだけ入らずに済むよう、あいまいな笑みを浮かべて始まった食事へと注意を向けた。


「いや、お伺いしてはおりましたが、かわいらしいお嬢さんですね」


食事はメインを過ぎ、デザートが供されてそろそろお開きになるかとほっとしていたところで、井上が綾恵に視線を向けつつも綾恵の父親へと言葉を継いだ。

その言葉に、はっと顔を上げると、井上の息子だと紹介された修一も苦笑いを浮かべている。


「いえいえ、修一君こそずいぶんしっかりされていますね。綾恵はまだ学生のせいか、子供っぽいことも多くて」


父親は淡い笑みを浮かべて井上に応えるが、社交辞令なのか本気なのかもその表情からは伺うことができない。

しかし、この場は修一と綾恵を引き合わせるための場だったのだろう。

いくら鈍い綾恵でもそれはわかる。

そして母親はともかく、父親が伯父の思惑を知って綾恵をこの場に呼んだということも。


高校を卒業してから2年以上が過ぎていたが、綾恵は諒真への気持ちを手放すことができないでいた。

そしてそれを無理やり引き裂いた父親へのわだかまりもまた、消化しきれずにいた。

変に近くにいることを理由に実家に寄り付かずにいたのも、父親への複雑な気持ちを持て余していたことが大きな理由だ。

それでもたまには家族で食事を、という誘いを無碍にするのもどうかと思ってやってきてみれば、それはだまし討ちのようなお見合いの席で。


綾恵の中に、どす黒いような怒りが渦巻いていく。

なぜこんなに自分の心は蔑ろにされなくてはいけないのか。

ふつふつとこみ上げる怒りのままに、綾恵は席を立った。


「すいません、試験が近いのでそろそろ失礼します」


それだけゆっくりと告げると、唖然とする父親たちを置いてレストランを後にした。

個室を出るときに、綾恵を呼ぶ父親の声が聞こえたが、綾恵は振り返ることなく寿々の待つマンションへと足早に逃げ帰った。


◇◇◇


「アヤちゃん?どうしたの?」


マンションにたどり着くなり、自室に座り込んだ綾恵の様子に心配した寿々が声をかけたのは、帰宅してからずいぶん時間がたってからのことだった。

いつもなら荷物を置くとすぐにリビングでくつろぐ綾恵が、自室に閉じこもるように動かないのを心配したのだろう。

綾恵を見つめる寿々の瞳は、心配そうな色を乗せてはいるものの暖かい光に満ちている。


「お見合いだった」

「え?」

「家族で食事しよう、っていうから、のこのこ行ったらお見合いだったの。会ったこともない伯父さんが仕切っちゃってさ。何あれ!」


感情のままに怒りを吐き出す綾恵を、寿々は驚いたように見つめていたが、事態を察したらしくため息をつくとそういうことね、とつぶやいた。


「橋上のお家じゃ、仕方ないかもね」

「なに?それ…」


一人で納得しているような寿々の言葉に綾恵が顔を上げると、寿々は思いのほか真剣な表情で綾恵を見つめていた。


「橋上さんの…。お義兄さんの親戚に会うのは、久しぶりだったんじゃない?」

「うん。幼稚園以来かも」

「今までは、お義兄さんが遠ざけていたものね」


そう言って、寿々は両親の結婚の経緯を教えてくれた。

橋上家は、小さいながらも割と経営状態のいい会社を営む一族だということ。

その橋上家の次男である綾恵の父親は、狭い親戚関係に縛られた会社経営を嫌ってまったく関係のない会社に勤めていたこと。

そしてそこで出会った綾恵の母親と、橋上家の許しを得ることもなく結婚したこと。

おそらくは橋上家の干渉を嫌って地方への転勤で東京を離れていたこと。


綾恵も父方の親戚との縁が薄いとは思っていたもののそんな過去があったとは、と呆然とする綾恵に、寿々はさらに言葉を続けた。


「多分、お義兄さんも断れなかったんじゃ橋上家の会社の関係だったんじゃない?」


今時政略なんてねぇ、とぼやく寿々の言葉に我に返ると、猛然と沸き立つ怒りのままに呟いた。


「橋上だから、なの?」

「え?」

「橋上だから、こんな目に遭うのかな」


それだったら、橋上なんて捨ててしまいたい。

そう呟いて、それっきり綾恵は黙り込んだ。


◇◇◇


「アヤちゃんは、本当にそれでいいの?」


────養子縁組をしたい。


そう切り出した綾恵に、寿々は驚くことなく静かに尋ねた。


「うん。最初は分籍しようと思ったんだけど、改姓が認められるのは難しいみたいだから」


橋上の姓を変えたいから養子縁組をしてほしい、と綾恵が寿々に切り出したのは、件の食事会の数日後のことだった。

あれから綾恵は橋上家と縁を切る方法はないものかと調べてみたが、改姓は簡単ではない現実に早々に行き当たった。

それならば、婚姻か養子縁組が姓を変えるには一番手っ取り早いと結論付けたのだ。


「こんなこと、寿々さんにお願いするのはどうかと思うんだけど…」

「ま、いいよ。変に知らない人とうっかり養子縁組されるよりもお姉ちゃんたちもまだ納得するでしょ」


でもね、と寿々は笑みを消して綾恵をまっすぐと見つめた。


「苗字を変えても、お義兄さんたちの子供だってことは、橋上に縁があるって事実は消えないからね」

「うん。わかってるよ。…でも、橋上って名乗るのは、もう嫌なの」


そう呟いた綾恵の声は小さかったけれど、しっかりとした響きを持っていた。


ご覧いただきありがとうございました。

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