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出会い

初恋は実らない。

そう言ったのは誰だっただろうか。

幼い恋心というものは、誰にでもかかる麻疹のようなもので、叶うはずもないうっすらとした淡い思いのことを初恋と呼ぶのだろうか。

それとも所詮狭い世界での恋は、年齢と共にいずれ広がっていく世界にによって色褪せていってしまうということだろうか。

それでも。

狭い世界だったからこそ、広い世界を知る前だったからこそ純粋に、ひたむきに思える相手と出会ってしまっていたら。

実らない初恋にいつまでも捕らわれたままでいるのも幸せかもしれない。



◇◇◇


「中途半端だなぁ…」


東京 銀座

土曜日の午後3時45分。

腕時計にちらりと目を落とした葛城綾恵は、思わずといった様子で独りごちた。

いつもより高いヒールは、人混みで賑わう街を彷徨くには心許ない。

しかしだからといってこの街を離れるほどには時間があるわけでもない。

もう一度時計を見ると、小さくため息をついて周りを見回した。


今日は同僚の結婚式だ。

先ほど披露宴が終わり、今は二次会まで少し時間が空いてしまっていた。

二次会の開会は夕方6時からとなっているが、受付をすることになっている綾恵は、5時過ぎには会場であるホテルに来るように頼まれている。


「やっぱり、戻っちゃおうかな」


新郎の同僚としての参加とはいえ、やはり結婚式となればそれなりに着飾っている。

慣れない格好で目的もなく街を彷徨くくらいなら、ホテルのラウンジでコーヒーでも飲んでいた方が有意義なような気がしてきた。

二次会は披露宴が行われたホテルでそのまま開かれる予定だ。

しかし披露宴が終わったばかりで新郎新婦の親戚などがまだ多いホテルにそのまま居座るのはなんとも不味い気がして、綾恵は一度街へと出てきたのだった。


「そろそろ戻っても気にならないよね」


披露宴が終わって既に1時間ほどが過ぎている。

引き出物はホテルのクロークが預かってくれているとはいえ、やはりいかにも結婚式に参列してきましたと言わんばかりの格好は目立ちすぎる。

やっぱりホテルのラウンジで新聞でも読んで居た方がいい。

そう決めるが早いか、綾恵は踵を返すと来た道を戻っていった。


「そろそろ時間かな」


ホテルのロビーラウンジで読んでいた新聞を畳むと、綾恵は柔らかく体を受け止めてくれていたソファーから立ち上がった。

披露宴で摂ったアルコールのせいか、ソファーの沈むような座り心地は最高で、このままずっと沈んでいたいと思ってしまうが、いかんせんもうそろそろ約束の時間が迫っている。

気心の知れた仲間内の二次会とは言え、あまり時間ギリギリなるのも良くないだろう。

綾恵はソファーに多分の未練を残しつつ、やっと立ち上がると会計を済ませてホテルのロビーへと足を向けた。

彼に声を掛けられたのは、その時だった。


「───アヤ?」


もう二度と聞くはずもないと思っていた声に思わず振り返ると、記憶の中よりも大人になった彼が驚いたように目を見開いて綾恵を見つめていた。


◇◇◇


「はしがみ あやえです。よろしくお願いします」


辿々しく挨拶を何とか告げると、綾恵はさっと母親の影に隠れて顔を伏せた。

父の転勤に伴って引っ越してきたのは、全く知らない場所で、今まで通っていた幼稚園の先生や友達との別れは幼いながらにもやはり寂しいものだった。

きっと新しい友達が沢山できるよ、と母は優しく慰めてくれたけれど、もともと引っ込み思案で人見知りが激しい綾恵は全く知らない土地での新しい生活は恐怖の方が勝る。

そんな中、引っ越しの挨拶に行こうと母に連れられて来た隣家で、綾恵はやっとの思いで教えられた通りの挨拶を告げたのだった。


「わぁ、かわいい!諒真と同じ年くらいかしら?」


明るい声音に恐る恐る顔を上げると、母と同じ年頃だろう若い女性が優しげな笑みを浮かべていた。

その隣には、綾恵より頭ひとつ分ほど背の高い男の子が立っている。


「いくしま りょうまだよ。ねぇ、いっしょに線路作ろうよ。しんかんせん、いっぱいあるんだよ」


諒真と名乗った男の子は、もじもじと母の足元に隠れた綾恵に人懐こい笑みを浮かべて一歩踏み出すと、綾恵の返事を聞かずにその手を掴んだ。

ぐいぐいと引っ張られて慌てて靴を脱ぐと、こっちだよ、と部屋の奥へと連れていかれる。

遊んでいる最中だったのか、プラスチック製の線路が部屋中に敷かれて、オモチャの電車がそのレールの上を走っていた。

諒真はここに車両基地を作ろう、とまた何本もプラスチックのレールを綾恵にも渡すと、諒真も真剣に作りかけの線路にレールを繋げていった。

綾恵も諒真に倣っておそるおそるレールを繋げ始めると、諒真はにっこりと笑ってこっちと繋げよう、とそれまで繋いでいたレールを指差した。

その笑顔に、綾恵も素直に頷くと諒真の側へと寄っていき、二人であーでもない、こーでもないと線路を広げていった。


仲良く遊びだした二人を尻目に、母親二人はせっかくだしお茶でも飲みましょう、と早速意気投合していた。

結局その日はまだ遊びたいと泣き愚図る二人を、母親二人がかりでまた明日遊ぼう、同じ幼稚園に通えるから、と宥めすかしてやっと引き離し、綾恵は何度も振り返って諒真に手を振りながら引っ越したばかりの家へ帰っていったのだった。


転入生として年度途中から幼稚園に編入することになっていた綾恵にとって、新しい幼稚園は想像のつかない恐ろしいところであったが、諒真が同じ幼稚園、さらには同じクラスに居ると聞いてからは俄然幼稚園へ通い出す日を楽しみにしていた。

諒真もそれは同じだったらしく、綾恵の初登園の日には家まで迎えに来て一緒に園バスに乗り、幼稚園でもそばを離れず遊んでくれた。

遠くから引っ越してきて心細かった綾恵にとって、明るく常に綾恵を気にかけてくれる諒真は王子様のようで、事実明るい諒真は幼稚園でも人気者で、彼のお陰で綾恵は諒真の周りに集まるクラスメイトと馴染むのにそう時間はかからなかった。


綾恵が引っ越してきて間もなく、諒真の母親は妹の梨香を出産したが、その時産院に連れていけない諒真を世話したのは綾恵の母親だった。

大企業の支社に勤める綾恵の父親も、地元の大手企業に勤める諒真の父親も、その頃はまだ珍しくない企業戦士で、例え妻の出産であってもそうそう休みが取れずにいることを知っていた綾恵の母親が、諒真の母親に手伝いを申し出てのことだった。

初めて母親と別々に過ごす夜に諒真は若干戸惑っていたようだったが、今度はかつて転入してきたばかりの頃の綾恵に諒真がしてくれたように、綾恵が常に諒真の側に付いて気を配っていたことが良かったのか、二人は彼の母親と妹の退院まで穏やかに過ごしていた。


そんな経緯もあって明るい諒真と穏やかな綾恵が梨香の面倒を見るようになり、兄妹のように親しく仲良く育った。

小学校も高学年になれば思春期特有の男女の幼なじみにありがちなからかいも無くもなかったが、諒真は照れることもなく綾恵への好意を隠さなかったし、綾恵もそれをごく自然に受け入れていることから次第にからかわれることなくなり、周囲公認の仲のよい幼なじみだった。


そんな穏やかな関係も、二人が小学校を卒業した日を境に少しずつ変化することになる。

とは言え、綾恵に対する諒真の心の有りようがいつから変化を遂げていたのか、綾恵には分からない。

しかしその日を境に綾恵の諒真に対する気持ちが変化していったのだ。


「アヤ、帰ろう」


卒業式のあとの綾恵に諒真が声をかけたのは、クラスメイトたちとあちこちでしていた写真撮影が落ち着いた頃だった。


「うん」


綾恵は諒真に頷くと、別れを惜しむクラスメイトに声を掛けてその輪を離れ、諒真と二人、通い慣れた小学校の校門を出た。

母親たちは先に帰宅している。

2家合同で卒業を祝ってパーティーしようと張り切っていたので、その支度に忙しいのだろう。


「なぁ。何で受験しなかったんだ?」


校門を出て暫く歩いた頃、諒真は何気無く綾恵に訊ねた。

綾恵と諒真が通う小学校の学区は、割りと裕福な家庭の子供が多い。

その為か教育熱心な親も多く、中学受験をするクラスメイトが少なくなかった。

実際、今日卒業したクラスメイトの半数近くは綾恵達が進学する公立中学校ではなく、私立の一貫校に進むことになっている。

綾恵が卒業式のあとの記念撮影に忙しかったのもそのせいだ。

無論、多数の友人が別々の進学先になるのは諒真も同様であったが、女子に比べて男子は進学先が別れることにそれほどの感傷はないらしい。

だが特に仲良くしていた友人の殆どが私立校に進学するのに、綾恵が受験をせずに公立中学校に進むのが不思議だったのだ。


「…お父さんの転勤があるかもしれないから」


諒真の問いに少し迷ったように言葉を探したあと、綾恵はポツリと呟くように返した。

地元の都市に本社を据える企業に勤める諒真の父親とは違い、綾恵の父親は東京に本社を持ち、常に転勤の可能性を孕んでいる。

今はまだこの土地で相変わらず忙しく仕事をしているため、父娘が顔を合わせる機会は多くないが、少ない家族団らんの際には父親が順調に出世していることは幼いながらにも伺えた。

そしてその先には、東京の本社へ呼び戻されるだろうことも。


かつて諒真と出会ったときのように、突然新天地へ連れていかれるかもしれない。

綾恵は不確定でもいずれこの土地を離れることになるのなら、私立に進む必要はないと両親に告げていた。

しかし諒真の何気ない問いで、綾恵は諒真と離れたくなくて、同じ中学校に進みたくて受験を視野に入れなかったのだと唐突に理解した。


綾恵が、初恋を自覚した日だった。

ご覧いただきありがとうございました。

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