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臆病な愛

作者: 朝凪

好きです。

大好きです。

愛しています。

夢に見るほど、あなたのことを。


だからお願い、お願いだから。

私のことなんて一欠片ほども想わないで。


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今日もまた愛しの貴方を遠くから眺める。

二階の窓から見下ろす庭に、貴方はいる。こちらに背を向けているから、その表情はうかがえない。日を浴びて煌めく金の髪が眩しいけれど、どうしても目を離す気にはならなかった。

そのまま見ていると、彼の隣に誰かが駆け寄る。柔らかい白金の髪をなびかせて、ふわふわと若草色のドレスが踊る。

ふたりは少しの間話すと、ゆっくり歩き出した。

じわじわ離れて行くふたりから、ようやく目を離して手元のティーカップを持ち上げる。けれどいつの間に飲みきったのか、空っぽだった。

一つため息をついて受け皿に戻すと、すかさず侍女が紅茶を継ぎ足してくれる。


「…お嬢様…」


気遣わしげに声をかけてくれた侍女に素知らぬ顔で「ありがとう」と返して、今度こそ紅茶を口にする。乳姉妹である彼女だけは私の思いを知っているので、こうして心配してくれるが、私自身に動く気がないと悟ってから日常の折々で優しさをくれる。それがとても幸せだと、毎日思う。


ーーそれに、貴方は今日も私を見なかった。それがなによりも嬉しいのです。


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「お姉様!」


ぱたぱたと駆け寄ってくる妹を立ち止まって待つ。走ってはダメよ、なんて注意は、とうの昔にやめている。代わりに顔を緩めて妹を受け入れれば、嬉しそうに笑いかけてくれた。


「どうしたの、マリー」


少しだけ私より小さい妹が、キラキラとした瞳で見上げてくる。可愛らしい顔立ちはもちろんだが、心根が現れた澄んだグリーンの瞳は、身内の欲目を抜いても素敵だ。

そんな可愛い妹はにこにこと笑顔で話しかけてくる。


「あのね、さっきアル様がね、お散歩に連れて行ってくれたのよ。それで庭園に行ったのだけど、春の花がとても綺麗で!似合う花をあとで花束にしてくれるそうなの」

「あら、まぁ。よかったわねマリー。貴方はどんな花も似合うけれど、春の花はとくに似合うから。きっと素敵な花束が届くわ」

「ほんとう? お姉様にそう言われると、とっても嬉しいわ!」


頬を染め、心の底から嬉しいと伝えてくれる妹に、私もじんわりと胸が温かくなる。ほんのちょっとの痛みは、それを引き立てるスパイスだとでも思おう。意識して喜びの感情を味わっていれば、妹はパンと手を打った。


「そうだ、アル様が今度のお休みにカフェに連れて行ってくれるそうなの! 最近話題のお店なのよ。お姉様もどうかしら」


小首を傾げる妹の頭をそっと撫でる。すると、彼女は不思議そうにますます首を傾けた。あんまりに愛らしいその仕草に、つい笑みがこぼれてしまう。


「しばらく、忙しくて。私は目処が立ちそうにないから、2人で行ってらっしゃいな」


そう答えると、一転して表情が悲しげに変わる。申し訳ないけれど、こればかりはどうしようもない。

だから、「さそってくれてありがとうね」と頭を撫で続ければ、少しして小さく笑ってくれた。


「それじゃあ仕方ないよね。わかったわ。…それはそれとして、もう少しだけ撫でてもらってもいい?」


可愛らしいお願いに、ついつい声まで漏れてしまう。クスクスと笑いながらも、私は妹の頭を撫で続けた。

ああ、なんて幸せなの。


---------------------------------------------------------------


「そろそろ、決めなくてはならない。わかっているね」

「はい、お父様」


ある日、そう、妹が彼とカフェに出掛けている日。私はお父様に呼び出された。

話の内容はわかっていた。


「アルベルト様はマリーを気に入っているご様子。マリーもよく懐いております」


私の言葉にお父様も頷く。


「あぁ、邸を訪れるたびマリーと過ごし、茶会でもよく話す。すでにあの2人で決まったのだと噂になっている」


胸の痛みに蓋をして、姉らしく、それでいて男になど興味のない純真な顔をして頷く。私は彼のことをなんとも思っていない。そう見えるように。

お父様にもきちんとそう見えていたようで、安心したように微笑まれた。けれど、念のためなのか言葉で確かめられる。


「イリスは、納得しているのだな」

「もちろんです」


すぐさま、にっこりと肯定すると、今度こそお父様は肩の力を抜いた。

愛情深い印象はないけれど、お父様なりに娘のことを気にかけてくれていたのだとわかって、嬉しくなる。いや、そもそも、アルベルト様を婿に入れるにあたって姉妹の好きな方、と婚姻を結べば良いと、お互いに選び、仲を深める期間をくれたのだ。私が想像するよりもお父様は私たちに優しいのだろう。


「では、我が家はマリーとアルベルトが継ぐことになる。…お前はどうしたい」


ここで、私に質問が来るとは思っていなくて、表情が崩れそうになる。けれど、淑女教育は伊達ではない。ギリギリで保って、薄く微笑む。


「お父様がお望みのご縁がありましたら、それに従います。けれど、もし。もしも自由にしてもよいとおっしゃってくださるならば、お母様のそばで祈りを捧げて暮らしたいと思っております」


私の言葉に、お父様は目を見開く。貴族らしく取り繕うのが上手な方だけれど、やはり多少なりとも衝撃を受けるらしい。それでも流石はお父様。すぐに落ち着かれて、小さく頷いた。


「お前の気持ちはわかった。現状、無理に婚姻を結ぶほど欲しい縁もない。祈りを捧げたい気持ちも、わからないでもない。だが、結論は少し先にする」

「わかりましたわお父様。…私の言葉を聞いてくださって、ありがとうございます」

「あぁ」


話はおわったようだ。礼をして、お父様の書斎をあとにする。

現状という言葉からして、もしかしたら急に必要な縁ができるのかもしれない。その兆候が0ということはないから、少し調べて、結論を出すのだろう。一度教会に入ってしまえば、おいそれと外には出てこれない。だから慎重になるのは当たり前だ。

お父様の決定には従う。けれど、叶うなら、私はお母様の眠る大地でひっそりと祈りを捧げたい。

この気持ちをずっと、押し込めるためにも。やだわ、こんな不純な動機、お母様にも女神様にも叱られてしまいそうね。


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創世の女神様を表した石像が、ステンドグラスの色とりどりの光に照らされている。芸術に詳しくはないけれど、綺麗なものは綺麗だと感じる。

今日の祈りを終えて、墓地へ向かう。本当ならすぐに教会の管理を手伝わなくてはならないのだけれど、この土地に愛するものが眠っている場合はこうして時間をもらえる。数名のシスターと共に、足早に歩く。

やはり、ほかのシスターに申し訳ないという気持ちがあるから。気にしないと彼女たちは言ってくれるし、代わりに午後の休憩を少し削ってはいるけれど、どうしても落ち着かないのだ。

お墓に手向ける花は自分たちでそれ用の花壇を作っている。そこから一輪ずつ花をとって、各々の目的地へ向かった。

あるものは遺品しか残らなかった冒険者である友。あるものは早くに亡くした夫。あるものは流行病で亡くした子供。

そして私は、お母様。

領主の妻の墓ということで、ほかより大きな墓石の前に、花を添える。


「お母様、おはようございます。今日は春らしい、穏やかな気候ですね」


少しの間、お母様に向かって話しかける。天気であったり、その日見た夢であったり。ときおり、教会でおきた出来事も話すけれど、そちらは長くなりがちなので、お務めが終わった夕方に、話すことが多い。

教会に戻ると、今日の予定を告げられた。どうやら、次代の領主夫妻が訪れるらしい。急なことで、珍しくシスター長も慌てていた。

そのうち、その夫妻…とくに妻の方と関わりが深い私が指揮をとるのが早いという流れになってしまった。もちろん基本的なご案内や説明はシスター長がするけれど、とくにどう言ったことが苦手か、好きかというのは私が一番知っている。

いくら教会は権力から切り離されているといえど、相手は貴族。今の領主は妻のこともあり問題はないのだが、次代の夫妻は教会の、シスターの何を気にくわないと騒ぎ立てるかわからないのだ。

そうなれば色々と不都合があるため、回避したいという。

私としては「2人とも穏やかな方ですから、気にすることもありませんよ」としか言えないのだけれど。ここ1年は連絡もとっていないから、確信を持った助言はできなかった。

ああ、きっと、2人は幸せな夫婦になっているのだろう。私はマリーとアルベルト様の婚約が決まってすぐにこちらへきてしまったけれど。あのころの2人を見てきた私には容易に思い浮かべることができた。


そうしてやってきた次の領主夫妻は、私の伝えていた通り、穏やかで優しく、素敵なお方だったそうだ。

私は見習いシスターの身なので、いつも通り裏で仕事をしていたから、実際には目にしていない。シスター長をはじめとした皆さんには、妹さん夫婦なのだし、と会うことも勧められたが、お断りした。

教会へ入ることを許された時から決めていたのだから。絶対に2人には…とくにアルベルト様にはお会いしないと。

もちろん、シスターは見習いを脱するまで男性との接触を控える規律がある、というのもある。控えるという言葉通り、家族は例外なのだけど。私はそれを盾にした。


いつか、あの2人に子供ができて、ここに洗礼を受けに来るときには、見習いを終えているかもしれない。その時には会わざるを得ないかもしれない。だから、その日がくるまでにこの想いはもっともっと奥、お母様の眠る土の中よりも暗くて深い場所に埋めてしまおう。

どう頑張っても無理だと笑うもう1人の私を無視して、花壇の様子を見に出る。そこに咲いていた花を見た途端、ふっと遠い日の思い出が蘇った。きっと、今日、2人の様子を聞いたからだろう。


アルベルト様との2回目の顔合わせ。まだそのときはどちらが婚約するのか全く決まっていなかったから、3人でお茶をした。そのとき、姉妹にと花束をくれたのだ。

妹にはカーネーションを基調とした派手めのもの。私にはマーガレットを基調とした優しいもの。

花をもらったことは何度かあるけれど、普段はお互い逆のイメージの花束をもらうのでかなりおどろいた。

実は私も妹も、アルベルト様の持ってきてくれたような花束が好きで。たった一度しか交流のなかった私たちの好みを把握していたことに、さらにおどろいたのだった。

それがきっかけで私は彼を好きになってしまったわけだけれど、きっとそれは妹も同じ。それに、アルベルト様が選んだのは妹。

それを恨みはしない。好きになればなるほど離れたのは私。最初は姉妹平等に交流の機会を持とうとしてくれていたのを、それとなく妹に譲るようにしていった。

私は、あの人が好き。だからこそ、思いを通わせて傍に、なんて絶対に嫌だ。

愛する妻に先立たれて、悲しむお父様を見た。娘を失って弱った祖父母を見た。お母様がいなくなってしまって、内臓を掻き出したくなるような喪失感を感じた。

まだ自我が薄かった妹は、ある意味幸せなのかもしれない。そばにある幸せは突然、何の前触れもなく失われてしまうことの苦しみを知らずにいられるのだから。


怖くて怖くて、全部捨てて逃げてしまった私が、どうして2人の前に立てるだろう。お母様への祈りも女神様への祈りも、建前でしかない。

ただ私は私が愛するもの…お父様、友人、使用人や、妹、そしてアルベルト様…彼らがいつまでも幸せで健やかであるように願いたいだけなのだ。

そばにいてそれを確かめたいとも思うけど、損なわれたときの恐怖には勝てない。こうして逃げた臆病な女は、まるで敬虔な信者のように日々祈るのだ。


そんな風に考えている間にも、手は動いて、ちゃんと水やりも済ませたようだ。慣れてきたな、とちょっぴり自分を褒めて、部屋へ向かう。

明日の食事は、今日の訪問で頂いたお土産のおかげで豪華になるだろう。シスターといえど、食欲には勝てない。いつもより賑やかな明日を思うと、気持ちが少し晴れた。

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