第9話
「いててて…」
控え室に戻ると試合中に攻められて痛かった腰がさらに痛くなって熱を持っているようになっています。それにしても今日の松本さんはなんか変な感じでした。いつもはもっと明るく華やかに、ちょっとコミカル?な試合が多かったのに。知らないうちに松本さんを怒らせるようなことしたかな、そこまで厳しく攻められようなことしていたんでしょうか。
そんなことを考えながら次の仕事の準備に取り掛かろうとすると渡辺さんがやってきました。
「お疲れ様です」
「はいお疲れ様。とりあえず2試合やってみてどうだったかしら」
私はデビュー戦の最後の5分くらいだけうまくできたと思ったこと、同期の皆さんに聞いた感想のこと、今回の課題についてのこと、今日の松本さんとの戦い方など覚えていること、気になったことなどをできる限り伝えました。すると
「それだけのことをよく覚えていられたわね、逆にびっくりよ。私がデビューした時なんかはただ痛いのと疲れたことしか覚えてなかったのに。感心するわ」
それって褒められた?のかな?
「そこまで今日までの2試合を分かってるなら次からも大丈夫そうね、私が見ててもデビュー戦にしては悪くなかったと思うわよ。これからも練習を続けていけばいいんじゃないかしら」
と、一応の合格がいただけたようです。それから渡辺さんと今日の感想を聞いたり雑談を少し。どうやら松本さんは新人に対していいところを見せたかったけど、偶然にも新人にフォールをされたことが気に入らなくてちょっとラフな攻め方をしちゃったようです。少し前に工藤さんや堀田さんに負けてしまっていたので、余裕な態度を装っていたけどもキレちゃったみたいです。レスリングの技術があるのにそちらを伸ばさずに派手なことを狙いすぎているのはもったいないなー、とか、新人に負けたことでそれに気づいて欲しかったんだけどなー、みたいな話でした。ほぼ松本さんのグチだったような気がしたけども。
それは置いておいて。今後の私の課題として、20分間戦える体力とつける、自分から技を出していく、試合中に声を出す、というのを与えられました。
20分戦える体力というのは持久力ってことでいいのかしら?そうするとジョギングかな。あんまり走るのは得意ではないけどそんなこと言ってられないですね。でもただ走ってるだけでいいんでしょうか、試合中って激しい動きとゆっくり動くのとを繰り返してるからジョギングするときもゆっくり走ったりたまにダッシュしたりしたほうがいいのかもしれませんね。
それと自分から技を出していくっていうのはまだ自分に自信がないんですよね。掛けられた技をどうにか返すのが精一杯で。あと人を叩いたり蹴ったりするのがまだ怖いんですよ。でもどうにか練習や試合を通して克服していかないといけません。声を出すっていうのは力を瞬発的に出すと呼吸が浅かったり止まってしまうのを防いだり、自分を鼓舞してやる気を出させたりする効果があるそうです。そうか、運動部の人たちが声を出してたのはその場を盛り上げるだけじゃなくちゃんとした意味があったんですね。無駄にオーセイっとか何かと思ってたんですよ。
ありがたいことに、すぐに課題を達成しなくてもいいらしいのでじっくりと鍛えていきたいと思います。と言っても「あの課題、その後どうなってるのかしら?」なんて催促される前に合格がもらえるようにしていきたいです。
デビューしてからはシングルマッチだったりタッグマッチだったりが試合が組まれるようになりました。組まれたのですが、そのうち何回かに一回は必ず松本さんと試合があります。その度にいつも負けてしまいます。特にタッグマッチだと私ばっかり狙われているようなんですよね。
世間様が夏休みに入ると毎回のように組まれていた試合があったりなかったりし始めます。他の団体の選手が来たり他の団体へ行ったりという交流戦のようなことが始まると私をはじめ新人の試合が組まれなくなります。まあそれはね、新人の私たちよりも豊田さんや渡辺さんが誰と戦うかという試合を見たいでしょうからね。ただ、立野さんや山田さん、たまに堀田さんは他の団体に呼ばれたしています。これはお客さんを呼ぶというよりも、その団体の選手が戦ってみたい!というのがあるらしいです。そうなると私はセコンドばかりになってしまうけど、そこは選手としてまだまだって事ですからもっと練習をしていかないといけませんね。
とろけそうな炎天下が続く夏休み期間中の私たちの道場が使われない時に、残った先輩たちが中心になってプロレス体験教室が行われます。
ストレッチや柔軟運動から始まり、腕立て伏せや腹筋などの基本的な筋力トレーニング、前転や後転などのマット運動、座った体勢からの受け身などを。それからロープワークを体験してもらってロープの硬さにびっくりしていたり陸上のマットを使ってのボディスラムを受けてもらったりフライングボディアタックをかけてみたり(専門家の指導のもと、十分に安全に配慮して実施しています)。最後に接待するかのようなスパーリングで4の字固めやボストンクラブなどを掛けたり受けてもらったりしています(専門家の指導のもと、十分に安全に配慮して実施しています)。その時は必ず体験者同士では組まないように注意しながらケガの無いように実施していきます。体験終了後には選手とみんなでちゃんこを食べます。
ここで体験した技を他で使わないように、ケガをした時の話やキズを見せてながら「こんな風になっちゃうよ?」と脅してみたりしながら和気あいあいと食事をします。
体を動かしてストレスを発散してもらったりちょっとしたスリルと非日常と楽しんでもらえたなら良かったと思います。
そんな事がありながらも私も少しづつ試合の経験を積んでいきます。その中でひょっとしたらこうなんじゃ無いかなーって感じた事があります。
まずは先輩たちと対戦した時。考え方はそれぞれあるかと思いますが、試合開始から5分から10分くらいはじっくりと寝技や背後の取り合い、腕の取り合いという基本的な技術の確認のようなことをしていきます。その後先輩たちの得意な技や動きに付いていけなくなりスタミナ切れで最後にボストンクラブでギブアップです。後輩をじっくり育てたい先輩と、そんなことより自分はもっと強くなりたい、全力を出し切れるような試合がしたい先輩とでは試合中の対応が違うんだと思いました。
次に同期の皆さんの場合。試合開始からロックアップやロープワークで動き回る事が多めだけど基本的な技の掛け合いをしていきます。試合中に胸を突き出し「打ってこいよ!」みたいに挑発して私に打撃技をさせようとしてくれます。先輩たちより同期の方がやりやすでしょ?って思われているのが嬉しいような気を使わせてしまって申し訳ないような感じです。そして少しでも長く試合をする事で体力を鍛えたり試合の経験を積ませてくれてるようです。これはみんなで早く先輩たちに追いつきたい、みんなで立ち向かいという思いが詰まっているんだと思います。
立野さんはレスリング主体で体の使い方、相手を自分の思うように動かそうとする技術を。山田さんは柔道の技で相手を投げてから抑えこんでからの関節技など、自分たちの持っている技術を試合を通して教えていこうという感じが伝わってきて、たいだいたい15分過ぎくらいまで試合という名のスパーリングをして3カウントやギブアップで負けてしまいます。こうやって比較ができるようになると、先輩たちとの試合は自分の力だけで立ち上がってこい!みたいな教育方針のようなのが同期の皆さんより感じます。
最後に松本さんが相手の場合。先輩たちや同期の皆さんのそういうのが感じ取れると松本さんとの対戦はなんか違うんですよね。とにかく自分のやりたい事、得意なことを掛けてきてきますが、それに対応していくとだんだんと技が荒っぽくなってきます。5分過ぎくらいから腰を中心に攻めてきて最後にボストンクラブでギブアップです。試合時間は10分前後で終わります。
こうやって試合を重ねていくと、その戦い方にはいるいるあるんだなーって改めて思います。体格を生かして力いっぱい攻めてきたり、その力をいなしたりスカしたり、時には利用したり。絞め技や関節技で相手の弱点を集中的に攻めたり、打撃技で自分のペースに持ち込んだりと、個人の特性や体格をうまく使えていいなって思います。私の戦い方ってなんでしょうか。
松本さんとの対戦する時は力技や打撃技のいいところ取りっていうか一貫性がないというか、それがトリッキーで掴み所がないと言われるところでしょうか、何をしてくるか分からないでいます。試合が決まるたびに不安になってきますね。
そんなことを思いながらも週末の試合に出場し続けて、シングルマッチでもタッグマッチでも負け続け、秋が過ぎて冬を迎えようとしています。
次話は2月15日を予定しています




