第16話
それから少し経って三月の初め。冬の寒さは峠を越えて日中の昼間は風が吹いていなければ暖かく感じる今日この頃、南の方からは早くも桜の開花宣言が出され、この辺でもあと数週間で開花するんじゃないかという時期になりました。
本日は地元のいくつかの企業が合同で、私たちの道場を貸し切って成績優秀者の表彰や新入社員の入社する前のレクリエーション、ついでに従業員さんとご家族も招待して慰労会的な催しがまとめて行われます。レクリエーションの一環として私たちのプロレス鑑賞もあるそうです。一応私たちも地元企業?ということでひとつ。
ご家族を合わせると250〜60人の老若男女を、しかもプロレスファンじゃない方も楽しませるにはどうすればいいか。上田さんは「いつもと同じで大丈夫よ、でもお子さんもいるようだし、ちょっとわかりやすくしてみましょうか」みたいなことを言ってたましたけど。
各企業の表彰式が始まる前に受賞者の方と軽く打ち合わせをします。入場シーンで流して欲しい曲とか使いたい小道具なんかを聞いておいて用意しました。
成績優秀者を表彰する際にプロレスの入場シーンさながらに、その方が好きな曲を流しリングアナウンサーが「本年度の成績第一位、〇〇選手の入場です」と呼び込み、私たちが入場をサポートしロープを広げてリングに上がるまで本格的な演出をしていきます。
他の社員さんはノリノリで手拍子をしたり掛け声をかけたりと盛り上がっています。小道具は赤いマフラータオル、プロレス風マスク、マント、チャンピオンベルトなどが人気ですね。全部こちらで揃えましたよ。
事前に、事故防止のために真ん中のロープより上には登らないように説明はしてありますが万が一を考えてセコンドはコーナーに控えています。
リングに上がるとコーナーまで駆け寄り真ん中のロープに上がり、手拍子を他の従業員さんに促したり、レジェンドレスラーの影響なのか、拳を突き上げ「オーーー!」とか「ダーーー!」とか「ウィーーー!」ってやる人が何人かいます。「ダーーー」ってやる方はだいたい赤いマフラータオルを首にかけていますね。
それにしても従業員さんとその家族をみんな招待してイベントを開くなんてちょっと羨ましいって思いました。お母さんがパートで働いているスーパーは年中無休だからそういうのがないんだとか。以前は店休日というのがあって、その日はみんなでバス旅行とかスポーツ大会とかやってたらしいんですけど、今はなくなっちゃいました。組合の人も、いろいろ考えてイベントを企画してるらしいけど人が集まらなくてねー、とグチってたのを聞かされたらしいけど、そうそう休みを合わせることが難しいでしょうに。
一連の表彰などが終わると私たちの出番です。今日はプロレスを見たことがない人もいるのを考えて、事前に簡単なルール説明と楽しみ方をレクチャーすることになりました。数日前にその説明を受けていると、工藤さんが「相撲の初っ切りみたいなことね、いいかもしれないわ。いずれ初めての場所ででプロレスをすることになったら使えそうね」ですって。
初っ切りというのはお相撲の取組前に技や禁じ手を面白おかしく解説するときに使われるらしいので、それを参考にしながら説明しようってことになりいろいろ資料を集めて原稿や予定表にしていきました。
そしていよいよプロレスの説明をと、私と堀田さんとレフェリーの3人で一緒にリングに向かいます。
「みなさん、こんにちはー…」
うわっ、お客さんがみんなこっちを見てる。ヤバい、えっと、次は何を…そうだ、原稿があったん…原稿ってどこにしま…あれ…手が震え…うまくひらか…どうしよ…どうしよ…
「もう、マイク貸して」って堀田さん!
「それでは皆さ〜ん、こ〜んに〜ちは〜〜〜!」
えっ!いきなり何ですか?原稿は?え?
「えー本日はプロレスリング・ドリームファクトリーにご来場いただきましてありがとうございます。そして、受賞された皆さん、入社が決まった皆さん、ご家族の皆さん、改めておめでとうございます!」
パチパチパチパチー
「まあこの後は堅苦しい式典と違って気軽に楽しんでもらえたらと思います。じゃあね、ずっと座りっぱなしだったから少し体を動かしましょうかね」
と全員立たせると両手を組んで体を伸ばしたりひねったり、その場でできるストレッチを始めました。そんなこと原稿にありましたっけ?
「ちょ、堀田さん!」
「大丈夫、まーかせなさいって。ところで緊張してたの治った?そしたら私のアシスタントやってよ」やってよって言われても何をすればいいのか不安しかないんですけど。
「体もほぐれたところで着席をお願いします。では、私はドリーム・ファクトリーの堀田といいます。これからプロレスの試合が始まる前にちょっとお付き合いください。この中で、プロレスをこういう会場で見るのは初めてですよーっていう人はどのくらいいますかね、ちょっと手をあげてもらっていいですか?」
そういうとだいたい半分くらいの方が見たことないようです。特に若い方はその比率が高そうですね。
「はい、ありがとうございます。そしたらですね、初めての方のための簡単な楽しみ方とルール説明をしていきたいと思います」
「まずその一、プロレスの勝敗はマットに肩を3カウントつけられた方が負けになります。また、技をかけられてギブアップしたり倒されて10カウント以内に立ち上がれなかったりレフェリーにこれ以上試合ができないと判断された場合やリングの外に出されてカウント20以内に戻ってこれなかった時も負けになります。ここまではいいですか?」
といいながら私に技をかけていきます。アシスタントってこういう事か!と思いながらボディスラムをかけてからフォール。
「フォール、ワン、ツー、スリー」「カンカンカン!」
ちょ、レフェリーにゴングに試合のままじゃないですか!そこから4の字固めをかけられると「どうした、ギブか!」聞かれ堀田さんの足をタップすると
「ギブアップ!ゴーング!」「カンカンカン!」「0分12秒、0分12秒〜、4の字固めにより堀田選手の勝ち!」って場内アナウンスまで始まっちゃいましたよ。
「こんな感じで勝敗が決まります。次に反則の説明をしていきますね。プロレスでは拳で殴ったりヒジやヒザのとんがったところで攻撃するのは反則です」
と私のことを攻撃してきます。本気でぶつかってはいないんだけどちょっと痛いです。
「次に相手の目や口に手を入れたり耳や髪の毛やのどを掴んだりしてはいけません」
いけませんと言われながら掴まれている私。
「レフェリーに注意されてもやめなかった場合は反則負けになりますが、ちなみにですね、こうしてノドを掴んでみると…」
「ノーノーノー、反則、離して!ワン、ツー、スリー、フォー」とレフェリーが本番さながらに堀田さんに向けてカウントを取り、手を離すと注意しています。
「このようにですね、反則をしても5カウント以内にやめたり、レフェリーにバレなかったら大丈夫だったりするんですよ。これって何かおかしいですね、どこか今の社会と似ているところがあったりして?なんちゃってね」
なんて社会風刺的なことをしなくてもいいんじゃないですか?
「そして技をかけられたらこのロープを掴むと技をやめるというルールもあります」
マイクをレフェリーに渡してから私をまたボディスラムで投げて、足を取りボストンクラブへ。体重が乗ってないから楽々と移動してロープを掴むと
「ロープ、さあブレイクして、ブレーイク!ワン、ツー、スリー!」
マイクを使ってカウントを取ってますけど?絶対この人、この状況を楽しんでますよね。
「ロープを掴むと、技が外されて仕切り直しです。これも技をやめないで技をかけていくと反則になります」
「今までの説明をざっくり言うと、3カウントやギブアップで勝敗が決まる、リングの外に出されたらカウント20以内に戻らないと負けになる、やってはいけない反則はあるけれどレフェリーが見てなかったり5カウントまでなら大丈夫、技をかけられてもロープを掴めば外してもらえます。ちなみにですね、3カウントの時は3秒とほぼ同じですが、それ以外のカウントは秒ではなくカウントってことを覚えておいてください。こういう感じの説明でー…」
その時、突然照明が暗くなりおどろおどろしい曲が流れてくると、いかにも悪者風の誰かが入場してきました。ボサボサの金髪に顔には歌舞伎の隈取のようなメイク、指先がない革の手袋をつけてなぜかハリセンを持ってお客さんがいないところで振り回しています。スタッズのついたチョーカーとダメージ加工されたTシャツの下は黒で統一されたボンテージ風のコスチューム姿でリングに向かってきました。小さいお子さんがビビっています。それを止めようと近づいたセコンド(工藤さん)や鉄の柵を大きな音を立てて叩きながらリングに上がってきました。お客さんからはちょっと悲鳴やざわざわした雰囲気が伝わってきます。
リングに上がった悪者風の誰かを注意するセコンドをハリセンで叩いたり首を絞めたりしていると、レフェリーが「やめろやめろ!ワン、ツー、スリー、フォー!」とカウントを取るとすぐに手を離しました。そこはちゃんと離すんだ、と思いながら何度か同じようなことを繰り返していくのを見ていると、堀田さんがどこかのアトラクションの案内係のお姉さんのように変なテンションでまくし立てるようにお客さんに説明を始めました!なんで?
「皆さん、悪役がリングで凶器を手に持ち暴れまわっています!セコンドもレフェリーも手に負えません!こういう時こそお客さんの声援が必要です!さあ!皆さんでブーイングをしちゃいましょう!こうやってグーを作って前に突き出し、親指を下に向けて揺らしながらぶーーーって言ってみましょう!それではいきますよ?せーのっ!ブーーー!」
ブーイングが始まると悪役レスラーはハリセンを振り回しヤメろーと言いながらながらリング内をところ構わず暴れまわっています。さらにブーイングが続くとハリセンを落とし頭を抱え始めました。な?なんだこれ?
ブーイングが少し収まってくると、今度は堀田さんに向かって襲いかかってきました!危ない!って思っていたら工藤さん(セコンド)が立ちはだかり悪役を抑えています。
「おっと、悪役の力が弱くなってきました!今度はセコンドの工藤さんをみんなで応援しましょう!工藤さんガンバレー!くーどーおー!くーどーおー!」
お客さんもその声に合わせて声援を送ると、工藤さんは両手で悪役を突き飛ばし、ロープに投げて返ってきたところにボディアタック!フラフラになった悪役にブレーンバスターからつかさずフォール!
「さあみんな!カウントを3つ数えるよ!せーのっワン、ツー、スリー!」「カンカンカン!」「5分29秒、5分29秒、体固めにより工藤選手の勝ち」
そこまでするんか一い!あらやだ、思わず変な方言が出ちゃったわよ。
それに合わせてレフェリーもカウントを取ったあと、勝者を讃えるように工藤さんの手をあげてお客さんにアピールしています。何気に工藤さんの初勝利だけどこれはアリなのかな?
工藤さんは何も言わず悪役を肩に担いで控え室に引き上げていくと、会場がなんとも言えない空気感に包まれています。
「えーと、ちょっと演出過剰にお送りしましたけど安心してください、実際にはあんなこと起きませんからね。あんな感じで悪いことしたらブーイングを、頑張ってる時やピンチな時には声援を送ってくれると選手たちも一層力を発揮できて面白い試合をしてくれると思います。こんな感じの説明でしたけど、なんとなくでもルールとか試合の楽しみ方が分かったでしょうか。あんまり分からなくても、力まずに気軽に見ていただけたらと思います。ちなみにですね、先ほどの悪役はこの後の第一試合に出場する松本ひな子選手でした。試合ではどんな姿でやってくるか、どんな戦い方をするのか、悪役とのギャップを楽しみにしててくださいね!」
なんのヒーローショーなのよって思ったけど、そういう意図があったんですね、もう原稿とか関係なく進行してませんでした?
「それからですね、皆さんにいくつかお願いがあります。これが最後になりますのでもう少しお付き合いください。この後見ていただけるとわかってもらえると思うのですが、プロレスって強くて楽しそうでカッコよくて、ついつい真似したくなっちゃいそうになるんですけど、決して簡単に真似はしないようにしてください。特に小さなお子さんがいる保護者さんは注意していてください。私たちは毎日のように苦しくて辛くて痛いのを堪えながら、設備の整った道場で何時間も練習して鍛えているので大丈夫なんですが、たまに大丈夫じゃないんですが、一般の方が練習もしないでそんなことしたら非常に危険です。プロレスの真似をしてケガをしたなんて聞からされたら皆さんも大変でしょうし私たちも悲しいです。ケガをさせた人もした人も、こんなハズじゃなかったって思っても遅いんですよ。もしかするとプロレスは危険だ!なんて悪いイメージがついてしまうかもしれません。まあ危険なことをしてるんですけど、それはともかく今のSNSが当たり前ですからそんなことが起きないとも限らないので、安易に真似をしないようにお願いします。えっと、良い子の皆さんもプロレスの真似をしないってお姉さんと約束できるかな?」
さっきまでのテンションと打って変わってシリアスなお話になってますね。でもこれってとても大事なことだと思います。
「それでもって、我慢できないって方がいらっしゃいましたら、春からプロレス体験教室を開く予定でいます。今の所お子さんと女性限定ですけど、良かったら後でスタッフに聞いてみてください。もういっそのこと私たちと一緒にプロレスをしませんか?設備の整った環境で基礎からみっちり教えてあげますよ?今年の募集は終わってしまいましたが毎年秋頃から練習生の募集をしています。詳しくはドリーム・ファクトリーのホームページか月刊女子プロレスをチェックしてみてくださいね、最後にちょっと宣伝でしたー。それでは松本さんの準備も終わったようなので、そろそろ試合を始めようと思います。私たちのプロレスは、明るく・楽しく・激しい戦いをすることで、見ているお客さんたちに明日から頑張ろう!とかストレスがなくなってスッキリした!とか思ってもらえるように頑張っていきますのでよろしくお願いします。それでは間も無く試合開始です!」
最後は真面目な話でしたが、こんな感じで初めてのプロレス観戦講座は終わりました。でも、私って緊張しすぎて全然役に立ってなかったじゃないですか。
次話は10月25日を予定しています




