第5話
そんな期待と不安が入り混じる中、次の試合の準備のために赤コーナー側の控え室に向かうと松本さんがジャージとTシャツ姿で控え室の前にいました。
「お!お疲れー。ショウ子さんたちのセコンドは私がやるからあなたは青コーナー側のセコンドに変更ね。せっかく同期のデビュー戦なんだからそっちについてあげなよ」
あら、なんて優しいこと言ってくれるんでしょう。それではお言葉に甘えて青コーナー側に向かいます。
青コーナー側の控え室に入ると、さっきまで先輩の誘導やガウンや小道具を片付けるために出入りしていた時より明らかに空気感が違っています。ちょっと霞みがかったように視界が白っぽく見えて冷たいような、硬いような緊張感が漂う空間になっています。それでも何とか立野さんと山田さんのところへ向かいます。
「失礼します、そろそろ準備をお願いします」
そう私が言うと、お二人とも大きく息を吸って吐いて椅子から立ち上がりました。
「よし、そろそろね」
私が思っているよりリラックスしているお二人とは対照的になかなかの緊張感を出している堀田さんと工藤さんがいました。ちょっと、そこまでにならなくてもいいのに。あれ、もしかしてさっきまでのあの空気感はこのお二人から?自分のことじゃない方が緊張するタイプなのかな?顔が真っ青ですけど大丈夫ですか?
「あの、お二人は緊張とかしないんですか?」と思わず聞いてしまったわよ。
「いや、してるよ。でもメダルがかかってるわけでもないし世界大会でもないし。相手は先輩たちだから絶対に勝たなければいけないっていうプレッシャーもないからね。まあ隙があったら狙ってみようとは思うけど」
「練習で毎日コテンパンにされた横田さんと一度も手合わせをしてない上田さんと本気の勝負ができるかもしれないんですもの。一体どうなるか分からないのは緊張するよりもワクワクする方が強いですね。こんなこと柔道を始めてから数えるくらいしか経験しなかったんですよ」
お二人ともこれからのことで頭の中が一杯のようです。それにしても山田さんの発言は俗に言うバトル・ジャンキーっていうやつですか?
「そういえばコスチュームは色違いなんですね」
てっきり新人はみんな同じ物かと思ったら立野さんは団体のロゴ入りの赤いワンピースにヒジやヒザにつけるサポーターとリングシューズは黒、山田さんは青のワンピースにサポーターやシューズは同じ物だ。
「まあ最初はこんなものでしょ、コスチュームで強くなれる訳でもないし。まあちょっと好みじゃないけど、これから強くなって先輩たちとちゃんと戦えるようなったら好きなコスチュームを注文しちゃおうかしらね」
なんていう私たちの話を聞いていたからか、工藤さんが復活してきました。そんなに緊張してたんですか?それとも私が鈍感だったのかな?
「あらごめんなさい。えっと、音楽が流れたら入場開始してね。堀田さんが先導するからそれについて行ってね。ほら、晶ちゃん!晶ちゃんもそろそろ準備して!」
その声で堀田さんも復活してきたようで扉の前にやってきました。それにしても、もうお二人に入場曲ができたのかしら?
「第一試合が始まる前の曲が流れたら二人同時に入場して、リングに上がったら四方におじぎをして青コーナーで待つように。そのあとに萩原さんと上田さんの曲が流れてくるからその時にボディチェックを受けてね」
そういうことでしたか。
「あ、あの、せっかくだからリングに上がる前に円陣とか組んでみます?」
今日まで一緒に頑張ってきたんだから、こうチームというか一体感というか、なんて言っていいか分からないけど応援したいじゃないですか。なんてことを私は提案してみます。
「うーん、気持ちだけ受け取っておこうかな」
「団体戦の時はよく円陣を組んでましたけど、今日は個人戦ですからね」
やんわりと断られてしまいました。すみません変なことを言っちゃって。でもちょっと憧れてたんですよ。そうですよね個人戦ですもんね。
私が扉を開けてしばらくすると聞き慣れた試合開始前の曲が流れてきました。私は気を取り直してお二人に「よろしくお願いします」と声をかけて堀田さんが先導するように控え室から出ました。
薄暗い通路から会場にかけてスポットライトの光を受けながら入場するお二人は、今どんな事を思っているんだろうか。そんなことを考えながら山田さんの横について行きます。さっきは緊張してないって言ってたけど、多少は表情が硬い気がします。
リングに上がり真ん中のロープと一番上のロープの間を広げてると、立野さん、山田さんの順でリングに入ります。中央まで来てから4方向に向かって一度ずつおじぎをしてから青コーナー側に控えます。お客さんからは「新人がんばれよー」とか「立野さーん」とか「綾センパーイ、ファイトー!」とかの声が聞こえてきました。
お二人がボディチェックを受けていると横田さんの曲が流れてきます。松本さんが先導し、ロープを開けてリングに入ってきました。リングの中央まで来ると手を振りながら一回転して声援に応えます。黄色と白を基調にした短い丈のガウンが可愛いです。
松本さんが急いで控え室に戻ると曲が変わり上田さんが入場してきました。さっきまでとは打って変わって会場全体が曲に合わせて手拍子をしながら「ショーコっ!ショーコっ!」と、まるで練習してきたかのような大合唱。これがこの団体のトップというかエースというか代表者の人気なんですかね。
緑色のブルゾンのスパンコールが照明でキラキラと反射させながら入場してくる上田さんは、真ん中のロープを軽やかにまたいでリングに入りお客さんの声援に応えるように片手をあげました。
「本日のメインイベント、30分1本勝負を行います。青コーナー、130パウンドー、立野ー、みづー、きーーー!同じく120パウンドー、山田ー、あー、やーーー!」
「パチパチパチパチー」「立野さーん」「綾センパーイ、がんばれー!」
「赤コーナー、125パウンドー、横田ー、みー、くーーー!」
シュルシュルーと何十本かの紙テープが投げ込まれてきたので回収します。ちゃんと黄色と白で横田さんのコスチュームの色と合わせてるんですね。
「同じく赤コーナー、135パウンドー、上田ー、ショー、コーーー!」
横田さん以上の紙テープが投げ込まれたので急いで回収しないと!とにかく早くまとめてリングの下にどかし立野さんたちと上田たちに注目します。それにしても、コスチュームが赤・青・黄・緑と誰とも重ならなくて、誰を応援すればいいか色でわかりやすいですね。しかもカラフルで見栄えもいいです。
立野さん、山田さんはリングの中央近くまで出てきて上田さんたちを待ってます。一方上田さんはロープに寄っかかったり引っ張ったりしていたり、横田さんはボディチェックの後に一番上のロープに足を乗せて柔軟体操をしています。どちらさんも落ち着いているようです。
レフェリーが選手を集め、ゼスチャーを交えながらルールや注意事項を説明していますが、その間は立野さんは上田さんを、山田さんは横田さんから目をそらさないでずっと見ています。
レフェリーがお互いに握手をするように促すと、立野さんと上田さん、山田さんが横田さんと握手、次に立野さんと横田さん、山田さんと上田さんが握手をします。立野さんたちはきちんと両手を添えての握手です。そして、それぞれのコーナーに戻ってから立野さんと山田さん、上田さんと横田さんが握手を交わしています。
青コーナーのお二人は赤コーナーから誰が出てくるか様子を伺っているみたいです。最初は誰が誰と対戦するか決めてるんですかね?ずっと見ています。
赤コーナーでは上田さんを押し戻すように横田さんが前に出てきます。それを見た立野さんがリングの外に出ようとすると、何を思ったか上田さんがリングに入り横田さんを外に出してしまいました。するとお客さんが「おお〜〜〜!」と声をあげます。そんな声を出すほど珍しいことなんですかね。それを見た山田さんはちょっと悔しそうに立野さんを見つめ、肩を2回叩いでリングの外へ出ます。代わってリングに入った立野さんは、青コーナーのロープを後ろ手に掴み、やる気マンマンなようで体を揺らしながら今か今かと待っています。それに対して赤コーナーの前でロープを掴みながら一度屈伸をしてから振り返る上田さん。
いやー、盛り上がってまいりました!いよいよ試合開始です!
次話は7月15日を予定しています




