第10話
そんな工藤さんの誤解を解きながら(後でからかわれてると知った、とほほ)毎日の日課のようにヨシコさんを相手に技をかける練習を続けていきます。道場でのスパーリングでは相変わらずまいったしてばっかりですが、その回数はだんだん減ってきているように思います。そういえば、一度だけ横田さんから「お、そう来たか」と言われたのは今までなかったことなので、何かしらのヨシコさん効果があったのかもしれません。
立野さんと山田さんはあれから何度か先輩たちに揉まれてましたが、戻ってくるまでの時間が長くなってるようです。もう技術的、体力的に順応してきてるのかな?
そしていつものように週の初めの練習前のミーティングがそろそろ終わりそうな時の事でした。
「練習生の立野さん、山田さん、ちょっとこちらに来て」
と上田さんに促され皆さんの前に呼ばれました。何かあったのかな?
「えーと、ご存知のように最近は私たちとスパーリングをしてる二人ですが、私が見たところいい感じに仕上がりそうなので、来月のファン感謝デーでこの二人をデビューをさせることにしました。みんな拍手!」
おー、入団してから半年くらいしか経ってないのにもうデビューが決まりましたか、さすがですね。先輩たちもパチパチと暖かく迎えてくれるようです。
「そんな訳で今週末の大会でファンの皆さんに報告しますので、二人は何かコメントを考えておいてね」
いいなあー、羨ましいなー。でも同期の中でも実力者だし格闘技の経験者だったから当然なのかもね。
「はい、他の三人も今まで通り練習を頑張って、この二人に追いつけ追い越せっていう気持ちでね。それでは本日もよろしくお願いします!」
先輩たちもなんだか気分がいいようで、いつもより明るい雰囲気で練習を始めていきます。私たちは立野さんたちを囲んでお祝いの言葉をかけていきます。
「おめでとうございます。デビューが決まりましたね」
「さすが、全国レベルの選手よね。半年くらいでデビューにこぎつけたなんて。もしかしたらここを含めた他の団体を入れても最速の方なんじゃない?」
「まあ、ここからが本番って感じよね。デビューしてからの方が大変なんだからしっかりしなさいよ?」
ちょっと、堀田さん、どの立場からの発言ですか!なんでそんな上から目線なんですか。あ、あれか。堀田さんはアイドルの下積みを経験してる最中だから含蓄のある言葉だったりするのかしら。
「いいっていいって、本当のことだから。これでやっとスタートラインに立てるってだけだから」
「そうですね、堀田さんは私たちが浮かれないように気を引き締めなさいよっていう意味での発言だと思いますよ。とは言うものの、やっとあのリングで戦えると思うとワクワクしますね。スパーリングのようにはいきませんよ」
山田さんがいつものようにやる気満々の発言に冷や汗を感じながら苦笑しちゃう私。お先に、とか、あなたたちも頑張ってね!なんて言葉をいただきました。
その後はいつも通りに練習に励んでいきますが、お二人のデビューが決まったことで、私たちもどこかいつも以上に熱がこもっていたような気がしました。
ロープワークやロックアップから始まる主導権の取り合い、ボディスラムやブレーンバスターなどの投げ技、チョップやキックなどの打撃技、逆エビ固めやコブラツイストなどの締め技、腕や足などの関節を極める技、フォールした時の抑え込み方や返し方など、今までの体を守るのが中心だったのが攻撃するのに重点を置いて練習しているお二人を横目に、私たちはいつものように受け身や筋力トレーニングやスパーリングです。私も体の使い方が分かってきたのか痛いのが嫌で本能で危険を察知できるようになったのか、先輩がかける技からだんだんと逃げられるようになったと思います。でも、こちらの技が指導してくれる先輩たちにかかることはほとんどないのが残念なのよねえ。
そんな練習風景の中、たまに異様な音が聞こえてきます。バチーンとかドスドスとか、自ら蹴られたり叩かれながら痛みに耐えたり慣れたりする練習や、反対に先輩を相手に蹴ったり叩いたりを繰り返しているようです。
「腕だけで持ち上げようとしない!もっと体全体を使って!」とか「もっと腰を落とさないと相手に簡単に逃げられるよ!」とか「打撃を受ける時、目をつぶらない!インパクトの瞬間に力を込めて!」とか「そんなんじゃ相手は痛くも痒くもないよ、遠慮しないでもっと全力で!」とか「背筋を使って跳ね上がるように!」なんて声がいつもの練習の時より聞こえてきます。
前腕の内側全体を使って相手の胸元や前かがみになった背中をを叩くハンマーパンチや、前腕の外側のヒジの近くを頬や首筋を叩くエルボー、腕をムチのようにしならせて踏み込みながら打ち込むチョップ、倒れた相手の胸の中心をめがけて踏み降ろすストンピングなどを実際に叩いたり受けたりしながら練習しています。ただ叩くだけなのかと思ったら、ちゃんと技の一種というか名前がついたんですね。しかもどういう風に攻撃したら効果があるとか、ヒジの一番尖ったところを当てたら反則になるとか、つま先やカカトを当てるのは自分の足を痛める可能性があるから足の裏全体で体重をしっかり乗せて、だとか細かく指導が入っています。うわあ、セコンドの時に散々見てたけど、これから私もああいうことをしなくちゃいけないんだなあ。今更ながらすごい世界に来ちゃったんだなあって思っちゃいます。でも、山田さんじゃないけど少しだけワクワクしている自分もいます。
ファンの皆さんへの挨拶も終わり、いよいよデビューの日が近づいてきました。上田さんから頂いた、シンプルだけど真新しいコスチュームとリングシューズ、ヒジとヒザにつけるサポーターを見た立野さんと山田さんはなんだか誇らしげであり緊張しているようであり、いよいよだっていう雰囲気にあふれています。これで練習生Tシャツも卒業ですね。あと、マウスピースもあったそうですが、今になって歯の矯正ですか?え?そっちじゃない?
スポーツ用のマウスピースは使用することで歯の損傷や歯による口の中の怪我の予防、くいしばることでアゴや頭蓋骨、脳への衝撃を軽減し脳震盪を予防できたり軽減する用途で使用するそうです。また、歯と歯がしっかりと噛みあうことで力が入りやすくなり、運動能力が向上するという効果も期待できるらしいです。あれか、ボクシングやラグビーの選手が使ってる方のか。同じ名前でも違うんですね。スポーツ用と医療用と一緒にしちゃダメよね。どうやら元の競技の選手時代にお二人ともオーダーで作ったようなのでそちらを使用するようです。オーダーって結構なお値段するんじゃないですか?
その日の夕食後、そろそろ片付けて雑用に取り掛かろうと思っていると、「お疲れー」と軽い感じで上田さんがやって来ました。私たちは全員で席を立ち「お疲れ様です」と挨拶をします。
「まあまあ、座って座って。さあいよいよね、二人は準備できてる?」
どうやら立野さんと山田さんのデビュー戦のことで激励に来てくれたみたいです。
「はい、多少の不安はありますがあとは本番を迎えるだけです」
「いつになっても初日を迎えるというのは自分で思ってる以上に緊張するものですね」
そんな言葉とは裏腹に穏やかな雰囲気で上田さんに答えていきます。
「対戦カードは当日発表だっていうのにその落ち着き具合はなんなのよ、ホント羨ましいわよ。まあいいわ、気取らずに悔いのないように精一杯やって来てね。そしてここからはそっちの三人も一緒に聞いて欲しいことがあるのよ」
んんん?ただならぬ感じになって来ちゃいましたけど?上田さんが先ほどと打って変わって真面目な表情でこちらを見てきました。
次話は5月15日を予定しています




