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第8話

「はい、じゃあこれが最後ね。この技はちょっと難しいからゆっくりやるわね」

と松本さんを正面に立たせると自分の右手を脇の下から、左手で松本さんの右のヒジの上あたりを掴み、ぶら下がるような体制になったらその場で回転するように投げる。投げた後に松本さんの腕を離さずに自分の腕を絡めていく。


「これがアームドラッグ。ドラッグって言っても薬のことじゃないわよ。投げる時に自分がブリッジをするように引っ張ってから回転するようなイメージね。こういう風に立った位置からもできるけどロープワーク中にやってみるとこういう感じになるわね」

と同じ技を見せてくれる。ロープから戻ってきた松本さんが数秒の間にフワッと飛んで、くるっと回ってドスンと落ちて腕を固定されている。え、え?本当にさっき見たのと同じ技?あまりのスピードと迫力の違いにびっくりしちゃったわよ。


「要は巻き投げか、私はあまり得意じゃなっかたのよね」と立野さんが呟き、「一本背負いが応用できるかしら?、でも体の向きが違いますね」と山田さんが顎をつまみながら何やら考えているようです。お二人は全国レベルを経験しているせいか、今見た技を自分の中でどのようにすれば使えるようになるか考えているようです。


「例えば、相手と距離をとって仕切り直したい場合は遠くに投げて、すぐに腕を攻めたいときは自分の近くに落とすように投げるといいわね」

なるほど、同じ技でも次に何をしたいかによって投げ方を変えるのね。一通りの技を教わったら、あとは反復練習をして自分自身に覚えさせていくのでした。



毎日の基礎的な練習と新しく教わったこと、道場の掃除とか合宿所での雑用とか週末に開催される試合の時のセコンドなどなど、ほぼ毎週同じようなことの繰り返しの日々が続けていくといつの間にか世間では夏休みが終わっていたようです。午前中からお昼過ぎまでは相変わらず蒸し暑いのに、練習終わりに商店街までクールダウンに行くと暗くなるのが早いなー、なんて思っていたから。ずっと室内で過ごしてるから季節の入れ替わりってあんまり感じないのよね。



前かがみになって頭がぶつかりそうなくらいの距離から両手で牽制しながら相手の後ろに回ったり足を掴んで倒したり、倒した相手の上に乗って腕を絡めたり、なんか今までの練習とは違ったことをしています。


「バックを取られたら体を伸ばされるな」とか「お尻を上げて前に落とせ」とか「うつ伏せになったまま逃げちゃダメ」とか聞こえてくる横で、私は萩原さんにうつ伏せにさせられたり仰向けにされたりしながらの指導を受けています。ちなみに立野さんと山田さんは工藤さんと堀田さんに技をかけながら、松本さんともう一人の先輩が声をかけてどう動けばいいか指示を出しているようです。


今回、私たちがしている練習はスパーリングというらしいです。簡単にいうと実践形式の練習で、体の使い方や身に付けようとしている技を試合の中で使えるようにするためらしんですが、普段の筋力トレーニングとは違う筋肉を使ってるみたいだし、人が自分の上に乗っかるだけで意外と体力とかスタミナって消耗するんですね。


「極められる前に動くのは以前教えたでしょ!それと一緒よ」とか「腕を取りに来てるよ、わきを閉めて」なんていう声が隣から聞こえてきますが私は萩原さんと向かい合っています。


前かがみの体勢から手を使って頭を抑えらたり首を左右に小刻みに揺らしていると急に目の前からいなくなり、気がつくと私の左足を掴んだかと思うとあれっという間もなく後ろから抱きつかれ、腰のあたりを抱えられ持ち上げられたかと思うとマット上にうつ伏せにされ、背中で動いてるなと思ったら首に手を回されて苦しくなり、その腕をパシパシパシと叩いてまいったの合図をする。立ち上がり呼吸を整えてから同じように前かがみで構えていると、お腹のあたりに体当たりをされてそのまま後ろに転ばされ、いつの間にか私を跨ぐように上に乗られて腕を掴まれて曲げられたり両足で挟まれて腕を伸ばされたり。


じゃあ逆にと私が上に乗ってから始めるとほんの数秒で片手と首を両足で挟まれてて苦しくなってパシパシパシとまいったします。

それなら技を決められないように意地でも逃げてやろうとすると「逃げる方向が逆よ」と言われ、反対方向に逃げると別の技がかけられてまいったしなくちゃいけなくなるのよ。萩原さんの動きは試合の時と比べると全然遅いのにね。何をどうしたらいいのか分からないうちに色々な関節や首を極められていくのでした。


セミの声が聞こえなくなって残暑も感じなくなったかなーと思い始め、スパーリングではなんとか極められる回数が減ってきたある日の練習時間のことでした。


「おーい、そっちから一人貸してくれない?」

なんて声がかかる。どうした、何かあったの?


「そうねー、んーじゃああなた、ちょっと向こうで揉まれてらっしゃい」

と萩原さんが立野さんを指名する。揉まれてらっしゃいって、なんかいやーな予感しかしないんですけど。なぜか山田さんがちょっと悔しそうな顔をしています。


「はい、行ってきます」「一人行くわよー、お手柔らかにね、あと打撃は無しで」

小走りで先輩たちが練習している方へ向かい、リングの前で立ち止まると自分ので頬と両腕ともものあたりをパンパンと叩いてから一礼してリングに上がる。

「立野みづきです、よろしくお願いします」


「はーい、こっちはこっちの練習があるからね、見たいのはわかるけど集中して」

いやー、そりゃ気になるじゃないですか。チラッと、最初の方だけでも見せてもらえませんかね。


だいたい10分くらい経った頃でしょうか、立野さんが向かった先輩たちの方から

「誰かもう一人こっち来られないー?」

と声がかかる。すると萩原さんがこちらを向き「えーっと…」

なんて言ってるうちから

「はい、では私が参ります」

山田さんが手をあげて立ち上がる。おしとやかで丁寧な口調とは似合わないギラギラした目つきで。

「あ…はい、じゃあ行ってらっしゃい」

と山田さんを送り出します。


少ししてから立野さんが帰って来たんだけどなんだかとても疲れたようで、体を引きずるように戻って来ました。私たちのすぐそばまでやって来たらヒザから崩れるように倒れて「シャレにならないよ…」という一言を残して動かなくなりました。


「はいお疲れ様、今日はこれであがっていいわよ。他の人の練習が終わるまでゆっくりしてなさい。じゃあこっちは練習を続けるわよ」

一体、何があったんですか、気になるー。


それからまた10分くらいすると、ヨロヨロとしながら山田さんが帰って来ました。顔からポタポタと汗を垂らしながら息が荒く四つん這いなっています。


「何よあの人たち、化け物ですわ…」

先輩たちを化け物扱いするのはどうかと思うけど、山田さんも立野さんも本当に何があったんですか?


「はいお疲れ、あなたも今日はあがっていいわ。体を冷やさないようにね。えーと、二人がこんな感じになっちゃったので今日のところはここまでにしましょう。三人は各自自主練ってことでよろしくね」


「ありがとうございました」とは言うものの、これでいいのかな?

ベースボール・マガジン社 プロレス入門 を参考にしています

講談社 オールラウンダー廻 を参考にしています

徳間書店 ハナカク を参考にしています

次話は4月25日を予定しています

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