第3話
梅雨が明けて日差しが直接当たるようになると今まで以上に一気に暑くなってきた。世間ではそろそろ夏休みだーとか海や山へ行こうーとか、キャンプやバーベキューやレジャー関係の話で盛り上がってるみたい。ラジオネーム『恋するウサギちゃん』が恋愛相談のハガキを出したらDJが熱いナンバーを届けてくれて、その恋心を諦めなければ、いつもより騒がしくなるような、そんな話を聞いちゃったらミュージシャンも張り切って恋の応援ソングを作ってくれるかもしれない、そんな季節。逆に受験生は夏期講習や入試の最後の追い込みが始まるようですね。
道場では練習をしてるときに、地元FMラジオ局の放送や先輩たちのお気に入りのアーティストの曲を流していますが、今日はラジオを流す日かな。どうやら今日は夏の名曲オールリクエスト大会らしい。
私たちは蒸し暑い道場でひたすら練習に明け暮れている。もうね、ほんの数十分で練習着の汗が絞れるんだもの、毎日の着替えが大変よ。一応倉庫用(?)の大型冷房設備はあって、それに加えて工事現場で使うような大きなサーキュレーターも使ってるんだけど効いてるのか効いてないのかよく分からないのよ。風が当たると涼しく感じるから効いてるのかな。もちろん練習中の水分補給はしっかり摂ってます。
上田さんが練習生の頃は練習中に水を飲むなんてありえなかったらしいけど、そんなことしたら熱中症で倒れちゃうじゃないですかね。当時はそれが常識だったみたいだけど体に悪いことと分かったらどんどん変わっていってほしいものです。
「右手がこうで左手がこう、これがロックアップね。この状態で組み合うんだけど、このままじゃダメよ。ここから相手を押したり引いたり力比べをしたり、バランスを崩して自分が有利になるような体勢にするの。ベテラン選手になると相手の力量が大体分かるっていうくらい大事なことだからね」
「力比べ以外になった時の説明ね。まずロープまで押し込まれたらブレイク。つまり技を外さなきゃいけないの。その離れぎわに何かを仕掛けてもよし、素直に離れてもよし。状況次第で駆け引きや心理戦を仕掛けてみるものね」
「相手の体勢を崩すことができたらこうやって自分の体を相手にくっつけるようにして左腕を絡ませて体重をかけながら右腕をこう組むの。その時、自分の胸のあたりに相手の頭を固定するとこれがヘッドロック。そして頭を抱えるだけじゃなくて顔のこの辺りを腕の骨でこうやると…ね、立派な技の一つね」
「じゃあヘッドロックを外したい場合はどうするか。自分の右腕を相手の脇腹、腰あたりにヒジを当てる。ここはそんなに力を入れなくていいからね。そして相手の力が弱くなったりひるんだらロープまで勢いよく下がり、その反動を使って相手を突き飛ばすようにするの」
「もしくは相手のロックが弱いと思ったら、手首のここを掴んでこうやってひねると外れるから。あとは力ずくで引っこ抜くとかね」
「ということを踏まえてロックアップからの動きを一人ずつ私とやってからペアになって技の掛け合いをしてみましょう」
なんとまあ、ロックアップという技から力比べやら心理戦やら違う技に繋げるのやらバリエーションが色々とあるんですね。萩原さんは松本さんを相手にして実際に技をかけながら説明してるれる。
私は格闘技の経験がないから、こういう時は積極的にいかないとって思って萩原さんの前に一歩出る。
「はい、お願いします!」
萩原さんに手を取ってもらいながらロックアップに挑戦。組み合ったあと力を入れるもビクともせず。押しても引いてもどうにも動かないのよ。まるで大きな岩を相手にしているようなのよ。
「ほら、もっと力を入れて!」
って言われてもウンともスンとも動きません。
「腕だけじゃなくて体全体を使って!」
自分の中でせーのっ!て言いながら体全体を使って勢いよく大きな岩を両足で踏ん張りながら押すような感じでやってみる。
「そうそう、できるじゃない、いいわよ」
さらに押し続けてロープの近くまで行くと、ふっと萩原さんの力が抜けるとクルッと回転していつの間にか私の方がロープに押し込まれていてる。あれ、なんで?
「相手の力を利用するとこういう事もできるのよ、さあもう一度」
何が起こったのか分からないままリングの中央に戻り再びロックアップ。今度は萩原さんから左右にゆさぶられて、あれよあれよという間にロープまで押し込まれてしまった。
「こうやって力の入れ方次第で相手の体をコントロールできるのよ。はい、もう一度」
んんん、なんで?体をゆらされただけなのにまったく力が入らなかったじゃない。
「次は私がやったみたいに左右にゆさぶってみて」
組み合ったあと萩原さんにやられていた事を思い出しながら、腕だけじゃなく体全体を使ってやってみる。確かこうやってたような。
「そうそう、相手の体がグラついたと思ったらそのまま押し込んで」
さっきみたいにロープの手前で体を入れ替えられないようにゆっくりと押し込んでいく。
「そう、いい感じでできてたわね。その調子よ」
その後も力の入れ方を変えてみたり左右だけじゃなくて上下に揺らしてみたり、自分なりに工夫しながら練習を重ねていく。
「いいねいいね、どんどんやっていこう」
と褒めてくれる。調子に乗ってる訳じゃないけど褒められるって嬉しいね。
「それじゃあヘッドロックをかけてみようか」
と次の技の練習に入る。
「組み合ったらすぐに左手に力を入れて相手のロックを切るの。そしたら相手の首の後ろに体重をかけながら左腕で顔をくるむようにして、頬のところに左手の親指の付け根のところが来るように。そこから右手と左手の指をこうして組み合わせて自分の胸のあたりに相手の頭がくるようにするとこうなるの」
と萩原さんに言われたように動いたものの、やることがありすぎて自分の腕がどうすればいいか迷ったけど、なんとかヘッドロックのような形を取ることができた、と思う。
「そうそう、そんな感じね。じゃあ実際はどんな技でどんなところに効くか体験してみようか。もし、痛くてどうしようもなくなったら我慢しないで私の体をパシパシ叩いてね。これはギブアップ、降参っていう意味だからすぐに技を外すわよ」
そうか、痛いのか。ちょっとイヤだけど頑張ってみるか。
「よし、いくわよ、無理しないでね」
何度目かの萩原さんとのロックアップ。さっきまでの練習の時よりも勢いというか力の入れ方、迫力が違う。組み合った時にガクンと私の体の力が抜けて、あれ?あれって思った瞬間。
ミシミシミシ〜〜〜っ!!!
っと頭の中から骨のきしむ音が聞こえてきた!
「...〜〜!…〜〜!」声にならない声が出る。顔が、頭が何か硬いものに挟まれたように、さらにミシミシ〜〜〜って聞こえてくた!やばいやばい!
とにかく何するんだっけ?痛いので何も考えられずバタバタとしてもヘッドロックは外れない。あ、タップだ!とにかく萩原さんの体をどこでもいいので叩く!両手でバチバチと両手で。どこぞのなんとか名人の16連射よりも速く!
「これが本気のヘッドロックっていう技よ、どお?」
技を外された途端にその場に崩れるように倒れる。顔が、特にホッペタからアゴのあたりまで痛くて熱くなってて手で覆ってしまう。こ、これがヘッドロック…
そこから急に全身から汗が吹き出て道場内は暑いはずなのに寒く感じるし技をかけられた前後に何押したのかもあんまり覚えていない。それほど激しい運動をしたわけでもないのに息が荒く心臓のバクバクが止まらないです。もしかして私、真っ白に燃え尽きちゃった?
「おーい、大丈夫かー」
と松本さんが覗き込むように明るい笑顔で私の方に向いてくる。まだ目がチカチカするし息も整ってない。
「あ、あの、私の顔ちゃんとありますか?」
さっきまで手で覆っていたけど自分の顔がどうなっているのかまるで自信がない。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと付いてるし曲がってないし潰れてないよ。それよりこの後も練習できる?」
はぁー、すごく痛かったしまだ熱っぽいけど、顔は曲がってないから多分大丈夫だと思いますよ。
「っても涙目でそんな顔してるんじゃ大丈夫そうじゃないっぽいね。他の人の練習を見ながら痛みが引くまでちょっと休んでな」
ミシミシ〜ってすごい音がしたし痛かったけどそれだけだったなんて、私の体って意外と丈夫なのかな?
ベースボール・マガジン社 プロレス入門を参考にしています
次話は3月5日を予定していますが、私用により何日か遅れるかもしれません
あらかじめご了承ください




