第18話
「ほら、何ぼーっとしてるの!早く片付けないとまだ仕事が残ってるんだから」
大会終了後に会場やロビーの掃除をしていると、さっきまでの試合のことを思い出しては動きが止まってしまう。その度に立野さんや堀田さん、松本さんや松本さんに何度も注意されちゃうのよね。それにしても今日は凄かったなー。試合だけじゃなくてお客さんの盛り上がり方もハンパじゃなかったような気がするよ。あの声援が耳の奥にこびり付いててまた聞こえてくるようだよ。そのたびに仕事の手が止まって…
「ホラまたー、早く終わらせようよー」
「はーい、すみませーん」
また怒られてしまったよ。
会場の後片付けを終わせると、合宿所の食堂では簡単な打ち上げが行われる。さっきまで戦っていた人たちが和気藹々と仲良くお鍋を囲んでいる姿は何となく違和感があるけれど。ちなみにお酒などのアルコール類は試合の後ということでこの場では出さず、打ち上げの後に各自で二次会でってことになりました。前田さんが言うには、激しい運動の後のアルコール摂取は疲労が抜けにくい、筋肉の回復を妨げるなどのデメリットがあるそうです。ということは、ゴルフや草野球の後にみんなで集まって居酒屋で一杯とか楽しそうに話してたお父さんの行動は、実際には体に良くないことをしてたってことかな?健康にいいんだぞーって自慢してたけど逆だったなんてね。今度教えてあげなくちゃ。まあ教えても改めないと思うけど程々にね。
なんて皆さんの食事の補佐をしながら考えていると、みるみるうちにお鍋の中身がなくなっていくよ。先輩たちの食事風景は毎日見ているから平気だけど、ダイヤモンズの皆さんも負けず劣らずの勢いなのよ。大丈夫ですか、おかわりは間に合いますか?
そこは前田さん、その辺りは抜かりなく準備万端でスタンバイできてました。各テーブルのお鍋が少なくなったのを見計らって次のお鍋が出せるようにしてました。しかも何回おかわりしても飽きないように具材の組み合わせ・味付け・栄養も考えられてると思うと、前田さんて本当に凄いなーって思うのよ。私たちの体のことを気に掛けてくれてるなんてありがたいことです。
打ち上げが終わると二次会へ行く人、お風呂や自分たちの雑用をする人、休憩する人などそれぞれ別行動。
「おーし、飲みに行くぞー、お前らついて来い!」「何だ?俺の酒が飲めねえってか!」
的なノリがないのはいいことだと思うのよ。バリバリの体育会系なのに。
お母さんが社員として働いてた時は毎月のように親睦会という名の飲み会があって、強制参加で会費を徴収され、女性だからとお酌をさせられ、お酒の弱い人には気合を入れて、付き合い程度じゃ済ませずに、ビール・焼酎・ウイスキーなどをおちょこやコップや鍋のふたで無理矢理飲ませたりっていうのがあったらしいのよ。今のご時世にそんなことしたらパワハラとかアルハラって言われそう。
そんなのを見たお母さんは何回か誘われた後はどうやって飲み会を断るかずっと考えてたみたいで、一番効果があったのはお酒をすすめられて飲んだらその場でばったり倒れたら次からは強く誘われなくなったとか言ってたなー。しかもそれが問題になって事業部長やら店長やらエリアマネージャーとやらが騒ぎ出したのと、日頃から不満を持ってた他のパートさんからも話があったとかで強制参加の飲み会をするのが禁止になったとか。
そんな大人な世界の話を聞いて私はギセイシャにならなくてよかったなー、なんて思っているとダイヤモンズの皆さんと先輩たちの食事が終わり私たちの番になる。豪華さはないけど美味しそうに煮えてるね。
「ちょっと晴ちゃん、食べるか考えるかどっちかにしたら?」
おっと、ここでもやらかしてしまったらしく工藤さんに注意されちゃいました。急いで食べなくちゃ。
今回、初めて目の前でプロレスの試合をじっくり見たわけだけど、その感想を話し合いたなーって思ってても何をきっかけにしたらいいか、格闘技の経験がない私が率先して話をしていいかなんて、もぞもぞしながら考えていると、上田さんがプロテインの缶とカップを持って私たちのテーブルまでやって来る。ん?プロテインにあんなラブリーなデザインな缶なんてあったっけ?まあなんて可愛いって思ってたら、なんと!赤ちゃん用の粉ミルクじゃないですか、バブバブってなんですか!
お疲れーと言いながら席に座り、私たちのそんな反応を気にすることなく黙々と作り上げて、テーブルにあったオリーブオイルをおもむろにカップに注いでいきグッと一気に飲み干す。
「ん?ああこれね。赤ちゃんの成長にいいんだもん大人が飲んでも大丈夫でしょ?毎日これを飲むようになってからなんか調子がいいのよ。しかもお肌もツルツルになってるみたいなのよ。大丈夫よ、SNSにあげていいねをもらってこのミルクの会社が生産が間に合わなくなって一時的に発売停止になるようなことなんてしてないから。そうだ、試しに飲んでみる?」
いや、それはちょっとー、みたいな雰囲気を皆さんが出してるけど私は試してみたいなー、なんてね。
「それで、昨日今日と実際に私たちの試合を見てどうだった?」
そう、そういう話をしたかったんですよ。ホンッットにすごかったんだから!きっかけは上田さんになっちゃったけど。
立野さんと山田さんはお二人とも格闘技経験者らしく、自分の持っている技術をどうしたらプロレスに活かせるかを考えながら見ていたようで、あの技はこうやって出すといいとか、この技はこういう風にすればはずせるとか、早くリングで戦ってみたいですなんてあれこれ上田さんと技術的な話をしている。私にはとてもチンプンカンプンで早々とギブアップですよ。
「でも、あれだけお客さんを楽しませることって勝つだけじゃできないですよね。私たちは優勝するとかメダルを取るとかが至上命令みたいなものでしたから」
ボソッと山田さんがそんなことを言っている。その話、少し前にテレビで見たことあるよ。今はどうか分からないけど、柔道は日本の伝統武術だから勝って当たり前、金メダルは当たり前、逆に負けでもしたら罰金だ!みたいなことを言ってたかもしれない。(※1)
立野さんも似たような感じですか。でもそうよね、お客さんをどう盛り上げるなんて分からないですもん。
「私は、華々しい舞台に立てるのはいいんですけど、顔にキズができたり次の日に動けなくなるようなダメージを負うのはちょっと嫌かなーって思いました。でも会場の盛り上げ方は勉強になりましたね。お客さんの目を気にしないといけませんね」
えーーーっ!もう分かったんですか!さっき立野さんや山田さんは難しいって言ってたのに。そうか、堀田さんは芸能会の人だから私たちや山田さんたちとは目線が違うのかもしれない。
「私は受け身の大切さですかね。あんな大技を逃げることなく受けるんですから。でも後ろ受け身に慣れるまでが大変そうです」
そうか、工藤さんはお相撲出身だから自分から背中どころか手とか足の裏以外を地面についちゃうとダメなんですよね。私もマットがなかったら後ろに倒れるのちょっと怖いんですよね。そして私はというと
「はい、お客さんと選手が一体となって会場が盛り上がっていくのが凄く面白かったです。私もああいう風になってみたいと思いました。それと一番最後の試合はとても凄かったですけど第一試合でお客さん全体が一気に盛り上がれる試合も面白いなーと思いました」
おおおーって、皆さんなんですか!拍手しないでください。上田さんもクスクス笑わなくてもいいじゃないですか。確かに片付けの時にぼーっとしちゃってたことはありましたけど試合はちゃんと見てたんですから。
「ダイヤモンズに感情移入しちゃってたもんね」
ぎゃー、バレてる…工藤さんそんな意地悪なこと言わないでくださいよー。でもちょっとだけですよ?ちょっとだけ。
「はいはい、それは置いといて。会場に来てくださった関係者や取材されてた方々が言ってたわよ。あなたたちのセコンド業務はなかないい動きができててよかったって。そっちの二人にもそんなことさせてるのかってびっくりしてたけど。これからもその調子で頑張ってね」
そうかー、一日でもしっかり練習できたからそれがよかったのかな?高校の卒業式や体育祭の予行練習なんで時間のムダだって思ったけど事前に体験していた方がいいのね。
「じゃあ今日はこの辺で。次からの練習はもう少し厳しくなるけど明日はしっかり休んで頑張ってね」
そう言って席を立つ。これからどなたかと二次会かな。私たちはテーブルを片付けてからそれぞれの仕事に向かうのでした。
(※1)主人公の多大なる誤解です。関係者の皆様、ご不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません
次話は2月5日を予定しています




