第7話
お天気は梅雨入りするかしないかというちょっと蒸し暑くなってきた頃、工藤さんの五番勝負が始まります。今日から毎週日曜日、セミファイナルというところで試合が組まれたことに上田さんやスタッフの皆さんの、工藤さんに対する期待が現れているみたいです。
こんな大切な日なのに第一試合、第二試合のセコンドをしっかりこなし、いよいよ試合が始まるぞ!という時間が迫ってきました。
「工藤さん、この試合が終わったら次ですね。緊張してませんか?」
私がペットボトルのドリンクを渡しながら話しかけると
「ありがとう晴ちゃん、ちょっと緊張しててるけど大丈夫よ。これからの試合は勝っても負けても私らしく戦っていくだけよ。全力で立ち向かっていけばどのくらい先輩たちに通用するかわかるからね」
なるほど、工藤さんの気持ちはすでにかたまっているようですね。ここまできたらあれこれ考えてもしょうがないのをわかっているようです。私も五番勝負に向けて自分なりにこうするぞ!って決めて練習をしているんですけど、やっぱりあれをしたほうがいいかなーとか、こういうのもどうかなーとか思っちゃったりするんですよ。不器用なくせに堀田さんみたいな空中殺法や山田さんのような関節技が使えたらなーとか決心が緩んてきたりします。
そんな私でも工藤さんみたいに吹っ切れることができるのでしょうか。
第三試合が終わり(この日は全五試合)選手たちが戻ってくると工藤さんの出番です。会場が暗くなり入場曲が流れ始めると、私が誘導してリングに向かっていくのですがなんか私が緊張してきちゃいました。
「さあ晴ちゃん、行きましょう!」
後ろから私の肩に手を乗せてゆっくり通路の方に移動するとお客さんの声が聞こえてきます。
「キタキター!頑張ってこいよー」
「全力でぶつかっていけー!」
「おおっ!仕上げてきたな。これは期待できる!」
そうなんです。あれから一ヶ月ちょっとのトレーニングで体が大きくなっているんです。腕も足も太くなってデビュー戦以降に作ったリングコスチュームがパッツンパッツンになってしまい、時間がないなかデザインはそのままに急遽サイズ直しをしたんですから。
私が緊張しちゃったので工藤さんにも移してしまうのかと心配しましたが逆にリラックスできているようです、と言うかもともとそこまで緊張していなかったようですね。表情も穏やかながら気合が入っているようで心身ともに準備OKのようです。
ロープを広げるとそこからリングイン。「よーしっ!」と一声出してから青コーナーで待機します。
続いて豊田さんの入場です。お客さんの声に応えることなくゆっくりとリングに向かってきます。その表情は真剣そのもので新人相手にかるーくひねってやるか、みたいな雰囲気はこれっぽっちもなく、一人の選手として堂々と立ち向かうようです。
「ただいまより、工藤江利花試練の五番勝負第1戦、30分1本勝負を行います!青コーナー……」
リングアナウンサーの声にお客さんから多くの声援が送られてきます。工藤さんは微動だにせず豊田さんを睨んでいるようです。
次に赤コーナーの豊田さんがコールされると工藤さんに負けないくらいの声援が送られてきます。豊田さんは肩やヒジに手をかけて軽くストレッチをしていますが工藤さんから目を話すことはありません。
両選手ともレフェリーに促されて握手をすると、お客さんの拍手のなか一旦コーナーに戻ります。
「レディー、ファイっ!」
時計回りで相手の様子を見ながらリングの中央まできてロックアップ、ぐっと力を入れてお互いに引かずにいると、と工藤さんからグオオーっという声が聞こえてくると豊田さんが少し押され、そのままロープまで下がりそうになるも、逆にうおおーーっと声が聞こえてくると工藤さんが下がって聞くとロープまで押し返されてしまいました!
「ブレイク、離れて」
仕切り直しと距離を取ると今度は手を突き出してガッチリと組み合うと胸を突き合わせて力くらべが始まりました。これは工藤さんが有利かと思いましたが豊田さんが上からどんどん力を込め、さらに足を引っ掛けると工藤さんの上半身がだんだん後ろに倒れていきます。
「工藤さん!しっかり!頑張って!」
思わず声が出ちゃいましたが、それをきっかけに工藤さんが押し返し五分の状態まで戻すとさらに力を入れて押していくと今度は豊田さんが後ろにのけぞっていきます。
「エツ子さーん!負けるな!やり返せ!」
お客さんから声が聞こえてくると豊田さんも押し戻しこれまた五分の状態に。そこから工藤さんの腕を蹴って手を外すとバックに回り高さはないけど高速のバックドロップ!工藤さんは一回転してすぐに立ち上がると頭から激突!ぶちかまし!ニュートラルコーナーまで吹き飛びそのまま崩れ落ちる豊田さん、前のめりでマットに倒れる工藤さん。セコンドで見てる私も力が入る攻防にお客さんから割れんばかりの拍手が飛んできます。うおー!すごい!まだ試合は始まったばかりだけど豊田さんに負けてない!工藤さん凄いよー!
先に立ち上がった工藤さんがニュートラルコーナーに近づくと豊田さんを立たせ、ロープを掴んでお腹にショルダータックル!3発4発と続けるとレフェリーに止められてしまいリング中央まで下がります。が、すぐに豊田さんの手を取ると対角線側のコーナーへ投げ、すぐに追いかけてボディアタック!すぐにボディスラムで投げると後ろ向きでコーナーの2段目まで登りダイビングボディプレス!体格を生かした連続攻撃で決まったか!と思ったけどカウント2で返されてしまいます。さすがにこんな簡単に豊田さんに勝てるわけないですね。
工藤さんが髪の毛を掴んで立たせると、その手を払った豊田さんが逆水平チョップ!工藤さんをロープに投げると返ってきたところに豊田さんのヒザが工藤さんのお腹に突き刺さる!キチンシンク!続けて2発目、さらにも1発!最後は足を引っ掛けて両選手とも後ろに倒れた!(※1)どちらにもダメージがありそうだけど豊田さんがフォール、工藤さんはカウント2で返すも後頭部に手を当てて苦しそうにしています。さっきのはちゃんとした技だったみたいです。
「5分経過、5分経過ー」
え!まだ5分ん?内容が濃すぎてもっと時間が経ってるかと思いましたよ。とにかく工藤さんを応援しないと。
そこから豊田さんは工藤さんのスタミナを奪うかのようにグラウンドで攻めてきます。ボストンクラブ、キャメルクラッチ、胴締めスリーパーホールドなどを受けるたびにロープに逃れます。その度にお客さんから「もう終わりか!意地をを見せろ!」なんてヤジなのか応援なのか、わからない声が聞こえてきますが私もそう思います。こんなすぐに負けちゃうような練習はしてこなかったはずです。
ふらふらになりながらもやっと立ち上がった工藤さんに対して逆水平チョップでロープまで押し込む豊田さん。反対側のロープへ投げ、返ってきたところに工藤さんのカウンターのショルダータックル!からのその場跳びボディプレス!気合をいれるように大きな声をあげると呼吸を整えながら豊田さんが立ち上がるのを待ちます。ヒザ立ちになったところからロープワークを開始、2回3回と繰り返すことでスピードを上げると、立ち上がった豊田さんに向かって渾身のショルダータックル!!!一回転してふき飛んでしまいました!これにはお客さんもびっくり、どよめきが止まりません。よく交通事故にあったみたい、なんていう表現がありますがまさにそんな感じです。
起き上がらせてもなかなか起き上がらない豊田さんにフォールするもカウントギリギリ2で返されると、工藤さんが得意技を決めるポーズ!なんとか立ち上がらせ、豊田さんの正面から片手で胴体をもう片方の手で足を掴み上に持ち上げてから前に叩きつけるという技(※2)が出るか!しかしこれを受けてはまずいかと思ったか、豊田さんは持ち上げられないように腰を落として耐えています。同じような動きを3回繰り返し、やっと工藤さんから離れると一回転して首筋にチョップ(※3)体制が崩れたところに体ごとぶつかるショートレンジラリアット!カウントは2!そこから立てーとか負けるなーとかやり返せーとか大きな声が飛んできます。
工藤さん、聞こえますか?私もそれに負けないくらい声を出して鼓舞します。しかし、なんとか立ち上がった工藤さんを待ち構えていたかのように、助走をつけた本気のラリアットが炸裂すると力なく後ろに倒れてしまいそのままフォール、カウントが3つ入ってしまいました。
「9分52秒、9分52秒ー、片エビ固めにより豊田エツ子選手の勝ち」
お客さんの溜息が溢れるなか、途中からセコンドに付いていた山田さんと一緒にリングに上がり氷嚢を当てて手当をしていると、豊田さんが私たちをリングから降りるよう指示が出ました。いや、冷やさないと、と思いましたが一旦その場を離れます。何やら工藤さんに話しかけると、ゆっくりですが痛めたところを抑えながらヒザ立ちくらいまで体を起こしました。そこで二言三言なにか話をしてからレフェリーの勝ち名乗りを受け、お客さんにお辞儀をしてからリングを降りて行きました。そんな豊田さんに大きな拍手が起こります。
私たちも工藤さんをリングから降ろすと両肩を抱えて控え室に向かいます。その背中には「いいもの見させてもらった!」「すごい迫力だったぞー」「玉砕オッケー、いい負けっぷりだった」なんていう声が聞こえてきたってことは、たとえ負けてもお客さんを満足させることができたってことなんでしょうね。
※1 かわず落としみたいな技だと思ってください
※2 無双みたいな技だと思ってください
※3 袈裟斬りローリングチョップだと思ってください
次は11月15日を予定しています