第8話
なんだかんだでお祭りの3日間があっという間に過ぎて、次の日からすぐにステージややぐらの撤去、清掃や飾り付けの取り外し作業に取り掛かります。昨日までの賑やかさがすっかり抜けて、一部の人たちはお盆休み明けの仕事はじめらしく、この暑い中スーツ姿で駅に急ぐ様子がチラホラと見られます。
普通にお祭りを楽しんだお客さんだったら「楽しかったね、来年もまた来ようね」で終わりますが、私たちは撤去作業が終わるところまでがお祭りなので淡々と作業を行います。余韻に浸ってる暇があったら商店街をいつものように戻していくのです。
お祭りの期間中に時間があればゴミ拾いをしていたおかげで商店街はそれほど散らかっていないようでしたけど、脇道や自動販売機の上や隙間、ゴミ箱から溢れ出していたゴミを片付けていきます。それを一ヶ所にまとめてそれぞれ分別していきます。これがまたきつい作業なんですが商店街が綺麗になるとスッキリして気持ちいいですからね。
蒸し暑いのが少し薄れて、暦の上ではそろそろ暑いのが収まるらしいというニュースが流れる頃、私はあのおじさんのとの約束を果たすために商店街から離れた場所に向かいます。普段使いのものなら商店街の中でいいんですが、リクエストを叶えないといけないのでちょっと恥ずかしいんですよ。しかも個人情報に対する考え方がゆるいため「ちょっと、上田さんのところのあの子、何だか大人っぽい下着を買ったらしいわよ、彼氏でもできたのかしら」なんて噂が出たら困りますし、それが松本さんに知られて”口撃”されたらどんなことになるか想像もつきませんからね。
駅の反対側のリーズナブルだけどオシャレそうな専門店に入ります。自分の好みだと似たようなデザインになってしまいそうなので売り場のお姉さんに「こんな感じで」と要望を伝えて選んでもらおうかなと思っています。いやー、このお店は何度か外から見たことありますが店内には色も柄も形も色々あって想像以上にすごいですね。
「いらっしゃいませー。はい、そういうのでしたらこちらなんてどうでしょうか」
と持ってきてくれたのが私が使っているのよりカップが半分くらいしかないですよ?シンプルなデザインに同色のレースが付いていて、ちょっと大胆だけどなかなか良さそう。セットのショーツはハイレグでウエスト丈があさめです。サイズ違いをいくつか選んでももらい、一緒に試着室へ入ります。まずは自分のブラを外してから試着品を手に取り、もう一度デザインを確認するとホックを外しカップがある方を背中に向けて体に巻き付けます。胸の前でホックをつけると前後をくるっとひっくり返して胸をカップに入れて肩ひもをかけます。あら、ちょっと収まりが悪いかな?
「ちょ!お客様、そのような付け方をされたらお胸がかわいそうじゃありませんか!」
え、ダメなんですか?いつもこんな感じなんですけど?
「もう、それじゃお胸本来のポテンシャルを引き出せませんことよ?ちょっと失礼しますね」
とブラを外されてからもう一度付け直されてしまします。肩ひもをかけてから少し前かがみになり、カップに胸を入れてホックを留めます。そのままの体勢で脇の下や胸の下の方から優しくお肉を持ってきて包むようにカップに収めます。体を起こしてから肩ひもの調整をして出来上がります。すると、何ということでしょう!ぺったんこではないもののボリュームが少し足りなかったのがしっかりと谷間ができたじゃありませんか!はみ出ることも隙間も、ワイヤーが食い込むこともなくぴったりです。
「そうしましたらフィッティングの確認運動をしてみてください」
まず腕を上下に動かし、次に体を左右にひねってみます。おお、自分でつけた時の違和感が全くありません。ちょっと激しめにしても何の問題もありません、すごい!
「私の見立てだと今までのブラだと小さいと思いましたので1サイズ大きいものを用意してみましたけどちょうどよかったようですね。ところでお客様、何かスポーツをされていませんか?」
あら、その筋のプロの方は見ただけでそんなこと分かっちゃうのかしら。
「あ、はい、プロレスをちょっと…」
自分で言っておいて”ちょっと”っておかしいですよね。
「間違えたらごめんなさい。もしかして、上田ショウ子さんのとこの選手かしら」
「はい、一応そうですけど」
「あら、そういえば…あ!少し前の試合で劇的な初勝利を挙げた…えーと…佐藤選手?」
「ええ、そうです」
「やっぱり!どこかで見たことあるような気がしてたんですよねー。そうでしたか、この度はご来店ありがとうございます」
「いえいえこちらこそ。すみません、なるべくでいいのであまり大げさにならないようにお願いします」
「ええ、そういうことでしたらご安心ください。お客様のプライバシーを外に漏らすようなことは致しませんから」
そんなやりとりがありながらお願いしたのでひと安心ですかね。
「ああ、私としたことが!選手でしたらそれ以外のことも考えないといけませんね、少々お待ちをー」
スポーツブラはどういうのを使っています?から始まり、胸を動かさないように上下から押さえるのがいいですよ、とか動きやすさや通気性を考慮してます?とか、肩ひもは太い方がずれにくくて気にならないですよ、とか怒涛の勢いで商品の説明が始まってしまいました。科学的根拠や最新の技術がどうのこうのと、そこから胸を支えている筋肉は一度切れると再生しないとか何とか、将来的に垂れ下がってしまいますからとか何とか。胸が女性にとっていかに大切なものか熱弁され、それはそれは大変でした。その勢いに耐えきれず「は、はい〜」としか言えなくなってしまい、予定になかったスポーツブラまで購入してそそくさと退散しました。悪い人じゃなかったと思うんですけど、下着や胸についての熱量に圧倒されてしまいましたね。下着を買うのにこれほど疲れたことがあったでしょうか、びっくりしたなーもう。
やっとのおもいで買い物が終わらせると予定の時間を大幅に過ぎていて、すでに夕食の準備をしなくちゃいけない時間が迫っていたので急いで合宿所に戻ります。
何とかひと息つけるようになりさっきの買い物のことを思い出すと気疲れをしてしまったようで、新しい下着をつけるのは明日以降でいいかーってなりました。靴や洋服なら初めて使うときはそれなりにウキウキするものですけどね。それに直接肌に着けるものなので一度洗ってからにしたいです。
9月に入り多少は太陽の出てる時間が短くなったかな?と感じつつも残暑というにはまだまだ本格的に暑い日に、朝礼で週末からお客さんが来る予定なので合宿所の部屋の掃除をしておくように言われました、しかも3部屋。以前はダイヤモンズの皆さんがいらしてたけど今回はどちらさんなんでしょうね。
朝礼が終わりそれぞれの練習のために散らばっていく中、私たち5人が萩原さんに呼び止められてお客さんのことを教えていただきました。今回はクリスさんとクリムゾン・ローズ・ガーデンの皆さんがいらっしゃるとのことです。クリムゾン・ローズ・ガーデンというのは初めて聞きますが、その名の通りに優雅で豪勢できらびやかな皆さんなんでしょうね。
その日の練習後、松本さんが食堂にやって来てクリムゾン・ローズ・ガーデンのことを教えていただきました。それによると、かつて上田さんとライバル関係だった野ばらさんという方が中心になって立ち上げたプロレスユニット兼コスプレユニットであるらしいです。コスプレってあのコスプレ?アニメやゲームのキャラクターになりきる?そんな皆さんがどうしてプロレスをしているのかが疑問ですけどそういう皆さんらしいです。しかもコスプレの方でもプロとして活動しているらしく、各ゲームの会社や雑誌の出版社やイベント会社などから引っ張りだこのようなんだとか、自費出版した写真集が2日間のイベント会場で3000部を完売したとか、体のどこかコスチュームから見えないところにバラのタトゥーがあるとか。コスチュームのことはそこまで詳しくないんですが以前上田さんに連れて行ってもらった工場のことを思い出すと、1着作るのにも相当な手間暇と金額がかかると思うんですけどね。そのキャラクターに合わせて衣装からアクセサリーから小物から全部用意して、イメージに合う色や柄がなかったら布から作り始めるとか小物もひとつひとつデザインを起こして型を作ったりしているってどこかで聞いたことありますよ。素人には太刀打ちできないクオリティのものを作り上げて元が取れるの?って思いますけど、そこはお金を出した会社の方で広告費とかグッズ展開するんじゃないかっていうのを堀田さんから聞きました。アイドルさんも似たようなことしてるようです。
最初は仲間内で楽しんでいたのがだんだんと話題になって話が大きくなってしまったようですが、プロとして活動すると決めたからにはゲームや会社のイメージを落とさないように日頃から努力をしているらしいです。
そこそこ有名になってくると、そのユニットに入りたいという方々の問い合わせがすごかったらしんですが、コスプレ以前にプロレスができないことには話にならないようなので、たとえ容姿が良くても性格的に問題がなくても体力的にもたないらしいです。噂によるとドリーム・ファクトリーの入団テスト並みことをするとかしないとか。
最近はモデルさんやタレントさんがハードなトレーニングをして仕上がった肉体美をSNSに乗せていたりしてますね。それはそれで惚れ惚れするんですが、プロレスは不安定な生身の体を持ち上げたり受け身というのがあるのでそれだけじゃ難しいと思うんですよ。
なぜか松本さんが持っていたその写真集を見せていただくと、対戦格闘ゲームのキャラクターを中心にまさにゲームそのまま!本人ですか?っていう感じでびっくりしました。でもなんでゲームの中の戦う女性ってあんなに露出が多かったりするんでしょうね。対戦格闘以外にもモンスターの攻撃や魔法なんて受けたらあんな薄着じゃすぐにヒットポイントがなくなっちゃうと思うんですけどね。それは言わない約束ですかそうですか。
まあとにかく、そんな皆さんがいらっしゃるというのでいつも通りに合宿所を綺麗にしておけばいいだけです。上田さんのライバルだったような人なら、私みたいなやっと初勝利を挙げた選手にはあんまり関係ないんでしょうからね。
株式会社ワコール 下着の基礎知識 を参考にしています
次話は9月5日を予定しています