表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
H31  作者: 七種 草
3/3

H2

 一九九〇年、この年は祝い事から始まった。


 天皇家の礼宮文仁さまと紀子さまが婚約なされた。


 その約十日後、日本初となる月面探査機「ひてん」の打ち上げに成功した。その後、ひてんは孫衛星「はごろも」を月周回軌道に投入し、日本は月軌道に到達した三番目の国となった。


 アメリカでは、スペースシャトル「ディスカバリー号」にて世界最初の宇宙望遠鏡「ハッブル」を打ち上げに成功している。また十二月、ソ連の宇宙船ソユーズに秋山豊寛氏が搭乗するという、未知の宇宙に想いを馳せる年となった。




 前年に起きた事件があまりにも凶悪だったため、この年はあれらの事件に匹敵するほどの殺人事件は記憶に残っていない。反対に自然災害が記憶に残る年となった。


 この年の梅雨入りも梅雨明けもほぼ平年並みで、降水量は僕の地元では少ないと感じるほどであった。しかし九州と東北ではしばしば大雨となり、一日の降水量が二〇〇ミリとなることがあった。


 当時の僕は別の地域の降水量のことよりも、中学最後の大会の方が気が気でならなかった。地区大会で勝ち抜き、県大会で活躍するという野心を抱き、練習に励んでいた。「僕の打球で月を打ち落としてやる」なんて馬鹿げたことを言っていたような気がする。しかし地元の中学は弱小校で、結局一勝すらすることができなかった。


 七月の初め――中学最後の大会が終わった頃、九州地方で梅雨前線による集中豪雨が発生した。多くの地域で日降水量が三〇〇ミリを超え、土砂崩れや広い範囲での浸水被害が発生した。佐賀県、熊本県では固定電話がつながらなくなり、死者は全国で三十二人出た。この時、ニュースでは「気象観測史上」という言葉が幾度も繰り返されていた。




 また受験大詰めの十二月、千葉で特大の竜巻が発生した。約七分間で茂原市の中心部を横断し、一人の死者を出した。また建物は全壊が二十八戸、半壊・一部破損は一五〇〇戸を超えた。これは、一九六一年から一九八二年までの日本の竜巻の統計と比べると、今回の竜巻だけで約三年分の被害をもたらしたということになるそうだ。


 振り返ってみると、この年の冬は例年より寒くなるのが遅かったような気がする。まあ、受験生の戯言なので、あまり気にしないでくれ。




 自然災害とは少し離れてしまうが、秋に埼玉県の幼稚園にて病原出血性大腸菌(O157)による急性脳炎で死者が出た。他にも腹痛や発熱などの症状を出した園児、職員、園児の家族は三〇〇人を超えた。発生日の数日後には運動会が開催されたが、多くの園児が欠席したそうだ。


 食中毒といったら、まず食べ物を疑うだろう。この幼稚園の給食は外注業者から運ばれていたため、まずそこに調査が入った。しかし感染源は見つからなかった。調査を進めると、感染源は園の井戸水であることがわかった。園はこの井戸水を消毒しないまま飲料水として使用していた。しかもその井戸の近くに汚水タンクがあり、亀裂が入ったそのタンクから汚水が毎分八リットル流れ出ていた。


 日本では、食中毒の集団発生や食中毒による死亡例は今回が初めてで、食中毒集団感染に関心を向けられた。




 自然災害が記憶に残る年と言ったが、それは国内の話だ。国際的な話で記憶が残ると言ったら、「クウェート侵攻」だろう。


 「クウェート侵攻」は、八月の頭にイラク軍がイラクの南東に隣接するクウェートを制圧した事件だ。


 当時の十年前から二年前(一九八〇年から一九八八年)までイラン・イラク戦争が起きており、当時は休戦状態であった。この長期間続いた戦争によって、イラクは経済に大きな悪影響が出ていた。そこでイラクが収入を増やすために原油価格の値上げをOPEC(石油輸出国機構)に提案したが、クウェートは猛反対した。その上、クウェートはこの戦争でイラクに貸した金の返済を催促した。


 イラクはクウェート以外にも周辺諸国に多額の借金をしていたが、イランによるイスラム革命の余波を防いだから返済しなくてもいいだろうと勝手な解釈をしていた。そのような解釈とクウェートの認識に差があり、余計にイラクの頭に血が上ったのだろう。わずか三日間でクウェート領を制圧・占領し、臨時政府まで立ち上げた。そしてわずか一日でクウェートはイラクに併合された。


 この侵攻は世界的に批判され、国連からイラクに対してクウェートからの撤退勧告が出された。しかしイラクはその勧告を無視し続け、イラクに対して経済制裁を行うことになりました。この決議には、前年まで続けてきた冷戦で争っていたアメリカとソ連も賛成しています。


 またこのクウェート侵攻で、当時イラクとクウェートにいた約五〇〇人の日本人がイラク側に人質として監禁された。そのこともあり、日本もイラクに対して経済制裁を行った。またアメリカが多国籍軍を組織していたため、物資支援などを目的とした「中東貢献策」という対応を行った。


 日本人の人質はこの年末までに全員解放された。しかし安心するのも束の間、翌年再び各地が赤く染まるなど誰も思ってもいなかった。




     ▽ ▼ ▽




 親父は再び本棚を漁り、パラパラと開いては棚に戻していた。平成二年は平成元年の話とは異なり、外傷としての痛々しい話はなかった。それよりも一度、いや二度ツッコみたくなる箇所があった。


「親父って野球部だったんだ」


 親父は手足が細く、運動をしていたようには見えない。すぐに折れてしまいそうだ。その細い腕を本棚に伸ばしたまま親父は振り向いた。


「言ってなかったか? 中学は野球部に入っていたんだぞ」

「へえ……」


 いや、そんなことよりも――。


「『月を打ち落としてやる』だっけ? 親父ってそんなキャラだったの?」

「若気の至りってやつかな。『ひてん』のことでみんなハイになっていたんだよ」


 ハッハッハッと笑っている。あんなこと言うのって小学生くらいじゃないか? そういえば俺が小さい頃、一緒に遊ぶと親父はよく「ボルトより速いな」とか「オリンピックで金メダル獲れるぞ」だとか言って、俺をもてはやしていた。よくわからないまま、俺はあれで調子乗ってたんだよな。なぜか今自分に幻滅している。


「なあ、親父」


 へこんだ気持ちを振り払って、再び親父を呼んだ。親父はどこから出してきたかわからない俺の中学の地理の教科書を手にしている。俺、そんなところに仕舞ったっけ?


「クウェートの話の時、途中堅苦しい言葉じゃなくなってたけどなんで?」

「いやな、クウェート侵攻で国を擬人化して考えてたら、そうなってしまったんだよ」


 親父はクックッと笑いを堪えている。俺が首を傾げると、顔を歪めながら続けた。


「場所は学校と仮定するだろ。イラクは男子生徒、クウェートは美人の女子学級長、その他の国はクラスメートな。学級長は男子生徒にちゃんと宿題を出しなさいと注意する。すると注意された男子は怒ってその女子をいじめる。それを見たクラスメートはみんなしてその男子を非難する。学校でのあるあるを国規模でやってるんだなって思って」


 それから親父はツボにハマってしまった。親父はよくわからない言動をすると思っていたが、よくわからない思考回路を持っていたということだ。俺はこれの子どもなわけだが、周りから変な風に思われていないことを願うばかりだ。

次話は明日23時に更新します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ