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H31  作者: 七種 草
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H1

残酷な描写が多数あります。

ご注意ください。


また、後書きにも注意書きがあります。

ご一読ください。

 一九八九年、平成が始まる前の昭和六十四年はたったの七日間しかなかった。


 昭和天皇陛下が一月七日に崩御し、七日と八日のテレビは番組特別編成となった。不謹慎かもしれないが、正月特番を楽しみにしていた多くの人はレンタルビデオ店に殺到した。当時中一だった僕もそのうちの一人だった。しかし一足遅かったらしく、面白そうなものは残っていなかった。




 平成は一月八日から始まった。何かの変わり目というものは、どこかワクワクするものだ。何が起こるのかと胸を躍らせていると、二月に「漫画の神様」である手塚治虫の訃報が届いた。とても有名な漫画家だっただけにショックは大きかった。この時、「ショートショートの神様」である星新一が怒りの追悼文を寄せていたことは後になって知った。




 期待していたのはこんなことじゃないと嘆いていると、三月には新聞に女子高生コンクリート詰め事件の主犯の少年らが逮捕されたという記事が掲載された。そこから明かされた犯行内容は恐ろしいものだった。


 主犯の少年らは、当時の僕と数歳しか変わらない未成年だった。そして被害者である女子高生に行った犯行はわいせつ誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、遺体遺棄と何とも酷いものだった。


 帰路の途中である女子高生をホテルに誘拐し強姦した後、共犯者の一人の家に監禁、複数人で強姦や暴行を繰り返した。顔面を蹴る、蝋を垂らして火を点ける、シンナーを吸わせ酒を一気飲みさせるなど暴行を加え、女子高生の顔は腫れ上がり、手足はただれ、心身ともに衰弱したという。こうして繰り返し行われた暴行で女子高生は亡くなった。女子高生に息がないことを知った少年らはドラム缶に遺体を入れ、コンクリートを流し入れて埋立地に遺棄した。


 この事件は、主犯が未成年であったこと、犯行が長期間であったこと、犯行に関わった者や犯行を認識していた者が百人に及んでいたことで世の中に大きな衝撃を与えた。




 その数日後、日本に初めて「消費税」というものが導入された。いつもより余分に支払わなければならないという制度に、国民の不満はすごかった。当時、今のお前と同じ中二になったばかりの僕の所持金は当然少なく、博打でもするかと友人と話していたものだ。




 しかしその数日後、「竹やぶ二億円事件」が報道された。川崎市の竹やぶで札束が見つかったのだ。金を探しにそこへ行くかと友人と話したが、如何せん地元から川崎は遠すぎる。そこに辿り着く前に財布が空になってしまう。そこで僕らは放課後に近所の竹やぶで金を探していた。


 のちにその大金の持ち主はある会社の社長だとわかり、大金を捨てた理由は脱税の金の処理に困っていたからそうだ。そんな大金を捨てるくらいなら金のない僕らにばら撒いてくれと嘆いたものだ。




 それから数ヶ月後、海外で大きな動きがあった。


 中国では「天安門事件」が起こった。民主化要求運動を行っていた学生に対して、中国人民解放軍が武力制圧を始めたのだ。この事件が起こるよりも前に、デモの平和的解散が促されていた。しかし学生たちの投票では強硬派が多数を占めたためそのままデモが続き、首都機能が麻痺した。そして六月四日にこの事件が始まったのだった。


 天安門広場には十万人に及ぶ人が集まっており、そこへ戦車が投降され、無差別的な発砲や轢き殺しなどがされた。しかしすべての一般人が無抵抗だったわけではない。兵士を撲殺したり、残虐な行為で殺めたりすることもあった。この事件での死者は三百から三千人と、人数は定かではない。また、この事件は国民に対する政府の行為とあまりにも残虐である内容のため、中国ではタブーとされる事件となった。




 そして同月、タイの西に位置するビルマが国名をミャンマーに改名した。これは、人口の約七割を占めるビルマ族だけでなく全民族を指すミャンマーという名に変えて、国民の団結力を高めようとしたのだ。




 そんな海外の動きがある中、「歌謡界の女王」と呼ばれた美空ひばりが亡くなった。二月の手塚治虫に続いて大物が亡くなったことで、「本当に昭和が終わった」と嘆かれた。




 アニメ映画の『魔女の宅急便』がすごい反響を得ている頃、別のところでは大きな反感を買っていた。強制わいせつの現行犯で逮捕されていた容疑者が「連続幼女誘拐殺人事件」の犯行を自供し、再逮捕された。この事件で殺害された人数は四人、そして現行犯逮捕された時に被害に遭っていた幼い姉妹二人もその人数に加わっていたかもしれない。


 殺害された四人は四歳、五歳、七歳と幼い少女だった。彼女らは殺害前後に性行為をされ、殺害後は遺体をビデオ撮影したり、遺体をバラバラにしたり、遺骨を少女の自宅に送りつけたりされた。


 この事件をきっかけに、「新たなサブカルチャーの担い手」を指していたオタクという言葉は、「コミュニケーションが苦手で、自分の世界に閉じこもりやすい人」という解釈に転じてしまった。


 非道な行為をとったこの容疑者は、十九年後の二〇〇八年(平成二十年)に死刑が執行された。




 中学の担任が進路について口にするようになった頃、「坂本弁護士一家失踪事件」が起こった。オウム真理教問題に取り組んでいた坂本堤弁護士、そしてその妻と息子が忽然と姿を消したのだ。


 坂本弁護士の部屋にはオウム真理教のバッジであるプルシャが落ちていたが、教団はこの事件の関与を否認していた。この事件の真相は六年後の一九九五年(平成七年)に明らかになる。




 そして海外では、またも大きな動きがあった。ベルリンの壁崩壊だ。一九六一年から二十八年間、東西を行き交うことができなかった壁に数万人が集まり、触れることさえできなかった壁を上り始めたのだ。


 冷戦の象徴といわれていたベルリンの壁が崩壊したことでルーマニアでも革命が勃発し、共産党政権が倒された。このように東欧革命が起こったことで、資本主義・自由主義陣営と共産主義・社会主義陣営の対立である冷戦はこの年の十二月に終結した。




     ▼ ▽ ▼




 ふうと息を吐く親父を、俺は呆然と見ていた。その顔があまりにもすごかったのだろう。親父は少し身を乗り出して訊ねてきた。


「ここまでの話を聞いてどう思った?」

「どうって……。なんか、そういう戦争とか残虐な話って、第二次世界大戦直後までのことだと思ってたから」


 平成という時代は「高度経済成長」という言葉が似合うような、工場やコンピューターに力を入れているイメージが強かった。そればかりを想像していたから、今でも頻繁に起こる殺人事件が過去でも発生する可能性自体を消し去っていた。いや、それを念頭に置いていたとしても、親父が話してきた事件は残虐過ぎる。そもそも中二の俺にこんな話をする親父もどうなんだ。


 俺が言葉に詰まっていると、親父は苦笑した。


「まあ、平成元年に残酷な事件が多かったことは確かだ。だけどな、その翌年の世界はすごいデカくなったんだ」


 親父は、学校での出来事を嬉しそうに話す少年のようだった。


 吐き気がするような「過去」と不安の残る「その先」――すべては終わったことだが、そこにいた人が今ここにいる。そんな人を目の前にしたら、過去を関係ないとはもう言えなくなってしまうじゃないか。


 その先を詳しく知らない俺は、大人しく話の続きを聞いた。

「天安門事件」に関して、画像検索をしないことをお勧めします。

これはフリではありません。

気分を悪くしても、こちらでは一切責任を負いません。

 * * *

次話は明日23時に更新します。

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