役員会
桜ヶ丘キリスト教会の主任牧師である福原智成は、緊張した面持ちで着席した。すると既に会合の席についていた五人の役員たちは一斉に会釈をした。
「では、始めましょうか」
福原牧師がそう言うと役員たちは資料をめくり始めた。紙のきしむ音が狭い部屋中にこだまする。その音を聞いて福原牧師は一層緊張感が増し、胃がキリキリと痛むように感じた。
桜ヶ丘キリスト教会では月に一度このように役員会が行われる。これには福原主任牧師のほか、香川、羽田、水野、平岡、太田の5名の役員が参加する。役員会の他に年に一度、教会員総会が行われるが、今回はその直前の役員会ということでみなピリピリしていた。
その理由は、教会の年間の会計予算がこの教会員総会で決定され、その予算案は直前の役員会で作成されるからである。この予算案の出来不出来によって教会員総会の進行がスムーズに行ったり遅々としたりする。場合によっては総会がかなり荒れることもある。だから慎重に妥当性のある予算案を作成せねばならない。
しかし福原牧師が緊張していた理由はそれだけではない。あらかじめ役員会で論議される予算案は福原牧師にも手渡されていたのだが、それが妻の富子に見つかり読まれてしまったのだ。それを見た富子は激怒した。何故ならそこには牧師給の減額が明記されていたからだ。
「あなた、まさか黙って見過ごしにするつもりじゃないでしょうね? 今でも我が家の家計は楽じゃないこと、わかってるでしょう?」
福原牧師は教会から支給される牧師給以外に、学習塾講師のアルバイトをして家計を支えていた。しかしそれでも高校生の娘と中学生の息子を抱え、家計は常に苦しい状態にあった。
「しかし、前年度が赤字決算の見込みでね、大幅に支出を削らなければならないんだよ」
「それなら、この機会だから言っちゃいなさいよ。岩波先生の……」
と富子が言いかけたところで福原牧師は止めさせた。富子が名前を出した岩波先生についての話は教会では暗黙の内にタブーとされていたのだ。
「わかった。兎に角家計の事情を話して減額は勘弁してもらうよう掛け合うから……」
妻にはそのように約束しながら福原は役員会に臨んでいた。そして議題はいよいよ会計に及んだ。
「では次に……会計の羽田さんからお願いします」
「はい、既に配布しております資料をご覧下さい。ご存知の通り、バブル経済崩壊による不景気の煽りで献金額が急激に減少しております。これまで諸経費を切り詰めて切り詰めて騙し騙しやってまいりましたが、流石にここに来て限界となっております。つきましては、これまで触れてこなかった領域にもいよいよ足を踏み込まなければならない状況です」
それを聞いて水野が苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「その領域というのは何のことを言っているんですか。具体例を挙げて下さい」
「具体例ですか、申し上げにくいのですが例えば牧師給……」
羽田が「牧師給」の言葉を口にした途端、一同の間に緊張感が走った。それに太田が反論した。
「いくら財政が厳しいからって牧師給を減額するなんて言語道断じゃないですか」
太田の発言をあしらうように水野が説いた。
「このご時世、サラリーマンが給与やボーナスをカットされるのは日常茶飯事ですよ。それでもみんな何とかやっているんです。ここは牧師先生にも一肌脱いで頂くわけにはいきませんかね」
すると役員会たちが一斉に福原牧師を注目した。非常に不利な状況であるがら福原牧師も自分の立場について申し開きをしなくてはならない。
「教会財政の厳しいことはよくわかりました。ですが、私の家庭の事情も決して楽ではないのです。現在私は副業として塾の講師をしておりますが、これ以上仕事を増やすと本業に支障が出て参ります。ですからせめて牧師給についても現状維持ということにして頂けないでしょうか」
すると水野が厳しく突き放した。
「先生、当教会のメンバーにはそもそも献金が祝福であるという意識が低いのではありませんか? ベニー・ヒンやジム・ベイカーを見て下さい。彼らは積極的に献金の祝福を説いています。だから彼らは裕福なのですよ。先生も経済的にお困りなら、役員会に泣きつく前に会衆に説教で訴えたらどうですか」
その頃、水野の言うように「献金すれば神は何倍にも祝福してくれる」という面を強調した「繁栄の神学」がアメリカを中心に流行し、日本にも上陸しつつあった。福原牧師はそのような教えがあながち間違いとも言えないが、人間の物欲につけ込んだ浅ましい教えだと思っていた。
「水野さんの仰ることはごもっともですが、私としては献金は御利益の手段ではなく、祝福への応答だということを分かって欲しいのです」
「じゃあどうするんですか」
水野に詰問されて福原牧師は押し黙った。その時、この教会へ来てまだ日の浅い平岡が意見した。
「あの……ウチの教会には福原先生という専任の牧師がいるのに、月一回わざわざ客員の岩波先生に説教を依頼し、謝礼を払っているという現状はいかがなものでしょうか。もし財政が厳しいということであればこちらをカットするのが筋ではありませんか?」
平岡の発言に一同は凍りついた。平岡もその空気を咄嗟に読み取りはしたものの、その理由がわからない。それで香川が諭すように言った。
「岩波先生はウチの教会では立場上は教職についていない一信徒に過ぎません。だけど大学神学部教授で本も出版されていましてね、岩波先生の信奉者が大勢我が教会メンバーに名を連ねているのですよ。まあ彼らの多くは岩波先生の説教の日にしか教会には来ませんがね。それでも月一回の岩波説教があるからこそ、彼らは教会に繋がっているのです」
「こういう言い方をしては失礼かもしれませんが、岩波先生の説教は神の福音と言うより、社会問題の解説という感じで、わざわざ教会で話す内容ではない気がするのです。その信奉者を無理して引き留める必要があるのかと……」
それに羽田が答えた。
「実は岩波派の信徒の方には富裕層が多くてですね、彼らの献金が我が教会の財政を支えていると言っても過言ではないのですよ。だから少々高めの謝礼を払ってでも岩波先生に講壇に立って頂く価値はあるのです」
それに香川が畳み掛ける。
「それにね、平岡さんは講壇で社会問題を語ることに批判的なようだが、これまで日本のキリスト教会は一般社会との関わりをあまり持って来なかったことが問題だと私は思います。アメリカでは教会が政治的影響力さえ持っているケースも珍しくない。日本でも教会はもっと社会に物申す存在であって良いのではありませんかね?」
そう言われて平岡はぐうの音も出なくなった。しかししばらくして平岡は視点を変えて発言を再開した。
「考えてみると、これまでの議論は収入が激減が前提となっていますね。でもそれは少し不信仰な気がします。先ほど出て来た『繁栄の神学』は極端だとしても、『神は養って下さる』くらいの信仰は持つべきだと思うのです。だから収入予算をそもそも減らさないというのは如何でしょうか?」
対して羽田が半ば呆れ顔で言う。
「あのですね、ウチは一宗教法人として、当局を説得出来る予算組みをしなくてはならんのです。打ち出の小槌があるから大丈夫、なんて話はお役人には通用せんのですよ」
「では、減少する収入を補填出来そうな新しい企画を立てれば良いのではありませんか?」
「ふん、そんなこと出来るんですかね。平岡さん、何か当てでもあるのかな?」
「今のところは……でも、もし皆さんが任せて下さるなら私がそれを考えましょう。そうしたら羽田さん、牧師給減給はなしで予算案組めますか?」
「平岡さんも大きく出ましたね。いいでしょう、あなたの言う通りにしましょう。但し教会員総会の一週間前には予算案を資料として会員に配布しますから、その前日がタイムリミットです。つまり総会の8日前にあなたからの提案がなければ牧師給減給で予算案作成します。いいですね」
「わかりました」
ここで平岡と羽田のやりとりを見守っていた福原牧師が全員に語りかけた。
「ええと、平岡さんと羽田さんだけで話し合われていましたが、この案で皆さんは異存ありませんか?」
一同は頷いた。こうして、平岡は総会8日前までに企画を考えることになり、その結果次第で牧師給減給の有無が実質決定する運びとなった。