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俺たちにラブソングを  作者: 東 空塔
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篤義

 中原篤義(あつよし)が礼拝リハーサルでピアノを弾いていると、聖歌隊リーダーの石平いしだいらがツカツカと近寄って来た。

 石平杉子、四十?歳。若い頃に神学校を卒業し、それ以来独身を貫いている。別に修道女のように貞潔を誓っているわけではなく、気の強さと言葉のキツさが災いして男が寄ってこないのだ。

 篤義がピアノを弾く手を止め、少し不安げな様子で振り向くと、石平はいかにも小言を言いたげに背筋を伸ばして言った。


「中原兄弟。何ですの、今の音は?」

「ええと、add9のことでしょうか、入れてみたら少しオシャレになるかと思いまして……」

「神様を讃えるのにオシャレなんて必要ですか。主は無秩序をお嫌いになるのです。あなたも神学生なんだからそれくらい分かるでしょう? 礼拝奏楽には秩序のある和音を使って下さい。アドナインか何か知りませんが、私はそんな音が伴奏に入っていたら気持ち悪くて歌えません」

「はい、気をつけます……」


 篤義はしぶしぶ石平に従い、和音を変えて弾き直した。


(……石平さんはドミソのような単純なコードしか受け付けないからな。しかし、つまらない音だな……)


 篤義は小学生の頃エレクトーンを習っていたが、大学時代はジャズ研究会でベースを弾いていた。その頃、コードにオシャレな音、いわゆるテンションノートを加えることを覚えていった。ジャズ研では、たとえばコードネームがCの時にそのままドミソで弾くのは格好悪くてダサい、とされていた。だから石平の要求通りの和音で弾くことは篤義にとって気恥ずかしいことでもあった。


 リハーサルが終わって礼拝前に一息ついていた時、教会のメンバーで女子大生の五輪いつわ紫穂が声をかけてきた。


「中原さん、高校生の新来者が来ているわ。フォローよろしくね」

「うん、わかった」


 篤義は中高生男子科の教師、つまり教会に来ている中学生や高校生男子の取りまとめ役である。初めて教会に来た中高生がいれば、当然篤義がフォローアップしなければならない。だが今日は奏楽当番で、まもなくピアノの前に座らなくてはならない。だからフォロー出来るのは礼拝が終わってからだ。


 礼拝開始となり、司会者の合図で篤義がピアノを弾き始める。そしてこの教会風とも言うべき単純なコードを会衆の拙く生気のない合唱に重ね合わせる。


 退屈だ。


 いっそのこと、後で怒られることは覚悟の上でテンション入れようか。そんな悪戯心が篤義の胸中に沸き起こった。石平が目を三角にして顔を痙攣らせている様子が目に浮かぶ。


 やるか。


 そして、目的のフレーズに差し掛かった時……。


 鳴ったのはいつも通りのドミノの和音だった。やっぱり出来ない。所詮僕なんてこんなもんさ……。


 そう思って篤義は気乗りのしない音を立て続けた。今日は石平から注意されたこともあって特に気分がよくなかった。


 ふと会衆の方に目をやると、一人の少女が自分の方を見つめているのに気がついた。何であれ、人前に立つと、一人一人がどのように自分を見ているのか敏感になる。それが好意的なものか、批判的なものか意外にハッキリとわかるものだ。そして少女が自分を見る視線は明らかに後者のものだった。


(高校生かな、見慣れない子だな。もしかして新来者って彼女のこと? いや、僕は女子の担当じゃないから違うだろう。それにしてもきつい目だな。絶対僕の奏楽を批判しているよな)


 篤義がそう思っていると、その少女は聖歌集を閉じ、歌うのをやめて側に置いてあった聖書を開き始めた。いったい何をしているのだろうと篤義は思ったが、それ以上少女のことは気にしないことにした。


 礼拝が終わって楽譜を片付けていると、五輪紫穂が一人の少年を連れてやって来た。


「中原さん、こちらがさっき言ってた新来者の小崎忠司君よ」

「ああ、小崎君、ようこそ。僕は中高生担当の中原篤義です。よろしく」

「どうも……」


 小崎と名乗る少年は篤義と目を合わさずにペコッと軽く頭を下げた。話そうにもどうも取っ掛かりが見えない。もともと話すのがさほど得意でない篤義が躊躇していると、


「ピアノ」


 と、小崎少年が突拍子もなく言った。


「え?」

「ピアノ……好きなんですか?」


 篤義はこの質問にドキッとした。もともと音楽が好きだったが、今日の奏楽はそれが感じられるようなものではなかった筈だ。むしろ嫌々弾いていた。

 この年頃の少年は時々、大人が触れて欲しくないところを素手で触ってくる。篤義は中高生担当ではあるが、本当は十代の少年特有の、本質を見透かして突いてくるような所が苦手だった。そして大人に理想を要求し、年上の人間には容赦なく大人であることを押し付けてくるところも……。篤義は気まずい気持ちを取り繕うように笑顔を作り出して答えた。


「うん、音楽は好きだよ。小崎君も何か楽器はするのかい?」

「ギター……前はバンドもやってました」

「今はやっていないの?」

「はい。バンドやるとすぐに他のメンバーとケンカしてしまうので……学校から今度ケンカしたら退学と言われてから、バンドの方は自重していました」


 篤義はそれを聞いて、あらためて小崎少年を見た。言われて見れば不良とまで行かないが、如何にもヤンチャそうな風貌だ。これは取り扱いが難しいな、と篤義は感じ、得意の音楽ネタに話を持ち込むのことにした。


「そうなんだ……バンドではどんな音楽を?」

「バンドではX-JapanとかBOØWYやったりしてましたけど、本当に自分が好きなのはゲイリー・ムーアやランディ・ローズでした」

「へええ、80年代ハードロックか。若いのに渋い趣味だね」

「そうですかね」


 そこまで話した時、五輪がこちらの方を厳しい顔付きで見ていることに気がついた。

 桜ヶ丘キリスト教会では、ポピュラー音楽は世俗的、低俗なものとして敬虔なクリスチャンには相応しくないものとされていた。さらにロックに至っては「悪魔の音楽」と呼ばれ、もはや罪悪そのものだった。当時そのような教会は珍しくなかったのである。だからロックの話など教会ですれば顰蹙ひんしゅくを買いかねない。そこで篤義は話題を変えた。


「ところで、教会には一人で来たみたいだけど、誰かの紹介で来たのかな?」

「いえ……さっき、ケンカしたら退学だって話しましたけど、実はそう言われてから一度ケンカしてしまったんです。だけどウチの学校キリスト教系で、もし俺が教会に通って洗礼受けたら退学の話はチャラにしてくれて、卒業も保証してくれるそうなんです。だから、出来るだけ早く洗礼受けたいんですけど」


 篤義は腕組みして話を聞いてから答えた。


「なるほどね。でも小崎君、そういう動機では洗礼は受けられないよ」

「じゃ、どうすればいいんですか?」

「洗礼はイエス・キリストを信じているということが大前提なんだ。そして洗礼希望者が信仰を持っているということが役員会で認められて、はじめて洗礼が受けられるんだ」

「……でも洗礼を受けないと信者にはなれないんじゃないですか?」

「信仰を持つことと信者になることは別なんだ。信仰を持つというのは、イエス・キリストを救い主として個人的に受け入れるということなんだ」

「……難しいっすね。何言ってるのかサッパリわかりません」

「まあ、そうだよね。これから少しずつ学んでいったらいいと思うよ」

「そうですか……それじゃあ、僕はそろそろ帰ります」

「うん、また来てよ」


 小崎は軽く会釈して、篤義に背を向けて教会堂から退出して行った。

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