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俺たちにラブソングを  作者: 東 空塔
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洗礼式

 そして満を辞して「オー・ハッピー・デイ」を発表する時が来た。wishメンバー及び真菜たちコーラス隊が前に出てくると、聖歌隊たちは申し合わせたように席を立ち、ゾロゾロと会堂から出ようとした。その時、結衣がマイクを手にとって言った。


「待って下さい! 今日はここにいるみなさんにメッセージを送り届けるつもりでここに立っています。いつもは英語の歌ですが、今回は日本語に訳し、誰でもわかるようにしました。どうか聞いて下さい、お願いします!」


 聖歌隊たちは互いに顔を見合わせ、どうしたらいいか考えあぐねていた。そんな彼らに石平が目で合図を送ったので、彼らはスゴスゴと座席に戻って行った。その様子を見たメンバーが一礼し、頭を上げたタイミングで紫穂がスティックでカウントを始めた。それにギター、ベース、キーボードが威勢良く続き、歌が始まった。


「オー・ハッピー・デイ」

 作詞作曲 エドウィン・ホーキンズ

 訳詞 wish


 オー・ハッピー・デイ

 主イエスはその日

 我が罪を洗い去った

 オー・ハッピー・デイ

 開けよ霊の目を

 祈りで戦え

 いかなる日も

 喜び歩め


 歌詞はプロジェクターで前方のスクリーンに映し出された。現在の教会ではパワーポイントなどで歌詞を映し出すのはごく普通に行われていることであるが、当時は珍しかった。そのような新鮮さもあってか、会衆は興味深げにwishの演奏を眺めてはのめり込んで行った。そして会衆の一人が何を思ったか立ち上がって手拍子を叩き始めた。するとそれに吊られるように次々と立ち上がり、手拍子を叩いていった。それを見て篤義は手で合図した。


──もうワンコーラス行こう!──


 そうして曲がリピートされると、今度は会衆までもが歌い出した。その光景を聖歌隊員たちは訝しげな目で成り行きを見ていたが、そのうち聖歌隊員の一人が立ち上がり、会衆と一緒になって歌い出した。それに吊られて他の聖歌隊員たちも次々と立ち上がり、結局数名の者を残して殆どの聖歌隊員はこの大合唱に加わった。


 礼拝後、石平がwishメンバーのところへやって来た。


「私はまだあなた方の音楽を認めたわけではありません。でも、あなた方は……よくやりました。『開けよ霊の目を、祈りで戦え』というメッセージが私の心に響いてきました。これはまさしく福音ゴスペルですね」


 そう言い残して去って行く石平の後ろ姿を見て忠司と結衣は顔を見合わせ、ガッツポーズを決めた。そして篤義が言った。


「じゃあ、そろそろ行こうか」


 彼らの行き先は……空港であった。wish結成時に何かと尽力してくれたイ・キョンシクが兵役のために韓国に帰国することになり、メンバー全員で見送りに行くことにしたのである。


「キョンシクさん、今までありがとう。おかけでwishは軌道に乗り始めたよ」

「wishがうまくいってすごく嬉しい。忠司君、そして結衣さん、洗礼を受ける準備を始めたそうですね。僕は向こうへ行っても君たちのこと、忘れずに祈っています」

「ありがとう、キョンシクさんからもらったこのギター、ずっと大切にするよ」

「キョンシクさん、サランヘヨ〜」

「どさくさに紛れて告白かよ」


 忠司はそう言って結衣の頭を軽くはたいた。キョンシクは笑顔でその様子を見ながら別れを告げ、仁川インチョン国際空港へ向けて飛び立った。



 それから数ヶ月が経過した。役員会では小崎忠司と矢口結衣が洗礼を受けることが承認された。


「うわ、絶対無理だよコレ。俺、作文とか苦手だし……」


 忠司が洗礼を受けるにあたっての最後の難関は「あかし」であった。「あかし」とは、洗礼を受ける際に自分が信仰を持つに至った体験談を話す、いわばスピーチである。


「歌の歌詞だと思って書けば? 忠司、詞を書くの上手いじゃん」


 結衣が言うように、忠司は訳詞の際、言葉選びにおいて隠れた文才を発揮していた。


「そうか……ええと、ちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良と呼ばれてました……」

「……ってパクリじゃん!」


 結衣がつっこむのをクスクス笑いながら見ていた紫穂が言った。


「もう、こうなったら原稿なしで喋ったら? そのほうが小崎君の真っ直ぐで純粋なところが表れていいと思う」

「僕はリスクが高いと思うけどな……小崎君はどうしたい?」

「俺っすか……うん、確かに原稿書くの面倒だから、ぶっつけ本番でやります」


 忠司はステージ経験もあり、人前で話すにしてもアガることはないだろうと高をくくった。


 しかし洗礼式当日……その考えが甘いことを思い知ることになった。


「それでは、これから洗礼式を始めますが、まず受洗者の方々にあかししていただきます。では小崎兄弟からお願いします」


 福原牧師に促されて講壇の前に立った忠司はガチガチに緊張した。マイクを前に「こんにちは、小崎忠司です」と言ったきり、頭の中が真っ白になって何も言葉が浮かんで来なかった。これまでギターを弾く時にこんなに緊張したことはない。


(ギターを弾くと緊張しない……そうだ!)


 そう思って忠司は壁際に置いてあったギターを手にとり、Dメジャーのコードをじゃらんと鳴らした。そして適当なコード進行でアルペジオを弾きながら語り始めた。


「俺は子供の頃からヤンチャなところがあって、いつしか不良だのヤンキーだのと言われるようになりました。高校に入ってケンカを繰り返し、ついには退学を言い渡されました。でも、黛という学校の偉い人が、洗礼を受けたら卒業させると約束してくれました。それで教会に来ました。でもそれが洗礼を受ける理由じゃありません。俺は人からワルだとか言われても誰よりも純粋な人間だと自惚れていました。でも、色々な過程で本当はそうじゃない、イエス・キリストの救いが必要だとわかって洗礼を受けたいと思ったんです」


 そこまで語ると忠司はDのコードをグリッサンドし、一礼した。前代未聞のあかしのやり方に会衆は面食らっていたが、紫穂が拍手を始めると、それに続いて大きな拍手が巻き起こった。


 風呂桶を少し大きくしたような水槽に忠司と福原牧師は入った。水温はだいたい温水プールくらいであった。


「小崎兄弟、あなたのために十字架上で死に、葬られ三日目に蘇られたイエス・キリストを信じますか?」

「はい、信じます」

「では私は父・子・聖霊の御名により多くの証人の前であなたに洗礼を授けます」


 そして忠司は福原牧師に支えられながら後ろから水の中に沈んでいった。その日の受洗者は忠司と結衣の他、40代の女性もいた。結衣は水が苦手なようで、水に浸けられる瞬間「キャッ」と叫び声を上げてしまった。そのことはwishメンバーの間では後々まで語り草となった。


 洗礼式にはwish元メンバーの深崎恭子も出席していた。


「忠司、結衣、おめでとう!」

「ありがとう恭子、来てくれて嬉しい!」

「おい、恭子、来てくれるのは嬉しいけど、家の方は大丈夫なのかよ」

「うん。今日は内緒でコッソリ来ちゃった。あれから親とも色々話してね、成人するまでは親の管理下、だけどそれ以降はあなたの自由にしなさいって言ってくれたの。だからその時にはwishに戻れるかも」

「そうか……しかしそれまでwishがもつか……」


 と言いかけたところで忠司は結衣にペシンと頭をはたかれた。彼らがそうしてこじゃれているところに客員牧師の岩波太郎がやってきた。岩波派の言わば師範である。


「おめでとう。小崎君は……聖僕学園なんだね。あの黛先生とそんなやり取りがあったとは……面白く聞かせてもらったよ」

「え? 岩波先生は黛先生のことを知ってるんですか?」

「知ってるも何も、私は黛先生から洗礼を授かったのだよ」

「そんな繋がりがあったんですか。……つまり、黛先生は昔牧師だったんですか?」

「ああ、ちょっと事情があって牧師業は辞められたがね。まあ、今度会うことがあったらよろしく言っておいてくれたまえ」


 そう言ってハッハッハと笑いながら岩波が去っていくのを忠司はただ何となく眺めていた。

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