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俺たちにラブソングを  作者: 東 空塔
23/30

爆弾

「お邪魔します……」


 そう言って緋糸良子ひいとりょうこがwishメンバーの集まる矢口家に持参してきたのは、小型のデスクトップパソコンと周辺機器らしきものであった。篤義が興味津々に言う。


「……これが君の言うドラムの音かい?」

「はい!」


 ──その前の晩、平岡家でドラムを叩ける者はいないかと問われ、良子はこう答えたのだった。

「ドラムの音だけなら何とかなるかもしれません。私は吹奏楽部でユーフォニュームを吹いていますが、ドラムも時々遊びで叩いてます。と言ってもそれは人前で叩けるレベルじゃなくて……それより、私、マッキントッシュでDTMやってますので、それで作ったドラムの音を使ってもらえるかもしれません」

 彼らはパソコンを使ったDTMというものがどういうものかピンと来なかったので、実際に見せてもらおうということになったのである──


「まあ、かわいいパソコン!」

「はい、カラークラシックです。最初98にしようかと思ってたんですけど、これ見て一目惚れしちゃって……」


──アップル・マッキントッシュのカラークラシックは10インチのカラーモニターと一体となった小型PCで、良子のような少女でも持ち運びが可能であった。因みにRAM8MBにHD80MBという小さなスペックではあるが、MIDIシーケンスソフトを動かすには充分であった──


「こっちの機械は何?」

「音源ですよ。ハローミュージックについていたものです」


──Hello!Music!はヤマハが発売したDTMのパッケージ製品で、他にパソコンとスピーカー以外の周辺機器を揃える必要がなく、買ったその日から手軽にDTMが楽しめるという商品であった──


「でも、今までリズムマシンでやってるバンドとか、俺は見たことあるけど、何か機械的な音だったぞ」


 忠司が若干批判的な物言いをすると、良子が意に介さぬように答えた。


「はい、一昔前のリズムマシンやシーケンサーは機械的なリズムしか出せなかったんです。でも、これを聞いて下さい」


 良子はマウスを手に、何やらカチカチした。現代人には当たり前の操作だが、当時の彼らには既にそれだけで目新しかった。そして画面が変わり、音が鳴り始めた。それは打楽器の音だけを使用した楽曲だったが、リズムや強弱は自由自在に変化し、当時の彼らにはそれがとても打ち込みの曲とは思えなかった。


「へぇ、結構生々しいじゃん!」

「今度はこちらを聞いて下さい」


 そうして良子が再生したのはシンプルな8ビートのリズムだった。


「なんだ、これはリズムマシンののっぺらぼうのリズムじゃないか」

「では、こちらはどうですか?」


 やはりシンプルな8ビートだった。だが、今度は機械的な印象は払拭され、まるで本物の演奏を録音したかのように聞こえた。結衣が目を丸くして言う。


「さっきと全然違う! もの凄く生々しい! 一体何が違うの?」

「最初のは、ただ打ち込んだだけ。後のはそれをヒューマナイズしたものです」

「ヒューマナイズって?」

「例えば、均等なリズムでトントンと叩き続けていると、本人は均等に叩いているつもりで実は裏拍が遅れ気味になってたりするんです。また、その方が耳には心地よく聞こえます。それをプログラミングで表現するんです。他にもリズムを僅かに不均等にしたり、ベロシティーをランダムにしたり……」


 難しい言葉が並んでこんがらがってきた結衣が遮るように言った。


「わかった、わかった、要するに少しだけ不正確にして人間味を出しているのね」


──因みに現在のDAWソフトでは自動的にヒューマナイズやランダマイズする機能を備えているものが多いが、当時は手作業で、その出来不出来はその人の腕前やセンスに掛かっていた。それで当時のDTMは非常に上手下手が分かれたのである──


「うん、これが思ったよりずっと優れものだってことは分かったよ。これから僕らは合わせに入るから、聴きながらイメージ膨らませてリズムを作ってきて欲しい」

「わかりました!」


 wishはキーボード=結衣、ベース=篤義と変えた編成で演奏を始めた。ドラムがないので、篤義はところどころスラップ気味にしてリズムにメリハリをつけた。良子はそれらを持参したマイクロテープレコーダーで録音していった。


 その翌日、良子は全ての曲のドラムアレンジと打ち込みを完成し、矢口家に持参して来た。早速メンバーはそれに合わせて練習してみたが、想像以上の出来にみな喜んだ。


「お、これなら全然いけるな」

「うん。良子さん、ありがとう」


 それから演奏しながらメンバーの注文に応じて打ち込みを修正していき、完成度を上げて言った。画面に出る分、シーケンサーよりも修正に対するレスポンスが早く、修正作業はスムーズだった。4トラックのカセットMTRで録音したデモテープをコンサート主催者の大崎小五郎に聴かせたところ、


「このサウンドならいいでしょう、言うことなし」


 とのお墨付きを得た。



 そしていよいよコンサート当日……。


 既にリハーサルの時間に文明大学のKGKメンバーが応援に来ていた。その中にはキョンシクや紫穂の姿もあった。


「やあ、こんなに早くから来てくれて、ありがとう。まだリハーサルなんだけど……」


 篤義が挨拶がてらそう言うと、キョンシクがこう答えた。


「今日はwishにとって大事な日だと聞きました。うまく行くように、早めに来てみんなでお祈りすることにしたんです」

「それは心強い!」


 ところがリハーサルの段階で既にトラブルがあった。PAのエンジニアが妙に職人気質で、出演者の要求に対して「これでいい」の一言で突っ撥ねていた。wishの番になった時も、ドラム音に対する良子の要求に耳を貸そうとしなかった。夏の熱気で二人ともイライラが募っていたこともあり、良子とエンジニアが激しく衝突した。


「せめて『ワー・ユー・ゼア』ではトレブル下げて下さい!」

「あのねぇ。もう出来上がってるから、そこ変にイジるとハウるんだよ。それに機械の音は変に生っぽくしない方がいいんだぜ。俺はクラブとかよくやってるから、その辺よく分かってるんだよ」

「とにかくもう一回やって!」

「生意気いうな、このガキが!」


 不穏な空気となり危機感を感じた周りの人間が二人の間に入って宥めにかかった。篤義自身ドラム音に関して不満はあったが、「この辺にしておこう」と良子を宥めた。良子はしぶしぶ引き下がったが、険悪なムードは消え去らない。キョンシクたちKGKメンバーは事態が収まるよう祈っていた。

 このハプニングでストレスを感じたのは人間だけではなかった。何度も急激に再生と停止を繰り返され、酷使されたマッキントッシュは既に限界が近づいていた。その状態でRAM8MBの低スペックマシンは再起動されることもなく、夏の炎天下の中、本場まで起動中のまま放置され続けていた。


 そしていよいよコンサート開幕となり、早くもwishの出番が回ってきた。メンバーは舞台袖で待機し、今にもステージに上がろうと意気込んでいた。


「よし、じゃあみんな行こうか」


 篤義が声をかけた時である。突然良子が「キャッ」と奇声を上げた。


「どうしたの?」


 結衣が訊くと、良子が恐々とマッキントッシュの画面を指差しながら言った。


「こ、これ……」


 見ると、ミキシング画面が表示されている筈のディスプレイ上に爆弾の絵が表示され、横に「システムエラーが起きました」と書かれていた。と言っても、良子以外パソコンのこと、ましてやマッキントッシュについては全く無知な人間ばかりだったので、一体何が起こっているのか皆目見当がつかない。しかし、良子の表情からどうやら好ましくない状況に陥ったことは推測出来た。


「マックがエラー起こして動かなくなってしまったんです! だからこのままだと音が出せません!」

「ええ? 何か解決策はないのかよ」


 忠司が詰問するが、良子はただ困っているばかりである。


「再起動すれば解決すると思うんですが……既に画面がフリーズしてしまって、いくらマウスを動かしてもポインタが動かないんです……」


 そう言われてもみな何のことだかさっぱりだったが、ともかく絶対絶命の危機に瀕していることは理解できた。

もちろんショートカットキーを使ったり、どうしてもと言う場合は主電源を切って入れ直せば良いのだが、残念ながらそのような知識を持ち合わせている者はそこにいなかった。当時は今ほどパソコンが普及しておらず、パソコンに詳しい人がどこにでもいるような時代ではなかったのである。


「どうします? 中原さん」


 忠司が篤義の指示を仰ぐ。


「やむを得ない、ドラム音源なしでやろう。イベントチーフの大崎さんを騙したみたいで心苦しいが、これは不可効力だ。一応良子さんはマッキントッシュの復旧を試みておいて欲しい」

「わかりました」


 そしてwishメンバーはステージに上がり、それぞれが所定のポジションについた。そして一礼して演奏開始の構えをしたその時……。


 舞台袖の方からミシッミシッという足音が聞こえた。誰かがゆっくりと近づいてくる。

 wishメンバーがその足音の聞こえてくる方を振り向いた時、そこにいる人物を見て驚き仰天した。


 そして篤義が目を細めて、その相手に恐る恐る話しかけた。


「あなたは……?」

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