野外音楽堂
結局のところ、教会員総会においてワーシップチームwishの是非については、北海道南西地震支援チャリティーコンサートでの演奏を教会員たちがどう判断するかによって決められることになった。二人差以上の多数決で決められ、コンサートに参加しない者は委任状を提出し、票決に一任するという決まりが定められた。
数日後、wishメンバーは榊原に連れられてコンサート主催団体の事務所にやって来た。榊原は事務所に入ると、よく知っているらしい一人の男に声をかけて呼び寄せた。
「はじめまして、イベントチーフの大崎です」
「wishの中原です。よろしくお願いします」
「では早速ですが、デモテープのようなものはありますか?」
篤義が練習中に録音したテープを手渡すと、大崎はそれを自分のウォークマンに入れて聴いた。目を閉じて瞑想するかのように一通り聴いた後、イヤホンを机に置いて言った。
「うん、悪くない。ちゃんと演奏出来ているし結成したてとは思えない。本当は宗教的なものはイベントの趣旨として御免被りたいのですが、歌詞が英語なのでさほど問題ないでしょう。ただ……」
「ただ?」
「もう少しバンド色の濃いサウンドだと助かるんですが……」
「ドラムやベースをつけるということですか?」
「ええ。というのは、今回、地元のクラブ・クィントやオレンジホールのようなライブハウスで活躍している人気バンドを集めようと思っているんです。そこにピアノとアコギだけのユニットっていうのはちょっとバランスがとれないと申しますか……」
「なるほど……サポートメンバーを募ってバックに厚みをつけたらいいでしょうか」
「はい、出来ればそうして下さい」
事務所を出た彼らはまたもや背負わされた重荷に少し項垂れ気味になっていた。
「サポートメンバーって言ってもねぇ……忠司バンドやってたんでしょ? 誰かいないの?」
「みんな喧嘩して別れたからな……誰も俺と一緒にはやりたがらないだろうな」
「僕はジャズ研でベースやってたから、矢口さんがキーボードするなら僕がベースに回れるけどね。問題はドラムだな……」
「ドラムか……」
その時、忠司はある一人の人物を思い浮かべた。もちろん星林檎こと五輪紫穂である。
「あの……一人教会でドラムやってる人知ってるんですけど、声かけてみましょうか」
「本当に? そんな人がいるなんて聞いたことなかったな。誰なんだい?」
「今は言えないです。その人から了承取ったらいいますよ」
そして忠司は公衆電話ボックスに駆け寄り、紫穂のポケベルにメッセージを送った。
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そして文明大学カフェテリアに行くと、まもなく紫穂がやって来た。
「小崎君て、ホント唐突にやって来るのね。ところで何の用かしら?」
「あの……総会議事録は見ましたか?」
紫穂は教会員総会の日、委任状を出して欠席していた。
「ええ、wishがチャリティーコンサートに出演して、その出来如何で是非が決まるようなことが書いていたけど、やっぱりそれに関すること?」
「はい。それでコンサート主催者の人と話したんですけど、もう少しバンド色の濃いサウンドが欲しいということなんです」
「バンド色の濃いサウンド?」
「つまりベースやドラムをプラスするということです」
「なるほど……で、この私にドラムで参加して欲しいと頼みに来たってわけね」
「はい」
「お断りします」
「え?」
「ドラムを叩いている時の私はあくまで星林檎。それに対して教会にいる時はクリスチャンの五輪紫穂よ。五輪紫穂はね、あんな濃いメイクをしてドラムを叩いたりしないのよ」
「って、叩いてたじゃないですか」
「あれは星林檎であって五輪紫穂ではないの。前も言ったでしょ、人の心を捉える音楽にはなりきりが必要だって。五輪紫穂のままではどうしたってドラマーになりきれないのよ」
「そんな……」
「というわけで、話はそれだけかしら? それじゃ、私は行くわね」
紫穂はそう言い残してさっさと立ち去ってしまった。カフェテリアに一人取り残された忠司は、冷めきったカプチーノを前にしてしばらく呆然としていた。
†
篤義は大学ジャズ研時代、ウッドベース(コントラバスの軽音楽的呼称)とエレキベースを持っていた。ジャズ研をやめた時にウッドベースは売却し、エレキベースは友人に譲ってしまった。
(またベースをやることになるとは思ってもみなかった。でも、弾くならやはりあの楽器でないと……)
友人に譲ったのはムーンのジャズベースタイプで、ラリー・グラハム(スラップ奏法の創始者とされるが、諸説あり)のライブを聴いてあれと同じのが欲しいと思い、購入したものだった。それまでエレキベースを一本持って置きたいと思って安いもので済まそうと思ったのだが、
「ギターなら安物でもそこそこいける。だがベースは弦が太く張力が強いから、初心者であってもシッカリしたものを購入した方がいい」
と友人から忠告された。それで楽器選びには慎重になっていたが、このムーンのベースはラリー・グラハムが愛用するだけあって、同価格帯の楽器では音質・品質ともに抜きん出ていた。しかも弾きやすい。篤義はエレキベースを弾くならやはりあれしかない、と思い、友人に電話した。
「もしもし、中原だけど、ちょっと話があって……」
「おう、久しぶり。何だ、話って」
「実は、またベースを弾くことになって……それでお前に譲ったベース、悪いけど返して欲しいんだ」
「ええ……俺今あれ使ってるんだけどな……」
「そこを何とか頼むよ」
「わかった。じゃあ五万円でどうだ」
「おいおい、僕はタダで譲っただろう。タダで返してくれないのか」
「いいや。これでも大サービスだぜ。俺だって別の楽器買うのに資金が必要なんだ」
篤義は思った。タダで譲ったものをお金を出して買い戻すのはバカバカしい。しかし同程度の楽器を買えば十何万円はする。それなら取引に応じて慣れた楽器を入手したほうがいい。
「わかった。だがこっちも財布は厳しいんだ。せめて三万円に負けてもらえないか」
「そりゃ安すぎだな。じゃあ四万円。これでダメならこの話はなしだ」
篤義は承諾した。何とか少しは値切ることが出来たが、これからは楽器を譲るにも相手を選ばねば、と思った。
†
翌日、wishメンバーは景気付けにと、平岡家に夕食に招かれていた。忠司が紫穂と交渉したが成功しなかったことを話すと、残念そうに篤義が言った。
「そうか、小崎君の知っているその人には断られたのか……」
「はい。何でも教会ではドラムやっていることを内緒にしているみたいで……」
「まあ無理もない。ウチの教会じゃロックは悪魔の音楽だ、なんてずっと言われて来たそうだからね」
平岡の発言に忠司は(彼女がやってるのはロックじゃなくてジャズなんですけど)とツッコミたかったが、胸中に留めた。
その時、真菜が帰って来た。wishのストリートライブを聞いていたあの友人たちも一緒だった。
「ただいまー。友達も来てるから」
「お邪魔しまーす」
平岡は帰って来た真菜に声をかけた。
「ああ、いらっしゃい。真菜、wishの皆さん来てるから挨拶して行きなさい」
「こんにちは。相変わらずむさ苦しい家ですけど、ごゆっくり」
「何処がむさ苦しい家だと!」
平岡は怒るポーズをしたが、真菜はニヤニヤしている。真菜の友人たちもwishメンバーを見ると軽く会釈した。それを見て平岡が言った。
「ところで君たちの中でドラムをやっている子はいるかい? wishがドラム叩ける人を探しているそうなんだが……」
すると彼女たちは互いに顔を見合わせて何か話していたが、そのうちの一人がちょこっと手を上げて言った。
「あの……ドラムはあんまり叩けないんですけど、音だけなら何とかなるかもしれません……」
彼女の名前は緋糸良子と言った。wishメンバーたちは彼女の次の言葉を待った。




