ワーシップ
忠司は刑事ドラマで見るような取調室に連れて来られて、しばらく一人で待たされた。忠司は自他共に認めるヤンチャ坊主だったが、考えてみれば警察の厄介になるのはこれが初めてだ……と思った。しばらくすると二人の警官が入って来て、忠司の向かいに座った。
「ええと、それじゃ取り敢えず名前と住所聞こうか。あ、学生証も出してね」
そして忠司は自分の名前と住所を語り、警官は学生証をパラパラとめくっていた。もう一人の警官は何やら記帳している。それが済むとその警官が言った。
「はい、じゃあ君、もう帰っていいよ」
「え? いいんですか?」
「うん。聴き込みを行なったところ、酔っ払いの方が君に対して一方的に絡んでいたっていう証言が取れてね。だから君は無罪放免ということになる。時間取らせて悪かったね」
そうして忠司はアッサリと釈放された。しかし、実際には忠司の手が相手に当たっているし、殴りかかってもいる。見方によっては忠司が暴行を働いたと取れなくもないが、このように好意的な証言が集まったのは、酔っ払いの言動が余程周りに迷惑だったのだろうと忠司は思った。
帰宅後、忠司は今日あったことを思い出してみた。学校では粂沢に殴りかかりそうになったのを、すんでのところで先生に止められた。さっきは酔っ払いを殴ろうとしたけど、運良く当たらなかった……危なかった、ギリギリセーフだ。
(いや、待てよ……)
と忠司は思う。結果的に殴り返したかどうかと言うより、自分が「右の頬を打つ者に左の頬を向けよ」という言葉を守れる人間かということが問題なのではないか。だとしたら、自分はそのような人間ではない。今日は運良く回避出来たが、成り行き次第でどうなったかわかったものじゃない。結局、篤義からの挑戦には勝てなかったたのだ。
その時、忠司の頭の中にリオデジャネイロのキリスト像のようなものが浮かび上がり、それが迫ってくるような気がした。
(わかりましたよ……俺の負けです)
†
次の日、wishの集まりで矢口家に入った忠司は開口一番こう言った。
「中原さん、俺はあなたとの賭けに負けました」
「えっ、忠司、誰か殴っちゃったの?」
結衣が心配そうに言うと忠司は首を横に振って言った。
「いや、結局殴らずに済んだよ」
「そうなんだ。じゃあ別にいいんじゃないの?」
「偶々運が良かっただけで、事と成り行き次第では相手に怪我をさせていたかもしれない。つまり俺は根本的には殴り返すなという言葉を守れるような人間じゃないんだ。結局、福原先生の言う通りの人間だってことがよくわかったよ。それで頭の中にキリストみたいなのが浮かんで来たんで、俺は降参することにした」
ずっと思案顔で聞いていた篤義がしばらくしてボソッと言った。
「……合格」
「え?」
「まだ教理的なことを学んでいく必要はあるけど、今の君は洗礼を受けるのに充分ふさわしいと思う。洗礼準備コースを受けられるよう、福原先生に掛け合ってみるよ」
「いいんですか?」
「うん。一か八かの賭けだったけど、僕は君がこうなることを期待してあの課題を出したんだ」
「何だかよくわからないけど、おめでとう!」
結衣がそう言うと、忠司は不思議そうに言った。
「めでたいことなんですかね、実感ないけど……」
そしてその日の夜、篤義から連絡を受けた福原牧師は、忠司が洗礼準備コースを受けることを承諾した。
ところでこの日に忠司の洗礼準備コースが決まったことは非常にタイミングが良かったと言える。なぜならその次の臨時役員会でwishメンバーの多くが未受洗者だということが問題となったからである。
それに対し福原牧師は忠司と結衣が洗礼準備コースを受講し、すでに洗礼の施行は時間の問題だと主張し、wishは役員会承認と言う運びとなったのである。
†
臨時役員会の翌日、矢口家に集まったwishメンバーのもとを平岡が訪れた。役員会承認の件を自らの口で伝えに来たのだ。因みにこの日はキョンシクも同席していた。
「……というわけで、後は教会員総会で可決されるのを待つだけだ」
すると篤義が思案顔で言った。
「一つ気になるのは、ウチの教会や母団体ではゴスペルソング、ゴスペルフォークというものを忌避してきた歴史があります。前任の牧師はそのことを強調して来ましたからね……古くからいる信徒さんはゴスペルバンドなどというと反対するかもしれません。特に石平さんは猛反対でしょうね……」
「ただゴスペルというワードが問題なのであれば、別の言葉を使えばいいんじゃないですか? 例えば『新聖歌隊』とか」
と結衣が提案すると、
「新聖歌隊って、明らかに《旧》聖歌隊にケンカ売ってるだろ!」
と忠司が言う。そこでキョンシクが提案する。
「KGKの人達から聞いたんですけど、最近日本の教会ではゴスペルのことをプレイズソングとかワーシップソングなどと言うところが増えてきているそうです。最近普及し始めた黒人音楽の『ゴスペル』と区別するためみたいですが……というわけで、『ワーシップソング』『ワーシップチーム』と言う呼び方はどうでしょう」
「ワーシップチーム『wish』か。悪くない、いや、むしろいいね」
篤義がそう言うと、平岡が合点したように言った。
「では、総会では『ワーシップチームwish』という呼び方で発議しましょう」
「でも、所詮ゴスペルをワーシップと呼び変えただけですよね。それでうまくいくんでしょうか」
その忠司の危惧は的中することとなる。
†
教会員総会の日がやって来た。忠司と結衣はまだ洗礼を受け教会員になってはいなかったので、総会での議決権はなく、傍聴席でオブザーバーとしての参加となった。
そして議題はいよいよワーシップチームwishの件に差し掛かった。この件については平岡が説明した。
「先ほど会計の羽田さんから説明がありましたように、今年度の収入予算は昨今の不景気にもかかわらず、現状維持という目標を立てました。それには教勢を向上させる必要がありますが、そのために企画されたのがこのワーシップチームのwishであります。これはワーシップソングを歌うチームでありますが、最近某映画の影響でワーシップソングへの巷の需要が高まっております。我が教会もその需要に応えることで教勢の向上が見込まれます。その役目を一手に担うのがこのワーシップチームであります」
ここで会衆の中から質問の手が上がった。
「ワーシップソングというのは、具合的にどのような歌なのでしょうか?」
その質問には平岡の名指しで篤義が答えた。
「ワーシップとは崇拝、礼拝という意味ですが、そのような歌詞を比較的コンテンポラリーなメロディやリズムに乗せて歌うのがワーシップソングです」
篤義がそう答えると、今度は石平が手を上げた。いよいよ来たか、と思いながら石平の質問に身構えた。
「中原兄弟が今ワーシップソングというものについて説明がありましたが、それを聞いているとゴスペルソングとどう違うのだろうという疑問が生じましたがどうなのでしょう?」
「たしかに形を見れば同じものと言えるかもしれません。でも僕はそれにはこだわっていません。ただ、神に出会った者としてふさわしい歌を、ふさわしい方法で演奏したいと思っています」
「つまりゴスペルソングと変わらないものであるとお認めにはなるのですね。ご存知のように前任の牧師先生は『ゴスペルソング、ゴスペルフォークなんてものは世俗に迎合した妥協的産物で世間からも神からも不評だ』と仰っておられました。私たちはその教えを固く守って来たんじゃないですか?」
すると、聖歌隊員を始め、石平の息のかかった者たちが「そうだ、そうだ」とどよめき出した。それを福原牧師が「静粛に、静粛に」と言って鎮めた。その後、福原牧師自身が陳述した。
「確かに前任の牧師先生はゴスペルソングに否定的な言及を繰り返されていました。しかしこれは、ご本人が聴いて判断したと言うよりは、福音宣教連盟米国本部のお達しであったことが背景にあります。実は昨今米国本部ではゴスペルを認める動きがあるとも聞いています。そういうわけで上がどう言うかではなく、自分たちの耳で聴いて良いか悪いか判断すべきだと私は思います」
それに平岡が続いた。
「実は事前に臨時役員会にて彼らの演奏を聴く機会がありまして、これは大変素晴らしいものだというのが役員会全員の一致した見解であります」
また一つ挙手があった。
「でも、私たちは聴いたわけではありません。wishに今ここで、さわりだけでも実演して頂けないでしょうか?」
「wishの皆さん、それは可能ですか?」
メンバーは頷いたが、ここで石平が反対意見を出した。
「聖か穢れか判断のつかない物を聖なる御殿に入れるわけにはまいりません。まずここ以外の場所で演奏を聴くのか良いと思います」
また無理難題を……とメンバーが思っていると、岩波派の榊原敏朗が手を上げた。
「実は、先日起こった北海道南西地震を支援するチャリティーコンサートが企画されているんですが、それにwishの皆さんが出演するというのはどうでしょうか?」
その提案にどよめきが起こった。釧路沖地震支援チャリティーコンサートが原因で岩波派と他の信徒がもめたからである。災害支援と聞いてみなそのことを思い出さずにはいられなかったのだ。




