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俺たちにラブソングを  作者: 東 空塔
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結衣

 矢口結衣は幼少の頃から歌うことが好きだった。小学生の頃、放課後に教室の机を寄せて作った特設ステージの上で松田聖子や中森明菜のモノマネをし、クラス中から大喝采を浴びていた。はじめは反対してやめさせていた教師たちも、結衣のあまりにも強いカリスマ性を見て黙認するようになった。


(もしかしてこの子は、将来歌手になるかもしれない)


 教師たちの誰もがそんな思いを抱いていた。


 結衣は中学を卒業すると、音大附属の高校に進み、本格的に歌を勉強し始めた。ところが音高でのレッスンのあまりの厳しさに、結衣は辟易した。最初は自分で選んだ道だからと歯を食いしばって頑張っていたが、いつまでたっても上達が見えず、先生からは怒鳴られる毎日ですっかり嫌気がさし、やる気も失せてきた。


(私、歌うことの何がそんなに楽しかったんだろう。いや、そもそも本当に歌うことが好きだったのかな)


 そんな自問自答を繰り返す毎日。昔好きだった歌のテープをかけてみる。全然良いと思えない。家にあるどのテープもCDも結衣の気に入らない。今度はラジオをかけて好きになれそうな歌を探してみるが、みつからない。もしかして、この世の中には私が好きになれる歌はないかも。そう思うと結衣は絶望的な気持ちになった。


(歌だけが大好きで、歌のために人生捧げてきたのに、この世に好きな歌がないなんて……もう悲劇よ)


 結衣が部屋にこもってそのように悲観的になっていると、母親が部屋のドアをノックした。


「何?」

「結衣、電話よ。恭子ちゃんから」

「恭子?」


 結衣は起き上がって電話のある居間へと急いだ。恭子とは結衣と同じ中学校の出身で、合唱部の仲間だった。今は結衣とは違う普通科の高校に通っている。


(まったく、今どきコードレスホン置いてないのウチくらいなものよ)


 心の中でそう呟きながら受話器を取り、耳に当てて言った。


「もしもし、恭子? 久しぶり!」

「結衣、久しぶりだね! 元気?」

「うーん、ちょっと今スランプかな」

「そう……それじゃあというわけでもないけど、今度気晴らしに映画観に行かない? すごく良い映画あるんだ。結衣、絶対好きになるよ」

「へえ……何ていう映画?」

「『天使にラブソングを』っていう映画よ」

「ああ、何か駅で看板見たことある。面白いの?」

「うん、すごいよ。とにかく観てみてよ」


 結衣は恭子の口車に乗せられるように映画館へと足を運んだ。恭子の言うように本当に面白い映画なのかはわからない。でも仮に映画がつまらなくても、久々の旧友との再会を楽しむだけで気が晴れそうに思えた。


 しかし、映画が始まるや否や、結衣の目はスクリーンに釘付けになった。


 面白い。


 結衣は物語の世界に引き込まれていった。何より歌が素晴らしい。演出だと分かっていたとしても、こんなの聞いたことも歌ったこともない。そこには結衣が歌に求めていた全てがそこにあったと言っても過言ではない。映画が終わった時には結衣の目から涙がポロポロ流れ出ていた。帰りによったイタリアンレストランでパスタを食べながら、結衣は冷めやらぬ感動を恭子に向かって語り尽くした。


「恭子ぉ、映画誘ってくれてありがとう! 本当に感動した! すっごく落ち込んでたけど元気出そう!」

「よ、良かったね。結衣が元気になったら私も嬉しいよ……」


 恭子は結衣の勢いに押されながらも喜んでいる様子だった。それから結衣は何度か映画館に通い同じ映画を一人で観た。そしてサウンドトラックCDも買って《《擦り切れるほど》》聴いた。しかし……


(何か物足りないな。感動と言っても、所詮映画という作り物の世界。私は本当に感動する歌に出会いたい……)


 結衣はその気持ちを恭子に打ち明けてみたところ、彼女はこう言った。


「そりゃ、やっぱり教会とか行ってみるのがいいんじゃない?」


 教会……結衣も子供の頃に何度か日曜学校で行ったことがある。でも、それ以来一度も行っていないのでどんなところだったかあまり覚えていない。久々に行くのは何か敷居の高さを感じさせるが、声楽を学んでいれば聖書に触れる機会は多い。この機会だから行ってみるか、と結衣は思った。


 その次の日曜日、結衣は桜ヶ丘キリスト教会に出かけた。徐々にああ、こんな感じだったな、と思い出してきた。しかし、一番期待していた礼拝賛美にガッカリしてしまった。


(覇気のないピアノの伴奏に生気のない合唱。みんな黒い表紙の聖歌集を見つめながら下を向いて歌っている。下手なのは仕方ないとして、これじゃまるでお葬式だわ!)


 結衣はため息をついて聖歌集を閉じた。そして何気なく横に置いてあった聖書を開いてみた。すると、次の言葉が目に入ってきた。


「わたしの口に新しい歌を、わたしたちの神への賛美を授けてくださった」


 結衣の心は震えた。これだ、ここにこそ私の求めていた何かがある!

そう思った結衣は、拙く生気のない合唱を尻目に見ながら一人燦々と目を輝かせていた。

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