ホンモノ
矢口家での集まりにキョンシクは少し遅れてやって来るとのことだったので、先に忠司はバスウッドにおいて“星林檎”と会って話したこと、彼女が語ったことをメンバーたちに伝えた。もちろん星林檎の正体が桜ヶ丘キリスト教会メンバー五輪紫穂だということは伏せておいたままである。
「じゃあ『みかみの愛をば』は私たちの身の丈に合っていなかったということかしら」
「そうね、歌詞を見てみようか」
みかみのあいをばうとうわれらの
むねはひらきたりはなのごとくに
みかおのひかりにまよいのきりも
うたがいのくももきえてあとなし
「そもそも日本語が古くて分かりづらいわ。これって古文なの?」
恭子の問いかけに篤義が答えた。
「これは文語体って言ってね。今の僕たちには難しく感じるけど、昔はさほど教養がない人でもスラスラ読み書き出来たんだよ。日本の讃美歌とか聖歌はほとんどその頃に出来たものだからね」
「歌に“なり切る”にはそもそもそこから壁があるわね……」
結衣が独りごちた時、ピンポーンとインターホンが鳴った。キョンシクがやって来たのだ。
「遅くなってすみません、イ・キョンシクです」
「はじめまして、中原篤義です」
「矢口結衣です」
「深崎恭子です」
そのように握手とともに一通り自己紹介を終えた後、結衣が口火を切った。
「キョンシクさんはゴスペルのシンガーソングライターとのことなんですが、一遍ゴスペルを歌っていただけませんか? 私たち、ホンモノのゴスペルをまだ聴いたことがないんです」
「そんな、ホンモノだなんて。それじゃ、最近作ったのを一曲歌ってみます」
そう言ってキョンシクはギターを取り出し、音を合わせると巧みなピッキングでアルペジオの前奏を弾きはじめた。そして伸びやかな歌声で歌いはじめた。歌詞は韓国語で何を言っているのか分からなかったが、キョンシクが目の前に神がいるのを見て、そこに向かって歌い上げているのが明確に感じ取れた。キョンシクが歌い終わった時、みな圧倒されていたが、特に結衣は感激し、号泣して言った。
「す、素敵……これこそ私の求めていた歌だわ! これに比べたら『天使にラブソングを』の歌でさえ霞んで見える」
「ねぇキョンシクさん、今の歌は日本語ではどういう意味の歌なんですか?」
恭子が問うと、キョンシクは少し恥ずかしそうに答えた。
「神様は目に見えないけど、誰よりも近くにいて、僕を励まし、愛してくれる。だからこそ僕はどんな時でも笑って生きていけるんだ……という歌です」
一同がキョンシクの話に耳を傾けている時、ふと篤義が話を挟んだ。
「そうそう、昨日実は平岡さんから電話がかかって来てね。お嬢さんはああ言ったけど、平岡さん自身はいいと思っている。そこで役員会の承認を得るために今度の日曜日、彼らの前で一曲披露して欲しいと言うんだ」
それに対して忠司が言う。
「役員会の前で? でも前やった歌は嫌ですよ」
「私、キョンシクさんの歌が歌いたい!」
と結衣。しかし忠司が水を差すように言った。
「いや、確かにいい歌だけど、韓国語の分からない俺たちが歌ったら、また前みたいに歌が空回りしてダサくなるんじゃねえの?」
「ええ? そんなこと……」
と結衣は言いかけたが、自分もそれを認めざるを得ないことに気がつき、言うのをやめた。そこでキョンシクが新たな提案をした。
「実はみなさんが曲を選ぶと聞いて、僕の好きな曲を選んでテープに入れて来たんです。日本のゴスペルを殆ど知らないので英語の歌ばかりですけど……コード付き歌詞カードも用意しました」
「わぁ、ありがとう! キョンシクさん、ホントいい人ね!」
「ホントね。この中に結衣の好きそうな曲あるかな……」
篤義がテープのインデックスを見ながら言った。
「スティーブン・カーティス・チャップマン、マイケル・W・スミス、それとサンデイ・パティにスティーブ・グリーンか。よく集めたな、本当に頭が下がるよ。だけどみんな、選曲の前に自分がどういう気持ちを歌いたいか確認した方がいいんじゃないかな?」
篤義がそう言うと、みな思案顔になった。そしてまず結衣から発言した。
「私は……新しい歌を与えてくれる、そんな存在と出会いたい」
「私は、そんな結衣と喜びを分かち合いたい」
と恭子。そして篤義は忠司にも発言を促した。
「小崎君、君はどうなんだい?」
「俺は……洗礼受けたら退学なし、卒業も保証してくれるってんで、ちゃんと洗礼受けられますように、そんで約束ちゃんと守ってくれますように……うん、後の方が大事かな」
忠司がそう言うと、結衣と恭子は半ば呆れ顔になったが、キョンシクは大真面目になって言った。
「それならピッタリの曲がある。サンデイ・パティのモア・ザン・ワンダフルだよ。かけてみるね」
キョンシクはテープを早送りし、モア・ザン・ワンダフルの頭のところで再生を開始した。結衣はウットリして聴き、曲が終わると「私、この歌がいい」と言った。キョンシクは曲について語った。
「この歌の歌詞は日本語で簡単に言うと『全能の神は私たちに父となり変わらぬ愛で愛すると約束して下さった。私はその約束の言葉に偽りのないことを見出して行った』という感じですね」
「おお、それ、最高!」
その忠司の一言に一同は苦笑したが、それにより曲はモア・ザン・ワンダフルに決定した。結衣は近所のコンビニへ行って歌詞カードを人数分コピーしてきた。そして楽器をセットしている時にキョンシクが忠司に言った。
「忠司君、この歌はエレキよりもアコギの方がいい。だから僕は君にこれを差し上げます」
キョンシクはそう言って自分のギターを忠司に差し出した。それはオヴェイション・セレブリティのエレアコだった。忠司は驚いて大声を出した。
「ちょ、ちょっと、『差し上げる』って日本語の意味分かってます?」
「はい、分かっています。僕はこれを君にプレゼントします。これは僕が韓国にいる時からずっと大切に使ってたギターですけど……今日家を出る時、これを忠司君に上げるようにと神様が言いました。だから上げるのです」
「あの、ありがたいんですけどあまりに話がぶっ飛んでいてついて行けません……」
「大丈夫です。今日からこれは君のもの。実は、最近マーティンの中古のギター買いました。それでこっちはいらなくなったんですけど、どうしたらいいかお祈りしてたら、今日、神様がこれを忠司君に上げなさいと言ったんです」
「そ、それはどうも……」
忠司はそう言いつつ、後日ギターは返そうと思っていた。ともあれ、練習を開始した。前回と同じく、数回合わせる内にスムーズに流れるようになった。しかし……。
「ねぇ、何か前の時と同じ感じしない?」
結衣がそう言うと、一同は頷いた。他のメンバーも同じように感じていたのだ。それを払拭するように篤義が言った。
「ともかく余計なこと考えないでもう一度やってみようよ」
そしてまた頭から始めたが、気持ちに迷いが生じたせいかバラバラであった。一同の顔に焦燥と苛立ちの表情が浮かび出した。そこでキョンシクがパンパンと手を打って言った。
「はいはい。ではここでゲームをしてみましょう。二組のペアになって下さい、男同士女同士で。そしてそれぞれのペアでジャンケンして下さい」
彼らは言われるがままにペアになりそれぞれジャンケンをした。それぞれ篤義と恭子が勝った。
「では、これからが本当の勝負です。ジャンケンに勝った方は負けた人の脇腹をくすぐって下さい。そして負けた方は笑わないように一分間耐えて下さい。耐えられたらくすぐられる方の勝ちです。では、はじめ!」
彼らは滑稽に思いながらも言う通りにした。結衣は一分間なんとか耐え通したが、忠司は20秒と持たなかった。
「はい、ご苦労さまでしたー」
キョンシクが呑気に言うと、忠司は少しムッとして言った。
「一体何なんですか、これは」
「くすぐられた方の人、一分間笑わないようにするのは楽でしたか、大変でしたか?」
「楽なワケねえだろ!」
「私も死ぬかと思ったわ」
彼らがいきり立つのをまるで楽しむかのようにニコニコと見ていたキョンシクが急に真面目な顔になって言った。
「そうなんです。そうやって頑張ることは死ぬほど大変な筈なんです。でも、先ほどの皆さんの歌はそんな感じでした」
「僕たちの歌が?」
「ええ。歌うだけで嬉しくなったり、喜べたり、思わずニンマリしたり……そうなる筈の歌なのに、皆さんそうならないように一所懸命になっている。それでは聞いているほうも何か息苦しくなります」
「そんな風に頑張っているつもりなんてなかったわ……」
「そうです。殆どの場合は自覚ありません。だから直すの難しい。でもどうでしょう、さっきのゲームを思い出して、くすぐられたら笑おうくらいのつもりで力抜いて歌ってみませんか」
……それでどうなるものか、という気持ちもあったが、四人はキョンシクの助言通りに演奏してみた。すると不思議な解放感に溢れ、自然にみな笑顔となった。そして歌い終わった時、それぞれ顔を見合わせると何故か笑いがこみ上げてきてしばらく止まらなかった。キョンシクはそれを見て力一杯拍手した。




