酷評
それから彼らは何回か通しで練習した。4回目あたりから人に聴かせられるレベルに仕上がってきた。恭子が目を輝かせて言った。
「ねぇ、私たち結構イケてるんじゃない?」
「そうよね。中原さんのピアノなんて奏楽とは比べ物にならないほど素敵。それにしても忠司、楽譜読めないって言ってたのにちゃんと音取れてるじゃん」
「ああ、バンドでハモりとかやってたからな。まあ当てずっぽうなんだけど」
ふと結衣がこんな提案をした。
「これ、早速あのおじさんに聴かせてみない?」
それに忠司が聞き返す。
「あのおじさんて、平岡さんのこと?」
「そうよ。平岡さんのお宅にお邪魔して娘さんにも聴いてもらおうよ。もしかしたらそれで立ち直れるかもよ」
「そんなにうまくいくかよ」
「やってみなきゃわからないじゃない。とにかく聴いてもらおうよ」
そのやり取りを聞いていた篤義が身を乗り出して言った。
「じゃあ、僕が平岡さんに電話してみるよ。電話借りられるかな?」
「はい。ウチ、コードレスじゃないんで居間まで来てもらわなくちゃいけないんですけど……」
「じゃあ居間に案内してもらえるかな?」
結衣の案内で居間に入った篤義は手帳を取り出し、受話器を持つと、平岡家の番号にダイヤルして繋がるのを待った。そして出てきたのは娘の真菜だったが、篤義は父親に変わってもらうよう頼んだ。すると間もなく父親が出てきたので、篤義は用件を話した。
「もしもし、教会の中原です。あ、はい、先ほどは……実はその件ですが、何とか曲が仕上がりまして、一度聴いて頂けないかと……はい、もしご迷惑でなければお邪魔させて頂いて……そうですね、それで宜しければ、お嬢さんにも聴いて頂けないかと……あ、そうですか、ありがとうございます。では夕方6時半頃お邪魔させて頂くということで……はい、よろしくお願いします。では後ほど」
そして篤義は受話器を置いてメンバーに告げた。
「これから平岡さんのお宅に押しかけて演奏させてもらうことになった。時間まであと少しブラッシュアップしておこう」
それから数回合わせた後、一同は矢口家を出て平岡家へと向かった。
†
平岡家の居間に案内されたメンバーは、取り敢えず楽器類をセッティングした。と言っても持ち込んだ機材は結衣のシンセサイザーと忠司のギターのみでさほど手間はかからない。平岡夫妻は食卓の椅子に座り、真菜は立ったまま壁にもたれた姿勢で演奏を待った。
「では始めます。曲は聖歌85番『みかみの愛をば』」
篤義が最初の4声を鳴らした後、手で合図してアカペラの合唱が始まった。平岡夫妻は今朝聴いた聖歌隊とは比べ物にならないハーモニーに驚いた様子だった。とてもこれがわずか数時間で仕上げたものとは思えなかったであろう。
アカペラ部分が終わると篤義と忠司は互いに顔を見合わせ、一斉にリズミカルに楽器を弾き始めた。それに合わせて結衣と恭子がグルーヴ感たっぷりに歌う。
演奏が終わると平岡夫妻は拍手喝采で、メンバーもやり遂げた達成感を感じた。ところが一人真菜だけが浮かない顔をしている。そんな娘の様子にも気づかず平岡の妻紗栄子は四人を絶賛して言った。
「すごい、すごい。今までこんなの教会で聞いたことないわ! ね、真菜ちゃん。これならお友達にも聴かせられるんじゃない?」
紗栄子がそう言うと真菜はため息をつきながら言った。
「……ダメよ」
「ダメって何が? こんなに上手なのに」
「確かにみんな上手いわ。だけど、はっきり言って……ダサい」
それを聞いた忠司が目を剥いてが「ダサい!?」と声を荒げて言ったので、篤義が宥めるように忠司の肩を抑えた。そして真菜はそれ以上何も語ることなく自分の部屋に引き上げて行ってしまった。
♰
平岡家を後にした一同は肩を落としてうなだれていた。
「くそっ、あのガキすかしやがって!」
毒づく忠司の方をポンポンと叩きながら結衣が言った。
「はいはい。でも確かにダサいって一番言われたくない言葉よね。若者としては」
忠司や結衣だけでなく、多かれ少なかれみなショックだった。篤義は自分たちがすこし慢心を起こしていたと反省していた。確かにこのメンバーは一般的レベルからすればよくできるほうだ。だがそのことで少し思いあがっていたのかもしれない。篤義は半ばひとりごとのように呟いた。
「真菜ちゃんがああ言ったということは、その友達、また多くの若い人たちも同じように思うってことだろう」
「ああ、何だかやってられない気持ちになってきたぜ」
「忠司ィー、そんな気持ちが折れるようなこと言わないでよ。でも、真菜ちゃんにとってどんな音楽だったら良いのかな」
結衣の問いに恭子が思い出したように答えた。
「そういえば彼女の部屋の前通った時、ドリカムの曲が聞こえてきたわ」
「ドリカム……ドリームズ・カム・トゥルーね。それって『ひらり』(当時放映されていたNHKの朝ドラ)の主題歌うたってた人でしょ? 真菜ちゃん、ああいうのがいいんだ……私、あれ聞いた時、やたら転調が多くて疲れちゃったんだけどね」
「私は確かにいいとは思うんだけど、どこが人々の心を惹きつけているのかと問われれば、はっきりとは答えられないな。私たちの歌がダサくて、あっちはセンスいいとされている、その違い……」
結衣と恭子のやり取りを聞いて、先日聞いた星林檎のドラムを思い出した。あれはスタイルの良し悪しに関わらず、人を惹きつけるものがあった。そこに何かヒントがあるかもしれない。
「ちょっとみんなに聞いて欲しい演奏があるんだ。曽我昌弘トリオっていうジャズのピアノトリオなんだけどね、ドラムが素晴らしいんだ。なんていうか、格好いいとかダサいとかそういうものを超越して惹きつけられてしまう。どうもそこに僕らの目指すべき方向がある気がするんだ」
「それは是非聴きたいわ! どこで聴けるんですか?」
「バスウッドっていうジャズバーなんだけど、いつライブやっているか調べてみんなに連絡するよ」
♰
結局、その週の水曜日が曽我昌弘トリオのライブ演奏の日であった。一同はバスウッドに集まった。演奏が始まり、星林檎の見せ場となると、みな篤義が初めてそれを聞いた時と同じように反応した。だが、忠司は俄かに不審そうな表情を浮かべていたのだが周りは気がつかない。やがて休憩時間となり、結衣と恭子は互いに感想を述べ合った。
「中原さんが言った通り、なんか超越してるよね、あのドラム。今までの常識が覆されそうよ」
「音程がない打楽器なのに、あそこまで音楽表現出来るなんて……驚いたわ」
その時、忠司が席を立ったので恭子が何気に「どこへ行くの?」と聞いたが、忠司はそれに素っ気なく「トイレ」とだけ答えた。
しかし、忠司はトイレへは向かわず、店の奥の楽屋件控え室へと行った。そしてその部屋の片隅で休んでいた星林檎のもとに近づいて行った。彼女は忠司の方を振り向いたが、それはまるで関心のない素振りであった。
「星林檎さん……あなた、桜ヶ丘キリスト教会で俺を案内してくれた眼鏡のお姉さんですよね?」
星林檎はそう言われても、心ここにあらずとばかりに虚ろな視線を宙に泳がせていた。




