最初のセッション
「じゃ、考えておいてくれないかな。ハハハ」
そう言い残して、平岡は呆気に取られ固まる四人の若者たちを背にして、去って行ってしまった。しばらく四人は黙ったまま互いに顔を見合わせていたが、恭子が顔を輝かせながら口火を切った。
「ねえ、楽しそうじゃない? やろうよ!」
「う、うん。でも……」
結衣が気の無い返事をすると、恭子が忠司に話を向けた。
「ねえ忠司、君はバンドでギターやってたって言ってたよね?」
「あ、ああ」
「じゃあ忠司も一緒にやれるじゃん。ギター参加で」
「あの……俺はやるとも何とも言ってないけど」
すると、恭子は全員に発破をかけるように言った。
「んもう、みんな何尻込みしてるのよ、やる時はビシッとやる! じゃあこれから結衣の家にみんなで集合!」
恭子の勢いに気圧された一同は、四の五の言う間もなく結衣の家に向かっていた。恭子が結衣の家を選んだのはピアノがあるから、ということだった。忠司は「ギター取ってくる」と言って一旦自宅に戻り、その後結衣の家に向かうことになった。
忠司が結衣の家に入ると、他のメンバーは篤義が注文した宅配ピザをつついているところだった。
「小崎君、お先に頂いてるよ。君の分はちゃんと取ってあるから大丈夫」
「あ、どうもです」
忠司はギターをケースごと壁に掛けると、ピザを一切れ頬張りながら部屋を見渡した。部屋の中にはアップライトピアノと一台のキーボードがあった。
「へぇ、結衣、EOS持ってんだ」
「うん、音いいし使い勝手もいいから、弾き語りには丁度いいよ」
──EOSはヤマハが90年代を通じて発売していた一般ユーザー向けシンセサイザーで、商品化には小室哲哉や浅倉大介も関わっており、彼らが楽曲で使っている音がプリセットされているというのもウリの一つであった──
「俺のギター、エレキなんだけど、今日アンプ持って来てないから、それに繋がせてもらっていいかな」
「うん」
すると篤義がアドバイスした。
「エレキギターの出力は強いからね、そのまま繋いで音出したらキーボードのスピーカーがいかれてしまうよ。ギター側のボリューム絞るのを忘れずにね」
「はい……っと、こんなもんでいいですか」
忠司はそう言いながらギターのボリュームツマミを半回転ほど捻った。
「うん、いいだろう。それにしても確かにこのシンセがあれば、ストリートでもかなりのパフォーマンスが期待出来るね」
結衣のEOSを愛でるように触れながら篤義が言うと、忠司が疑問を呈して言った。
「そもそもの話なんですけど、ここに集まった皆さんはどういう音楽をやろうとしているんですか?」
「うーん、天使にラブソングを、で歌われているような歌ということになるんだろうけど、僕はあの映画を見ていないからわからないなあ」
「それなら私がサントラのCD持っているからかけてみましょうか」
結衣はそう言ってCDをミニコンポにセットし、再生ボタンを押した。キュルキュル、サーという回転音の後、音楽が流れ出した。結衣は肝心の歌の部分だけをチョイスして再生し、後の部分は飛ばした。一同はピザを食べるのも忘れ、それが冷め切ってしまうのも構わず、ミニコンポから流れる音楽に集中した。聴き終わって忠司がまず感想を述べた。
「多分映画館で聴くのとは迫力が違うんだろうけど、凄えパワフルだな。ロックでよくやるシャウトみたいなのがあるけど、もしかしたらルーツはこっちなんじゃないかって気がした」
篤義が続けてコメントした。
「良いところに目をつけたと思うよ。どうやら、これはゴスペルソングだね」
「ゴスペルソング?」
聴きなれない言葉を一同は復唱して問い返した。
「うん。ゴスペルとは元々福音という意味だけど、キリスト教的な題材で歌ったポピュラーソングを総称してそう言うんだ。その形式によってゴスペルフォークとかゴスペルロックとか言われたりもする」
「へえ、聞いたこともなかったな」
忠司が感心したように言い、恭子が
確認を取るように問い質した。
「つまり平たく言うと、世俗のポピュラーソングのキリスト教的替え歌がゴスペルソングってことですか?」
「確かにそういう面があるかもしれないね。だけど実際のゴスペルの歴史はロックやポップスよりずっと古いんだ。スティービー・ワンダーは『ロックンロールのルーツはリズム&ブルースで、その源流はさらにゴスペルにまでさかのぼる』と言っているけど、そのようにポピュラー音楽の創生期からあった音楽だと言っても過言ではない」
そう言い切った篤義に結衣が訊ねる。
「でもそんなに昔からある筈のゴスペルがどうして今の教会では歌われていないんですか?」
「教会は世俗文化に厳しいところがあるからね。特に音楽はそうさ。ウチもそうだけど、『ロックは悪魔の音楽』だとか言われている教会は多い。ゴスペルソングのように歌詞では神を讃えていても、サウンドが世俗音楽と違いがわからないから、保守的な人には受け入れがたいんだろう」
「ありがちな話ですね。私が今、副科で習っているピアノの先生も『私はクラシックと一部のジャズ以外は音楽とは認めない』なんて言ってますからね、どこにでもいるんですよね、頭の固い人が」
「その頭の固い人にいつしか自分自身がならないとも言い切れない。そしてなってしまった時には大抵気がつかないものなんだ。そんな歴史が繰り返されてゴスペルソングは陽の目を見ない状況なんだろうね」
篤義がそう締めくくったところで、講釈にそろそろ飽き始めた様子の恭子が言った。
「まあそうは言っても、頭の固い人にも認めてもらえるよう頑張らないといけないんじゃないですか? でないと平岡さんの娘さんが立ち直れませんよ」
それに結衣が続く。
「そうね。とりあえず何かやってみましょうか」
「すると、さっきのCDの中からどれか選ぶことになるのかな」と忠司。
「さっき聞いた内、多くは深沢さんの言う『世俗曲のキリスト教的替え歌』だ。初めからこのような歌を歌えば保守的な人の神経を逆撫でするだろう。唯一、サルヴェ・レジーナだけがオリジナルの賛美歌だけど、これは歌詞が問題だなぁ」
篤義の説明に結衣が「なぜ?」と訊いたので、篤義は話を続けた。
「この歌は聖母マリアを讃えたものだよ。僕たちプロテスタント教会ではマリアはあくまでイエスの母親であって崇拝の対象ではない。だからこの歌は歌えないんだ」
「そうなんだ……じゃあ、映画で使っていた歌はダメか。他に何があるかな」
「劇中のサルヴェ・レジーナのような手順で既存の聖歌をアレンジしたらどうかな。いい感じになりそうな気がするよ」
「既存の聖歌で使えそうなの、あります?」
結衣がそう訊ねると、篤義は一冊の聖歌集を取り出した。結衣と恭子はそれをパラパラとめくり、使えそうな曲を探した。すると恭子がある一曲を指して言った。
「あ、これいいんじゃない? 『みかみの愛をば』っていうの」
「メロディーはベートーヴェンの第九ね。確かにこれならみんなにも馴染みやすいかも」
──因みにこの歌の英語の原題は「Joyful joyful」で、後に「天使にラブソングを2」のクライマックスで使用されることになるのであるが、もちろん当時の彼らがそのようなことを知る由もない──
「よし、これやって見ようか。映画のパターンと同じように最初は譜面通り4声のアカペラで歌って、次からシンコペーション入れて行こう。ピアノとギターがそれに合わせていく感じだ」
篤義がテキパキと指示すると、忠司が遠慮がちに言う。
「あの、俺、楽譜はタブ譜しか読めないんですけど……」
「じゃあコードネーム書いておくから……アカペラのところはベース弾くつもりでバス歌ってくれるかな。譜面通りじゃなくてもいい。次からはハイコードでチャカチャカって感じで出来るかな」
「……こんな感じですか?」
「うん、上等だ。じゃあそれにピアノ合わせてみるよ」
そして忠司と篤義がにわかセッションを始めた。それを聴いた結衣と恭子が「かっこいい!」と言った。
「こんな感じかな。じゃあ、頭からみんなでやってみようか」
篤義の号令で、合わせ練習が始まった。




