一日目
何処にでもある普通の何気ないリビング。フローリングの床に傷防止のシートが敷かれ、その上に置かれたテーブルには一枚の紙が置かれてた。
四つある椅子に座るのは自分の父と母、それと見慣れぬスーツを着た男性が一人。
淡々と言葉を発する機械のようなスーツの男が何を言っているのか理解できず、それを聞く自分の両親は死んだ目をしていた。
テーブルに視線を落として動かない母さんと、その姿を見て目尻に涙を浮かべる父さんの二名は、知っている人のはずなのにその時だけは他人のように感じられたのだ。
俺はテーブルには座らず、近くのソファーに隠れるように蹲って向こうでの会話に耳を傾けていた。
聞きたくない、けど聞かなくてはいけない。そうした会話が続く事一時間ほどした頃だろうか。
テーブルの方からガラスが割れる音が聞こえて振り返ると、椅子を倒して自分の頭を掻きむしる母親の姿が視界に入り、何とも言えない恐怖が全身をくまなく駆け巡った。
「・・母、さん?」
乱れた前髪の隙間から覗く目は見開かれ、荒く肩を上下させる『母親だったモノ』は、何かを叫んでいるように聞こえる。
「※※※※※※※※※」
現実を受け入れない脳みそは、知っている言葉を勝手に外国語に変換してしまい、『母親だったモノ』の言葉は一言も聞き事ることが出来なかった。
「※※※※※※※※」
そうして最後に獣のような叫び声を上げると、割れたコップの破片を掴みかかり、そして━━━
━━━中学二年。 枯れ葉が舞い落ちる寒い秋の出来事だった。
◇◇◇
何とも居心地の悪さを感じながら、ゲームのやり過ぎで殆ど充電が無くなった携帯から顔を上げる。
「勇、もうすぐ着くからな」
そう言って運転席から話しかけてきたのは一人の男性、もとい親父だ。名前は家刺崎 亨。
小さい眼鏡に顎鬚を生やしたこの男は、自分の実家に向かって車を走らせている最中で、長時間の運転が堪えているのか少々疲れの色が伺える。
「ずっと座っていて疲れたでしょうけど、もうすぐだから我慢してね」
親父の隣で話すのは、見慣れない女性。家刺崎 明音
どうやらこの人が俺の新しい『母親』という奴らしく、一般的な分類であればきっと『優しい母親』に分類するのだろう。
初めて会った時は自分でどう接すればいいのか分からず、どちらかと言えば戸惑う事の方が多かった。どうやって付き合えばいいのか分からずにかけた迷惑も多いが、それでも服を洗って、飯を作って、学校での話を積極的に聞いてくる。
付き合い方が分からない俺に対して一生懸命に付き合おうとしてくれているこの人は、誰の目から見てもきっと優しくてよくできた母親、というモノに分類されるのだろう。だからこそ、『溝』を深く感じてしまうのは、高校生になったばかりの自分が幼すぎるせいなのだろうか。
家を出てから数時間が経とうとしており、幾度となく開かれた携帯は充電が残りわずかの証拠として赤く点滅していた。手持無沙汰になった勇は少し硬めの座席に揺られながら、退屈そうに窓の外へと目を向ける。
遥か後ろに流れていく木々や、透き通る青空を眺めて思う。
「・・・田舎だなぁ」
「うるさい。静かにして」
そして何よりこの車の中で何より居心地の悪さを感じている原因であるコイツは、『優しい母親』と一緒にやってきた見知らぬ年下の女の子。名前を麗奈という。
女の子というような可愛げがある様なモノでもない。金髪に染められた髪はピンクのシュシュでサイドテールに纏められ、短パン肩出しのTシャツ、上からカーディガンを羽織るだけ、といういかにもなギャルギャルしい服装をしている。
「・・・イヤホンして大音量で聞いてるくせに、何で声が聞こえるんだよ」
「何? なんか文句でもあんの?」
携帯とは別に持ってきた音楽プレイヤーにつないだイヤホンから、隣に座ってても何の音楽か分かるほどの大音量で聞いてる。・・・というのに、俺が一言でも話そうもんならこうして文句を言ってくるのは、どうやってるんだろうか。
まぁ、カラクリはどうであっても、まったく可愛くない義妹であることは間違いない。
「・・別に、なにもねぇよ」
そう吐き捨てて眺める外の景色は、車の中と違って穏やかで平和そうな雰囲気だ。
風に流れて騒めく木々は、俺たちの到着を歓迎するようにガサガサと動き回る。それ自体が生き物のようにざわめく姿に、安心する心の一部に言いようのない不安が湧き上がった。
単純に慣れていない土地に来たせいだと言い聞かせて、まだもう少しかかるであろう時間つぶしと、何とも言えない空気から逃げるようにそっと瞼を閉じた。
◇◇◇
突然の揺れに慌てて目を覚ます。流れる景色は止まり、車が目的地に着いたと認識するのに僅かな時間を要した。
「ほら、起きろ。着いたぞ」
一際大きく背伸びをして重い扉に手を掛ける。長く車に揺られていたので地面に降り立った時の、地に足がつく感覚にどこか安心したような息を吐いた。
家を出たときはまだ外は暗かったが、到着した今となっては見事な快晴だ。
雲もほとんど見当たらない天気とは裏腹に靄がかかったはっきりとしない気持ちのまま、歩き出した親の後を追いかけようと、ぬかるんだ地面を転ばない様に気を付けて歩き始めた。
気持ちよさそうに太陽に照らされている花壇を尻目に、濡れた石畳を進んだ先にある玄関へと到着する。久しぶりに訪れる親戚の家の独特な匂いを感じながら、少々大き目の玄関の周りをグルリと見回した。
曇りガラスがオシャレに装飾されている扉は年期を感じさせ、訪れる者を歓迎するように咲き誇る華麗な花々を見つめつつ、いつの間にか先頭に立った勇が扉へと伸ばした手は微かに震えていた。
「いらっしゃい。遠いところからよう来たねぇ、お疲れ様」
手に力を入れる前に開かれた扉から姿を見せたのは、皺だらけの顔に白い三角巾を被った白髪のお祖母ちゃんだ。
年は八十を超えようというのに、杖も使わずに自分で立って自由に歩き回っている姿は、実年齢以上に若く見られる事だろう。
「ただいま」
気恥ずかしそうに答える親父が前に出て、久しぶりに出会った母親と軽く抱きしめ合う。なかなか感慨深い光景なのだろうけど、如何せん車に長時間乗っていたせいかどうにか気分が悪い。
申し訳ないとは思うが、さっさと部屋に入れて欲しいというのが本音ではある。
「立っているのも何やから、どうぞお入り。狭い家やけど勘弁してな」
一本だけ欠けている白い歯を見せながらニカリと笑う祖母ちゃんは、年齢を感じさせない軽やかな足取りで家の奥へと戻っていった。
本人は狭いと言っていたが、家に入って見渡す限りではそんな事は微塵も感じない。十数畳もありそうな和室が続き、キッチンリビングとゆったり広い階段。極めつけは出入り口付近に広がっていた花壇とは別に、池のある大きな庭が広がっているところだ。
荷物を置いた自分の部屋でもうひと眠りといきたいところだが、生憎と親父はそれを許してはくれなかった。
「これから一週間ほどではありますが、どうぞよろしくお願いします」
叱れた座布団の上に座る一家は、慣れない正座をして深々と頭を下げた。重ねた足がズキズキと痛みだしているので、今から解いたところで足の痺れは免れないだろう。
最初こそそれなりに会話をしていたが、近所の知り合いや家の事をしていた親父の姉夫婦がやって来ると、いよいよ居場所が無くなってきた。戸惑う俺を笑う日本人形から逃げるように、足の痺れと格闘しながら自分の部屋へと戻っていった。
微かな埃と畳の匂いが充満した部屋で、大の字に横になって天井を仰ぎ、吊り下げられた照明の傘をぼんやりと眺める。ぶ厚い埃をかぶる照明の傘と比べて、窓近くに置かれた棚は清掃されたのか埃は無くなっていた。
慣れていない部屋の中で体のだるさを感じながらひと眠りしようと目を瞑るが、車の中で眠ってしまったせいで全く眠くならない。しばらくゴロゴロと何度も寝返りを打つがただ体が痛くなるだけで、最終的にはうつ伏せになって携帯を開くに落ち着いた。
「・・・忘れてた」
開かれた携帯には残りの電池残量が少ないと伝える赤いマークが点滅しており、開いた瞬間が暗転して操作を受け付けなくなってしまった。
「えっと、充電器・・・充電器は・・っと」
トカゲのように這いながら荷物の中に手を突っ込んで、乱暴気味に探るが目的のモノが一向に見つからない。仕方なく座って鞄の中を探すが何処にも見当たらず、一瞬忘れたかと思ったが、そこでふと鞄を二つ持ってきたことを思い出した。
下着や替えの服といった大掛かりなものを詰め込んだものと、外出用の小さな鞄を持ってきていたのだ。
「くっそ、めんどくせぇ」
大きな鞄から引きずり出した服を乱暴にしまい込み、もう一つの鞄は何処かと探そうと見渡すが、ここにあるのは自分と親父の二つの鞄しか見当たらない。
「あれ?」
立ちあがってみるが、どう見ても二つしか見当たらず、どうやら車の中に忘れてきてしまったらしい。仕方なく車の鍵を借りに行こうと、仲が良さそうに会話している親父のところまで戻っていった。
「親父、車の鍵貸して」
「何か忘れたか?」
「ん。まぁ、ちょっと鞄を」
座った状態から取り出した鍵を受け取ろうとしたところ、手洗いから帰ってきたのか何処からともなく現れた『母親』が口を挟んできた。
「鞄だったら私が持ってきましたよ」
突然の言葉に手を伸ばしたまま固まった勇は、何か返さなくてはいけないという脅迫に近い何かを感じ、震える喉から絞り出した言葉は随分と弱々しいものだった。
「あっと、・・・どうも」
この会話を聞いている周囲の大人たちは、きっと仕方ないという意味のため息を吐いたのだろう。しかし、それを聞く幼い勇の立場からすれば、そのため息はどうしても侮蔑と蔑みの意味にしかとらえる事しかできなかった。
悔しさと恥ずかしさから心臓が激しく跳ねあがり、すぐさま踵を返した背中に再び声がかけられる。
「私たちの部屋の置いてありますから」
おかしなところはない。聞かれたことに対して当然のことを答えただけ。
それだけなのに、湧き上がる感情に奥歯を強く噛みしめている自分の事が━━分からない。
二階への階段を上がって真っすぐいった突き当りを左へ曲がった先が姉夫婦の寝室で、その隣が祖母ちゃんの寝室だ。
自分たちに当てがわれた部屋は階段を登って突き当たりを左に曲がる手前となっており、『母親』たちにあてがわれた部屋のちょうど真向かいだ。
先程まで寝転がっていた自分の部屋とは反対側の扉に手を掛けて、少々強めに横にスライドさせる。先ほどのやり取りでの感情をぶつけるようして開かれた障子は勢いよく開き、開いた先にいた相手に意図せず声が漏れてしまった。
「・・・げ」
「・・あんたの部屋は向こうでしょ。さっさと出て行って」
向こうにいたのは俺と同じようにして部屋に逃げてきた可愛くない妹で、扉を開けるや否や不機嫌そうな顔をこちらに向け、横になったまま露骨に舌打ちまでかましてくる。
「・・・」
そうして向けられた視線を完全に見なかったことにして、我関せずと言った風に一つに集まっている鞄へと向かう。一番手前に置かれた見慣れた自分の鞄を掴み、妹へは全く視線を向けずに踵を返す。
「・・・邪魔したな」
急に開けたことに簡単な謝罪を残して、後ろ手に扉を閉めて部屋へと帰っていった。
それからは特に何がある訳でもなく、夕食の時間まで誰と話すことも無く一人で時間を潰し続けていた。
◇◇◇
「ご飯だよ、降りといで」
薄い障子越しに聞こえてきた声は、間違いなく祖母のものだ。携帯の時間を見ると、時刻は18時を回っており、ゲームにどれだけ熱中していたかが分かる。
返事をするでもなしに起き上がり、体に付いた畳の葦グズを払って廊下に出ると、向かいの部屋の明かりは消えていた。
「あいつ、もう行ったのか」
首の骨をならしながら階段を降り、僅かな緊張を解すように大きなアクビを一つ。
階段脇の通路を進み、道中に見える庭を眺めつつ和室へと向かう。軋む床板の先、開かれている障子から顔を覗かせると、ここに到着した時にはいなかった祖父ちゃんが帰ってきていた。
「こんな田舎までよく来たなぁ。着いたとき居てやれんですまんかった」
座布団に座って胡坐をかく祖父ちゃんは、俺の姿を見るとどこか嬉しそうにほっこりと顔を綻ばせた。
「・・気にしなくていいよ、急に来た俺たちが悪いんだから」
「んなこと言うなぁ、自分の孫が可愛くて仕方ねぇってんだから」
「あ、あははは、、」
綺麗な白髪と垂れた目は優しそうではあるが、祖母ちゃん曰く昔はやんちゃしまくっていたそうで、幼い頃お風呂に一緒に入った時に見た背中の大きなやけどが何よりの証拠だった。
それに加えて幼い頃に怒られた記憶が苦手意識を生み出しており、久しぶりに会った事もあって返す言葉は何処かたどたどしい。
背中側からうっすらとうなじに見える火傷の後を一瞥して祖父ちゃんの近くに座ると、深いため息をつく声が聞こえてきた。
「疲れてるみたいだけど、どうかしたの?」
「いやぁ、ちと会合が大変でな。この年じゃかなりの、はーどわーく、ってやつよ」
「会合って、確か祭りの話し合いじゃなかったっけ?」
「それが今年になって、町長が『村おこし』がどうのって言いだしやがってよ。それが他ん所なら良かったんだが、まさかここの祭りが選ばれるなんてなぁ」
「たしか、『龍神祭』だっけ?」
龍神祭━━━読んで字のごとく龍の神様を奉るこの土地特有のお祭りの事だ。
詳しい話は知らないが、村全体が二つに割れるほどの揉め事になった際に、怒った龍神様が村を飲み込みかけたのだそうだ。その竜神様を鎮めるために行われるのがこの竜神祭、という建前で行われているそうだ。
親父の故郷であるこの町【幸気町】は東と西に分断するように流れる【龍神川】が有名ではあるが、川の名前もさることながらもっとも有名なのは上記の祭りだろう。
東と西とでそれぞれで奉られている『要石』を祭る祠を乗せたヤグラが村中を練り歩くという、かなり大きな祭りであり、地元の人たちが思っている以上に祭りの名前を知っている人は多い。
町おこしなんて一大イベントが起きるならここの祭りは絶対に外せないものとなるので、町長が選ぶのも当然だろう。
「そんなに大変なの?」
「大変も何も禿げちまうってんだよ。この年でもそれなりの髪を持ってるっていうのが自慢だってのに」
集客の目玉になるから選ばれたものだと容易に推測することが出来るが、人が多くなるにつれ出店や車道の整備といった手間がかかるので、年老いた祖父ちゃんたちにとってはあまり喜ばしい事でもないらしい。
「・・・そ、そんなに大変だったら止めたらいいのに」
「バッカ野郎。んな事してたまるかってんだ」
口調自体は非常に面倒なことは伝わってくるが、言葉に端々に柱のような揺るがぬ力強さを感じる。
「最近はこの町だってガキが増えてきてんだ。いい加減昔がどうのって埃臭いままじゃいけねぇだろうが」
テレビを見たままこちらを振り返ることも無く話す祖父ちゃんはそれ以上何も言ってくることはなく、俺の方も何を話せば良いのか分からなかったので、結果二人は適当に流れるテレビの音へと耳を傾けていた。
傾けていた、とは言うが何を言っているのかは全く頭の中に入ってきておらず、かといって何かを考えているわけでもない。つまりは特に何もしていないのだが、祖父ちゃんの言葉を聞いてからは何処か上の空だった。
台所から料理が運び込まれるまでの間、テレビで流れるニュースは何処か別の異世界で起きたような、そんなフワフワとした何とも言えない居心地の悪さを感じていたのだ。