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月からの使者 創世編  作者: 朝太郎
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双子の悪魔

陽の光も届かないほど深い森の奥地でそれは行なわれていた。

乱雑に置かれている蝋燭は長い活動を終えようとしていた。小さくなる炎に比例して闇が光を飲み込んでいく。部屋の隅には奇妙な形の剣が刺さっている。そこを基点に中心に向かって六芒星を描くように赤い線が引かれていた。

壁面にも同じ色で歪な形の文字が覆う形で書かれ、必要な言霊を唱える術者の望みに応じて変化している。部屋の中央には魔力で作り上げた水柱があり、その中に裸体の少女がいる。目を閉じて蹲っているところ眠っているようだ。

闇を従えるように、柱の周りを魔力が漂っている。

アヴェロスが見つめる先で、また一つの命が生まれた。シェリフ王国よりも遥か南に『古の森』と呼ばれる魔境がある。古代より人の手が一切加えられていない、高位の魔物が生息している特別危険指定区域Aクラスの空間。独自の生態系を保っており、そこから進化を遂げた魔物たちの種類や能力は現代でも解明されていない世界の謎の一つだ。

その危険区域の奥にアヴェロスが密かに建てた研究施設がある。

ある時から半年以上、アヴェロスはこの場所で一つの研究を行っていた。アヴェロスの脳内に鮮明に刻まれた現象、そこから得られる多くのデータ、さらにそのデータを多様化しマイナスを無効化する推論へと展開、理想に近づくための検討が繰り返されている。

過去に挙げてきた経験や常識は全て破棄した。

期待する結果を生み出すことができる答えを導く、材料にならないと知らされたからだ。

あの戦いはそれだけの衝撃を与えてくれた。

水柱の中で変化が起きた。

小さな口から無数の気泡が漏れ始めている。

「第四試験体の最終調整、構築術式に異常なし。いつでも出撃できます」

「さっそく出してくれ。早いほうが順応もいいだろう」

隣に立つ少女の声に、アヴェロスは頷いた。少女が身体を起こすと水柱が少しずつ細くなり、やがて消滅した。

「魔力循環速度問題なし。適性空間に拒絶反応なし。神経伝達に異常ありません」

「わかった」

空ろな目の少女に近づき身体の各所を手で触れながら結果を伝えるのは、アヴェロスが生み出したクローンの第二試験体、ミランだ。

「なにもしていないのに伝わってくるこの波動は素晴らしい力だ。ミラン、第四試験体に名を授けるならなにがいいか考えはあるか? 」

「ネリス……ネリス・ハオラン・ラスティーなどいかがですか? 」

「それでいい。出力は絞ったがこれで『剣姫』が全て揃ったぞ」

「はい。我らがオリジナルの個体クロノア・クリスタル・ルナリアの遺伝子から生み出されたカリン・ハイドラ・イフリートである『炎姫』を筆頭にフィエナ・ミストラル・エバーグリーンの『嵐姫』、わたくしミラン・セシア・アールブリードの『水姫』と生まれたばかりのネリス・ハオラン・ラスティーの『闇姫』……剣姫四名アヴェロス様の力により覚醒することができました」

剣姫。アヴェロスが生み出した前身のクローン体、カリン・ハイドラ・イフリートの技術を用いて創り出した人工魔術師の総称だ。剣の名を与えようと思ったのは三騎士に名残があったからなのかもしれない。

三剣が一振り神聖騎士と呼ばれていた自分への戒めとして。

世界に真の平和をもたらすために三人の魔術師によって創設された組織、三騎士。ギルド連盟と肩を並べるほどの巨大組織として名を馳せていた。しかし、世界を脅かす悪の存在は正義の力を持ってしても消えることはなかった。

そこから全てがゆがみ始めた。

人道に反する人体実験を繰り返し、アルビノと王の血を持つ双子の半身から人工的に魔術師生み出すことに成功する。だが、人工的に生み出したことでオリジナルのような性能は発揮されることはなかった。

アヴェロスに突きつけられた結果は自滅という現実的なものだった。

潜在能力が高いがゆえに器が耐え切れない。切実な問題だったが、アヴェロスはすでに解決策を見出していた。第三者の遺伝子情報を加えるという手段。純血から混血にすることで強大な血は薄まり能力は思ったとおり劣化した。

そして彼女たちは生まれた。

カリン・ハイドラ・イフリート。イリティスタ戦から得た戦闘データを基に創り直した紅蓮の炎を操る煉獄の魔術師。

カリンの素体に遺伝子操作を行ない多属性への汎用を可能にしたフィエナ・ミストラル・エバーグリーン。剣姫で唯一、風と雷の二属性を操ることができる暴君。

フィエナの素体を基に遺伝子を改良したミラン・セシア・アールブリード。カリンとは対極の水を操る水使い。

そして、ミランの素体に二人の遺伝子データを加えて創り出されたネリス・ハオラン・ラスティー。

(体細胞クローンの影響も極力減らした。あとは量産に着手するのみだ)

カリンに刻まれているクロノアの強大な遺伝子情報が、剣姫の身体には残っている。純血種から混血種にしたことでどれほどの能力劣化や変化が起こるのか、すぐにはわからない。

だが、わかったときには、またあの時のように遅いのかもしれない。

それでも、もう止まることはできない。悪によって犠牲が生まれ、その犠牲によってさらなる犠牲が生まれ、その犠牲が破滅へと繋がる……繰り返される負の連鎖はきっとこの世界を生み出した創造主の意思に反している。欲望によって美しかった原初の世界はどこにいってしまったのだろうか。

「それではこれより能力効果に移りたいと思うのですが、よろしいでしょうか? 」

「ああ、それで構わない。ついでに結果に反映する形で身体組織を再調整しておいてくれ」

「了解しました」

ミランがネリスの手を取ると、状況をわかっていない彼女は不安そうな表情を見せた。素肌を気づかい水の服を着せると、そのまま部屋を出て行った。

しばらく待つと、外から届く爆発音にアヴェロスは床と同化している鏡に魔力を込めた。映し出されたのは同時刻で進む世界の動き。ギルド連盟と三騎士が総出動した結果、手薄になった隙を狙う悪賊は勢力を増しつつあった。

泣き叫びながら助けを求める人々の声に応えられないことが、アヴェロスに痛みを与え続ける。アヴェロスの求めた人々の幸福な時間が、アヴェロス自身の行動理念によって逆に不幸を与えることになった。

魔術師として未熟であったのか、実力を過信していたのか、いまではわからないことが多く終わってから得られるものはなにもない。

アヴェロスは映像に唇を噛み締めることしかできなかった。

クロノスに破壊された施設からクロノアの個体サンプルを探すのには骨が折れた。あの時、クロノスがアヴェロスの研究施設を破壊するだけに留めていなければ剣姫たちを生み出すことはできなかった。どうして、クロノスは自分に直接手を下さないのか、アヴェロスにはわからない。彼はアヴェロスの身勝手な思いに巻き込まれ被験者とされた過去があるにも関わらずアヴェロスに情けをかけるような真似をした。

アヴェロスが騒いだ一軒で隠していた存在が露見したことで、同じ守護者という立場でも修復できない敵対関係となり、こうして再び生命の法を汚す自分を許してくれるとは思わない。

これ以上命を弄ぶなと、最終決戦に向かう前にクロノスに釘を刺された。それでも間違いを間違いだと思えない自分は人間でなくなってしまったのかもしれない。

「真の平和に犠牲は必要不可欠だ」

崩壊する情よりも激流のように行き来する悪に対する怒りを黙殺できるほど余裕もない。

いま行なわなければならないことは、ただ一つ。ギルド連盟中央支部長、三騎士の神聖騎士でなくなってもアヴェロス・ミラアンセス・カーマイン個人として、現在を作り出した悪賊を根絶しなければならない。

ギルド連盟や三騎士たちがそれぞれの役割を持って行動を起こしている悪賊の排除をアヴェロスも動く必要がある。そもそも、どうして人は欲望に負け、悪に染まってしまうのか? 己の理想に執着するアヴェロスにも当てはまることだが、深く考えたことはいままでなかった。

反乱によって家族を失った悲しみを埋めるように動いていた間の記憶は曖昧にしか覚えていない。

あの時感じていたものは、ただの怒りだ。

なぜ、奪われなければならないのか? どうして、死ななければいけないのか? 自分の中の正義が穢され、求めた未来はこんなものではなかったはずだ。世界創世からいまだ続けられる遺伝子に刻まれた生存本能と闘争本能、どちらかの均衡が崩れればそれだけで終わるものがある。

人は孤独になったとき初めて己が胸の奥底に秘めている潜在的欲望に気がつくことができる。

叶えたい夢を知ることになる。

「夢物語で終わらせるものか」

悪が蔓延ることのない世界に生まれなければ、アヴェロスだってこんな物語を創造することもなかっただろう。誰にも理解されないし、説明することができないことに時間を費やすこともない。

もしかしたら失う事だってなかったかもしれない。人の心は論理では証明できない。

心とは現象に対してとても素直に反応を示してくれる機関と考えている。性格的なことと切り離して本当の自分を教えてくれることに価値がある。痛みとは拒絶。それが、意味することは……

「もう忘れたさ」

口から零れる前に思考の海に沈めて、気を落ち着かせる。

増えすぎた痛みと絶望によって、本来の感覚は麻痺した上で機能しない。修復不可能な状態となった。その小さな傷から綻びが生まれ、世界に充満する狂気の波動に侵されたのは弱さにある。強がっていただけだ。それがここまでの惨状まで加速させた。想像を設計図に書き記すことはできても、それをその通りに進めることは人として生きていくのと同じように問題が付きまとう。問題に直面した時、人は課題解決のために根幹たるべき部分を崩しにかかる。

だがそれは、逆にいえば強さに隠れた己の弱さと向きあう瞬間でもある。

そして、終わったときに残ったものがそのまま弱さになる。しかし、それは弱さになっても時間をかければ消化できないものではないことを知っている。

だが、アヴェロスにはそれができなかった。すでに自分が問題を暴力でしか解決することができない道に立っていたからだ。多くの嘘で塗り固めた自分の心に不満を覚えなくなったのは、その事実に気がついたからなのかもしれない。

偽りの人格を植えつけられたような気分だと思うのも本当の自分を忘れたことになる。出会わなければよかった存在は、アヴェロスの中で無限の可能性を示してくれた救世主だった。

「クロノス・クリスタル・ルナリア……」

彼の存在に与えられた力の断片を思い返しながら、アヴェロスは考える。どうして創造主は彼のような存在をこの世に生み出したのか?

人間を進化させた魔術師をさらに選別し特別な力を持った王の血と異端の能力を秘めるアルビノを併せ持たせた理由。双子であることもこの問題には大きな影響がある。

アルビノになる原因は特定されていない。一説によれば太古の血が環境の条件や不特定多数の経験が結晶となったとこで起こる自然現象と定義されている。

彼らの父が先代国王、母が優秀な古貴族であったことから潜在的能力が高かったことは納得できる。人の能力というのはどんなに特出していても生まれ持ってして決められたものだ。だが、アルビノという不確定要素がその枠を有耶無耶にしてなくしてしまっている。

彼の姉であるクロノア・ルナリアを引き合いに出すなら、彼女の優秀さは常識では説明ことも、証明することも、理解することもできない。潜在的資質が高いという理論が成立してしまうなら人の限界に定義など存在しない。

実際、弟のほうは彼女のように才覚はあったが遺脱するような様子は見られなかった。人としての基本設定が一致しないのは新たなる創造性を秘めているアルビノの恩恵なのかもしれない。人によっては忌み嫌われるアルビノという異能力。魔術師としての最終進化が行き着く先がアルビノだとしたら、二人は自覚なしに魔術師の究極的な存在になっている。人類がまだ未到達の領域から眺める世界とはどういうものなのだろうか?

それがひどく惰性で脆弱に見えたとしたら、思ったことを後悔しなければならない。

才能がない自分からしたら力を得るということは世界を見直せるものだと思っているからだ。

だが、その考えは強ち間違ってはいない。

半身ある彼女はその力をもってして世界そのものを相手取り変革を行なおうとした。個人の行動原理にしては度が超えているそれも魅力的に見えるのはそれが欲しているものだと自覚しているからだろう。ならば、そのような願いを叶えるためにも相応の対価を支払うのは当然であり、他人に否定されても曲がらない強靭な意志こそ必要だと考える。

だからこそ、人が持つ欲望は渇きを知らずに走り続ける。

それが走り終わったとき、世界の変化として反映される動きこそ力の象徴ということになる。

「この世界に悪は不要。今度こそ平和をこの手に収めてやる」

いつまでも魔境に身を潜めているわけにはいかない。いまのアヴェロスに地位や名誉はなくても叶えたい野望がある。

世界平和を願う一人の人間として波乱を呼ぶ悪賊を排除する魔術師なのだ。自身が魔術師である以上、戦う方法は経験や時間から熟知している。それが職務を失ったことで調査や捜索を個人でやらなければいけないのがアヴェロスとしては辛いことだった。志は高くても肉体的な限界というものがある。

消耗した体力は回復の兆しが遅く、訓練してもこれ以上技術が向上するとも思えない。その時間を利用して、アヴェロスがやったことといえばカリンの復活と改良、人造魔術師の大量生産を前提とした剣姫の創造だ。

限りなく純血種に近い存在として全ての基本となるカリン・ハイドラ・イフリートから、細胞に手を加えて他属性を操るフィエナとミラン。そして、さきほど誕生したネリスによって人造魔術師の創造が可能となった。どれだけ多くの悪が現れようとも、自然界に存在し、そして魔術師が魔術を行使するたびに消費される魔力。クロノス・ルナリアの戦い方を参考に魔力を自動吸収し自らのエネルギー源とする、『自動魔力吸収術式(エナジードレイン)』を組み込んだ剣姫たちの前に敵はない。

「カリン、いるか? 」

部屋に潜む闇に向かって呼びかける。小声だが、室内を満たす魔力はアヴェロスの声を主に伝えた。

「呼びましたか? 」

音声だけがアヴェロスに返ってきた。

「情報収集がどこまで進んでいるのか経過報告を頼む。予定していたプロトタイプの剣姫が全て完成したところだ。さっそく、実戦で実力のほうを確かめたい」

「実戦なら、魔物の活動に隠れる形で闇ギルドの勢力が世界各地に広まっております。大規模にまで発展はしておりませんが、小規模なものがいつくかの地域で行なわれています。異常なレベル、不可解な現象の確認はありません」

「そうか」

この場所にいる間に鏡で見ていたとはいえ、それなりに深刻な時代に発展しているらしい。

「その他報告することはございませんが、もう一つ頼まれていたクロノス・ルナリアについての調査ですが、お聞きになりますか? 」

「聞かせてくれ」

声の主の半身の姿が浮かぶ。

「はい。クロノス・ルナリアはガーランド帝国の魔法学園に潜伏しているそうです。主だった動きはないので、ギルドの依頼と推測します」

ガーランド帝国は旧クリスタル王国領土に隣接する国だ。現皇帝は強力な魔術師であると同時にギルド連盟の重鎮という地位も持っている。しかし、頭の固い融通が利かない性格なためアヴェロスも含めて毛嫌いされている存在だ。

そんな場所に彼がいるのは皇帝の考えというよりはカリンの言うように依頼と見て間違いはないだろう。

各国のトップが星降る家に国家機密レベルの依頼を願っているのはアヴェロスの耳にも届いている。彼は私利私欲の依頼は受けないからきっとマリアが送ったに違いない。クロノスのパートナーであるセリュサもいることだろう。

彼女が学園に通うことはアヴェロスにしては微笑ましいことだ。幼少の頃より知識や技術は彼に劣るとはいえ、才能だけで育った彼女は、偏った形で物事を理解している傾向がある。いまは立場上名乗れなくても一時は同じ戦場を駆けた者として、普通の生活を手に入れた彼女に祝福の言葉を投げたくなった。

「ただ、一つだけ気になることがございます」

波紋が広がるように嫌な空気が伝わってきた。

「それはどういう内容だ」

「先日、彼らの学園の近くで羽根の連中が目撃され、クロノス・ルナリアとセリュサ・ルーヴェン・ベルリカの二名に撃破されたようです。羽根はギルド連盟に回収されたと今朝報告が入りました。連盟の話によると彼らのほかに一人の少女がいたそうです」

「その者の名は」

「フィン・ジークリンデ・ティタルニア」

カリンの声に音が止む。浸透する名にアヴェロスは覚えがあった。だが、瞬時にそれを否定する自分がいた。

なぜなら……彼女は、

「ガーランド帝国に生まれし、『双子の悪魔』の半身です」

思いがけない人物の名に胸を突くように痛みが襲いかかってきた。





その青年はアギト・ジークムンド・オベリオンと名乗った。

「フィンとは双子だ」

確かにフィンの面影のようなものは微かに感じるのだが、双子といわれてもまずわからないと思う。大人びた雰囲気のあるアギトは笑いながら複雑に入り組んでいる森の中を移動する。

「血を分けた大事な妹が傷付かずに済んだ。心より礼をいいたい、ありがとう」

双子なら学園に通っているフィンと年齢が同じなので近いことになるのだが、アギトのほうがセリュサよりも大人に見える。仕草と雰囲気の違いが原因だろう。後方を走るクロノスたちは、過ぎ去る景色を眺めていた。

「で、二人とも見かけない顔だけど編入生か? 」

「ああ、俺は二期生で、こっちは四期生だ。見かけたら声をかけてくれ」

クロノスは適当に返事をし、セリュサも頷いた。

「それよりもさっきの連中とはどういう関係だ」

フィンが言っていた兄というキーワードから、アギトが持つ情報を手に入れる。話の展開で流れてついてきている身としては、真意を知りたい。

「余所者なら知らなくても仕方がないよな。別に隠し事でもないし話してもいいが代わりに一つだけ願いを聞いてくれないか? 」

「願い? 」

「なあに、別に難しいものじゃない。これを引き受けてもお前たちに利益はないが、俺としては引き受けて欲しい」

「取引か?  内容によるがいいだろう」

「俺たちはある理由からガーランド帝国に危険人物として扱われている。それが世代を超えて昔からフィンには友達がいない。俺はそういうことを気にしない性格だからいいが、フィンはそういうわけにはいかないだろ」

その言葉が妙に引っかかった。クロノスはアギトに視線を送るもすぐにやめた。いまの言葉は兄が妹を想う純粋なもののような気がしたからだ。危険人物として扱われる二人、双子というところまで共通しているところがクロノスの中で隔たりを越えて親近感を持たせる。

ただ一つ違うのは兄妹が持つ絆の強さ。二人の間には目に見えなくてもこうして話を聞くだけでそれがわかる。

「それにお前たちは学園の連中とは違って強い。フィンを守り抜くだけの力あることも含めて考えた結果だ」

「そんなこと頼まなくてもいいだろうに」

「学園の連中は全然ダメだ。俺たちの正体を知った途端、近寄らなくなった」

嘘ではないことがクロノスにはわかるが、セリュサはよくわからないといった顔をしている。国中から敵視され、四六時中監視されるということがどれほど辛く悲しいことなのか体験したものしか分からない痛みが身体の中を暴れまわる。なにより、友達という言葉の意味を模索する自分がいた。

「大丈夫よ。クロノスもわたしも差別は嫌いなの。だから、心配しなくても大丈夫。フィンさんも、アギトさんも今日からわたしたちと友達です」

「そういうことらしい。俺たちは今日から友達だ。困ったことがあったらなんでも相談するといい。まあ、相談事は俺よりもセリュサのほうをおススメするけどな」

「ありがとう。本当にお前たちには感謝する」

背中を見つめるクロノスに、抑えた笑い声が聞こえてくる。

「それでお前たちとあいつらの関係を教えてくれ」

「あくまで国内での通り名だ。国外までは俺は知らないぞ」

それで、取引は成立した。

「ガーランド帝国の厄災……俺たちは『双子の悪魔』と呼ばれている」




陽が沈む光景に重なる姿、過去の自分を目の当たりにするのはどこか不思議な感覚だった。

辿り着いたのは、ガーランド帝国の郊外からさらに外れた人気のないどこかの夢で見た暗黒街を思わせる場所だった。その中でも一際大きく、倒壊寸前の建物にアギトは入っていった。

一歩踏み出すたびに軋む音に反射的に身体から力が抜ける。

穴の開いた床を除くと案の定、底は見えなかった。

「こんな廃墟に住むとは、そういう趣味でももっているのか? 」

確かガーランド帝国は現皇帝から国民に対して生活面での保障が強化されているはずだ。孤児なら尚更、困ることにはならない。粗雑に組み立てられた建物、室内に家具の類はなく持ち去られた跡すらある。

隙間の空いた壁から見える景色は考え深い。

「そんな趣味はない。これは漂流人民たちが一時的に造った家だ。俺たちは訳ありだから、人のいる場所には住めないのさ」

「生活面で苦労しないのか? 」

「生きるためのやり方なら心得ている」

懐からのぞかせる札束、兄妹で生きるには十分すぎるほどの金額と一緒にギルドカードが見えた。所属先まではわからなかったが、正規ギルドの印が見えたので安心していいだろう。

ギルドには正規ギルドと闇ギルドの二種類が存在する。正規ギルドは正式な手続きの下、厳正なる審査をクリアした魔術師にギルドマスターの認定を授けることで連盟に加入する形で活動できる。

一方、闇ギルドはギルド認定を受けていない表沙汰に出来ない依頼を遂行する機関。連盟のような組織としての繋がりは薄く、完全な実力社会になっており、過去に犯罪歴のある魔術師や問題の多い魔術師が多く所属して暗殺業や破壊活動を主におこなっている。闇ギルドの活動は定期的にチェックされているが、ギルド連盟の情報網を持ってしても全ては把握できていない。

「それと昼間の連中に寝首をかかれないように、周辺には罠が仕掛けてあるか、用があったら学園内で済ませてくれ。ここ一帯に仕掛けてある罠は一瞬で命を喰う大喰いだから気をつけろよ」

「そんなこと俺たちに説明していいのか? 」

「本当なら出会ったばかりの赤の他人に丁寧に説明することは間違っていると思うが、お前たちは友人だ。正体を知っても俺たちと一緒に居てくれる。それだけで十分な理由さ」

「それなら納得しよう」

「俺たちがどういう風な扱いを受けているのか、そこまでは知らなくてもいいが、狙われているのは知っておいてほしい。今日みたいに俺がいないときはフィンのやつを守ってくれ」

「今度の相手は手強いな」

羽根狩り。

アギトの押し殺す笑い声が鈍い緊張感を植えつけてくる。

正規ギルドにも闇ギルドにも属さない大翼と同じ第三勢力として数えられる集団は神出鬼没で滞在する拠点は決まっていない。活動内容も本当のところは謎に包まれている集団に自分のほうから喧嘩を売るというのは変な気分だった。長い階段を上がり切ると廊下の奥から漏れる光に向かって進むと部屋の中に、さきほど別れたフィンがボロボロのソファーに座っていた。

ブラシで癖のある髪を一生懸命伸ばしている様子は、より幼くみえる。室内には必要最低限の生活用品だけがテーブルの上に積まれていた。気配に振り向くとクロノスを一瞬捉えた。その一瞬に驚愕とわずかな嫌悪がこもっていたが、それ以上のものはなかった。すでにフィンには話は通っているようだ。

「ただいま。フィン、二人を連れてきたぞ」

「えっ……連れてきたって、その」

「大丈夫。二人は俺たちのことを知っても友達でいてくれるらしいぞ。フィンの考えはわかっているつもりだが、俺にはどうしてもお前に淋しい思いをしてほしくないんだ」

「そうかもしれないけど……本当にいいの? 」

「俺はクロノス・ルナリア。こっちはセリュサ・ルーヴェン・ベルリカ。今日からよろしく頼む」

「……うん、よろしく」

昼間とは違う様子のフィンに陰のようなものを見たような気がする。クロノスは強引に手を差し出して話を終わらせると暗い表情は次第に明るみを増していった。

「仲良く手も繋いだことだし、俺は疲れたから寝る」

クロノスたちをフィンに任せて、一人部屋の外に出て行った。廊下のどこかから聞こえる音を最後に、クロノスはフィンを見た。

「こんなに早く再会できるとは思わなかった」

「強引な兄でごめんなさいね、クロノスさん、セリュサさん」

「アギトのようなタイプには慣れているから大丈夫だ」

「それならよかった」

冷たく言い放ったら逆にどういう反応を示すのか、クロノスは少し興味がわいた。

「俺たちも学園で知り合いがいなくて困っていたところだ。知り合いがいれば一人よりも楽しめるから、こちらこそ感謝している」

授業のほとんどに出席していない事実さえ言わなければ、嘘はいっていない。フィンはクロノスの隣で怪訝な顔をしているセリュサを見て、首を傾げる。

「さきほどは兄がいた手前、あのように終わりましたが、わたしたちと学園内で接することに関しては考え直したほうがいいですよ。学園にはわたしたちの味方は誰もいません。いじめなどはありませんが教師たちですら、恐れて近寄ってこないのが現状です」

決然とそう言い放ち、フィンが窓の外を見る。クロノスたちはその視線を追った。

「それは逆に都合がいい。フィンの隣にいれば誰もないも言ってこないなら、俺はお前の傍を離れたくないな」

サボるため、とは言わない。言ったが最後、隣からの猛攻を対処しなければならない。

「わたしを利用して授業をサボろうなんてダメですよ。セリュサさんもクロノスさんになにかいってください」

「わたしもクロノスにいいたいことは山ほどあるんだけど、何度か危機から救ってもらっているから頭が上がらなくて……ごめん無理」

予想とは反する言葉に、対応する言葉がすぐには出てこなかった。

「ま、そういうことだから諦めてくれ。学園の授業は退屈で刺激が欲しかったところだ」

固い言葉を不審に思ったフィンの視線から逃れることはできなかった。

「クロノスさんって実は怠け者ですか? 」

「怠けるのは好きだ。でも、最近は忙しくてそういう時間とも疎遠だな」

それ以降はなにも言わなかったが口元が緩んでいるところ、全て見透かされたのかもしれない。

「明日からよろしくお願いします」

そう言って入り口に向かって歩き出したフィンだが、ふと足を止めて振り返った。

「どうしてあの時、助けてくれたのですか? 」

「気まぐれだ」

アギトを起こさないように建物の外に出ると、フィンは驚いた顔をしていた。

「気まぐれで人助けをするなら以後、相手を見極めたほうがいいと思いますよ」

「ああ、そういうことか。別に俺としては普段からあんな感じで助けるだけさ」

事実、クロノスにとってはあの程度のレベルのことは危険でもなんでもない。いまの時間帯ならほぼ無敵だし、昼間はマントの加護や耳飾りの加護がある。セリュサもいてくれるからこれほど心強いものはない。

だが、それは理由を知らない常人には理解されるものではないだろう。そのことも、クロノスにはわかっている。だからなのか、自分でも自然と口から出てきた。

「フィンのことは一目見たときから放っておけなかった、とだけ付け加えておく」

「それって告白ですか? 」

クスクスと口元を覆って彼女が笑った。

「だったら返事を考えておいてくれ」

「ふふ、考えておきます。おやすみなさい」

小さな手が別れを告げると、フィンは建物に入っていった。クロノスは黄金の円を見上げてから、隣で紅潮している顔にデコピンを入れた。





次の日から、クロノスとフィンが学園中の的になった。フィンと待ち合わせて学園の門をくぐると、生徒たちが一瞬で避けていった。本日の学園生活は昨日とは打って変わって非日常を思わせた。

フィンの隣にはアギトの姿はなく、事情を聞くとギルドに向かったとのことだった。

学園の生徒がギルド登録することは法律で禁止されているがアギトは特別に許可が下りていた。

「そういえば昨日帰りがけに学園の生徒や教師たちが壁や庭に突き刺さっていたのですが……クロノスさんですか? 」

重篤患者を量産して山積みした記憶は思い出したが、突き刺したことはあったかクロノスはフィンの前で首を傾げた。

「まさか、あれはセリュサに告白して玉砕して逆上した馬鹿たちの成れの果てだ」

「セリュサさん、美人ですからね」

届かない足を宙で遊ばせながら、フィンは花の香りを散らしたような笑顔をした。ここは、学園にある屋上ではなく別棟にあるフィンだけがくるプライベート空間のような場所であるらしい。住居よりも充実した設備はあの部屋を一度見た者でなければ想像することはできない。欠けた形跡のないカップに口をつけるとほんのり甘かった。部屋に隣接したバルコニーから覗くのはよく手入れされた植物が並ぶ花壇と、その先には多種多様の木々に実った果物だった。果物といえば目の前の器に同じものが盛ってある。光沢もサイズも申し分なくよく育てられている。市場に出回っているなら高値で売れそうだ。

「フィンは授業に出なくていいのか? 」

「特権といいますか、学園内にいれば授業に出なくても卒業できる資格をもっています」

一応、疑問として資格について考察してみた。だが、そんな夢のような資格はいますぐに廃絶すべきだと思った。雲を見ながらクロノスは押し殺すように笑い始めた。懐中時計に見入っていたフィンは小さな手に果物を収めナイフを入れた。

「本当に傑作だ」

普段から夜型の生活を送っているだけに、人が隣にいることがクロノスにはありえないことだった。人を避け続けてきたのは自分の力を恐れ、化け物と呼ばれている自分が嫌だったから……レンと出会うまで理解者は誰一人できなかった自分がこうして素直にフィンを置いているのは小さな変化なのかもしれない。

『俺と友達になろうぜ』戦いの後に見せた彼の笑顔が無性に懐かしかった。

白い空間が目の前に広がる。

「ここは……」

ガーランド帝国に入る前に見た夢の舞台は何一つ変わらない。脈動する空間は、生きているように不可視の波紋が情景を教えてくれる。いつかの崩壊する寸前の世界や、大魔王に立ち向かう勇者として仲間を従えている内容は始まらず、童話のように床からふいに一人の人物が現れた。

「どういう理屈なのかわからないが……」

赤髪で最初から背中から翼が生えている美女だった。その人物以外に気配はなく、白い空間は完成した。

「久しぶりだな、アルル・スフォルツァンド・ラヴァー」

美女はこちらの顔を見て印象的な赤髪を揺らし、翼をはためかせて反応してくれた。改変された異世界の夢から長かった気がする。

「あの日以来ですね。見ない間に随分変わりましたね」

暗黒街で共闘したことをアルルも覚えていてくれている。あの時の結末がどのように変わったのかあえて聞かなかった。

いや、アルルを見て言葉が出なかった。

これは夢だから意識してもなにも浮かばなかった。心の世界ではこの会話ですら幻想に思えてくる。クロノスはアルルをよく知らない。だからこんな時に、彼女に対してどんな顔をすればいいかわからなかった。

「嘘はやめろよ。俺はなにも変わっていない。生まれたときからずっと敗者だ。それよりも、お前のことを教えろよ。そして、俺の中で起きていることを教えろよ」

最初から返事など期待していない。本当に必要なことだったらそういう風に事象は動く。これはただの確認だ。アルルが自分の周りに起こっていることに関係しているか、どうなのかいまはそれだけが知りたかった。だが、アルルの言葉は違った。

「教えるもなにも、あなたはわたしたちの正体を最初から知っているはずですよ」

その声が耳に届くと同時にアルルとクロノスの距離が遠ざかり始めた。クロノスを中心に一点の闇が生まれた。影のように形になったそれは瞬時に侵蝕を始めた。

「そして、あなたは……」

アルルの腕が持ち上がり、その指がクロノスの胸を示した。指先に灯る光が波紋のように迫る闇を揺らした。ガラスが砕けるような音に合わせて、クロノスの視界に空が映った。

変わらない景色は最近の日常になりつつあった。その証拠に今日もこうして何事もなく目覚めることができた。ただ、クロノスの目からは涙が流れていた。体に掛けられていた毛布をソファーに置き、積み上げられていた果物の城を崩しにかかった。甘い味わいが口いっぱいに広がる。

「またあの夢か……」

クロノスはテーブルに残されていた、メッセージに目を通した。屋上までの足取りは軽かった。セリュサは学術書を片手に頭を悩ましていた。背表紙のタイトルは魔術関係ではなく、一般教養の題名が書かれていた。ページを開いては、空いた手でノートにメモを記す。延々とそれを繰り返す。真面目に依頼を遂行しているセリュサは優等生として確実な地位を築いていた。それが失われてしまった彼女の本来進むべきだった道なのかもしれない。

クロノスが隣に座っても、セリュサは黙ってずっとその作業を続けいく。熱意すら感じられる作業量に感嘆の声を上げてもよかった。ベンチから落ちた本を手に取って簡単にページを流していく。目に映る文字を瞬時に理解できたのは英才教育の賜物だと思う。時計の針が四分の一進んだところで、セリュサが喋った。

「フィンなら先に帰ったよ」

全ての動きを止めたセリュサは、そう言ってクロノスを見上げるとカバンの中から束の書類を取り出した。

「なにか変わった動きはあったか? 」

クロノスに渡された資料はマリアに頼んだこと対する返事。セリュサは魔力変化にどこかに行き、クロノスは一人残された。昼間無力な自分は屋上で留守番することになっている。

クロノスは手すりに体を預けると、紙面を眺めた。紙面を照らす光を追うように目は自然と動いた。光の世界を見守ってくれる太陽の存在は、いつでも昔のことを思い出させる。自分がまだ、クリスタル王国でクロノアと仲がよかった頃。恐がりだったこともありクロノアの衣装の袖を掴んでいた頃のことだ。

クロノアがまだ世界に名を広める前の出来事だった。看守の目を抜け出して城下町に行ったクロノスは本屋の前で一冊の本に心を奪われた。太陽と月の絵が表紙に描かれた絵本だった。

内容は恋がテーマだったと思う。残念ながら最後まで二つの存在が出会うことはなかったが、それまでに込められた気持ちは印象的だった。そんな物語だった。当時のクロノスにとって、絵本とは無縁な存在だった。本は知識を得るものであり、娯楽のようなものは読んだことがない。

挿絵のない文字だけの学術書は分厚いだけで嫌な性格をしていた。課題として積み上げられていく幅広い分野の書物を積極的に消化していくのは難しかった。一日中機械作業のように自分の与えられたスペースから動かず、難しい顔をして本を読んでいた。それが嫌と思うようになったのは城の窓から見た同年代の姿を見てからだ。公園の一角でボールを蹴って遊ぶ光景、両親の手を引いて地面に絵を描いている光景、誰も自分が経験したことのないことをしていることに興味があった。

そのことに彼女が気付いたのかもしれない。クロノアが世界を変えてくれた。牢獄のような城内から抜け出すまでは緊張感を焦燥感でいっぱいだった。手を引いている彼女もきっと恐かったに違いない。震える手を握り締める彼女の手も震えていたからだ。小さな客にも店主の対応は丁寧だった。絵本を抱える自分の笑顔を見る彼女も笑顔だった。結局、二人が戻る前に城から遣いがやってきて連れ戻された。本は服の中に隠しながら、脱走劇は幕を閉じた。

その夜にクロノアが本を読み聞かせてくれた。いつも眺めている難しい本とは違い、ページ全体を占める絵を積極的に見つめた。その時に彼女はこう言った。



『わたしは世界を照らす太陽の存在になる』



クロノアが思い描く世界はクロノスに興味を抱かせた。彼女が紛れもない才人だったこともそうだが、姉を慕う弟の心境がそう思わせた。あの言葉を聞いてクロノスは対を成す月の存在に自分を重ねるようにした。

子供時代の記憶はいつだって二人で一緒にいた。互いを特別な存在だと思っていた。彼女のことだって、好きだった。おそらくは彼女のほうも同じ気持ちだったのかもしれない。特別だったから、いつだって同じ時間を過ごしてきたから想いがすれ違うことなど考えもしなかった。

クロノアが世界に宣戦布告をしたときの衝撃は忘れられない。

彼女に対しての記憶はいつだって驚愕の二文字だけしかない。常に自分の目標として接してくれる笑顔は覚えている。

いつだって彼女は自分の味方だった。

ずっとそれが続いてくれると思っていたのに……彼女は敵となった。

「どうして、俺たちが戦わないといけないんだ……」




アギトに呼ばれた場所は学園からそう遠くない古びた教会だ。清楚なイメージと神々しい雰囲気を漂わせている空気はすでになく、廃れた十字架は錆びついていた。ステンドガラスだけが淡い光を取り込んで優しく微笑んでいた。

「よお、久しぶり。学園は楽しいか? 」

「フィンがいるから退屈はしないな」

「それは、よかった」

近状を報告するクロノスに双子であるアギトは淡々と頷いていった。その様子は妹を思う兄の優しさというよりももっと深い愛情のようなものを覚える。

アギトとフィン。

双子としての彼らは孤児院で一度、里親の関係で別々の家に引き取られた。家名が違うのはそのためだ。戦争によって孤児になる前は漂流人民だった。能力はこのときに覚醒し、このときの戦いを終結させた。多くの犠牲者を出した戦場の真ん中で眠っていた双子を見ていた者が後に言った。

双子の悪魔だと。

「そういえば、アギトは学園に行かないで、どこでなにをしているんだ? 」

祈りの構えを続けるアギトに、クロノスが尋ねた。

「俺はフィンのために毎日出稼ぎで忙しい。学園での事情は教えてもらっただろ」

「危険な出稼ぎは心配されないか? 」

「危険でもやらなければ生きていけない。同じ世界でも俺たちは異端児だ。生きるためなら、なんだってするさ。フィンのやつもお前と同じことを言ったがそこのところは心配しなくていいぞ。それにお前もどうしてこんな危険な場所に来たんだよ」

「どういう意味だ? 」

「その不便な身体は日常生活ではありえないだろ」

「さすが、『真紅の悪魔』と『蒼銀の天使』だな」

構えを解いて立ち上がるアギトとクロノスの視線がぶつかった。

「それで本当に俺も一緒に行くのか?  フィンには内緒で」

「ああ、もちろん」

「『真紅の悪魔』が俺の聞いた噂通りのやつなら、狙った相手は確実に仕留める血も涙もない悪鬼だと聞いたが」

「それについて言えることは、世界中に溢れている噂話で共通する事実は、大半が虚実で作られているということだ。真実はその内の一握りであり、情報として伝えられるのはさらに限られる」

「そうだな、俺が見る限りお前は妹馬鹿だ」

「だな」

アギトは背を伸ばし、胸の中心で十字を切った。その顔には普段見ることのできない険しいものがある。

長い沈黙を乱すように夜風が扉を叩いた。

澄んだ空気が意識に溶け込むのが速かった。

「『双子の悪魔』についてクロノスはどこまで調べた」

「異名については昨夜初めて聞いた。俺が聞いたことがあるのは、過去の異名だけだ」

「馴染みがないから恐がる必要もないといいたいのか?  俺としては過去のほうが世界中に恐れられている気がするぞ」

「そんなことはない。敵に回ったら、やっかいだと思っている。ま、たとえそうなっても俺は戦うつもりは一切ない」

正体不明がクロノスの代名詞となっている現在、情報漏洩を避けるために必要最低限の人間にしか体のことは話していない。だから、感覚的に言い当てたアギトの能力を買い被るような愚かなことはしない。見方によってはどの仕種も精練された動きのように思える。

フィンも日常と一体化しているが同じような動きをしている。こうしていることに自然と悲しさが溢れてくる。壮絶な戦いの日々が二人の子供を強くしたのは事実だろう。だが、この二人が求めて欲した代償は大きかった。

「お前と戦ったらフィンが悲しむ」

命を狙われることに恐怖はないにしても、妹を失うことを恐れている様子は先日のことでわかる。危険を冒してまで日常を維持しようとする行為を、台無しにしたくない。この二人に共通するものがあるからだろうか?

「それは同感だ。俺もお前を殺してフィンを悲しませたくない」

その瞬間、アギトの表情が曇ったことにクロノスは気付かなかった。

「さてと、そろそろ行くとしようか」

教会を出てからの行動は早い。大陸の性質か国境同士は深い渓谷に阻まれており、他国からの侵入者は少ないようで警護は手薄だった。ときおり、闇を支配する魔物からの威嚇が放たれる。それにアギトが瞬時に殺気をぶつけ、押し返すとなにも聞こえなくなった。

耳を澄ませば枝木が折れる音がする。こちらの警告を理解するだけの本能が宿っていたかどうかはわからないが、不要な戦闘は避けられるようだ。

(裏世界で活動していた羽根たちが動き出しているのには……この二人が目的なのか)

ガーランド帝国に派遣されたのは魔物による騒動が鎮静化するまでの予定だ。問題がなくなるか、あるいはマリアから指示が出ればこの国からは去ることになるはずだった。

目の前にいる二人との出会いが、クロノスが持つ運命を大きく捻じ曲げた。胸の奥のざわめきが治まらない感覚はあの時と似ている。世界に混沌が渦巻き、大切な者たちが消え去ってしまった戦場を思い出させる。

この二人が同じような状況に陥ってしまっているとしたら、この問題を見過ごすことはできない。あの時だって、自分を否定する世界を見捨てず半身に立ち向かっていった。気付いた時には全てが遅いと知っているから。

「俺の日常もお前には知っていてもらいたい」

アギトが走りながら背後にいるクロノスに言った。

「今夜は風が騒がしいな」

走り去る風によって森の海が波を立てた。山を二つ越えてからアギトの動きが変わり始めると、クロノスも動きを変えた。セリュサには事情を話してきた。セリュサにしてもクロノスがピンチになる事態が起きるとは考えていないようで、そのことになにかを言うことはなかった。

クロノスが身に付けているマントに施されている術式と、月の加護、そして確かな実力があるからだ。セリュサは初めて会った日と比べたらいい目になったと思う。こうした状況の中でも的確に物事を判断し、自らの実力に合った行動が出来るようになったのは成長として大きい。

ある一定から推し量ることのできない力量差を理解することができればそれだけ危険は減る。

(なんとかなるだろう)

彼女の実力は買っている。羽根の連中と交戦したときに予想よりも腕を上げていたからだ。今回の狩りによっては相手の目的を知ることができれば、その背後関係もろとも引きずり出すことができるかもしれない。

「それで、今夜はどこに向かうつもりか教えてくれよ」

「ダルガヤルダの砦。そこが羽根の隠れ家になっているらしい」

マリアが寄こしてきた書類に書かれていたことと同じ。アギトを先頭にして魔力感知に触れない形で進む。相手の警戒心の薄い場所を的確に移動する技術は見習うものがある。

(情報通りか……)

今朝も思ったことだが、いまの状況はおかしい。羽根といういままで尻尾を掴むことが難しかった組織がここにきて簡単に尻尾を掴ませる理由。ギルドにこの情報が届いたのは三日前なのに敵が退去していない現状に、クロノスは妙な引っ掛かりを覚えていた。

アギトは前しか見ていない。その表情からは怒りの念と静かな殺意の念を感じる。全ては日常を守るために。

フィンのことを聞いている彼の態度がそれを示しているし、さっきの言葉もそういう風に思えてくる。

「悲しいな……」

そんな言葉を呟きながら、クロノスは眼前に映る岩山に黙祷を捧げた。




例えるなら嵐だ。

膨大な魔力が砦を削り去った。

遠距離から見つめているクロノスには砂埃で視界が悪い中、必死に応戦し散っていく羽根たちの声しか聞こえてこない。絶叫するようになにかを叫ぶ声に、アギトがなにを思うのか、クロノスにはわからない。鉄の臭いが風によってクロノスの下まで漂ってきていた。

真紅に染まるまで刹那の時間も必要なかった。悪魔は一方的に視線で相手を射殺し、動く前に体を引き裂き、背を向けるものに容赦のなく拳を叩き付けた。そんな中で、クロノスは表情を変えることなく耳を澄ますことに集中する。

相手には同情するが助けることはできない。彼らは動くのが遅すぎた。情報漏れた時点で、あるいは可能性の一つとして考慮していればよかった。

この場所が安全だという固定槐念を捨て去ることができていれば、誰かしらは生き残れたかもしれない。

「いまのところ収穫はなしか……」

クロノスの強化された聴力は、戦場で逃げ惑う連中の足音まで正確に聞き取ることができる。沈黙を貫くアギトに発する言葉は助けを請うもので欲しいものではない。

(俺と大して変わらない年頃なのに、セリュサとは違ってこいつは悲しい運命を強いられているのか)

数奇な運命によって選ばれた魔術師といっても彼らは若い。環境が人間を変えてしまうことがこれほどまでの影響力を及ぼすことは、残酷以外に言葉が浮かばない。どうして彼らには安息の時間が与えられないのだろう。

アギトのやっていることはただの復讐でしかない。だが、それゆえに築き上げられる未来があるのなら、別のようにも感じる。ただし、いまの彼が纏う修羅の雰囲気からは殺戮行為を楽しんでいるように感じる。荒々しい息づかいに次第に魔力が含まれる。

アギトが呼吸するたびに、全身から具象化する魔術の矛先に乱れが生まれ、雑になって暴れまわる。そして、激しさが増すごとにクロノスは魔力密度を高めた。

限界を超えたときに暴走を止めなければ肉体に悪影響が出てしまうからだ。

(あ、終わった)

視線の先でアギトの胸が最後の一人を貫いた。鮮血に濡れた腕が引き抜かれても立ち続けている。そしてその時にはすでに、アギトは元の冷静さを取り戻していた。

血を吐き続ける姿を眺めていた。べったりとついた血を遠心力で振り飛ばすと指先で額を押して地面に倒す。全身を破壊する痛みに声は鋭かった。風によって露になる戦場は死化粧によって赤く染まっていた。

人間の体が無差別に所々に転がっているのは見ていて気分がいいものではない。

内臓が健康な色合いで微かに動いている様子は生を懇願する連中の意思に思えた。

茫然と流れる時間を体感する中で、アギトはいまだ死なない最後の一人に自らの胸の内を明かした。

「数で多ければ勝てると本気で思った時点で、お前たちが死ぬことが決まっていた。俺たちの目的の邪魔になる者は誰であろうと殺す」

こんな状況になっても、アギトの気持ちは晴れることなく全力で確かな形で向けられている。クロノスのいるところにまでそれは伝わってきた。

「お……まえたちはいつ…までこんな……ことを」

まだそれを言えるのは奇跡に近かった。

「それは逆に俺からお前たちに問いたいことだ。いつまでも周囲をうろちょろされても迷惑だ」

「馬鹿……」

この人物の口元がつり上がるとアギトの表情がより険しくなった。拳に魔力が急速に集まり始めると地面が揺れ始めた。アギトの周囲に亀裂が走り、相手の体を拘束するように押える。このときになってようやく、クロノスは移動することにした。

「大翼がいずれお前を殺す」

「だったらそいつらも皆殺しだ」

相手の言葉にアギトの返事は簡単だった。

「じゃあな」

拳が頭部を飛ばした。手を引き抜くと纏わりつくものを払い無意味に服で拭いた。巨大なクレーターの近くに着地するとクロノスは周囲の魔力を操って水溜りを一ヶ所に集め穴に落とした。

本当の静寂が訪れた。

「無茶な戦い方だな」

クロノスに服を綺麗にしてもらうとアギトは首を振った。

「いままでこうやって生きてきた。いまさらやり方を変えられない」

アギトは穴に向かって手近にあった石を放り込んだ。どうしてこの二人が狙われなければいけないのか、ここまで必死に戦わなければいけないのか、わからないことだらけだ。

「理解できない」

「なにがだ? 」

「アギトとフィンが羽根狩りを続けなければならない理由だ」

「……それは」

「いまの戦いを見ている限り、アギトの実力はどのギルドでも通用する。フィンも同様の実力があってもおかしくない。羽根の連中の目的はお前たちにあるようだが、ここまでの力量差を見せ付けられても戦う必要はないはずだ」

過大評価だとしても圧倒的な戦いだった。たった二人を相手にするとしてもありえないことだ。残存戦力のことなどクロノスには知ったことではないが、実力に反して戦力に差がありすぎると思う。これでは無駄に捨て駒を増やしていっているに過ぎない。局面を見るなら、軍配はアギトたちに向いている。

「これに関してはフィンも知らない。あくまで俺一人の問題だ。だからこれだけはお前にもいうことはできない」

アギトはそこまで言うと、クロノスをまっすぐに見た。

「俺はフィンに幸せになってもらいたい。ただそれだけだ」

「そうか」

「何も言わないのか? 」

「お前の夢に俺がケチをつけるわけにはいかないだろ」

空を見上げるクロノスに、アギトは安堵の表情を浮かべた。確かに、クロノスが口を出すことではない。だが、ここまで彼を突き動かす真意が一体なんなのか?

二人を狙う組織の本当の目的がなんなのか? クロノスの前には問題が残るだけだった。


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