魔法学園
時間とはお金に換えることのできない貴重なものであると同時に退屈を感じさせる厄介なものだと思う。
昔はがむしゃらに前に進むことだけを考えていたから時間が早く進むことに苛立っていた。目的を達成するために費やしていった時間が結果に繋がっているのか、見届けるためにも現在を色濃くしていきたいのは我が侭だろうか? 真新しい扉を叩くと勝手に開いた。
外観とは裏腹に改築前と同じ広さの部屋には大量の紙束と戦う女がいた。
「おはようございます。マスターマリア」
礼儀正しい姿勢で一礼すると、紙束と崩さないように慎重に歩くセリュサはマリアの前に移動する。
ギルドとしての知名度が高いのに対し、少数団員で運営しているのでギルドマスターであるマリアの仕事量は底を知らない。毎日、書類と戦う姿がここにきてからの印象として根付いてしまった。マリアが顔を上げた。
「早かったわね。中央支部の癖がまだ抜けていないのかしら? うちはそこまで気を張り詰めなくても大丈夫よ」
「染み付いているものを抜くというのはなかなか難しいものです」
「それもそうかもね。ところで、クロノス見なかった? 」
普段なら目の前のソファーで転がっている怠け者の受付係の姿はない。休みの日は大概、ここで転がっているというのが彼の一日だったはずだ。
「見ていませんがどうかしました? 」
自分のパートナーの所在を聞かれてもセリュサには首を横に振るしかできなかった。
パートナー契約を結んでいても基本、彼の行動時間がセリュサと正反対なために接触することが少ない。一緒に行動するような依頼がくれば別だが山積みにされている完遂された依頼書を見る限りそれもなさそうだ。
「クロノスにお願いしたい依頼がきたから話したかったんだけど、まだ寝ているのかな?
昨日も溜まっていた依頼まとめて片付けてもらったし、別にいいんだけどね」
「本当にクロノスは反則ですよ」
クロノス・ルナリアは天空の使者クロノア・ルナリアと血を分けた姉弟であると同時に、いまは亡国となってしまった三大王国の一つクリスタル王国の王の一族だった。過去形になっているのは彼の姉が一夜にして滅ぼしてしまったからだ。
それを止めるために戦った弟は超古代の負の遺産と呼ばれる禁術を受け、不自由な体になってしまった。呪印と呼ばれる刻印は、刻む文字一つで絶大な効力を与える。クロノスが受けたのは『孤独』と呼ばれる魔力封じだ。その影響で昼は一般人として受付係、夜は魔術師として生きている彼の姿は皮肉なことに呪印の名を表している。だが、力を封じられていてもクロノスが弱くなったかと言われれば首を横に振る。
魔力が戻る条件を満たせば時間制限が掛けられているが魔術師としての力を振るうことができる。また、彼が身に付けている耳飾りにはディアソルテと呼ばれる魔人が封じられており、双方の意思で現世界に具象化させることができる。
ディアソルテはクロノスが幼少の頃、クリスタル王国の地下宝庫で見つけた超古代の負の遺産の二つの内の一つだ。もう一つは数ヶ月前に戦ったイリティスタと呼ばれる戦鬼が封じられていた。天空の使者の持ち物だったこともあって、戦闘の余波は世界規模に及び、現在進行形で影響は広がっている。その際に現れた異次元空間の中から、クロノスに音の使者であるレン・リッジモンドから近いうちに異次元空間が崩壊することを告げられた。
異次元空間の亀裂から漏れたクロノアの魔力、覚醒したアルビノの因子、異常魔力は侵蝕を続け様々な生物に悪影響を与えた上で、異形化させる。
アルビノは一つの問題として世界中で取り上げられていた。アルビノとなった者は常人にはない特殊な能力を得ると云われている。しかし、他人と違う異能力を持っていることから周囲の一般人、魔術師たちから忌み嫌われている。三大王国を代表するクロノスは王の一族だが、両親のように国民には好かれなかった。
才能豊かな魔術師の誕生に笑顔だった人々が自覚するまで時間はかからなかった。化け物。誰かがそう言ったことをクロノスは忘れられないと言っていた。
存在を否定されたことよりも人として見られないことに恐怖を覚えたクロノスは能力でカバーした。クロノスが主に扱う月魔術は他者の深層意識や精神に影響を与える能力がある。その力を使って対峙した人間の記憶を操作して自分の存在を消す。
これがクロノスの考えたやり方だ。前述のように攻撃や防御というよりも補助的な役割の力と認識されているが、戦闘では他属性との組み合わせ次第で変幻自在の攻撃や防御を可能にするから使い勝手もいい。
そしてディアソルテ。彼女は耳飾りの中にいる間、ディアソルテ自身の魔力を消費して、『月の加護』という特殊な結界を構築している。これは他者の魔術的な干渉や攻撃から自動で防御することができる呪印の影響を受けている現在でも有効な鎧だ。あくまで、対象は魔力が関係する現象であって物理的なものからクロノスを守ることはできない。それでも本当に危険が迫っている時は勝手に具象化するらしい。
だが、月の使者と呼ばれる魔術師が苦戦することがないために彼女が具象化する機会は少ない。
実際、クロノスが苦戦する相手は現世界に存在しない。
それを裏付けるのが目の前で不安定な動きを見せる達成済みの依頼書たち。昨日の夜から朝方までにクロノスがたった一人で終わらせた数は調印を押すマリアに悲鳴に似た奇声を上げさせる。
だから、その答えは当たり前に言えることだった。
「もしそうだったら、クロノアは別次元だな」
勢いよく開いた扉の影響でギリギリを保っていた塔は宙を舞った。
「あっ……」
と漏れるマリアの声とは裏腹に、紙は生き物のようにソファーの前にあるテーブルの上に綺麗に積み重なる。指揮をするように手を動かすクロノスの手には新しい紙束が握られていた。
それを見てため息を吐くマリアは、セリュサに視線を投げかけるも冷たい空気に阻まれ届かなかった。
美人に睨まれると恐いとはこのことだ。
彼は男だけど……
「依頼をこなすだけで反則をコールされる覚えはない。悔しかったら太陽の使者様も同じことをしてみればいいだろ」
依頼の数は経験の数。いずれくるための戦いに備えてクロノスは急いでいた。実力に見合った依頼がない現状、質の悪さを量で補うしか方法はない。
諦めるつもりはないけど、危険意識が高まるレベルには程遠かった。
戦闘でクロノスは傷一つつかない。イリティスタやカリンとの戦闘を除けばここ五年でクロノスが戦闘で負傷したことはない。傲慢になった覚えはないが、危機感を得られないのは好ましくない。それでも立ち止まることが許されないなら前に進むしかない。
「ひねくれているところは本当に可愛くない」
逃げるという手段を選ばなかったのは成長しているからだろうか。それとも、この二人を前にしているから考えとして浮かばなかったのかはわからない。
クロノスは依頼書を手渡す前に一枚の紙を眼前に突き出された。すでに調印も押されているので、断ることもできない内容に目を通す。
依頼のあった国の名は、ガーランド帝国。それが、クロノスを迎える国の名前だ。クロノスは昼休みの鐘を屋上で聞いていた。寝心地の悪いベンチから起き上がると、隣には昼食のパンを手に持つセリュサがいた。
一見、普通に食事をしているように見えるが、周囲には結界が張ってあるので知的好奇心に満ち溢れている相手からの奇襲対策は万全だ。幻魔術で顔を変化させているクロノスとは違い、素顔のセリュサを人目見ようと近寄ってくる輩はあとを絶たない。
「マリアから送られてくる情報と事前に仕入れている情報に誤差はない。俺たちはここでのんびり学生やっていれば問題ないようだな」
マリアに提示された依頼内容は特定地域の護衛。言ってしまえばボルダラ大陸という小さな大陸全土をセリュサこと太陽の使者と守るのが仕事だ。それを円滑に行なうために今回は魔法学園にいるのだ。
「『三騎士』の連中やギルド連盟のやつらが勢力を分散させて、世界中で人々を守ってくれている。俺たちは俺たちに与えられた内容をこなせばいいわけだ。この大陸ではそれすらも必要ないみたいだな。平和で素晴らしいから拍手でもするか? 」
「“無闇に命を奪わない”があなたの主義ではなかったの? 」
袋の中からボリュームのあるパンを取り出すと、紅茶を注いだカップと一緒にクロノスに手渡した。肌寒い時期に湯気が立つ紅茶は見ていても和む。
「わたしとしては魔物なんて害するものとして一匹残らず滅ぼされてしまえばいいと思っているけど、あなたは害ある彼らの命すら重んじている。どういう風の吹き回し? 」
セリュサの言葉に、クロノスは千切ったパンを咀嚼しながらいった。
「イリティスタによる魔力汚染は俺にだってどうすることもできない」
装飾品に封じ込められている状態の魔力質ならクロノスにも取り除くことはできたが、クロノアの因子を持つカリンを取り込んだことによって魔力質が変化したことで不可能になった。
世界中に流れた残留魔力は自然界の魔力と混ざり合い結晶化し、放っておけば関わった生き物を異形化させることになる。それが増え続ければ人間を襲う可能性、最悪そこを中心に自然界の均衡が崩れることになりかねない。
異常魔力感染者についてはギルドマスターという立場ながら事情を知っているマリアが動いてくれている。
結晶化した魔力体に多重封印を施す作業は解析に長けるマリアにしかできないことでもある。そして、封印された魔力体を破壊するのがクロノスの仕事でもある。このことはセリュサにも知らされてはいない。
「異空間の亀裂から溢れ出したクロノアの魔力の影響もそうだが、俺が取り除けるのは純粋な魔力であって、属性変換された魔力は取り除くことができない」
セリュサがクロノスを見た。
「どんな魔術も万能でないことを知っていればわかることだが、物事には限度があり、限界が存在する。その限界の境界線を突破するということはプラスだけには働かない。同等か、それ以上のマイナス要因が必ず付いてくる。クロノアの魔力なんて多属性を混合させた厄介なものだ。体内に吸収したらそれだけで汚染される」
普通の魔術師が扱える属性は単一属性で各属性に則った魔術を扱う。クロノスやセリュサのように単一属性にもう一つの属性を融合させる『合成魔術』はその一段階上の技術だ、主属性とする属性に左右されるので、決まった形が定まっていないことが戦闘で優れる点だ。その反面、魔力制御や魔力消費量、術者のセンスがなければ形にならないのも確かだ。
だが、クロノアの天空属性はクロノスの見立てだと全属性を融合させた可能性がある。その特性はいまだにわかっていないが、相手取った限りはそれ相応にやっかいな能力だと思う。
「話を聞く限り、天空の使者って本当にすごい人なのね」
「そういう言葉は本人に言ってやれ、ものすごく喜ぶぞ」
言うと、クロノスは早速移動を開始した。午後の授業が間もなく始まるのだが、体の向きは死角になる物陰に向かっていた。と、クロノスが座った隣にセリュサも座り始めた。目が点になっている顔に首を傾げていた。
「ところで音の使者ってどんな人? 」
「人の身でありながら天空の使者と肩を並べるほどの実力者とだけいっておく」
「人の身ってなんか意味深な言い方ね」
「『神の化身』と同じ力を持つ魔術師なんて聞いたことあるか? 言っておくが、俺は本気のレンに勝てないぞ」
「じゃあ、クロノスって世界で三番目に強いってこと? 」
いままでの経験則で考えればクロノスは三位になる。その上はクロノアとレンになるのだが、いざどちらが強いか考えるとクロノスにもわからない。遊びで模擬戦闘をする以外で戦ったことがなかったから判断できないのだ。
「本気で戦ったことがないから俺だって把握していないが、少なくともクロノアとレンよりも俺は弱い。実際、俺はクロノアを止めることができなかった。でも、レンはクロノアを止めることができた」
自分の能力に自信がなかったわけでも、心に迷いがあったわけでもない。
あの時、クロノスは逃げた。
どこかで戦い続けることを逃げてしまった。
クロノアに指摘されたことは間違いではない。レンを犠牲に取り戻した平和は偽者のように感じる。そして自分がこうやって不自由ながら生きているのは物事から背を向けて逃げている自分への戒めそのものだと思う。
生きているのではなく、自分は生かされている。
これが罪だというなら、償うことを自分は望まない。
「クロノス……」
俯くクロノスを、セリュサはじっと見つめている。
本来の姿からは想像もつかないほど、いまのクロノスの意思は弱い。
呪いによって魔力がないことによるものかと考えたがそうではなかった。見つめ返してくるクロノスの瞳にセリュサはこの弱さがクロノス自身のものだと理解した。クロノス・ルナリアという人間の根源をここで垣間見た気がする。
だが、その姿はすぐに笑みで消された。
「お前がそんな顔をするな」
横から、クロノスの指が頬をつねった。
「……女の子に暴力を振るっていいと思っているの? 」
「ギルドメンバーの言葉とは思えないな」
そう言われてしまえば、セリュサには返す言葉がない。
「セリュサ」
名を呼ばれて顔を上げると遠くを見る横顔があった。
「お前はなにがあっても死ぬなよ」
クロノスの呟きがどう届いたのか、彼女は小さく頷いた。
その時、セリュサの心の中に一つの誓いが立てられたことをクロノスが知ることはなかった。
†
居室の窓から見える景色を見ていると出会ったときのことを思い出す。
「あの時は可愛い子供だったのに、育て方間違えたかしら? 」
資料整理が一区切りできたので、休憩中にマリアお手製の野菜スープを飲む。療養施設で過ごしている患者ように肝機能の改善や自律神経の安定、怪我の治りを早めるために複数の薬草も隠し味として入っているので少し苦い仕様になっている。
「そうかもな」
床で治療を受けていた子供がいまでは立派に反抗期、美しいものには棘があるというよりはクセが強いかった。
「ギルド連盟からなにかいわれたか? 」
クロノスがカップを置いてマリアを見た。
「別になにもいわれてないわよ」
執務机の上に置いてあった羊皮紙を手渡し、スープに口を付ける。味に納得がいかないのか、ブツブツ呟き始めた。
クロノスは羊皮紙を一通り眺めると、手の中で塵に変えた。見ないほうがいい内容だった。ゆったり流れる時間を体感するのは久しぶりだった。
窓の外で緑が揺れている。
五年前は、ゆったりした時間を過ごしている暇はなかった。イリティスタのこともあった。戦闘に関する問題もあった。なにより、クロノスは自分を見失いかけていた。呪印による影響によって一般人と魔術師の肉体変化に心身のバランスが崩れてしまっていたのだ。
マリアが側にいなければ暴走を繰り返し、自滅していただろう。あるいは、本当の意味で人外になっていたか……
「月の使者が生きているといっても最初から正体不明だったから世間に広まっても無意味よね」
「それでも『大翼』と『羽根』は動くだろ」
窓の景色から目を離し、クロノスは壁に貼り付けてある世界地図を見た。
「それは残念。時すでに遅いってやつよね」
マリアも視線を向ける世界地図には複数個所に×印が書き加えられていた。表沙汰になったのはクリスタル王国が滅んでからすぐのこと。クロノスが目覚める前から活動が行なわれていた。相手の行動パターンに関連性がないためどういう目的から行なわれているのかはいまだに謎に包まれている。銀色に赤いラインが入った羽根と黒い羽根。共通するものとして羽根というワードからギルド連盟は犯人像を浮き彫りにした。天空に鳥が飛び立った、ということをだ。
それは学園からの帰り道に、セリュサが呟いた。
「最近思ったんだけど、『神の化身』とわたしたちの違いってなに? 」
なんの脈絡もなく、とりあえず本人に聞くというのが人間というものなのだろう。
「なんだ、いきなり? 」
これもまたお決まりの返事なのは仕方がない。
「あの時にマスターマリアから教えてもらったけど、難しくて」
「ああ、残念な頭でよかったな」
「口が悪いのはもともと知っていたけど、ここまで悪いと致命傷よね。いまはどうでもいいけど、クロノスとわたしって同じ人間でしょ。基本的に体内構造や精神構造に大きな違いはないって聞いているけど、実際はどうなの? 」
実際はどうなのと聞かれても普通に人間をやっているから、頷く以外の選択肢は用意されていない。それとも一度病院で腑分けされろと残酷なことを言われているのだろうか?
とりあえず異常ではないだろう。
「そんなこと考えたことなかったな」
アルビノと言われてからは人とは違う扱いを受けてきたから、それが一般的にどこに関係しているのかまでは論じたこともなかった。
「アルビノは人間的諸機能に影響するよりも潜在的能力に起因するとクロノアが言っていたような気がする」
「クロノア・ルナリア……天空の使者って本当に博識なのね」
「世界中を探してもアルビノとして覚醒したのは歴史的にみてもクロノアだけだろうな」
「天空の使者の正体も驚いたけど、改めて彼女が行なってきた戦果にわたしは驚いたよ。極悪非道の闇ギルド『蒼の靴』の壊滅。魔物数千万と一騎打ち。三大邪宗教『三本柱』の殲滅。伝説の眠れる魔竜アポカリプスの討伐。最古の魔術書の解読と応用魔術の開発。有名魔術師千人と学力対決。他にもたくさんあるし、噂話だからどこかで尾ひれが付いているかもしれないけど、すごい魔術師なのは本当なのよね。文武に加えて芸術方面にも特化した超越者。アルビノに覚醒するとこんなにすごいことができるの? 」
「その話は全て本当だが、覚醒する前の話だ。覚醒した後は大罪人の烙印を押される以外なにもしていない」
天空の使者が関与するだけで世界の流れは止まらない。彼女の手にかかれば世界が最高の文明を築くのに時間はかからないだろうともいわれている。
「アルビノのことは俺にもよくわからない。ただ、本人のなにかをきっかけに覚醒するらしい。覚醒後は本人の意思で自由自在に力を引き出せるとか言っていたな」
「自由自在ってアルビノって異能力者の総称じゃなくて、魔力みたいなものなの? 」
「詳しいことは俺にもわからない。クロノア本人に訊けよ」
「それは名案かもしれないけど、世界の破滅と引き換えに訊くほどの価値はないと思うよ。天空の使者は世界の敵だもん」
「世界を敵に回すなんて俺には真似できないことだ」
「そう考えると、世界って小さなものよね。たった一人の人間を必死に消そうとしているなんて」
セリュサのどこか攻めるような言葉に、クロノスは空を見上げた。
「いつかクロノスもアルビノとして覚醒する日がくるのかな? 」
雲が流れて星が現れると、沈む夕日に映った長い影が重なった。
「俺はアルビノに覚醒しない。それだけは断言できる」
「だと、いいね」
オレンジ色に染まっている道に、クロノスはそれ以上の言葉を言わなかった。
仕事を終え、クロノスはギルドに向かっていると道端でマリアが待っていたちょうどいいからと掴んでいる魔術師を放り投げた。
心身のバランスを調整するのに難易度の低い依頼を行なっていた。主に犯罪に手を染めた魔術師の捕縛、野生の獣や魔物の被害をなくす仕事だ。比較的平和な土地でも不安要素はあるらしく、今日も外から流れてくる魔術師が犯罪行為を行なう場面が多かった。呻き声を上げる女にマリアがそっと手を当て、触診を始めた。
「異常はないみたいね」
「魔縛りで身動きがとれないだけだろ」
「違うわよ、クロノスの体のことよ」
夜に紛れた表情を見透かされているような気分だった。だが、耳に届いた声はどこか安心しているように聞こえたのは気のせいではないだろう。イリティスタとの一件で発動したクロノスのアルビノの力は確実に肉体に変化を与えている。人間の状態で高度数千メートルから海面に叩きつけられても瀕死の状態で死ななかった事実は確信を強めた。クロノスがそんな兆候を見せたのは、セリュサとの約束を思い出したときに違いない。
死に直面したことで垣間見たのか、それとも無意識に力を望んだ結果か、その全身から力が溢れ出た。容姿が変化し、魔力ではない力でイリティスタを消滅させることができた。カリンという障害がいなくても、本来なら呪印に縛られているクロノスには勝てる相手ではなかった。
しかし、クロノスは戦場で生き残ることができた。
世界に忌み嫌われているアルビノの力が、その思いを打ち砕き、描いていた未来を変化させた。あれからあの力を引き出そうと試みたが成功したことはない。それがなにを意味するのかまた謎が深まった。クロノスはどうしてあの力を望んだのか、少なくとも因子は数ある未来の中から最善の結果を生み出してくれた。でも、それが本当によかったといえばクロノスは納得できない。強欲にいってしまえば、この未来は最低だ。脅威から安寧は生まれず、新たな脅威が生まれたからだ。
本当に自分が望む未来。それは叶うようで、叶うことのない儚いものなのかもしれない。
「クロノスはどうして生きているの? 」
「はっ? 」
失礼なことを言われ、真顔でクロノスは口を開けた。
「生きると死ぬことの違いってなんだと思う? 」
「自覚があるか、ないかだろ」
続けるマリアに、クロノスは答える。
「答えのない問いだから、これに正解はないの。でも、それがクロノスの答えなのね。わたしの場合は心があるか、ないかだよ」
唐突な始まりに、クロノスは足を止めた。
マリアは風で揺れる木々の葉を見つめている。
雲が流れて白い肌が月の光を浴びて妖艶な美しさが伸びるように地面に立つ。それはどこか物寂しさを含んでいるようであり、陰のような印象を与えてくる。
「クリスタル王国が消滅した時、天空の使者がどうしてそんなことをしたのか、わたしはとても気になるよ」
クロノアがこの世界、世界の再生をどういう経緯で実行しようと思ったのか。クロノスだっていまだに気になっている。あの頃は自分よりも常に先を歩いていた彼女の背中を追いかけるだけで精一杯だった。そして、いつの間にか彼女と対峙して流れるように話はついた。マリアの知りたいのは彼女の心だ。最初から彼女だって悪ではなかったはずだ。
「クロノアが本当は望んでいなかったといいたいのか? 」
言葉の裏に隠された意味に耳を疑った。自然と強くなる言葉がクロノスから吐き出される。
「クロノアに心があったといいたいのか? 」
当人のいない場所で他人の心情を勝手に語るのは間違っているかも知れないが、あの時の彼女を知る自分としてはそんなことありえないと断言したい。
心があるならあそこまでの惨劇を引き起こす必要はなかったはずだ。多くの人の命を奪い、世界に混沌をばら撒いた彼女を許すことはできない。
「悪に染まる魔術師は確かに心が死んでいるのかもしれない。だけど、クロノアに限って心が死んでいるということはないかもしれない。本当にあの人は心の底から世界を憎んでいたのかな? 」
そう言って、マリアはクロノスの胸に人差し指を当てた。誰もいないギルドの扉はやけに重かった。命を重んじるこの場所にはいつだってこの空気が漂っている。星降る家の団員として仲間となる者たちは死に対して重んじることをギルドマスターから教えられる。
それは他人の命を助けたいマリアの願い。
戦いに死に向かう者はギルドには必要ないとマリアは考えている。危険に命を賭けることはよしとしても、最初から捨てるなら戦場には出さない。
戦う意味を間違えないでほしいからだ。
「時空使いの話だと、近い未来になんらかの変化があるとか」
古ぼけた写真を擦りながら、クロノスが呟いた。
「ええ、異次元空間の構築を維持し続けることは考えている以上に複雑怪奇。五年以上も維持している音の使者を彼は褒めていたわね。少しのミスが時間軸の崩壊を生むことになる。そうなればこの世界は次元の渦に呑みこまれるそうです」
話の限りでは危機を回避できるかどうかは五分五分、できたとしてもなんらかの影響は受けなければいけないというのが時空使いの見解だ。
「それはそれでクロノアの思う壺だな」
「恐いこと言わないでよ」
自嘲する声にマリアがため息をついた。転移魔法陣で女が消えるのを見送ると、クロノスが欠伸をした。
「なにもないなら家に帰ろうぜ」
「ちょっと待って、いつもの店に欲しいものがあるから先に帰っていいわよ」
「いい、外で待っているから終わったら呼んでくれ」
ベンチに寝転び、意識が薄らぐ感覚は嫌いではない。夜風に吹かれるというのも、少し動いた後だから心地よい。
「あなたの笑顔を守れるなら、わたしはこの命を捨ててもいい」
そんなクロノスに向かってマリアは小さく言った。それはギルドマスターの言葉というよりは彼女自身があの日に誓った思い。
触れれば崩れてしまうような淡い願いだ。
最近、こんな夢を見た。
誰かと戦っている夢だ。
あれ以来、よくこの夢を見るようになった。自分を中心に異形が誰かと戦っている。激しい攻防の中にいる自分の姿は金髪青眼だった。異形を従えている姿に、どこか懐かしさを感じる。戦っている相手の姿は黒い靄がかかっているので顔は見えない。
夢にしては肌に伝わる感覚が現実味を帯びている。
鼻で息をすれば血の臭いまでする。
空から迫る隕石を炎の巨人が握り潰す隣で、見覚えのある影が敵に向かって走る。長髪の銀髪と金色と青色の瞳。両手には複数の金輪が付いている杖が握られている。
別の角度から翼の生えた赤髪の美女が現れた。彼女には似つかわしくないほど巨大な光の剣を振り下ろす瞬間だった。完璧な一撃。だが、彼女たちの顔には苦渋が貼りついている。
暗黒の雨が天空より降り注いだ。波にさらわれるように光が死んだ。地面を見れば一面が荒野になっていた。見上げれば、見下ろしてくる。クロノスに向かって訴えかけてくるような視線。あるいはその逆か。
「お前の目的はなんだ」
鼓膜を破りそうなほどの轟音を響かせて、荒んでいく大地を尻目に消えていく相手の声を聞く。何度聞いても思い出すことのできない呟きにクロノスは心を傾ける。
『ねえ××××××××クロノス××××××』
優しく語りかけてくるような声色がこの時ばかりは強く残った。クロノスが幼少より聞いてきた頼もしい声だ。それでも、目が覚めてしまえば形は砂となる。煌々としている涙の意味を知ろうとは思わなかった。
†
ガーランド帝国の魔法学園に転入してから三日が経った。転入初日は廊下を歩くところから大勢の生徒の視線を浴びることになった。好機の視線もあれば、嫉妬もある。教師全員の紹介とカリキュラムの説明が終わると各自の教室に案内された。賑わいのある場所と認識すれば聞こえがいいが、ここはそんな生易しいものではなかった。
「ところでこの問題ってどう解釈すればいいの? 」
指定席の屋上のベンチに腰を下ろし、昼前に書き写したノートの文章の一部をペンで指す。複数の図形と簡易的な説明が丸字で書かれている。
正直、理解できなかった。
訂正の言葉として、教師のやり方が間違っているのではなく、セリュサのまとめ方に問題がある。学歴のない彼女はギルドで知識をつけたので、現象を理解している分、必要以上に簡略にまとめていた。ここまでくると説明するのも面倒だ。
「頭脳明晰が聞いて呆れる。これくらい自力で解いてみろ」
なにしろ、魔法学園は魔術師に必要な知識は基礎と応用までだ。
マリアに聞いたところだと、セリュサの学力は学園に転入した時点で現主席を追い越しているらしい。それなのに、彼女が頭を悩ましているのはその才能と志が基礎を飛ばして技を早熟してしまったことにある。
無数に枝分かれした記憶の引き出しを探っても出てくるのは完成された技だけだ。セリュサにとってなにかを学ぶということは新鮮なことだった。
昔から憧れていた場所に一時的とはいえ、通うことができるというのは嬉しい。隣にいるクロノスは気だるそうに制服を着崩している。一生懸命ノートに取り組んでいる美少女を横目に見ている中世的な少年の組み合わせは、どこか奇妙な空気を発しているのか、誰一人として近寄ろうとしてこない。
一つの風景画のような姿だった。
「そういうクロノスは授業とか寝てばかりで大丈夫なの? 」
「優秀な姉を持つと自然と頭がよくなる法則があるらしいぞ」
セリュサが軽く頷き、クロノスはそれ以上言わなかった。忘れていたわけではないが、クロノスには世界最高峰の頭脳を持つ姉がいる。わからないことがあれば誰に聞くよりもこと丁寧に必要以上のことまで教えられたのだろう。
「あなたも苦労していたのね」
ペンを回して悩んでいた問題に別れを告げる。基礎を飛ばしていてもそれを補うだけの理解力が備わっている。一つ分かれば、あとに控える敵を一掃するのに時間はかからない。
その時ばかりは子供のようにはしゃぐ彼女が学園の生徒ように見えた。出された分量だけをやるだけで十分だったのだが、勢いに乗ったセリュサの手は止まることをしらない。サラサラと書き綴られる文字にクロノスの心配はなくなった。
特にすることもないので懐中時計に目をやると追いかけっこする針が止まっていた。
ゼンマイをゆっくり回すと歯車の回転が手の中に伝わってきた。再び始まった追いかけっこを眺めていると、人混みを割るように複数の生徒が真っ直ぐこちらに歩いてきた。奇異な眼差しにセリュサもそこで手を止めた。
中央にいる派手な男は剣の柄を握っている。逃げ場がないように二人を囲う相手を無視して、クロノスは奥からこちらを見ている生徒たちを見ていた。目の前の奴らが来た途端に彼らの表情が変化した。
怯えのような視線は派手な男に向けられていた。
「お前たちが噂の編入生か? 」
派手な男が聞いてきた。
「どうでもいいだろ」
「そんな態度とっていていいと思っているのか? 俺はあの英雄フルールド・シュバリエの末裔だぞ」
「知らないな、そんなこと」
フルールド・シュバリエ。その昔、ガーランド帝国が築かれる前に侵攻してきた魔物の軍勢を一人で討ち止めた魔術師だ。彼は誇っているが世界規模から見ればよくある話で自慢するものではない。
(貴族の中でも中流か……それよりもセリュサの奴、逃げたな)
クロノスの返事で場の空気が変わったことに気がついたセリュサは無関係を装うように問題に取り組んでいた。その後ろには血の気が引いた青ざめた顔ぶれが並んでいた。そして、一人が静かにあとずさると増えるように出口に消えていった。反応から厄介事だと理解した。
(面倒だ)
新参者が目立っているのが気にいらないからと、喧嘩を売られることは過去に何度もあった。ここでは転入生としてクロノスは当たり障りのない立ち位置にいるはずなのに、関わってきたのは十中八九セリュサのせいで間違いないだろう。だとしたら、自分よりもセリュサに突っかかれと思う。それに学園にいる教師軍から生徒事情は聞かされていない。秘密主義が学園の特色だとわかるが、こういう事情は説明して欲しかった。書類を相手にするとは違って加減出来ない分、対処し難い。
(脅かすか)
「英雄の末裔なら、もちろん強いよな? 」
クロノスが魔術師でないことは実力があるなら相手もわかっているはずだ。魔法学園だからといってこの学園には魔術師だけがいるわけではない。
魔術に関係する事柄を学ぶ場所として一般人も通っている。一般人を魔術で攻撃することは学則で禁じられているし、英雄の末裔だからといって特別ルールも制定されていない。
あくまでも自分ルール。
破るならそれなりの罰が下されることになる。できることなら、無傷で終わらしたい。
「自慢じゃないけど、前の学園でトップになってから相手をしてくれる輩がいなくてね。退屈していたところだ。一戦どうだ? 」
ベンチから飛び上がると、空中で身を翻し上着を脱ぎ捨てた。
いまにも斬りかかってくる二人に視線を固定して、冷徹な笑みを浮かべる。微かな殺意に反応できたやつは何人いただろうか。
「今回は警告にきただけだ。次はないと思え」
口元だけを動かして、派手な男は去っていった。
「クロノスって怒ると恐いよね」
結局、気がついたのはセリュサだけ。わかっていただけに、実力の底が知れる。
「だったら、今後怒らすようなことをするな」
わざわざ学園を牛耳る輩が一般人であるクロノスに話しかけてきたことは警告を意味する。相手にならないから気にすることもないが、毎度この組み合わせでいる限り、クロノスに安息が約束されることはないと思う。
「今度突っかかってきたら、お前が相手しろよな」
流れる雲を数えながら、目を閉じると鐘が鳴った。
その機会が翌日の朝に起きるとは思わなかった。
「俺はいまだかつてここまでの馬鹿を見たことがないぞ」
登校中に昨日の連中に囲まれた二人は学園の敷地内で人気の少ない場所に誘導された。
「……確かにわたしもここまで偏った思考の人に出会ったのは初めてかも」
武器を片手に優越感に浸っている相手に呆れて言葉も出ない。さすがのセリュサもため息を零した。戦いには兵法と呼ばれる戦術がある。主に戦いにおいて自分に有利な状況を作ることを意味するのだが、この場合はどう解釈すればいいのかクロノスにも答えられない。
数で攻める……百人ほどの生徒たちに二人は囲まれている。
「腕が立つらしいから、ご希望通り学園中の実力者を招集してやったよ」
宝石をあしらった装飾剣を握り締め、クロノスに話しかける男は笑っていた。
「一戦願ったのは俺だが、翌日に集団で向かってくるのが英雄のやり方ならいわせて貰う。これはどうしようもない馬鹿のすることだ。他の連中はどういう気持ちでここに立っているのか知らないが、俺たちは手加減するつもりはないぞ」
そう言って、昨日よりも強く殺気を放った。
「脅しても無駄だぞ、落ちこぼれ」
殺気に気がついている訳でもないのに、堂々とした態度にクロノスは表情を曇らせた。咄嗟にセリュサが前に出ようとするが横から伸びた手に阻止された。
頭では横を向きたいのに体がその方向を見ようとしない。
「お前は魔導具を扱うことに長けているようだが、純粋に魔術を発動することが出来ないことはわかっている。この状況、許しを請うのはお前のほうだ」
剣に魔力を収束させ、クロノスに切っ先を向けた。
「あの……それ以上、言わないほうが……」
その言葉を正しく解釈できた者がいたなら、きっと無傷で授業を受けることができただろう。また、相手の実力を見定めることができる眼力を持つ者が騒いでくれればよかった。
「落ち着いてクロノス、昨日の話だと今度はわたしの番でしょ。我慢、我慢……だよ? 」
士気が高まる敵勢の声を振り払って、クロノスに言い聞かせる。
「セリュサ」
「はいっ!」
「俺がやるから、黙って見ていろ」
言い聞かせられなかった。そこにいるのは魔術師ではなく、クロノス・ルナリアという一般人の姿。
常識人なら魔術師に勝てないことを知っているから喧嘩をしようとしない。魔術が当たれば大怪我どころか死んでしまう。『魔術師は力をもっているがゆえに力に呑まれてはいけない』。誰もが最初に習う魔術師の心得を彼らは一時の感情で消してしまっていた。
これが次世代を作る魔術師だと思うと悲しくなる。
そして、彼は怒っている。
「俺はコレ(ディアソルテ)を使うから、お前たちはなにを使っても構わないぞ」
「調子に乗るのも大概にしろよ」
クロノスの意思を読み取って耳飾りが両手にトンファーとして現れる。
「受け身くらいはとってくれよ」
「なっ!」
視界から消えた姿を捉えたときにはバタバタと倒れる音だけが耳に届いた。独特の金属音の響きもなく、呻き声もない。後からじわじわと腹部を襲う痛みに意識が薄らいでいく。
「見下ろされている気分はどうだ? 」
半開きの向こうに映る影に向かって剣を突き出した。そこで初めて金属音が鳴った。体勢を変えるために跳躍するときに地面を見て驚愕した。全員が地に伏せていた。いつ間合いに入られたのか、タイミングは?
こんなはずではなかったと言葉だけが脳内を疾走する。
「お前にたちにお似合いの姿だな。滑稽過ぎて反吐が出る」
クロノスは呻いている一人を蹴り上げると男に振り返った。
「お前たちは何者だ。ここはガーランド帝国でも五指に入る学園だぞ!」
「そんな入学パンフレットにも記載されていることを改めて言われても俺たちはなにも思わないぞ。五指に入る学園でも、術者全てが強者になれることはない。自分を鍛えず、流れに身を任せるだけの負け犬は永遠に吠えていろ」
ただの落ちこぼれなら今頃は自分たちが優位に立ち袋叩きにあっていただろうが、クロノスをその枠に収めることは失敗だった。
「魔術師の理を破ったお前たちには残りの学園生活を病院で過ごしてもらう」
「ま、まってくれ――」
相手の力量をここにきて判断した男は身振りで降参を表現しようとした。が、言葉虚しく激烈な一撃は男に眠りを送り届けた。相手が油断していただけに短時間で片付いてしまったことに驚いた。実質、耳飾りは武器化しただけでクロノスは身体能力だけで倒してしまった。
「とりあえず、誰かに見つけてもらうために積み重ねておくか」
鍛え上げられた脚力で宙を舞う生徒たちは不安定な山となった。
「良い学園は敷地内が充実しているから、放課後までには誰かが気がつくだろ。俺は規律を破る馬鹿と口だけの連中が大嫌いだ」
「知らないとはいえ、仮にも世界最強の一人に落ちこぼれって……日常で戦慄するなんて思いもよらなかった」
「無駄口をたたく暇があったら、セリュサも掃除を手伝え」
被害者だったのが結果的には加害者になってしまった。学園内での暴力沙汰を仲裁するのもセリュサたちが請け負った依頼内容に含まれているから学園側からはお咎めはないと思うが、被害者となってしまった彼らの家族にどう説明すればいいのか頭が痛くなってきた。
「それはそうだけど……!」
どこか不安そうな表情のセリュサが塀の外に視線を向けると、同じ制服を着ている生徒が物凄い速さで走りすぎていった。
「ん……? 」
横目で見ていたクロノスが体を向けると、物騒な得物を持った集団が走り抜けていった。全身黒ずくめで背中には同色で作られた羽根の刺繍が施されていた。
「ほう」
その光景だけならクロノスはセリュサに任せて無視をした。生徒が賊の類に襲われているだけならセリュサ一人で出向けば間に合うと悟ったからだ。だが、生徒を追っていた集団の背中にあった刺繍を見ては話が変わってくる。
「クロノス、わたしちょっと用事が出来たのだけど、あなたはどう? 」
「奇遇だな。俺もちょうどいま用事ができた」
「変なところ触らないでね」
セリュサが答えると、クロノスは首に手を回して背中に乗る。瞬時に強化魔術で違和感を消し去ると大きく跳躍して柵を越えた。魔力感知を行使すると反応のした場所に向かって走り出した。
最初はクロノスのことも考慮した速度で走りながら、クロノス自身を自分の一部として肉体強化を施し徐々に速度を上げる。
草木が揺れるよりも早く疾走する二人は吹き荒れる風のように突き進んでいった。目的の気配を捉えた。相手に追跡を悟られないように魔力活性を抑えると、セリュサは弧を描くように迂回を始めた。
「わたしたち以外にも客がいるよね」
「高みの見物ってところだろ」
クロノスが答える。こちらにわざと気配を教える意図は不明だが、所定の位置から動かず同じ目的を持っているところ、戦闘の意思はないようだ。
黒ずくめの集団は変わらず、無抵抗の少女に向かって殺傷力の高い魔術を放ちながら追いかけて走り続ける。少女を捕まえるだけなら、人数を分散して死角から攻めるなど、方法もあるはずなのにそうしない。
緑が減り、石ころが増えていったところで金切り声がした。気配が一つ消えたことをセリュサが教えてくれた。残っているのは八人。それだけの人間の猛攻を避けながら、ここまでの長距離を移動して反撃する少女の力は計り知れない。
「あの女どう思う? 」
「危険としかいえないかも。内在する力の波動が異質すぎる」
「そこまでわかるなら、まずまずか」
セリュサはわけがわからず首を傾げるが、クロノスには一つの確信がある。物知りな姉と十年以上もの長い間、魔術師として活動してきたことで得た経験は大きい。魔術師が無意識に放つ力の波動を異質とセリュサが感じたのは文字通り彼女が特殊な能力を持っているからだろう。
「あの女を追うことで、もしかしたら俺たちをここに送り込んだマリアの意図がわかるかもしれない。関係がなくてもあの強さはほっておけないな」
「わたしの頭の中のリストに記録がないのは、彼女が無所属だから? 」
ギルド連盟、ブラックリストに彼女の顔は登録されていない。ギルドとの関係性を考えたのは単純に強い魔術師はギルドマスターにスカウトされるセリュサの経験からのものだ。思い当たらないとしても世界は広いので強者がギルドに所属していなくてもおかしな話ではないのだが、目の前で繰り広げられている現状は、明らかに常軌を逸している。
それに特殊な能力を持っている術者が野放しになっていることも問題だ。能力によっては危険因子としてギルドが保護しなければならない決まりがあるからだ。
「細かいことは気にするな。見極めることはいつでもできる」
暴力に訴えかけるやり方は最終手段として、なるべく穏便に済ませたいのが本音だ。下手に刺激して能力を暴走させられたらいまの世界事情を悪化させることに繋がるかもしれない。
クロノスの考えに同意したセリュサは見晴らしのいい崖の上に着地した。ところどころ破けた制服を着ている少女が視界に入った。採掘場のような地形は周囲を崖としており、隠れる場所がない。一瞬、少女の足が止まった。それを待っていたように多方向から魔術が放たれた。放物線を描く炎槐と氷槐が少女の頭上で衝突、崩れる氷塊の一部が水となって凄まじい蒸気で視界を封じた。そこに雷電が炸裂、蒸気に感染し雷の結界を完成させる。水の特性『束縛』と雷の特性『収束』を応用した結界は魔力を注ぐほど威力と強度が上がり逃げることができない仕様だ。他者から己を守る結界も使い方によっては牢獄という名の攻撃になる。それに合わせて、さらに風魔術を用いて風の特性『圧縮』が結界の範囲を狭め威力を底上げしている。結界内に風で荒らすことによって一定の流れを乱し、無作為に襲い掛かる風刃で切り刻むと同時に雷撃が行動を阻害する。
見事な連携攻撃に反撃ができる隙はない。
大規模な魔術に見える攻撃だが、個々の特性を上手く利用した方法なので魔力消費も少ないと見る。一介の魔法学園に通う生徒が対処できるレベルではない。技術もさることながらここにもっていくまでの展開の流れに無駄がなく、上手い。敵ながらいい見本になる戦い方だ。
しかし、クロノスがここまで評価している敵たちは攻撃の一手を止めようとしなかった。プレッシャーを与えるように時おり衝撃波で周囲を破壊することまでしている。結界を補強するように転がっている岩石が積み重なり壁のように変化する。ここにきて少女の完全に自由が失われた。巨大な剣が空に向かって突き出るまでは。
突然のことだった。不動の攻撃の中、無機質な土色の巨大な剣が結界を両断した。たったそれだけのことで続いていた連携に隙ができてしまった。黒い影が結界の隙間から飛び出すと頭上に漂う剣で崖の一部を切り裂いた。破砕音と爆発音が閃光と一緒に辺りを埋め尽くした。
「隠れていないで、出てきたらどう? 」
地面に突き刺さっている剣の上に立つ少女が声を上げる。学園の制服を脱ぎ捨てる表情はあどけない幼さを残しつつ、暴力に飢えた獣のような冷酷な雰囲気を漂わせていた。
「あの程度の攻撃では殺せないですか。上役に聞いていただけに信じられないというのがわたしたちの感想ですね」
少女の正面の崖から響いた声に視線を向けた。
「残り六人か……」
剣で切り裂いた崖を見ながら、クロノスは呟いた。派手な効果演出の割には綺麗な斬線が残されていた。大質量の剣圧に潰されているとすれば骨も残っていないだろう。
「最近、あなたたちの関係者が学園周囲をうろついているのですが、狙いを教えていただけないですか? 」
彼女の話から推測すると、彼女は追いかけられていたのではなく学園から彼らを引き離していたようだ。それだけでクロノスには十分だった。剣を消失させると少女は崖に着地した。長い髪は癖が強いのかひどいうねりをみせていた。
白く柔らかそうな肌には無数の古傷が露出している。生きてきた世界が過酷なことを意味していた。同じ女としてセリュサは言葉を失っていた。
「命の心配をしなくて余裕だな」
黒ずくめは笑って答えた。
「お前の命を握っているのはこちらだ。ここら一帯には仲間が待機している。逃げようとした瞬間、お前の命は終わる」
「……あなたたちは自分たちの目の前にいる者をどうして消さねばならないのか理由を知っていますか? きっと上層部から消せとだけ言われただけでしょう。標的の実力も知らずに、捨て駒なんて可哀想です」
「標的の実力なんて知らなくて結構。強力な魔術師でも学園に通っている以上、能力に制限を掛けているはずだ。弱体化している相手に我々は怯えない。殺してしまえば全て同じだからな」
「あなたたちはこのような無意味な争いを何度繰り返せばいいのでしょうね」
「無意味かどうかは、お前の骸に聞いてみろ」
男が視線で合図を送る。
「セリュサ」
「わかっているよ」
離れている距離が一瞬で詰められる。あれだけの猛攻を回避した少女に向かって今度は鈍い光を放つ剣が振り下ろされた。少女は両手を下げたまま黙って立ち尽くしていた。逃げる素振りも見せずに、剣の軌道を観察し続ける。少女は動かない。そして、目を閉じた。剣先が少女の体を切り裂くことを受け入れたと相手は思ったに違いない。だが、物事が必ずしも上手くいかないように突然空から降ってきた黒い影が少女の目の前に銀色のマントをきた少年が現れた。少年は少女をマントの内側に入れるとその場で体を回転させた。剣が折れた。連続して振り下ろされた剣戟は何の変哲もないマントに触れた瞬間、接触箇所から簡単に折れてしまった。
「皮肉だが、このマントは本当に重宝するな」
慌しさが落ち着きへと変わった頃、クロノスは小さく呟いた。
「見たことない方ですね。てっきり兄かと思いました」
「それは悪いことをしたな」
知らない声に目を開けた少女は首を傾げて、次に顔を赤らめた。クロノスに背を向け小さく蹲ってしまった。小声で呟いている声に耳を傾けると「見られた――」と聞こえた。そこで少女の衣服が破けていたことに焦点がいった。マントを外すとそっと頭に被せた。
「不可抗力だ。とりあえず、これで隠してくれ」
マントの中から見上げる少女に、クロノスは言った。
「いいえ、ありがとうございます」
体に巻きつけると少女は思考を切り替えたのか立ち上がった。背後を振り返ると、セリュサに拘束されている黒ずくめの一人と視線がぶつかった。突然の事態の変化に対応できたのはこの男だけらしい。他のメンバーは地面に倒れたまま気絶していた。
「まさか、太陽の使者が肩入れしてくるとは思わなかった」
「どこの悪人に名を覚えられているのかわかりませんがどういう理由があるにせよ、彼女を殺そうとした事実を見過ごすわけにはいきません。あなたたちを条例に則りギルド連盟に引き渡します」
セリュサの落ち着いた声に男は罪悪の欠片もない顔で応じた。半開きの口からは不気味な声が漏れ、濁った目は底なし沼に思えた。魔縛りで自由を奪っている立場なのに強く出られない自分がいた。目の前にいるのは本当に人間か? あの目を見ていると心のどこかがざわめいて気持ちが悪くなる。
「ぼやっとするな、早く部隊に連絡しろ」
クロノスが男に近づいて顔面を蹴った。岩壁に衝突すると男が顔を上げることはなかった。
「不殺主義なのはなにか理由があるのですか? 」
「俺も相手によっては殺すことがあるから、完全な不殺主義じゃない。こいつもそうだが、殺すほどの価値がない人間は生かしてやれ」
「そういうことにしておきましょう。ですが……」
少女は地面に倒れているほかの者には目もくれず、クロノスが蹴り飛ばした男に向かっていった。少女が手を前に突き出すと、男の頭上に光が集まりギロチンが現れた。
クロノスの目の前で彼女は笑顔で手を下ろした。刃が落ちた。地面を砕く音はセリュサを呼び戻すのに時間はかからなかった。反響する音に混じって激しい音が走る。
最後の言葉を聞くこともなく、唖然とした表情で固まった男の首が少女の足下に落ちた。それを少女はなんの躊躇いもなく踏み潰した。
「この男だけは殺すほどの価値があるので、殺させていただきます」
凍りつくセリュサを余所に少女は淡々と告げた。
「それでは自己紹介とまいりましょうか」
少女は、鮮血で汚れた顔を服で拭いながら足元の死体を蹴り飛ばした。クロノスは目の前のできごとに、なにも言わなかった。
†
少女はフィンと名乗った。同じ学園に通うフィン・ジークリンデ・ティタルニアというらしい。
そのフィンは一人で帰っていった。我に返ったセリュサが彼女に理由を聞こうとすると「なにもいえない」と言われた。
「では、明日学園で会いましょう」
そう言い残し、笑顔で消えた。
「あの子一体なんなのよ」
彼女が去った方向を見つめながら、クロノスは振り返って肩をすくめた。
「俺にもわからん」
このままフィンの能力と敵対関係に当たる組織との情報を聞き出そうとしたのだが、どうやら彼女はクロノスたちに話す気がないらしい。
「見た目に反して、こちらを警戒していたしな」
「間近で見ると危険な雰囲気はないのにいきなり豹変するし、情緒不安定なのかな? 」
「俺の周りにはいないタイプだったな」
それはクロノスに知り合いが少ないからじゃ、とはセリュサもいえなかった。
「ところでフィンさんが相手していた、この人たちは何者なの? 」
足下に残っている一人を指差す。無言で近づくとクロノスが黒衣を引きちぎった。
「ああ、こいつらが羽根だ。ちょうどいいからこの機会に羽根と大翼の見分けかたを教えておく」
身包みを全て取り去るクロノスにセリュサは顔を背けようとしたら、髪の毛を掻き分けた下の頬に羽根をあしらった紋章が刻まれていた。
その隣にクロノスが黒衣の一部を置く。
目を凝らすと黒い糸で羽根の刺繍がされていた。
凝った作品に呆れた。
「大翼と羽根は背中に羽根の刺繍と身体のどこかに紋章が必ず刻まれている。この男の場合はわかりやすく、頬にあるが中には見つけられない場所にあるから気をつけろ」
「もっと簡単に見分ける方法ないの? 」
セリュサの問いにクロノスは紋章に手を近づけた。すると、手から微弱な魔力が放たれた直後、紋章から反発するように魔力が発せられた。
「俺独自の方法だが、相手に向かって月の魔力を飛ばすと紋章の部分から強力な魔力反応が起きるぞ」
「わたしが太陽魔術のエキスパートで、対極に位置する月魔術が苦手なことを知っていていうの? 」
属性には相対関係があり、一方を極めると対極に位置する属性の修得が困難になると一般的にはいわれている。他にも火と水が打ち消しあう相殺、組み合わせることで威力を上げる相乗なども魔術師の常識として教えられる。オリジナル属性を除いて、太陽属性と月属性など特殊属性に分類されるものにもその関係性は当てはまる。それでも、例外がいるので信憑性は薄い。
「それはお前個人の問題だろ」
当たり前のように相対関係理論を打ち破るクロノスに、セリュサも頬を膨らませた。
「いいもん、これから使えるように頑張るから。そのときは指導よろしくお願いします」
気分を害すると思ったら逆にやる気に火がついてしまった。予想外の展開にクロノスは足取りが重くなった。
「あの女のことはマリアに調べさせれば問題ないとして、どうして羽根が狙うのかがわからないな」
「羽根が狙うから、クロノスの知り合いじゃないの? 」
「俺は今日初めて顔を見たぞ」
「なら、単純に天空の使者関係と考えたほうがいいよね」
染み付いた地面からセリュサは目を逸らす。だが、その地面の中に刻まれ傷跡から意識が離れることはなかった。
「これからどうする? 」
黙っているクロノスに耐え切れず、セリュサが口を開いた。
「とりあえず、同じ学園にいるなら俺たちに分がある。羽根の動きはギルド連盟に問い合わせて随時新しい情報を聞き出せ。羽根が動いているなら、大翼の連中も必ず動き出す。その前に接触して目的を吐かせる」
「もしも戦いに発展したら? 」
「逃げに徹しろ」
特殊能力を持つフィンと名乗る少女は、理由はさておき羽根と敵対していることは確かだ。それもあの傷からかなり前から戦っていると考えてもいい。それに移動中に感じた気配も、もしかしたら大翼の可能性がある。連中が狙っていたのはフィンで間違いない。
結果的に今回はクロノスとセリュサで事なきを得たが、大翼が出てくればいまのクロノスではどうすることもできない。普通であればギルド連盟が動く。しかし、連盟は魔物狩りに人員を割いているので残存戦力に問題が生じている。相手の狙いが読めない以上、手詰まりだ。
「もしかしたら、俺たちが考えている以上に、ことは複雑に絡み合っているのかもしれない。世界大戦だけは避けたいところだ」
「そんな未来のことよりも、今日の暴力事件どう説明するのか考えておいてよ」
暴力事件と聞いてクロノスはその場の勢いで学園に積み上げたどこの馬の骨のことを思い出した。いまだから冷静に考えるとクロノスは被害を受けていないのに、相手を致命傷一歩手前まで痛めつけたことは世論的には負け戦だ。とりあえず反省の二文字を当ててみた。セリュサは空に向かって愚痴を零していた。そこに頭上から石が転がってきた。見上げると小さな影がこちらを見下ろしていた。セリュサが戦闘姿勢を示すと言った。
「俺たちになにか用か? 」
クロノスに呼ばれて影は飛んだ。
着地すると若い青年だった。黒ずくめの連中のように全身黒一色で統一しているが、デザインが違った。動き易さを重視した軽量タイプといったところか、遊びや飾りは見当たらない。
青年は、クロノスたちを見ていた。
「お前たちだろ、フィンを助けたのは? 」
そう言うと、その少年は挑発的な笑みを浮かべた。