表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月からの使者 創世編  作者: 朝太郎
4/24

神名の血

細切れの肉槐がゆっくり沈んでいく。誰一人声を上げることなく、死線によって切り裂かれた。

「本当に呆気ないですね」

男に剣を突きつけ、変事に一時的に帰ってきたセリュサに微笑む。

「私の方に来た連中は外で倒れているけど、連れてくる? もっとも、誰一人正気を保ってないわよ」

背後に立つセリュサから落ち着いた声が返ってくる。確認すると山積みにされている襲撃者一行はまたも手足を折られたらしい。身振りで応じるとセリュサは姿を消した。

強化した視力で見ると、変色した瞳をしていた。

「洗脳によって脳の破損が激しいのですね」

顔も正しい原形をしていない。どこか歪んでいる。骨格の異常に手足が長い。口からは呻き声しか出てこない。

「……たす……け」

男が精一杯の言葉を吐き出した。遠目ではわからなかったが指が異常な長い。絶望的といった表情には自分の立場を理解した上での対応だった。達者な言葉遣いが片言になった。失敗したときに発動する術式を脳内に仕込んでいたのだろう。思考能力が生きているのは運がいい。

「あなたは人為的な汚染でもはや手遅れ……助けられません」

「そん……な」

「ですが、あなたは他の連中に比べて汚染は軽いと見ます。会話が出来るのがその証拠ですね。抵抗さえ見せなければ寿命が延びます。大人しくしてくれますか?」

男は考えてから頷いた。

「いいでしょう。では、参りましょう」

剣で促すとおぼつかない足取りで歩き出す。大きく見えた体もいまは小さく見える。軽度の魔力汚染でも、激痛や幻覚が起きている筈だ。

イリティスタの影響に加え、人為的……人体実験による影響でこんな体にされた。

戦場になった湖は水面が赤く染まっていた。この底に沈む汚染者……クロノスやセリュサとは違う、魔力汚染者という被害者たちは一様に異形化している。襲ってきた者たちのような外見が異形化しない例が一般的とされている。ある者は人間の遺伝子にない機能を得ることもあるし、目の前の男のように体の一部が異常に発達し、別の者は完全に人の姿を失ってしまうこともある。

魔力汚染者たちを多く見てきたが、このように大勢見たのはここに来て初めてだ。

イリティスタが彼らの関係者に影響を与えているのだろう。影響を受けながら、人為的に汚染を施している可能性がある。

イリティスタの影響を受けながらそんなことが出来るとは思えない。あの戦鬼が人間に従うと思えない。

従えたなら話は別だが――

「こっちだ」

湖から古城に戻ると、フリードが酒を飲みながら出迎えた。

「この方の質問に答えろ」

「そう恐がらなくてもいい。俺は平和主義者だ」

フリードは男の異様に驚いている様子はなかった。人間を見るように、笑って男の肩を叩いた。

「な……んでも、話す」

フリードの視線に体を震わせていた男は、床に座り込んだ。

「お前のように話が分かる奴が俺は好きだ」

「助か……るなら……俺は従う」

切実な瞳で見上げてくる男に、フリードの表情は変わらない。

「返答によっては日の光は難しいが、死ぬことはないぞ」

「ほんと……うか?」

「ああ」

その返答に男が涙を浮かべた。その姿に、男の境遇を想像させる。

「では、質問だ。お前はイシュラン王国が生み出した特殊部隊か?」

「そうだ……」

「構成員は?」

「全…ては知らない……、来た奴……だけだ」

「つまり、全体の一部隊が侵攻したということか?」

「……多分」

「お前たちを集めたのは誰だ?」

「デュライ……と…名乗った」

その名前に、フリードが顔をしかめた。

「本当か?」

「…………」

抵抗することでどうなるかを知っている以上、嘘をついている様子はない。クロノスとフリードは顔を見合わせた。

「デュライは自分で動くのか?」

「いや、奴は自分の手を汚すような真似をしない。権力と地位と財産のみに固執する臆病者だ。だが、コイツの目は嘘を言っている目じゃない……だとすると」

「別の人間が絡んでいる可能性があるな」

「これは厄介だな……」

別の可能性にクロノスは一つの思いに行き当たった。汚染されているとしたら、ありえる話だ。フリードは用意していた本を手に取った。中には色褪せた写真が四枚挟まっていた。その中から、一枚を取り出すと男に見せた。

「お前を勧誘に来た時にこの中の誰かがいたか?」

「こいつだけ……」

「デュライだけか」

「ただ、様子がおかしかった……おか……しかった」

「確かにおかしな話だ」

眉をしかめつつも、フリードはそのことを保留して、男に他の質問をしていく。そのほとんどの返答は既知のものだったが信頼性は高まった。男も激痛に耐えながら包み隠さず話す。

思考能力が生きていても人間の脳には多くの機能がある。考えるだけではなく、答えるためには思い出す必要がある。記憶能力にも異常があるのか、一つの質問に答える度に大粒の汗を流していた。男の話では、報告はしていないらしい。来たとしても古城に立ち入る前に骸と化すだろう。

男には簡単な治療が施された後、与えられた部屋でクロノスによって出来る限りの処置が施された。それでも大した効果はなかったが、クロノスに深々と頭を下げていた。フリードから酒を手渡されると、懐かしいものを見るような目で口に流し込んでいった。

食事が終わり、痛み止めの薬草が敷き詰められた寝床に案内すると、眠りに入った。

クロノスにも部屋が与えられたが、あえて王間に残った。静寂が生きるこの場所が一番自分に合っている気がする。

フリードも酔ったのか自室に戻っていった。

夜の世界で生きるのはこの体になる前からだった。一六年間いや、本格的に動いてからなら一一年間。長い時間を生きた。その内五年は一人で生きた。二人がいない生活はどこか寂れていた。

クロノアの計画を知り、母国に飛んで行った結果に与えられた呪いと、『孤独』という名の代償を打ち消すことはできなかった。古文書や文献を読み漁っても難解な術式はビクともしない。マリアによって打ち消されたものも何が影響して再発するか考えただけで恐ろしい。

いまの体のままでいいならそんなことをする必要はないのだが。

「どんなに慣れても不便だよな」

第二の生命力と言われている魔力の恩恵がなくなったことで人々の苦を体験して良かったと思うことは少なかった。木を切り倒す作業をする機会を得た時、腕に魔力を満たし叩けば事足りたていた作業を斧で何十回も殴った。達成感よりも疲労感に体が悲鳴を上げていた。

クリスタル王国での生活を思い出す。快適な生活だったといえばそうではない。クロノスの存在は異端とされていた。扱う力が大人の理解の範疇を超えたいたために遠ざけられた。一緒に遊ぶ人間は一人を除いて誰もいなかった。一緒にする食事は一人を除いて誰もいなかった。一緒に寝るのも一人を除いて誰もいなかった。

自分の半身である姉だけが傍にいた。

「クロノア」

無意識に顔をそっと撫でた。

クロノア・ルナリア。姉の名前。そして、二度と出会うことのない名前でもある。父母はこの世にいない。クリスタル王国が滅ぶ前にこの世を去った。

姉の手によって死んだ。

アルビノとして覚醒した姉を止めるために立ち向かい敗れた。

この世に生を受けてから十年目の星降る日に姉は覚醒した。アルビノとしての力を暴走させることなく、完全に制御することに成功した。

その一ヵ月後だ、姉が天空の使者と名乗りだしたのは、新しい魔術を生み出し、全てを呑みこむ力を手に世界を治めた。

クロノスは見ていた。

太陽と月が重なりを見せた日だった。クロノアが天空に向かって言葉を発しているのを見ていた。滅多に声を上げないクロノアが珍しく叫んでいた。

どんな言葉だったのかまで聞き取れはしなかったが、直後天空から一筋の光がクロノアを貫いた。

空からの贈り物と彼女はいった。

神格化した外見に変化はなかった。

神々しいばかりに魔力を発するクロノアに言葉をかけることはそれ以上できなかった。

突然に、忽然と。

移動したクロノアに抱きかかえられると立っていた場所に父母がいた。その後にはごく普通の、見慣れた光景が展開された。

神格化する以前のクロノアに手も足もでなかったものが神格化したクロノアに手傷を負わすことなど不可能だった。禁術ですらクロノアの前にひれ伏した。

それから、クロノアと共に過ごした。

父母の死を悲しむものはいなかった。

クロノアがいたから、誰も逆らうことが出来なかった。

そして、レンと出会った。

「クロノア……」

同じ顔を持ち、同じ瞳を宿し、同じ運命を背負う者。

彼女の存在は世界を照らす太陽で、彼の存在は世界を照らす月。

才能の差を怨んだことはない。どうして姉の力に及ばないのか決定的な違いをわかっているからだ。だが、これをクロノスは許容できない。わかっていても受け入れられない。

人間でいたいがために、頑なに拒絶してしまう。

「俺はどうしたらいい」

静かに頭を振る。

クロノスはクロノアではない。顔が似ているというだけで、才能まで一緒にされることが嫌で正体を隠している。

いっそのことあの男のように全てを話して楽になりたい。この胸に溜め込んだ過去から現在までを吐露したい。苦しいが一般人として生きることもいいかもしれない。全てから解放されたら、生まれ変わるなら普通に生きたい。

人の中で生きていきたい。

懐中時計の針が制限の一時間を切ったとき、セリュサが跳んできた。

「どうした?」

気配に異常はないと思う。だが、徐々に魔力が減っていく中でクロノスの感覚は信用できない。

「変な気配を感じたから帰ってきた。昼間は私が担当だもの、あの人は熟睡しているし」

城内の気配はまだわかるが、外の気配はわからない。膨大な魔力も呪いの前では量なんて関係ない。決まった時間に鳥が鳴くように、太陽が昇り、月が隠れるように、クロノスの体は規則正しく順応する。

「あの連中とは違う……これは人の気配?」

遠くの方角を眉一つ動かさずにそう答えるセリュサに、クロノスは立ち上がった。

「何にせよ、襲撃にしてはせっかちな野郎だ」

もう一つの可能性……イリティスタが来たのだろうか? 

だとしたら状況は最悪だ。魔力のないクロノスに何かが出来るはずもなく、セリュサは論外、フリードの実力でどうなるか想像するだけ無駄だ。

「常識を考えて欲しいな」

魔力が多少でも残っている今なら応戦は可能だ。威力はかなり弱まるが、並みの相手に防げる魔術を行使するつもりはない。

廊下の奥から奇声が上がった。男が部屋から上半身を出して倒れて震えていた。体内の魔力が活性化されている。暴走手前の状態だった。

「こわ……い…………こわ――」

男はその言葉を最後に動かなくなった。

異常な肉体活性化に体がついていけなかったらしい。数時間前の姿が頭をよぎる。確かに生きていた男はこの世にいない。抜け殻だけがここにある。

フリードの部屋に辿り着くとノックの前に扉が開いた。酔いの色を感じさせない姿で、王間に足を進めた。

「敵だな」

フリードも気配に気付いてきたらしい。

「敵は一人のようだ」

「だな。最初で使い切ったということか」

湖に移動すると、クロノスにも感触があった。セリュサは膨大な熱を帯び、フリードは雷と化した。しかし、湧き出してくる嫌な汗のほうに意識が強まる。

「不気味な気配だ」

高まる鼓動に痛みが増す。何かに共鳴するように肉体が硬直する。状況に思考が付いていかない。本当にきたのだろうか……

「ベル、フリードの隣にいてください。場合によっては退避します」

言い切ったところで、クロノスは林の奥から歩いてくる影を捉えた。

奥から、人が出てきた。

長い赤髪の、少女だった。

「嫌な目だな」

フリードの言葉に、少女は気だるそうに振舞った。

「やっと見つけたよ」

疲労に声も投げやりに言った。

「この魔力波長……月の使者『クロノス・ルナリア』でいいよね? 

後ろにいるのが、太陽の使者『セリュサ・ルーヴェン・ベルリカ』と神雷『フリード・レプティレス・ジルフォニア』かな。ま、私は月の使者さんに用があるから二人は下がっていてね」

「月の使者だと!? まさか……」

自分とセリュサを除く名にフリードは言葉を失った。

そして、セリュサも少女の言葉に動揺していた。その名を知らないものはこの場にいない。

その名をこの場で告げることにどれほどの意味があっただろうか。

少なくともイシュラン王国の遣いではないらしい。イシュラン王国なら実力を知っているフリードの狙わない理由はない。どこかの組織……ギルドメンバーなら合点がいく。ギルドには独自の情報網があるので、所属組織によって得られる質と量に差がある。

しかし、いま聞いた異名の主は全世界で五年前から行方不明となっている人物だ。誰も見つけることが出来なかった人物を判別できるのか? 

それを知ることが出来る巨大な組織が動き出しているのか? 一体何の目的で動くのか、考えさせられることは多い。

それよりもクロノスを絶句させているのは、少女の容姿だ。

「冗談だろ……どうしてお前がここにいる」

反射的に、呟いた。

生き生きした表情は、クロノスの知る彼女の姿そのものだ。唯一、違うものが髪の色と瞳の色。白銀、緋色ではなく純粋な赤色である。纏う雰囲気は彼女のまま、長い四肢も、クロノスと同じ目線も記憶そのままだ。

鏡を見ているような気分だった。

「クロノア!」

クロノア・ルナリア。クロノス・ルナリアの半身で、世界最強に最も近い魔術師で、クリスタル王国を滅亡に導いた大罪人。

異次元空間にレンと一緒に消えていった筈の、姉とこんな場所で出会う。

これはなんの冗談だ。

そう思いたくもなる。

「あはは、やっぱりそう思うよね」

「ベル逃げろ!」

殺気も何もない。ふざけている様子だが、本能はことの事態を冷静に受け止めていた。

クロノスの叫びと同時に、動揺していたセリュサとフリードが退避する。クロノスは魔力を全身に走らせ、肉体強化を行使する。

クロノアが半歩下がる。

瞬間、超高温の塊がクロノスにぶつかった。

衝撃と音は痛みよりも後にきた。塊は魔力を纏ったクロノアに拳を受け止めきれず後方に殴り飛ばされた。

「ぐっ!」

いまの防御に魔力を大量に消費した。気持ち悪い音を耳にしたが、構っていられない。

大量の水が蒸気と化した。視界が奪われたのは一瞬、クロノアの攻撃は止まらない。

仰け反ってかわすも、拳圧で体面を覆っている魔力を貫通して内部を衝撃が突き抜けた。久々の鉄の味に、考えることを放棄した。がら空きの腹を力いっぱい蹴り上げる。

目の前にいるのは敵だと言い聞かせ、集約した魔力を大空に解き放つ。

「吹き飛べ!太陽魔術――太陽と炎の爆発(ビックバン)

クロノアを中心に大爆発が巻き起こった。零距離からの大爆発だ。魔力を総動員しても、衝撃で内部は粉々に砕ける。

古城が吹き飛んだ。

爆風に木々が宙を飛んだ。湖の水もそこが見えるまで飛び散った。フリードとセリュサの安否など確認している暇はなかった。使い方によっては危険とされる太陽魔術の特性は『破滅』。絶大な攻撃力と引き換えに操作が難しい。クロノスは太陽魔術を滅多にしようしないために魔術の精度が低い。

戦闘が終わってくれたら、大手を振って喜べる。他人の空になら、もっといい。貧血にも似た立ち眩みに、荒い息づかいが体を苦しめた。

クロノアに似た謎の少女。冗談なら最悪だ。嫌がらせなら、これ以上ない最高傑作だ。どんな理由で今場所にきたのか、自分を必要とするのか、心を掻き乱されなければいけないのか。

史上最低の喜劇が目の前にあった。

「くそ、何て悪夢だ。一体どうなってやがる」

怒りに翻弄されたことは久しぶりだった。クロノスは忘れていた。

焦りが冷静な判断力を根こそぎ奪い取った。

白煙を突き破って降下してくる物体に気付いたときには痛みを感じた。

「くそっ!」

左肩に、指先が喰い込んでいた。無理矢理押し広げる。腕を掴んで圧し折る。できなかった。指先から放出された衝撃波に神経が痺れた。膝が折れた。踏みとどまるのがやっとの思い、動けない体に追撃を受けた。防御することも叶わず、されるがままだ。大爆発を受けた体以前に衣服が破れていなかった。

なぜ傷を負わない。全力とはいわない、太陽と炎の爆発(ビックバン)を受けて無事な人間なんて本物かレンぐらいのものだ。つまり、このクロノアが本物ということになる。容姿の若干の変更は姿を隠すためだったとしたら、大間抜けだ。

それでも、その考えは否定したい。クロノアがクロノスの前に降りてくる。クロノスは生命維持に魔力を回し、勝負に出る。魔力を背中で爆発させ、空中に身を投じる。

体勢を立て直す。

足を掴まれ投げられた。

瞬間移動。二度目の驚愕は走馬灯のように緩やかな時間の流れだった。クロノス一人時に残されてしまったようにゆっくりと風景が入れ替わる。

クロノアの顔が目の前にきていた。赤い瞳がクロノスを見ている。瞳に映し出される自分の顔と比べる必要もない。自信満々な瞳がクロノスを見ている。

回転するクロノスの上でクロノアが姿勢を変えた。

振り上げられる右足に魔力が収束する。ちょうど、自分の体が仰向けになる最高のタイミングだ。次の場面を頭に浮かべながら、クロノスは叫んだ。

「フリード、ベルを連れて逃げろ!」

踵落としが腹部に突き刺さった。

どこかに潜んでくれているであろう、危険と判断し叫ぶ。水のない湖の中心に打ち付けられた。クロノスを踏みつける足に力がこもる。確実にクロノスを地に沈める。無邪気なクロノアが片腕を持ち上げた。マントの下は傷だらけで、皮膚は青紫色に変色していた。血の塊が喉を通って吐き出された。

クロノアが、傷だらけのクロノスを見て笑っていた。

夢なら悪夢だ。

「捕まえたよ」

微笑むクロノアの言葉。まるで遊んでいるようにはしゃぐ彼女は、過去の記憶そのままだ。

「まだだ……」

捕まれた腕に魔力を走らせる。肉体が強化され、常人の何十倍もの力が生まれる。だが、逃れられなかった。クロノアの行動は早かった。

「ううん、お終いだよ」

クロノアに似たものはそう言い、クロノスに抱きついた。

全身を衝撃が走った。内部を超高温の熱気が突き抜けた。全身の神経が機能を停止させた。手足がダラリと下がる。零れ落ちる懐中時計が時を止めた。

体内の魔力が完全に尽きた。あと少し早かったらいまの一撃で死んでいた。

反撃もできず、それをする余裕もなく、クロノスの意識は闇に落ちた。





クロノア・ルナリアとの思い出は、どれもこれも常軌を逸しており、勝負事でもクロノスが勝ったことなどない。常にクロノスの一歩前を歩いていた。いや、十歩だったかもしれない。クロノアが行ってきたほとんどの出来事、関わって起こった現象は歴代類を見ない結果だけが足跡になる。

クロノスとクロノアが同列に、同種に、同等に見られたことがあるのは過去に一度だけだ。

その一度も破滅した。多くの時間を費やした結果は、無意味な浪費となった。最後に見たあの顔にどんな表情が貼り付いていたかいままで忘れていた。

そんな二人を見つめる視線を、クロノスは失っていた意識の中で思い出した。だから、目を覚ました時、見慣れた顔があっても驚かなかった。

「やっぱり、お前か」

痛みを無視して、冷静な自分がいる。

場所は、遠い記憶にある研究所の一角だった。死刑場と呼ばれていた。多種多様の薬品が棚に並べられており、実験による被害を避けるために一番頑丈に作られている特別仕様な場所だ。

等身大の十字架の一つに、クロノスは縛り付けられている。

見下ろしているのは、顔に傷のある老人だった。あの時と変わらないのは顔付きに、時間の経過を感じさせない。短く刈り上げられた髪は白い。六年前と何も変わらない。出会うのがもっと早ければ、時の流れを感じさせただろう。嫌な目つきは相変わらず。絶対悪を根絶する誓いに剣を振っていた正義の悪魔。若き時代に剣聖の称号を得たこともある剣客。現役を退かない理由は、純粋な復讐心。許せないという一つの衝動に動かされ続けているのだ。

三騎士の一本かつ中央支部最高司令官。

「お前の顔なんて二度と見たくなかったぜ、アヴェロス」

「隠れるのも、逃げるのも得意なお前を捕まえるのに苦労したものだ」

アヴェロスは無表情で言った。

研究者と実験体。クロノスとアヴェロスは、この場所でそういう名目で半年の時間を共有した。付け加えるなら、クロノアもこの場所にいた。彼女だけは実験に目を輝かせていた。

「嫌われているとそろそろ気が付かないのか? お前の顔を見ているだけで吐き気がする」

そう言っても、アヴェロスの無表情が崩れることはなかった。

アヴェロスのそんな顔を見ながらクロノスは、セリュサたちが無事に逃げられたかどうかを考えた。セリュサはともかくとして、フリードは多くの戦争を生き抜いた歴戦の魔術師だ。地の利を利用して、多数用意していた退路から無事に逃げ切ったと考えたい。

頭痛にクロノスは眠る前の記憶を掘り起こす。あの、クロノアと思われる少女は、何者なのかと――

「お前に嫌われているのはわかっている。子供のお前を酷な実験に付き合わせてしまい悪いとも思っている」

アヴェロスの言葉にクロノスは内心毒づいた。

「実験の最終調整。クロノスとクロノアから採取した体細胞を合成した日だ。あの日、私は壁を隔てた場所から見ていた。魔力波長が重なり合い、互いに混ざり合った直後、実験室は爆発した。お前とクロノア……アルビノの因子を持ってしても、新生命を生み出すことはできなかった。それから実験はすぐに凍結された。お前たちも私の前から姿を消した。私がどんなに探してもお前たちの行方は掴めなかった」

そして、六年の月日が流れた。

「そして五年前、クリスタル王国の消滅と同時にお前とクロノアと音の使者、レン・リッジモンドが消えたことを知った。世界に名の知れた魔術師の消失による影響は早かった。抑止力が消えたいま、世界は危険だ」

アヴェロスの言い分には、クロノスも賛成だ。あくまで、世界についてだ。

クロノスは眼をゆっくり動かし、状況を確認した。首を固定されているので、視界は正面しか見ることができない。アヴェロスの背後に武器を持った人間が待機していた。力強い視線はクロノスを見下すものだった。こんな扱いを受けたのは久しぶりだった。従順な魔術師は精神面も相当鍛えられているようだ。アヴェロスの直属の部下だろう。どういう訓練をしたのかしらないが、目付きまでそっくりなところに嫌気が差す。

アヴェロスが現れたことで、予定が狂った。

マリアに連絡をしようにも手持ちの物は奪われているに違いない。レプティレス王国の一件はセリュサとフリードで問題解決はできるだろう。ここから脱出するには時間がかかりそうだ。

こんな場所を用意している以上、昔の失敗から何も学ばなかったらしい。

それはつまり……

「だから、お前にはもう一度協力してもらうぞ」

高らかにアヴェロスが言った。

「こんな雁字搦めにした奴の台詞じゃないな。協力? ふざけるな」

そう言っても、アヴェロスは首を振らない。

「ふざけてはいない。私はいつでも本気だ」

「気にいらない台詞だ。いい加減にしろ、消し飛ばされたいのか?」

言い返すと、アヴェロスは笑い声を上げた。

クロノスは黙った。

「俺は機嫌が悪い」

「見ていればわかることだ」

「わかるならこの呪を解け、さっさとその首を斬り飛ばして、生まれたことを後悔させてやる」

「昔と違って威勢がいいな」

「六年も経った、お前のように止まった時間を生きている覚えはない」

「私だって無駄な時間を生きちゃいない。時間は有意義かつ計画的に使うものだ。三騎士(トライナイツ)も本格的に始動した。罪人は全てこの世から時期に消える」

「歪んだ思想は健在だな」

不愉快だ。こんな男が世界中の人々を守っているかと思うと反吐が出る。外面が良くて、内面が腐りきっている。それがあの少女に繋がる。

「あの女はどういうことだ。クロノアは死んだはずだ」

「あれはクローンだ」

素直に答えたアヴェロスに、クロノスは絶句した。

クローン? 

「カリン」

「呼んだ?」

アヴェロスが呼ぶと、クロノアに似た少女がクロノスの視界に入った。いままで側に控えていたのだろうが、クロノスにはわからなかった。実力の成せる業に、頭が痛い。

「カリン・ハイドラ・イフリート。私がクリスタル王国の跡地で見つけた血液と凍結データの結果だ。理論値ではクロノアと細胞構成は完全に一致している。唯一、炎属性以外使用できないのが現実だな。戦闘能力はお前が見た通りだ」

「どうしていまさら凍結した実験を掘り起こした」

「必要と感じたからだ」

「どんな相手にも揺るがない精神と力。千に対して一でも圧倒できるほどの力が王族の系譜。万に対して一でも圧倒できるほどの力がアルビノ。異端である俺たちの利用価値がこんなちっぽけなことだとは、な」

拳が来た。腹を抉る一撃に肺の中の空気が全て出ていった。正確な位置で、強化していない素手だった。カリンの肉体レベルは薬物強化されているらしい。

大きく見開いた瞳を、クロノスは睨んだ。

「あとはお前の力だけだ。それでカリンは完全になる」

「完全を求めて失敗したのにもう一度か、馬鹿な野郎だ」

アヴェロスは何もいわなかった。

カリンも動かなかった。

「もう一度言ってやる、ふざけるな」

やはり、アヴェロスは何もいわなかった。アヴェロスが去り、代わりに三騎士の紋章を身に付けた男がクロノスの前に立った。

「その呪を受けて意識を失わないところ、本当に月の使者様なのですね」

「こちとら、不本意だが知っているなら隠す必要もないが名を呼ばれるのは不愉快だ。アイツとは二度と会いたくない」

男はため息を吐いて、首を振った。

クロノスのことを知っているアヴェロスが仕向けたなら、実力高い魔術師だろう。油断のない目をしていた。クロノスの瞳を見つめ、威圧する覇気を放っている。アヴェロスを相手にしているような存在感に吐き気を思い出した。

マリアが診察しているときも、こんな目をする。もっとも、マリアのその目は男よりも人体に優しい。

「お前、聖騎士(パラディン)か」

アヴェロスは去ったが、カリンは変わらずクロノスの側にいるようだった。視界の端に赤い何かを見た。クローンの能力はオリジナルと大差ないように感じる。頭で別人と理解していても、視覚から入る情報全てがクロノアに繋がってしまう。

「ええ、騎士(ナイト)から昇格して三年目になります」

「初めからお前が来てくれればここまで不機嫌じゃなかった」

「仕方ありません、アヴェロスさんは創設者ですから」

「いまじゃ一人だけだろ。二人離反した筈だ」

「ええ、皇帝騎士『ゲイル・シナー・レイズ』、薔薇騎士『ソニア・ウォーロック・レイン』の二名……三年ほど前に」

三騎士は中央支部とは別にアヴェロスが仕切るギルドだ。どこにも所属していなかった時代、アヴェロスの思想にゲイルとソニアが賛同して生まれた。風の噂でアヴェロスと意見が合わなくなったために、トップの二人が消えたことを知った。

「正しい選択だ。こんなところいるべきじゃない」

事実、三騎士にまともな人間はいない。

「あなたも同じことを言われるのですね」

「抜けた二人の方が世間を理解しているのさ」

「近頃、世界に起きている異常現象をご存知ですか?」

「さあ?」

「私たちの行動概念はご存知ですよね。『断罪』それだけです。魔物でも、人間でも人々に危害を加える存在を完全に排除するのを目的にしています。その中で一つ、我々でも不可解な事態があるのです」

「お前たちがわからないのに俺がわかると思っているのか?」

イリティスタのことを言っているのは簡単に想像が付いたが、思考することは正しくない。ギルドの人間、アヴェロスなら相手の思考を読み取る術を持っていてもおかしくない。この男も部下ならそれをしようとしているはずだ。世界中から尊敬される立場にある三騎士にプライバシーなどないに等しい。余計なことは考えないことにした。

「まあ、いいでしょう。時間はたくさんあります。この場所には複合結界や魔力遮断など感知されない仕組みをとっているのであなたには当分ここにいてもらいます」

男は素直に退く姿勢を見せた。

「海上都市ミュルアーク、太陽の使者様が『魔導騎士(ナイツオブラウンド)』を返還した理由、全てはあなたと関わったことで起きました。そして、レプティレス王国での依頼も無関係とは思えません」

「考えすぎだろ」

クロノスの言葉に肩を竦め、男が視界から去る。

「一つ訊いてもいいですか?」

視界の外から、男が訊いてきた。

「神の化身(アルビノ)として異端な存在のあなたたちは我々のことをどう思いますか?」

クロノスのことを知って、その質問をぶつけてきたのなら男に返す答えはこれしかしらない。

「……どうも思わない。なぜなら俺たちは自分自身を人間と信じているからだ」

考える間もなく男は、何も言わずに今度こそ立ち去った。





「本当に酷い目にあった」

ボロボロの体を引きずってマリアはそう言った。

「肋骨が何本かいったのかな……肩もヒビが入っているかも」

自分の体の診察をし終えると、支障がない程度に体を起こす。

とっさに防御魔術を複数発動させたが、カバー仕切れなかった。療養施設で入院している患者たちに被害はなくて安心した。ギルドメンバーは怠けている奴が悪いだろう。その代わりに大事な資料が全て燃えてしまった。家としても利用していただけにマリアは無一文となった。アヴェロスは必要な情報を得たのか、すぐに去っていった。

有名ギルドの大火事に都市中の人間が駆けつけてくれた。人望のあるマリアを嫌うものは誰もいない。人気者だ。火もすぐに消えた。限定空間魔術で被害もギルドだけだ。

突然の事故。ギルドマスターの負傷に不安がる人々がいたが、団員の魔術の暴発事故ということにした。実際、そういう人物がいるのであながち嘘ではない。

予想外の舞台役者の登場で、設定した舞台に番狂わせが起きた。アヴェロスの加入によって事態は確実に嫌な方向にいった。

天国から一転して、地獄へと様変わりした。短時間で一気に溜まったストレスで胃が痛い。

「情報を聞き出すにももう少しスマートにできないのかしら」

灰燼と化したギルドの残骸撤去が目の前でギルドメンバーの手によって行われている。

「今度から依頼書は始末しておかなきゃいけないわね……それにしてもあの子の力無茶苦茶よ。どういう肉体構造しているのよ」

立ち去る時に一枚の紙を持っていったのを見た。

アヴェロスがどんな人物か知っていれば依頼書の内容はクロノスのものだと推測できる。だが、その事実が重い。いまのクロノスには対抗しうる力がない。

「あの子、クロノスと同じ顔をしていた。だとすると過去に凍結した『人造化身計画』。アルビノの因子が適応したのね」

アルビノの因子は奇跡を起こす。

「非人道なところ……より歪んだのかな」

しかし、それは悲しいことだった。

赤髪……カリンのことを思い出してマリアは頷いた。

アヴェロスの研究所にあった非人道の結晶たち。あんな実験を、どうどうと行っていただけに良心の存在を疑う。

だが、アヴェロスの悪を裁くという考えはギルドを運営しているマリアにもある気持ちだ。クロノスたちが表の世界から消えたことで活発になった悪の概念。いくつもの小さな村が襲われて、命が消えたことも五年の中で記憶に新しい。

月の使者であるクロノスが五年前に表の世界に名乗り出れば、こんな事態を生まなかったとも思う。しかし、その事実だけで別の波乱が起きる。クリスタル王国最後の血、神の化身としての異端の力、人々が知らない事実を知ったとき、アルビノを畏怖する人間たちはどうでるだろうか。

誰が悪いとかそんなことを責め立てるつもりはない。クロノスが与えられた試練は、彼個人の問題だけでは済まなくなっている。

「私も行かなきゃ……クロノスが危ない」

もちろん、ギルドマスターとしての仕事を。ギルドを再建するまで、依頼も診療もできないなら、一番危険な可能性を摘み取りにいく。すでに問題が起きている気がする。アヴェロスの行動力は長所であり、短所だ。

クロノスと衝突するのは決まったことになる。問題はその後、アヴェロスがクロノスを使って行おうとしていること。

アヴェロスが求める世界平和にクロノスを利用する。格上の実力者にもアヴェロスは愚直にしか動けない。自らの思想に絶対の自信を持っている。抑止力を生み出すことで悪を絶やし、概念すら生み出さない法則を作り上げようとしている。

夢物語を見続ける男を止め術はないのかもしれない。

「あ、通信機が壊れている……最悪」

髪の毛を掻き乱し、ポケットの中から小さな端末を取り出すと、煙を上げていた。

予備用に持っていた筈なのに、その存在価値を発揮せずに終わった。

「自己発注なんて……」

絶対請求してやる。

マリアが怒りに暴れていると一人の団員が、声を掛けてきた。

通信機だ。相手を尋ねようとしたが、作業に戻っていた。

通話ボタンを押すと、沈黙があった。

「誰?」

『マスター私です』

「ベル? ちょうどよかった。そっちの状況を教えて」

『ルナが捕まりました』

マリアは小さく舌打ちをした。思ったとおりの結果だった。

「やはり、そっちに行ったのか……動くのも手を出すのも早い爺だ。いまから私もそっちに行くから状況説明お願いできる?」

「はい? わかりました。少し待ってください」

「ん?」

マリアにではなく、電話の側に入る誰かに向けてのものらしい。

「悪いが代わらせてもらったぞ」

セリュサの落ち着いた声とは違う。硬い声が緊張を伝えてきた。

「フリード・レプティレス・ジルフォニアですか?」

「ああ。そっちの団員には世話になった。非常事態になったことで直接的な連絡を取ったことは詫びる」

「いいえ、状況を考えれば最善だと思います。アヴェロスが動き出した今、事態は最悪の方向に向かっていると考えたほうが自然よ。ルナが失敗したことはごめんなさい。いまどこにいるか教えてもらえるかしら?」

「了解。頼んだぞ」

フリードが場所を告げる。マリアはそれを記憶すると通信機をポケットに入れた。

近くにいる団員に軽く事情を話すと、マリアに旅行用のトランクが手渡された。

「さてと、とりあえず傷を癒すことから始めなきゃ……青海魔術――青海と光の(ユリネスライフ)

空を見ると雲行きが怪しい。まるで、これから起こる出来事を助長しているような陰を向こうに見た。ギルドマスター専用の転移装置で大陸間を渡ると、指定した場所でフリードが待っていた。そこから複雑なルートを通り、セリュサの姿を見た。

旧レプティレス城。フリードはこの場所をそう紹介した。現在のレプティレス城は人口増加に伴いあの場所に造られた二つ目。使われているのは城の内部から通じる地下空洞だけで、地上部分を含め、一目では分からない仕掛けがされている。そうすることで、賊の根城とされてもこの場所を見つけることは困難を極める。例え、迷い込んでも今度は脱出できず、生涯を終えることになる。

「こんな地下空洞があるなんて想像もしてなかったわ。迷路のように入り組んでいる道に、入り口も多岐に存在する。地下水も豊富だし、避難場所にはもってこいね」

内部の様相を眺めて、マリアは嘆息した。この場にいる国民の人たちからは不安がっている様子を感じない。心から安心している。

「迂闊なことは言うものじゃない。これでもここは最後の砦だ。屋根である山を消されたら総攻撃で一網打尽だ。安穏といるのは危険だ」

唇を噛む、フリードは本気でそのことを心配しているようだった。

「でも、いまさらどこに逃げても同じ。それならここにいたほうが安心だと私は思う」

「どういうことだ?」

すでに自己紹介も済んでいる。青海の癒し手として名のあるマリアの能力でこの地下空洞には、何十もの結界が張られている。

「イシュラン王国がかき集めた特殊部隊は状況から考えなくていいけど、ここで問題なのはアヴェロスが連れていた少女のほうね」

視線がマリアに集まる。手ごろな椅子に腰掛けると続けた。

「多分アヴェロスから正体を聞いているから知っていると思うけど、ルナの正体は現在行方不明とされている月の使者『クロノス・ルナリア』。これは本人から私が聴いたから間違いはない情報よ。それで本題に移るけど、クロノスを連れていった少女の顔、クロノスに似ていなかったかしら?」

「そういわれると、似ていたような気がする。でも、性格は全然違うし女の子だった」

「彼女はクロノスの姉、クロノア・ルナリアの細胞から生み出されたクローン体よ」

「クロノア・ルナリア!? 天空の使者か!それにクローン体ってどういうことだ」

「二人はアルビノを知っているかしら?」

アルビノと聞いて、フリードは頷き、セリュサは首を傾げた。

「アルビノというのは神の化身と呼ばれる、魔術とは違う異能を秘めた人たちよ。異能は個人で異なるようで「動植物の声を聴く」、「風を詠む」、「大地の声を聴く」、「物の意思を読み取る」、そんな能力者が当時からいたそうよ。彼らは周囲とは違う自分の力に恐れ公言することは誰もしなかった。彼らも人だったから知られればどうなるか本能で理解していたのね。ちなみに肉体構造、遺伝子レベルは一般人となんら変わらなかったそうよ」

「それとクローンがどういう関係にあるのですか」

結論口に出さないマリアの話し方に、セリュサは苛立ちを募らせた。

「肉体構造と遺伝子レベルは一般人と同じ。でも、アルビノは人間を超えた存在として人々に認知されてしまった。問題とされたのはその強さ。その結果彼らは滅ぶことになってしまった」

セリュサのことなど、知らぬ顔でマリアは話し続ける。

「アルビノとして覚醒する条件はいまもわかっていない。原因不明の病気だと思っていいわ。一度覚醒したら本人の意思関係なく能力は発揮される。異能の種類は誰も知らない。もしも、不確定要素の多い彼らの中から歪んだ思想の持ち主が現れてしまったら保たれていた均衡は崩壊して、どうなるか――

アルビノに勝てるのは強い魔術師。でも能力によっては相当なレベルの魔術師が必要になる。そんな魔術師がすぐに見つかるといったら答えは否。戦争期とも言われていた時代から続く戦いで多くの魔術師が亡くなるなかで戦力を分散させるのは誰もが認めなかった。では、どうすればいいか? 

考え答えを出したのがアヴェロス・ミラアンセス・カーマイン。彼の考えはしごく簡単だった。“王族の血を引く子供のクローン体を作ればいい。“子供の時から超絶な能力を秘めているなら細胞分裂による核へのダメージが少ない”

そこから近親相姦を繰り返していけば完全な個体になる。さらに運命の悪戯かそういう能力を持った子供がいた。それもアルビノの力も秘めたね。それでアヴェロスが目を付けたのが」

「クロノスとクロノアか」

「その通り」

はっとした顔のフリードに、マリアは声だけで頷いた。

「彼らがそこの国の出身かそんなことまではこの際、追求することではないけど月の使者と天空の使者がどれほどの力を秘めた魔術師か、噂話でもいままで残してきた戦果でも窺えることは多い。そんな彼らは幼少時に覚醒した。小さい子供がちょっと強いって聞くと大人からしたら、馬鹿にするでしょうけど目の当たりにしたら二度は言えない。アヴェロスも彼らの実力を見て確信したらしいわ。最高の材料としてね。

しかし、実験が上手くいったといったらそうはなかった。クロノスとクロノアが双子で同じ遺伝子を有していても細胞は拒絶反応を起こした。個人でも、掛け合わせても結果は同じ。膨大な魔力を持つ上にアルビノである二人は予想以上の厄介者。実験を進めるにつれてそれがわかっていくと実験も凍結され闇に葬られた。最後の実験で二人は大爆発の末に逃亡したらしいわ。その直後に事件が起きた。アヴェロスの懸念していたアルビノによる暴走、それを期に少数派のアルビノたちが集結し暴動へと発展した。二人は参加しなくても総数は百を超えたみたい。そのことはフリードさんがよく知っているわよね? 

歴史的にも浅い大事件『氷水の反乱』」

長い説明が終わった。

「つまり、アヴェロスはその実験を成功させたのか」

「簡単に言えばそうなるわ。クロノスの話だとクロノアはこの世にいないらいしから、どこかで採取した皮膚か血液から作り出したのね。でも、クローンである以上寿命はオリジナルよりもはるかに短い。能力だって十パーセントも引き出せたらいいところね。アヴェロスが彼女を生み出した理由は当初と変わらないと思う。あなたたちが見た光景を聞く限り不完全のプロトタイプってところでしょう」

「……なるほど、あの少女のことはよくわかったが、どうしてそんなことをあなたが知っているのですか? 

あなたはアヴェロス・ミラアンセス・カーマインをアヴェロスと呼んだ。つまりあなたも実験に携わっていたのですか?」

「切れ者なのね。答えはイエスだけど、直接的な関わりはない。専門的な知識を教えただけの間接的な役割ね。私の下にもアルビノの人たちはいたし、アヴェロスがアルビノを敵視していることを知ってすぐに離れたわ」

「三騎士の神聖騎士……アヴェロス・ミラアンセス・カーマインか」

マリアとフリードが頷きあう。

「クロノスはクロノスで制限ある身体……この時間では動けない」

マリアの言葉はそのまま彼女の気持ちの表れだった。

フリードがイシュラン王国への善後策を講じ始めると、マリアは退いて移動した。

空洞内に流れる泉の前にセリュサが座っていた。マリアはその隣に腰を下ろした。

「元気?」

マリアは気さくな声でセリュサにたずねた。

「いいえ、混乱しています」

「クロノスのこと?」

セリュサは泉を見ながら、マリアに言った。

「ええ、まあ」

「詳しくは本人に訊いてね。噂の秘密主義者もここまで知られれば口を割るでしょ」

「そうですね。でも、できますかね」

小石を掴むと一石を投じる。

「クロノスが月の使者と知っても実感がわかない。強い、弱いじゃなくて月の使者と呼ばれる存在が特別なものとして私にはありました。目標でもありました」

「クローン体に負けたからそれで幻滅でもしちゃったとか?」

波紋が広がり、セリュサの不安を隠した。

「それは……」

「セリュサは知らないから仕方ないけど、クロノスは天空の使者が施した呪いで“夜以外魔術師でいられない身体”なの。それに魔力を消費すればするほど夜でも魔術師でいられる時間が限られる。朝と昼は魔力を持たない人間になるから彼は消息を眩ました」

「矛盾していますよ。ルナは朝と昼でも魔力が流れていました」

「それは彼が身に付けているマントと耳飾りの内包されている魔力よ。一種の要塞よね」

「そうですか」

セリュサは俯いた。その表情からはなにかを推し量ることはできない。

「ルナは……ううん、クロノスはどうして戦いに赴くのですか? 私には理解できません。月の使者としての自信ですか? 傲慢です……」

正体を知った途端、湧き上がる感情に歯止めが利かない。どんな事情であれ、いままで自分を見て内心笑われていたのだと思ってしまう。言葉遣い、実力差、口に出してきた言葉の数々にクロノスはどんな印象を受けたのか。

思わぬ形で知ることになった超絶の魔術師の正体にセリュサは、葛藤を止められない。

「それは本人に訊くべき。私には他人の心まで見透かすことはできないもの。でも、傲慢かどうかといったら、彼は違う。勝てないものには勝てないし、力をひけらかす真似はしない。何たって秘密主義者よ」

「それは……」

「それにクロノスなら大丈夫よ」

「本当ですか?」

セリュサの声に明るさが戻ってきた。だが、その表情は硬く、受け入れがたい顔をしていた。

「彼には月の加護が付いているもの」

「え?」

「なんでもないわ、動けるように体を休めておいてね」

フリードに呼ばれ、セリュサが向かうとマリアも一石を投じると波紋が顔を隠した。セリュサと出会ってから着実に物語が加速している。

「安らぎと孤独の象徴……月に魅入られし者の宿命。荒ぶる太陽を喰う唯一の存在はどうでるかしら――」

呟いて黙る。誰にも聞こえない声は地表から染み出してきた水滴の音に溶けた。セリュサの思い描く魔術師に一つの願いを託している。

そうしている間に、最終幕が上がっていった。





あれからアヴェロスはクロノスの前に姿を現さなかった。来られても困る、来なくても困る。息が詰まりそうだ。

早く解放してもらいたい。気が狂いそうだ。

アヴェロスの経歴は過去の逃走後に調べ上げた。その才能を発揮するために傭兵として世界を回って腕を磨いていた。

どんな敵にも臆さない姿勢は、多くの支持を集めアヴェロスの周りには人が集まり始めた。無垢な顔で接する彼が壊れたのはそれからすぐのことだった。

愛する人を失った。

視界の外には相変わらずカリンがいた。クロノアそっくりのクローン体の楽観的な視線は、最初は戸惑っていたが、徐々にそれを別物と感じられるようになった。

「力が入らない……呪の作用か」

声を出しても喋りかけてくる者はいなかった。視界の外には変わらずに数人待機している。何度か交代していたようだが、カリンは不眠不休側にいる。

膨大な魔力を持つ超絶の魔術師は、肉体を隆盛期のまま保とうとする傾向がある。膨大な魔力が肉体の疲労、老化をしにくくする。クロノアはまだそれには至っていないが、急成長をする短命であるクローンが活動できる理由はそれに当たるのだろう。

いつまでも居続ける。

手足に力を込めて、動くことを確認する。自分を固定する器具は万全だった。金属の冷やりとした温度も、長く続けば有耶無耶になる。表面に刻まれた文字で呪を行使している。本気を出せば何でもないが、逃げ切れるかどうかが危ういところだ。

(耳飾りがあるのは救いだな)

初めてカリンを見たときには動揺した。時間の関係もあったが、後手に回されて圧倒された。その後に受けた衝撃と打撃の傷もある。その傷はいまでは完治した。三回、魔力が流れるのを体内で感じた。それによる自己治癒か、アルビノとしての能力か、それとも両方が起こした相乗効果か、欠損でなければ大抵の傷は、勝手に治る。治るが、その分眠りを強制される。

こちらの準備は整った。

(あとは時間がくるだけだが……)

カリン。これともう一度戦うとしたら、今度は一方的にやられることはないだろう。クロノスも無駄に捕まっているわけではない。頭の中で対策は出来上がっている。

(だが、こんな場所で解放したら無意味に命が……)

魔力全解放による無慈悲の超広域破壊術。この程度の呪で封じ込められるほど優しくない。しかし、自由の代わりに失う代償の方が大きすぎる。彼らのやり方は気にいらないが、殺す理由はない。

(一種の博打だな)

こういう時、クロノアなら容赦なく皆殺しにする。世界基準で行動するクロノアにとって千人の人間が死んだところで異を唱えない。自分には出来ないことができるのが、クロノアだ。

レンとの約束は覚えている。そのために生きて戻らなければならないということ。もう一つ、宿命として自身が背負う役割を続けること。

月に魅入られし者。

クロノアの呪印よりもはるか昔、この世に誕生した瞬間にクロノスに世界が与えた試練。無形の贈り物は消えることなく、意識することなく、クロノスの中で眠り続けている。目覚める時を待ち続けている。

「嫌なこと思い出しちまった」

「どうかした?」

モヤモヤしたものに覆い尽くされる前に、ここに来て初めてカリンの声を聞いた。

目の前に現れ、見上げている。檻の中にいる動物の様子を見る子供のように、首を傾げては顔を突き出してくる。

「何でもない、近づいてくるな」

「酷いこと言わないでよ。とっても傷つくんだから」

「そいつはどうも」

「パパの言うように本当に意地悪な人なのね」

「パパだと?」

「アヴェロスのパパがそう言っていたものあなたは意地悪で嫌な人だって」

「それは大した教育だ。あの野郎も正しいことを教えるだけの余裕が頭のどこかに残っていたのか――ぐっ!」

「パパの悪口は許さないよ」

腹に拳がめり込んだ。

てっきり、いいなりの機械人形かと思ったが、そうではないらしい。

カリンは攻撃を続けた。クロノスの内臓を傷つけないように丁寧に加減までされている。確実にダメージが蓄積されていく。ここまでの苦労がここにきて水の泡となった。今後の戒めとして覚えておくとしよう。

カリンの表情は侮辱されたことに対する怒りの念だけがのっていた。自分のことには無頓着過ぎるところが、クロノアとは違っていた。クロノアの場合、対応する必要がないだけだ。

能力までは完璧にはいかず、劣化版といったところらしいが、容姿、身体能力、魔術技術は模造品として十分な効果を発揮していると思う。アヴェロスの命令に忠実なところが気に食わないが、量産できれば史上最強の部隊が完成し野望は達成されるだろう。

大粒の脂汗が額から流れたところで拳打は止んだ。呼吸のし難さに、またも意識が遠のきかけた。ここはいつの間にか拷問施設に生まれ変わっていたらしい。

「次は顔に打つよ」

「いい一撃だな、さすがはクロノアだ」

「それって誰のこと。私はカリンだよ。カリン・ハイドラ・イフリート」

「カリン様、彼は混乱している状態なので何を言っても理解できませんよ」

新たな声がカリンを止めた。あの男だ。

「捕まえて一日以上が経過しているにも関わらず、彼は特に何も要求しない。アヴェロス様から精神が混乱している節がある可能性があるから安定するまで放っておいて上げてほしいそうです」

「ふ~ん、そ」

カリンがどこかに消えた。後ろから音がするので、クロノスの背後で何かしているのだろう。

「来るのが遅い、もう少しでアイツの喉下を噛み切れた」

「それはよかった。カリン様は我々の救世主です。壊されては困ります」

「壊されては困るか……さすが異常集団。異形として見るか」

「化け物を人と見るほうがおかしな話です」

「俺からしたらお前たちのほうが常軌を逸しているけどな」

「常軌を逸しているならアルビノであるあなたたちのほうでしょう。私の家族はあなたたちに殺されましたよ」

「それで? なに?」

「どうもこうもないですよ。私から生きる目的は失われました。この先、死ぬまでの長い時間を孤独に生きることを強いられた。差別主義ではないですが、あなたにだって怒りがある」

男の指先が胸を突いた。その目がすぐ側にある。以前とは違う、男の感情がむき出しになっていた。

「人をゴミのように踏みにじって混乱を招き、恐怖で人民を統制、支配する。どれほどの人々が不幸になったのか想像したことがありますか?」

「さあな」

「その目、その目ですよ。忘れもしません。どんな罪人も自分には非がないと言わんばかりに仕方がないという目……許せない。許せない。私はあなたたちを許したくない。いまもこの手であなたを斬りたい」

その瞬間、男の本音が告げられた。剣の刃がそっと首筋の温度を下げた。

その瞳の奥に構える悪意。大切なものを失った男に、力が添えられる。奪われた者が辿り着く道は、いつも一つだ。

「お前の怒りはどうでもいい、それよりもあの女は俺以外の奴に手を出したのか? それだけ教えろ」

「さあ? 

現場にはアヴェロス様とカリン様以外誰も行っていませんのでわかりませんよ。仮に手を出していたなら、どういう結果を生んだか片割れのあなたならわかっていると思うのですが、違いますか?」

「クソが……」

どうもこうも状況が悪い。依頼人を危険な目に合わせることだけは流儀に反する。気持ちが悪いほうに落ちていった。

「カリン様はアヴェロス様に絶対服従なので生きてはいるかもしれませんよ。手を出していなければ」

「そうかい」

この男の態度が癪に障ってきた。

「……馬鹿な話だが、こうして捕まり、正体を明かされ、実験材料として使用されているにも関わらず俺は安心している」

「……どういう意味ですか」

「別に。俺はとある加護の力の影響で人が全然近寄ってこない。いや、化け物として扱われたことで話しかけてくる奴すらいなかった」

「だから、何だって」

男が顔を近づけると、クロノスは声を潜めて言葉を重ねた。

「お前にしろ、アヴェロスにしろ、そこの紛い物にしろ、俺に話しかけてくれる存在に安心しているのさ」

「そんなことですか」

クロノスの腹の中で黒い塊が叫びたがっている。この男が口にした言葉の数々が、突いてはいけない部分に触ってしまったのだろう。だが、男はそんなことが起こっているとは知らずに目の前に立ち続ける。

この世に生まれてから幸せというものを手にしたことがない。幸せというものをクロノスは知らない。

「お前はさっき俺とアルビノを一緒にしていたが、あれは正しくない。どうして俺たち双子がこんなクソ実験の材料に選ばれたのか、わからないだろ。ただ力が強いだけとかそんな底辺の理解力だけなら拍手喝采ものだ」

「何だと……」

「俺たち二人はアルビノたちからも忌み嫌われているということだ。人間からも見放され、同族からも見放される。ただ一人の理解者を除く世界中の人間から見捨てられる。不幸な気持ちだと? 

お前がそれを口にするな。孤独に生きることの苦しみをお前が語るな――」

「…………」

男は黙ってクロノスを睨んだ。その目には怒りと哀れみが混ざり合っていた。

対等の立場であってこそ繋がりを持てる。人間と人間。アルビノとアルビノ。この境界に踏み込む資格はもっとも分かり易い、単純に力だ。

力というものは最も分かり易い伝達方法だ。示すだけで信頼を勝ち取り、人望を得る。

だが、そうではない。強すぎる力を持ったがために、理解されない。恐れの対象として認識されるがまま、追いやられ居場所を失う。誰も考えやしない、その人が生きる世界の意味を。どうして、そんな世界で生きているのかを。

世界のどこにも居場所を与えられない。生きていくことに対する否定の視線。

「俺の生きる世界とお前の生きる世界を同じにするな。相手にしている規模を同じに見るな。この意味がわからないなら、お前はもう死ね」

「くっ……」

逃げるように去っていく男の背は、視界の外に行ったために、すぐに見えなくなった。

残されたのは背後にいるカリンだけ。いまの会話は聞かれていただろう。聞かれても困る内容ではないので内容に問題はない。ただ……

「少し熱くなりすぎた」

滅多に吠えない生き物が静かになったところで、気持ちが軽くなった。いまの会話で死んでもクロノスは何も思わない。それが男の運命だ。

「息が荒いけどどうかした?」

このクローンもまた生きる世界が違う。人の手によって生み出された、運命を捻じ曲げられた悲しい化け物だ。

「化け物は……」

「ん?」

「理解されたい部分と理解されたくない部分……どうだか、簡単にわかったように言われることが何よりも嫌いだ。畏怖されることよりも、近づいてくる奴が嫌いだ」

手が自由なら、呪いがなければあの男に地獄を見せてやりたかった。

「この苦しみがわかってたまるか」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ