三騎士
騒がしい音の中でも、確かにその声は届いた。
「どうした?」
この日は大陸全土から名立たる名門一家が城に招待されていた。招待客は大広間で豪華な衣装に身を包み、用意された料理を口に運ぶ姿は上流階級ならではの光景だ。その笑い声に頬が自然と引きつっていった。
彼もそれは同じだった。
なぜ、ここに来たのかといえば彼も上流階級の人間だからだ。権力の犬と揶揄されるだけあってこのような催しには積極的に参加する。望んだのは彼ではなく両親だが……
クリスタル王国。
名目は適当で彼まで伝わっては来なかったが、国王の嫡子が偉大な事をしたと両親から伝えられた。事実、この国の世継ぎは有名であった。
王族の家系は必然的に有能な魔術師を生み出す仕組みになっている。側近である魔術の名門として構える貴族も王族ほどではないが強力な魔術師を輩出する。その枠組みに納まるこの少年は今回の主賓の片割れだ。しかし、諸事情で彼は人気のないバルコニーにいた。そんなクロノスに話しかける者は誰一人いなかった。
彼を除けば。
「どうした?」
言葉の意味を理解するのに少年は時間を要した。クロノスが取り込まれた世界に関わろうとする好き者はいなかった。心が不安定な自分は危険な存在として認識されていた。
片割れである姉は常に自信に満ち溢れており、クロノスのような認識はされていなかった。逆に幼いながらも周囲を圧倒する実力に重宝された。どうして彼は自分のほうにきたのか、わからなかった。
レン・リッジモンド。それが彼の名だ。
三大王国の一角とされているシェリフ王国の世継ぎだ。芸術方面に特化したシェリフは争いを好まない中立的な立場だ。戦いよりも民に対する心遣いを大切にする優しい国として認知されている。魔術師としての能力は貴族の頭一つ抜け出したものだが、彼だけは何かが違った。噂話なんて当てにならないが、レン・リッジモンドはシェリフの歴史上唯一名を馳せた天才だ。
天才だからどうだとかそういった部分は曖昧なもので興味があったのが本音かもしれない。王族同士が顔を合わせることはこんな催事でもない限り、実現しない。噂を鵜呑みにしてイメージするのが当たり前みたいなものだ。だからこそ、彼が一人でいる姿をチャンスとも思った。普段は協定や制約が他国との交流を妨げる要因もしがらみも邪魔をしない。不穏な発言すら問題する輩もいない。
それは相手がクロノスだからだろう。
彼を見ればすぐに分かったことだが、どこか虚無的な部分を持っていた。姉とは違い暗くて後ろ向き、こういう場所に参加することにも躊躇する。彼の魔術師としての実力は姉と肩を並べるほどにも関わらず、心が弱く見えない何かに足を絡めとられているために実力を発揮できない。戦うにしても魔力の制御が上手くできないために魔力が暴走してしまうことが度々あったらしい。
彼の表情は欲に塗れたこの場所には罰が悪すぎた。クロノスにとって過酷な世界を生きるように感じるのかもしれない。彼を見る視線はどれも彼自身を見るものではなく人とは違うものを見るものだった。
だが、そんな事情は彼自身よくわかっているつもりだ。わかるからこそこうして人を気にする必要があり、恐怖心に身を震える日々を強制される。体内に内包されているこの力が作用して誰も近づいてこないのも考えを変えればいい傾向にある。
「俺が恐くないのか?」
だからクロノスは、いままで不用意に近づいてきた人間と同じ質問をレンにもぶつけてみた。
質問にレンは機嫌が悪そうに眉を寄せた。後から知ったのだが、相手の眼を見て話さない奴が嫌いだそうだ。
「お前頭でも打ったのか? どこに恐がる必要がある」
平然と切り返された挙句に身の心配をされてしまった。頭を打った記憶はないが、恐れる必要は王族なら知っている筈だ。
「だって……俺は王族でアルビノだもの」
歴史上類を見ない王族の神格化は、世界中の王族間で話題となった。逆に戦争期だったこともあり、他国への軍事侵略という疑問も浮かび上がったが精神的に不安定な魔術師による自国への被害を考慮するとそれ以上語られなかった。
「だから、それがどうかしたのか?」
招待客が帰路に帰る時間帯に雲が流れ、光が差した。バルコニーの先、この辺り一帯の土地はクリスタル王の所有地とされ、整備された広大な大地があり、ありのままの自然が生き生きと存在していた。反対側には城下町が眠っている。朝になれば活気に町は踊りまわる。
夜に溶け込む黒髪黒眼がクロノスに睨んだ。ピリピリした空気は彼から発せられているようでクロノスの足下にある石が突然爆ぜた。
「周囲の大人がお前をどう見ようが関係ない。どう思って、判断してもお前が気にすることなんて何一つない。王族だとか、アルビノだとか、気にしてウジウジしているなら、俺が目を覚まさせてやるよ」
その眼にはクロノスに対する苛立ちがあった。恐怖も不安もなく、目の前の分からず屋をぶったたくように骨を鳴らす。
小さな音がクロノスの耳に入ったら、景色が変わっていた。気配を探っても誰もいない。色素が抜け落ち、白い光景……結界が張られた。こんな景色をクロノスは体験したことがない。もっといえば、クロノスと見受けて攻撃を仕掛ける奴がいない。
姉以外で二人目の相手。それがレン・リッジモンドという人物だ。
その後の彼との関係はいたってシンプルに親友となった。傍にいてくれるだけで心が軽くなっていく。腕を交えるだけでクロノスは力を学んだ。誰にも文句を言われないように、自らの願望に相応するために、二人の後ろを追った。そしてそんな時間がクロノスにとっての笑顔に繋がると思っていた。
そんな二人はこの世から消えてしまった。生死を確認する必要もない。
†
魔導騎士。ダースレーブ王国の中央都市に構えるギルドを束ねる上位組織が定めた強大な魔術師が得る称号だ。十名の騎士は一騎当千の実力を持ってして敵を討ち滅ぼす。魔導騎士は特別で特別な魔術師。負けることは許されない。
「この報告書はどういうことだ」
「そのままの意味です」
そこは両サイドに多くの資料が山積にされている狭い部屋だった。中央支部のとある一室。中央には長大の机があり、セリュサと正面に二人の人間が椅子に腰を下ろしていた。
セリュサに怒鳴った相手は複数の紙を机に叩き付けた。二十代の後半だろうか、肌艶からまだまだ若い印象を受ける。疲労が溜まり易いこの職務に反して健康そうだ。隣にいる老人は黙ってセリュサを見ていた。
顔に傷の入った老人に、喉が鳴った。この部屋に入って一時間ほど経過しているが老人は一言も話さずやり取りを伺っていた。
こういったやりとりはそう珍しくもない。中央支部の掲げるものに少しでも反していればこうなることは暗黙の了解だ。上層部の人間はそういった批判家しかいないと陰で言われることもある。
セリュサの反応もそうだが、報告書に書いてあることが気にいらなかったらしい。まあ、自分自身でも気に入らなかったが、出さなければならないものを未定では済ませられない。理不尽なことにいちゃもんを付けられるのはここで慣れた。
この男がどんなに怒鳴っても答えを変えることはセリュサにはできない。この問題を終結させるのは不可能だからだ。嘘、偽りを記した覚えはない。ありのままを記した。
「今回の監察結果は特に不審な点はなく、迅速な対応で依頼遂行がなされたということです」
「そういうことを訊いているのではない。その遂行者の詳細が何も書かれていない。あまつさえ、気がついたら列車の中とはどういうことだ」
「私にもわかりませんが、遂行者の名はギルド全体で秘匿されているようなもので私では開示まで時間が掛かります」
「中央支部の魔導騎士にも秘密にしなければいけない人材がいると?」
「それはわかりません。私が担当したルナという魔術師はそれほど腕の立つ者とは思えませんでした。相手もマジキャットだったので、厄介でしたが、恐れるには足りなかったのでしょう」
「星降る家のギルドマスターは?」
「マリア・フロラリア・ルーチェです」
そこでセリュサは老人の体がかすかに揺れるのを見た。ギルドマスターとしての職と一般人の療養を兼任する彼女は中央支部が開催する催事には欠席するのが常連とされていた。この支部にも彼女がマスターになって三度訪れてからこなくなった。
「西都を代表するギルドなだけに召集に応じることが困難なのは理解できるが、その立役者を隠す必要がわからない。マスターマリアが隠しているもの……」
「優秀な人材か、または表沙汰にできない人物と推定します」
「確かめる必要があるな」
それで初めて老人が口を開いた。セリュサの報告書を手に取り、読み取ると何かを考え始めた。現役を退いてもおかしくない年齢だが、老人は衰えを知らない。
「マリア・フロラリア・ルーチェの資料はあるか?」
「生い立ち、成果、能力全て確認済みです」
「ここでの話し合いは無駄だ。一先ず、マスターマリアに会いに行く、話しはそれからだ」
「はい」
老人の参加によって長かった会話が終わりを見せた。男は席を立つと通信機で声を飛ばした。
「もしかしたら相手は大物だ。容易に手を出すな、返り討ちにあいかねない」
何か思い当たる節があるのか、男が部屋を出た後、老人が部屋を出ようとすると背後から強い視線を感じた。
振り返るとセリュサが、身に付けている紋章の入ったマントを机の上に置いていた。
「アヴェロスさん」
机の上に置かれたマントは魔導騎士の資格を表すものだった。これを身に付けることが魔導騎士たるものの役目であり、証明。このマントを得るために監察官は己を高める努力をする。
「どうしたセリュサ」
アヴェロスと呼ばれた老人は机の上に置かれたマントをそれ以上見ることはせず、セリュサの言葉を待った。
このマントを外すということがどういう意味なのか考えることもなく簡単な思いで辿り着いた。
セリュサが告げた。
「私は魔導騎士の称号を返還します」
「どうしてそう思う? お前はその若さで十分な実力を発揮できるのだぞ」
立ち上がるセリュサにアヴェロスは怪訝な顔をした。
「その理由は私にはわかりません……でも、何故か私は自分の力が足りないような気がするのです。自分に実力があるとは思えません。ですから、もう一度一人の魔術師として力を付けたいです」
今回の監査がこういう結果になったことが大きな理由かもしれない。身に覚えがなく、いつの間にか星降る家に帰っていた。
セリュサのことを知っているだけにアヴェロスの答えるのに渋った。無言を貫き通そうとした時、動いた。
手を差し出した。
その瞳に迷いはないと思わざるを得ない。どんなに言っても聞きはしないだろう。嵌められた気分になったが、案外消化するのに抵抗はなかった。魔導騎士を辞める人間はいままでいなかったが、競争率が多いこの世界でドロップアウトしても咎める者はいない。逆に魔導騎士の席が空いたことで軽い騒動になりそうだ。だから、自然といえる言葉であった。
「セリュサ、お前の判断が正しいかどうかは私にはわからない。だが、一度決めたなら貫き通すことだ」
アヴェロスは言ってセリュサの手を握った。
「はい。いままでお世話になりました」
「それでこれからどこに向かうつもりだ? お前ほどの実力者ならどこだって喉から手が出るほど欲しいだろう」
「いまはまだ考え中です。ですが、何件か絞りました。自分を高められる場所を選びたいです」
「セリュサの勘はよく当たる。それなら、私も安心だろう。これからは仲間ではなく、同業者としての関係になる。元同僚というだけでの特別な感情は抜きだ。それも踏まえてこの道を進むなら誰も文句はない。ここでの経験を生かして精進してくれ。相談だったら私がいつでも乗ってやろう。君をスカウトしたのは私だ、私が生きている限り、君の将来を見届ける義務がある」
そんな彼女は離れていってしまうのだが――
「それにしてもこの世は変わってしまった」
「……魔物の暴走ですね」
魔力汚染による暴走はこのときも続いていた。
「人間の前に姿を現すことがない平穏に生きる魔物すら、人前に姿を現し、人を襲うようになった。凶暴な魔物はより狂暴かつ強暴に、それはこの五年の間に人間にも広がりつつある。罪を犯す魔物や人間を裁くこと、それが三騎士の使命だ」
「以前から気になっていたのですが羽根と呼ばれる集団はどういったものなのでしょうか?」
「羽根は天空の使者が創設した魔術師集団の落ちこぼれだ。天空の使者のことは書庫にあった書物で知っていると思うし、人づてで訊いたことがあると思うが世界を滅ぼせるほどの力を秘めた魔術師だ。私も一度だけ対面したことがあるが声をかけることすらままならなかった。次元が違う存在と言ってもいい。それが生み出した大翼からはみ出した輩をそう呼称している。しかし、能力は一級品だ。魔導騎士以外では例外を除いて歯が立たないだろう」
説明をしながら、アヴェロスはセリュサの目を見た。孫を見る祖父の視線だろうか、アヴェロスを見るセリュサは大人びた雰囲気をなくしてこのときは年齢相応に見えた。
「例外……誰ですか?」
「月の使者と音の使者。一人で国一つ滅ぼすことができる異端の魔術師だ。奴らの前には羽根どころか大翼も障害にならない」
そう呟いたアヴェロスは思い出すように顔を遮る古傷に触れた。
†
いつもと違う景色を眺めている感覚は不思議なものだった。
「どうしてお前がここにいるのか説明してくれ」
だが、それは一人の時に感じるものであって、隣に誰かがいる場合は別だ。
山吹色に染まった山岳が横に流れていく様子に時間の流れを感じている余裕もなくなってしまった。
漠然とした空気がこの場にある。乾燥した空間でもいい。とにかく、嫌な件に足を入れてしまったことに後悔の念は尽きない。
ここはレプティレス王国の領土。そして現在は長距離列車のボックス席で四日目の正午を迎えた頃だった。年期の入った車両からは鉄錆の臭いと金属が軋む音、豪快に風を切り進む音に耳も慣れた。
車内販売で買ったパンを咀嚼しながら、今の置かれた状況を整理していく。
レプティレス王国。珍しいことに遠征の依頼だ。正確にはマリアの持つ、女の勘によってイリティスタがここらに現れるだろうと予測してこの依頼を受理した。マリアも半信半疑だ。ミュルアークの一件から、クロノスはイリティスタを追い続けた。再会を果たせたのはミュルアークでの一度きりだが、存在が確認できればそれでよかった。
運命が存在するなら、必ず逢えるのだから――
「この度、正式に星降る家の所属になったセリュサ・ルーヴェン・ベルリカよ。異名とかは教えたからいいよね」
頭の中身をぐしゃぐしゃに掻き乱したくなるほどの衝撃に真面目な思考回路が働くわけもなく、さきほどから無意味な言葉を並べ続けている。
別れてから再開まで驚異の早さだ。
イリティスタではないのが残念なのはいうまでもない。
二度目の自己紹介が済んだところでセリュサもパンを手にとって口に運んだ。その様子を隣のボックスに座っている若い男たちが食い入るように見ていた。クロノスはそっち方面には興味がなくて無視していたが、セリュサは美人だ。ただパンを食べるという動作でも絵になる美しさがあるのかもしれない。
しかし、美人の前にいる全身黒ずくめの謎の怪しい人物がいてはそんな絵も酷評物だ。
男たちがセリュサに声を掛けたいのを視線だけで押さえつけている。文字通り、目力に圧倒されて動けないでいた。
例え動けたとしても真面目一本のセリュサが相手にするとは思えない。堅物でもいい。
ミュルアークの件でよくわかった。
実力までは見ることはできなかったが、結果論をいえば実力はある。だが、クロノスのいる世界に入り込めるといえばそれはない。負け戦を経験した結果がここ来たとしたら良策といいたいが――
(マリアの奴……帰ったら消す)
図られたこともそうだが、気付かない自分も嫌だった。
合流したのは一昨日だ。最終目的地であるこの地に来るまで別件の依頼を複数こなしていたクロノスは、マリアの言伝でプラットホームに腰掛けていた。あとは分かる話、そこにセリュサが来てクロノスは絶句して、怒鳴るのを堪えて穏便に列車に乗り込んだという図式になる。
セリュサも遠征の依頼をこなしながら、ここまできたらしい。内容はギルド内では高ランクのものばかりだった。
中央支部で、魔導騎士で、名付き、それも太陽の使者なら当然と思える。
それに比べ、自分がこなしてきた依頼は最後を残してどうしようもないものばかり、仕方がないとはいえいい気分ではなかった。
「それよりも今回は何の依頼?」
紅茶を優雅に飲む姿に男たちからかすれた声が上がった。ここまでくると気持ちが悪かった。
「レプティレス王国の問題解決だ」
大雑把な内容に首を傾げたので、取り出した羊皮紙を手渡すと、頷いてくれた。
『人員不足により国が危うい。強力な魔術師を二名求める』。こう書いてあるのだから間違いではない。
このご時勢に国落としなんて馬鹿な真似をする輩はいないと思うが、貧困の差が激しい大陸では小国と漂流人民が対立し続けているとも聞いている。救援要請が王国なだけに無視もできない。
それにこの大陸に着てクロノスは何かを感じていた。危険に対する嗅覚に反応はない。近々ではなく、未来に何か起きるということだろうか。
不安が募る中で列車の速度は落ちていった。訪れたのは岩壁のように聳え立つ城壁に囲まれた城下町の中心部。時計のように十二の施設が円形に並べられているのが、面白いと国外から評判がいい。秒針の機能も防衛という形式で働いている。ポッカリあいた頭上からの対策として結界を生み出している。クロノスは目の前の石段を上ると近くにいる守衛に近寄った。
守衛は手に持つ槍の先をクロノスに向けると脚を震わせた。その行為は至極当たり前でクロノスも怒りはしなかった。
ただ、出迎えに誰も出てこないのは初めてだった。
「この手紙の主に会いたい」
顔面が蒼白していく守衛に手紙を放る。読んだ守衛は背後にいるセリュサを見て安心したのか大門を開いた。
城内は殺伐としていた。絵に描いたような光景にクロノスは亡国がどれほどの国だったのか改めて知った。王国として競っている一つの庭園も一般家庭の家庭菜園のような質素なもので、剪定している庭師も怪しいものだ。道成に進むと、装飾された王間の隣の扉の前で止まった。それは結界が施してあり、一般人や能力が低い者には視認できないようにされていた。豪華な扉の隣にこんなものがあったらおかしいので当然か。
そこで守衛と別れるとノックもせずに扉を開けた。中は思ったよりも広かった。そこにいたのはたった一人で室内の備品も最小限に留められていた。ここで暮らしているといっても過言ではない。室内に充満する臭いに呼吸をすることを体が拒否反応を示したが、息が出来ないのはこまるので諦めた。装飾されたマントにはこの国の紋章が刻まれていた。黄金と銀で彩られた見事な一品だ。
「随分、手薄な警備体制だな」
クロノスはここまでの感想を素直に述べた。
守衛を除けばここまで魔術師と思われる人間とは一人も遇っていなかった。王間には国王の気配すら感じ取れなかった。
「この度は依頼の受諾、感謝する。こちらに座ってくれ」
書類の束をどかして場所を確保すると二つの椅子が現れた。テーブルの上にはその分山が増えた。示された椅子に腰掛ける。
ひどく場違いな場所にきてしまった気分でため息が零れた。
長剣を外すと相手も腰を下ろした。真剣な表情だが体から出ている陽気なオーラが中和して、台無しだった。
「この城には他に実力者はいないのですか? 城下もそうでしたが、賊の侵攻を簡単に許してしまうような気がします」
「それが問題でね。少しって八年前だが、大きな戦争で同胞が魔物にやられてしまって三人生き残ったが、いまでは俺だけだ」
苦笑しながら男は言った。
「他の二人は?」
「一人は行方不明、神経図太いからどこかで生きていると思うがこの大陸にはいないだろうな。もう一人はそいつに殺された。国に仕えている末路だ」
それ以上、二人のことについて男は語らなかった。済んでしまったことに文句を言ったところで問題がどうこうなるわけではない。二人がいないという事実だけ知れればいい。
男の名前は、フリード・レプティレス・ジルフォニアといった。その名にセリュサが反応し、クロノスは首を傾げた。有名な魔術師なら異名を持っている筈だが、クロノスの記憶にフリードのものは出てこなかった。大陸間のことまで情報網は構築していない。だが、その身に宿す魔力は少なくともセリュサを超えていた。
戦争を体験した者なら実戦が通常の依頼よりも高度なものだと実感できる。つまり、生き残ったこの男はそれだけで強力な魔術師とわかる。
どちらにしろ、クロノスたちに救援要請をした以上、実力云々に助けてもらいたいことがあったのだろう。
「それでこの度の依頼は?」
「星歌祭までの護衛を頼みたいと思ってね」
「……それはあなた一人で事足りると思うのですが」
フリードの答えにセリュサが訪ねた。太陽の使者である彼女が疑問に首を傾げているのがクロノスには新鮮だった。
「『神雷』とも呼ばれる雷魔術のエキスパートならどのような相手でも瞬殺でしょう」
「それができれば苦労はしない」
異名を呼ばれたことに、フリードは両手を上げた。
「このところ高魔力体で能力が飛躍的に増長した連中が多いのは知っているだろう。下位魔術で撃退できた連中がいまでは高位魔術だ。それが連日訪問してくれば休む暇もない」
「なるほど」
「レプティレス王国は立場としては悪い位置ではないが、保有戦力は全盛期から弱小に成り下がった。だから、こういうと時は苦労する」
そのことならクロノスも知っていた。レプティレス王国の立場は上流階級に近い位置付けで多くの有能魔術師を輩出する国だ。また漂流人民と呼ばれる孤児や住居を持たない人々を救うなど慈悲深い国としても有名だ。
レプティレス国王に付いていた側近の影響だと噂で聞いたことがあるが、詳しいことはわからない。
「大変ですね」
レプティレス王国が所有している領土は大陸の三分の一。
国土としては最大のものになるだろう。それも全盛期の遺産といえる。いまは国境警備も衰退したことで幾分かラインを下げているとのこと。
現在の領土での安全圏は半分以下になっている。
このラインを突破されないように期限内まで護衛をするらしい。
「それで依頼内容はわかっていただけたかな?」
フリードが広げた地図で説明しながら尋ねてきた。
「ええ、国境までの全域の警護ですね。他は追加で申していただければ随時対応させていただきます」
「依頼してよかった、これからよろしく頼む」
「こちらこそ――!」
「どうやらさっそくお出ましのようだな」
契約を済ませ上機嫌なフリードにクロノスは額を押さえた。移動している間に夜になった。レプティレス王国の外は戦争の影響で荒地のままだった。独特な地形は自国にも相手にも身を隠すには有利になる障害にもなる。
目的地から少しなれた高い位置から見下ろせば火の玉が浮いていた。
大きな川のように続いきながら、綺麗に流がれてくる。
自然現象だったら神秘的な光景だが、火の玉は人工の副産物だ。警戒する気はないのか、魔力を垂れ流しにしている輩もいる。自信があるとしたら、ただの馬鹿だと思う。このペースだと一時間も経たない内にラインに到達するだろう。
「敵勢はざっと二〇〇弱、魔術師と一般人の集団みたいだ。目的は食料と財だろうな、力はなくても独自のパイプから収入源はあるからな」
「頑張りますね」
強化した視力で確認すると、フリードが簡単に説明をしてくれた。この人数はいつもと比べたら少ないらしい。
先頭を進む男が声を上げていた。安っぽい魔導具を全身に貼り付けた細身の男だ。
目的がわかったところで二人は跳んだ。着地したのは先導している男の正面、その周囲にいる者たちはいきなり現れた存在に足を止めた。外見年齢はバラバラに見える。手に持つ武器は農具刃こぼれした剣や折れた槍だった。
実力差がよくわかった。
「これ以上の進行はやめていただけませんか?」
先導の男が進行を止めると、クロノスは問いかけた。セリュサは彼の隣で立ち、覇気で牽制していた。
「見たことのない服装だな、レプティレスに雇われた魔術師か」
男は分が悪そうに顔を歪めながら答える。筋肉のない体は力のなさをそのまま表しているようで枯れた樹木のようだった。
「その通りですよ。簡単にいえば、このまま引き返してくれれば命まではとらないということです」
「断る。俺たちにも俺たちの生活がある。生きるためには必要なことだ」
「それでは、こちらもやるだけのことをするだけです。どうせ生活といっても踏み外した世界を歩くだけでしょう」
「ガキのくせに達者な口ぶりだ。この世界がこうなったのはどうだ? 戦争によって住処を奪われ、追われた俺たちが生きるにはこれしか手段がないのさ」
「それが悲しいのです」
「……どういう意味だ」
俯くクロノスは聞こえるようにため息を吐いた。セリュサもクロノスの言いたいことに気が付いたのか目線を逸らした。
それから哀れむような視線が向けられた。緋色の瞳に男以外の人々が後ずさりを始めた。尖れた刃のような視線だ。
男の顔を汗が流れた。
「何が言いたい」
「あなたたちは本当に生きているのでしょうか? 生きるだけならこんなことをせずに生きることが可能でしょう」
「黙れ……」
周囲の空気に重苦しい要素が追加された。クロノスは一瞥するように身なりを確かめると大きな身振りで手を振った。
「贅沢をしてきたのでしょうね。生活水準を下げることに不快がある。それなりの力があったからこそ、見られない現実と直面したときに判断を損なう」
「……お前になにがわかる」
男は平静を維持しようとしたが、それは失敗に終わった。己の中にある闇をこんな子供に知った口を聞かれる屈辱は相当なストレスになる。ガチガチと音の出る口内で男の感情に変化があったことを告げる。
「わかりませんし、わかりたくもありません。あなたたちはこんなことを始めたときから敗者です」
その言葉を合図に男を除く人々が走る。
松明を放り捨て、手に持つ武器を放り投げ、力のない者は体力の続く限り、逃避行を開始した。
それでも多くの人間が残った。魔術師だろう。子供だと侮っているのが表情でわかった。制御もせず、魔力を垂れ流しているのが強いと思い込んでいるらしい。
「言葉のわからない者には死よりも辛い地獄を味わってもらいましょう。健全に生きることを放棄し、欲にまみれた人間は要らない」
「お前たちの尺度で俺たちは測れない」
男は汗を拭いながら魔力密度を高めた。
魔導具に魔力を走らせ、叫んだ。
「俺たちは死なない。生きて、生き残ってみせる」
魔導具が男の魔力に影響され形を変える。変化形の魔導具は主に武器や防具に変わるものだ。常時魔力を流し続けなければ形を維持できない都合の悪い魔導具は一般市場で金さえ払えば入手できる。
その証拠に男の魔力量が一気に減った。
「頑張ってください」
数歩下がり、セリュサに視線を送った。魔術師として動けるが相手をしたくなかった。
他の魔術師も男と同様で変化形の魔導具で戦闘態勢に入っていた。後ろにいるフリードの笑い声が耳に届いた。知っていたなら最初から言ってくれればいいものを、悪趣味な依頼主に気分を害した。
「私が全員倒していいの?」
クロノスの提案に、セリュサはマントを外した。
「私の流儀は無闇に命を奪うことは賛成できませんが、本来なら命は奪っても問題ありません。彼らは踏み外してしまいました。そして罪を重ねようとしている。止めてあげてください」
だが、本音を言えばやはり死んでほしくはなかった。こういう形で出会わなければクロノスが何かしらの援助をすることが出来たかもしれない。逃げた人々もそうだ。簡単に心を許してしまうなら、何度でも牙をむき出すだろう。
「なら、殺さずに止めればいいのね」
「できますか?」
静かに魔力活性をするセリュサは淡々に答えた。
「方法がないわけじゃないわよ」
魔力循環を速め、濃度を上げていく。これだけで魔導具よりも数十倍の硬度のある鎧と化した。
「私の実力を見せたいのですが、新入りのあなたの実力を知っておくのに絶好の機会でしょう。いきなり組まされて拍子抜けはごめんです」
「腕試しにはちょうどいいのかもね。次はあなたの番だからね」
セリュサの言葉に魔術師の集団が動き出した。諭されることに慣れていないことも、諭される理由もここには必要ない。
「どうぞ」
セリュサの体を魔力が満たした。
クロノスはこの先の未来を予測した。
「どこからでもかかってきなさい」
痺れを切らした子供を叱り付ける戦いが始まった。
「やれっ!」
男が叫んだ。体内を活性化させていた魔力を爆発させ高速移動から、剣を振る。
常人には速いと思う動きを、セリュサは魔力を帯びた右腕を動かすことで鈍らせた。
解放された魔力に魔術師は宙に飛んだ。衝撃で鎧と剣にひびが入り崩れる。轟風が地面を巻き込む。身近にある岩石を掴み取ると砕いて投げた。魔力の込められた石弾を守る術を彼らは持っていない。
背後のクロノスに影響はない。
驚愕の視線がセリュサに突き立った。男から魔術師たちから、フリードから。
背後のクロノスは悠然と構える。
「太陽魔術――太陽と幻の矛盾」
体内に溜め込んだ魔力を解放した。色にして赤みを帯びた波動がここら一帯を支配した。熱気に体が燃え上がる錯覚、神経に異常が現れたのはすぐにきた。
視覚と聴覚、セリュサが増えていた。地面を削る足音に導かれ見渡せば、それも男たちを取り囲む形でいる。
限定した領域内で無数に現れる分身。
セリュサは動いた。
そこから先は単調な作業だった。魔術師たちは最初の攻撃で慎重になり過ぎて動きがぎこちない。戦意喪失もいいところだ。フリードが困るような相手とは思えない。レベルも低く感じる。日々の修練を疎かにしていたのか、魔力消費が早く唯一の守り盾であった鎧は元に戻っていた。その肉体は一般人と変わらないものに下がっていた。魔力枯渇による倦怠感に悩まされながらも剣を取る姿に笑ってしまう。どうして逃げないのだろう。
拳を叩き込む。
一人ひとりの前に移動して立つ。
幻覚に気をとられている内に体の四肢を潰す。あるいはがら空きの体に掌を当てる。
力をこめる。
目の前を血が舞う。
骨を砕く硬い感触が手に伝わる。
消費した分の魔力が瞬時に全身を満たす。
突き出される拳。全身を流れる魔力が筋肉密度を増長させ、そんな肉体の力は増す。
「強化した肉体による一撃でも加減する必要があるのね。ま、骨折ぐらいいいわよね」
そんな言葉を手向けとして送っては殴る。
ここまで圧倒的に差が出てしまうと、どこまでも加速する速度に力の入り具合も加減が出来ない。
疾走感が心地よい。
そこそこの速度で対応しているのに相手は反応できていない。この程度で国落としを実行しようとしたのだから驚きだ。恐怖に強張った顔をされても困る。セリュサを見る視線は徐々に消えていく。
行動を奪い、呻き声が大地に充満していく。それがクロノスの予想した未来であるようにセリュサは繰り返す。
男の前に立った時には、セリュサの手は赤くなっていた。加減しても相手の肉体を壊したことに変わりはない。貼り付く血の臭いが鼻腔を付いた。
「ぐ……」
一瞬で十連以上の打撃。くぐもった声が零れたが、男の四肢は壊れなかった。代わりに魔導具が破壊された。恐怖に凍りつく男を見つめる。
「ハイ、最後」
逃げようとする男の首に手刀を決めると拍手が聞こえた。
「骨折は仕方ないとしても見事ですね、ベル」
クロノスの乾いた声が重なった。意識を失った男から魔導具の欠片を取り去る。クロノスは懐から小瓶を取り出すとセリュサに投げた。
荒地に蹲る人間が一ヶ所に集められていた。いつの間にかクロノスが集めていたらしい。山のように積み上がっているのを見ると相当残っていたらしい。
小瓶を見つめるセリュサが意図を察すると男の顔に一滴垂らした。液体が染みこんだことを確認するとクロノスが胸倉を掴んだ。
「全員生きていますから、命が惜しければ帰って農村を築いて生活してください。今度は命を奪います」
意識を取り戻した男は震える体で何かを呟いた。クロノスはそれに対する答えを呟くと山の頂点に投げた。崩れる山が淡い光を発すると青い炎が包み込んだ。
「まあ、念のために保険をかけましょう」
さようなら。
「またどこかで会いましょう」
その時のクロノスを見ていたセリュサは背筋を震わせた。
大きな音に炎が消えた。そこから男たちは一斉に目を覚ますとなりふり構わず走り出した。手足を大きく振っているところ、治癒の炎だったらしい。見たことない魔術に目を見開いた。
「若いのに二人とも凄い腕前だな。これは報酬が馬鹿高くつきそうだ。国の財力が傾いたらどうするか……」
男たちの姿が完全に消え去ると、フリードが二人の間に現れた。
「とにかく今回は助かった。城に戻ろう」
「ルナ、早く行くよ」
マントを身に付け先に跳ぶセリュサにクロノスはため息を吐いた。雷将は微笑むと今後のことを語りだした。
「魔物から人間か……お前はどこまでも主に忠誠を誓う。その心を認めない姉を許してくれ……イリティスタ」
もう一度ため息を吐き、クロノスは二人を追った。
このような戦いはうんざりだった。用意された部屋に入れたのは朝方近くだった。
名高い王国の一室もここは質素なものだった。
ベッドにはセリュサがいる。付き添いなので先に部屋に行かせた。
クロノスは衣服を脱ぎ捨てると、浴室に向かった。
冷たい水に身体の熱が奪われていった。
水気を吸った髪の毛が視界を覆った。
「朝か……」
ゆっくりと目蓋を上げたクロノスは自分の変化に苦笑した。どんなに力を込めても夜のように魔力が走ることがない。
人間としてのこの時間帯ほど怖いものはない。ただの人間として活動しなければいけないこの時間に依頼を遂行する時ほどそう思う。
怯える時間というものは懐かしいものだった。昔は毎日がこんな時間を過ごしていた。恐いという感情は周囲ではなく自分に対するものだ。
魔術師ではなくても、もう一つの力は使用できる。
目を閉じればクロノスの脳内に勝手に浮かび上がる光景。風が見せるレプティレス王国の風景。
この国で人々は笑っていた。
危険な場所にいるというのに彼らは絶え間なく笑い続けている。違和感に胸が痛んだ。
王間を覗けば国王が仕切りに指示を出していた。大臣各人がドタバタと走り回り、現状を打開しようと政策に取り組んでいた。
その横でフリードが昨晩の報告を済ませたのか、姫君と話し込んでいた。
姫君の表情に偽りのものを感じた。フリードも気が付いているようだが、口には出さない様子だ。
自分にも共通する姿は、いつからだろうか。この身体になって五年。依頼に日々を費やすクロノスにとってはいまも昔も大差ない。
それでもこの五年はいままで過ごしたきたどの時間よりも濃密な時間だ。
星振る家での生活は苦ではなかった。マリアのいうように一般人の人々が治療にくる。薬による自然治癒力を促進させるものから、マリア自身が治癒魔術を施す。夜になればギルドとしての仕事が増える。ただの受付から魔術師に戻る時間。
(この五年よく生き残れたものだ)
この身体になって一般人が思う気持ちが理解できた。
魔力があることが普通とされる魔術師たちも同じ状況になれば命の大切さをわかってくれるだろうか?
きっとわからないだろう。昨日のように一般人でも武器を手にとって行動する。理由はどうであれ、自分がよければ他者を傷つけることに躊躇いを感じないのならば語る言葉もない。
どうして姉が自分にこの術を施したのか、そういうことを考えたこともある。
生かして、殺さない。
目の前で助けられる命が散っていくさまを見せ付けるためなら、悪趣味もタチが悪い。クロノスが誓いを立てる思いを踏みにじられていることが悔しい。
生きることが大前提。救える命は救ってみせる。そして、最後に交わした約束を果たすために命を賭ける。
「月の加護か……」
銀色の耳飾りが小さく光った。
†
「今回の相手は人間よ」
ミュルアークから帰ってきて三日、大量の依頼書と格闘しながらマリアは言った。
声には疲労が混ざっていた。
受付としての仕事の一つである依頼書を受け取りに来た。マリアが選別した依頼の束は全部で七つ。いつもより多い。
「どういうことだ?」
クロノスが尋ねる。
「あなたの言うイリティスタという存在だけど、装飾品内に封印されている意識体として考えるとあなたと対峙したことで人間をベースに変えてくる筈よ。それがここで起きる可能性がある」
「可能性の問題だろ?」
ソファーに寝転がるクロノスだが、この言葉を捨てきることはできなかった。マリアの勘は当たる。
「可能性も否定できないわよ。特に高濃度の魔力体が多いこの地域は人による犯罪が多いことでもギルド内で議論されている。あなたにしたら一人も万人も変わらないと思うけど、消えた方角からここにいるのは割かし高い」
「つまり、罪人を一掃してくれば行き当たると?」
クロノスはその言葉に自嘲した。
イリティスタが封じ込められた腕輪は一つの兵器だ。それを身に付けることによって肉体の操作権を与える代わりに絶大な力を得る。
一度身に付けてしまえばイリティスタが認めない限り、助かる兆しはない。クロノスでも戦う場所を選ばなければ甚大な被害が出る。
「そうね。簡単にいえばそうかもしれないけど、命を奪いたくないあなたからしたら辛い依頼よ? 漂流人民が多いから誰を寄り代に選んでいるか私にもわからないわ」
「いい、後は自分で探す」
黙り込むクロノス。マリアはあらかじめ用意していた、であろう個別の依頼書の束を掴むとテーブルの上に置いた。
「その件に関してはちょうどその方面から依頼がきているから切ってあげる」
「早い対応だな」
「ちょっと交換条件があってね」
「機嫌を損ねるものなら、止めといたほうがいいぞ」
クロノスは、はっきりと殺気を送った。
「太陽の使者との一件で俺が怒っていることは知っているだろう。これ以上寿命を縮めたくないなら、くだらないことはやめておけ」
「違う、違う、新規に一人団員が増えたのよ。だから、研修として連れて行って欲しいの」
「お前人の話、聞いていたのか? その耳が飾りとは知らなかった」
「そんなこと言ったって、クロノスが勝手に依頼こなしていったからこんな現状になったのよ。別大陸や地方からの依頼も増えて名付きの魔術師はあなただけよ。他は遠征で頑張っているわ」
いい年齢の大人が頬を膨らませる姿に、クロノスの顔が引きつった。
「派手に動くのはいいけど、動きすぎて尻尾掴まれても私は庇いきれないわよ」
「その時は国と対立する」
「だから……もう」
「とにかく、クロノスは新人連れて遠征依頼をこなしてきなさい!」
「ったくよ……それでその新人はどこだ」
「新人の子なら住処も探さなきゃいけないらしくて、今日は出回っているみたいよ。実力の程はどうかしら?
私は知らないけど、今回の研修で代わりに確かめといてね。年齢はあなたよりも上だけど、人物像に問題はないから喧嘩したりしちゃダメよ」
「喧嘩の火種を作ったとしたら、それはお前だ」
「それでも怒ったほうが負けなの。無事にイリティスタを破壊できることをここから祈っているからいってらっしゃい」
このようにしてクロノスとセリュサは再会を果たした。じめじめした空気は胸の中で不快感へと変わった。
「暗いな……」
手に集めた魔力による発光現象を光源として階段を下りていく。
「そういう仕組みにしているからな、正確に把握している奴は片手もいない」
前を歩いているフリードが石壁に触れながら言った。フリードは慣れているのかどんどん歩を進める。
「ところで俺だけを呼んだ理由は?」
セリュサは部屋で寝ている。深夜帯なのでクロノス一人でも問題はないものの気になる。
「彼女の戦力はこの場では必要ないが、君の能力はこの場では必要になると思ってね」
セリュサの戦闘能力を見た上での言葉だ。ここにきて数日経つが主だった戦闘行為はセリュサが担当している。クロノスは後片付けのようなことだ。
クロノスたちは城内の隠し階段から地下にいた。フリードが構えていた部屋の地下、さらにその地下にある用水路が流れる場所だ。広間の中央には七本の柱があり、内部から水を汲み上げ柱を濡らしている。透明感ある水は朱色に染まっていた。
その柱に男が縛り付けられていて、その前には三人の男が鋭利な槍を携えていた。
柱に縛り付けられている男の足からは絶えず血が流れる。これまで何度も刺されたのだろうことを示す穴だらけに足は紫色に変色していた。
先日の魔術師の生き残り。逃げ遅れたのか、もしくは亡命しようとしたのか荒地を彷徨っていたところを捕らえた。逃げ出したものはあの日以降侵攻してくる気配がない。保険がきいたということだろう。情報源として、目の前の男は生かされている
フリードの部下が魔力を槍に走らせると雷が生じた。
全身濡れている男に雷槍を当てるとどうなるか、子供でもわかる。肉の焦げた臭いが鼻についたあと痙攣した男の体から煙が上った。
「ここまで口を割らないのは忠誠心からか?」
場にそぐわない陽気な声をフリードが発した。
「お前たちをこの国にけしかけてきた国はどこの国だ? 個人的に動くには勇気がいるだろう」
柱に縛り付けられたその男は、空ろな瞳でフリードを見て、そして笑った。
手が上がる。
合図に沿って槍が身体に触れる。
聞くに堪えない叫び声が溢れた。
「拷問は俺の専売特許じゃないから、嫌だ、嫌だ」
相手の意識を奪う程度に加減しているが、雷は皮膚を焼く。残りの二人がただの槍で両肩を突き刺す。痛みに意識を生かし続ける。
「最近の一般人は根性強いな」
「そうだな。国外情勢は俺も把握してないが、外の奴はこんな輩が多いのか?」
口から血を流す男を見て、クロノスとフリードは会話を交わす。
「……こいつから情報を聞きだしたらどうするつもりだ」
「国落としは重罪だ。レプティレス王国が落ちぶれてもそれは同じこと、確実に死んでもらうさ。痛みを感じないように」
そんな会話をしている間にも、槍の雨が男を弄る。今度は手の甲。出血量を調整するために深さも変える。鉄の臭いが鼻に付いた。
「……なあ、こいつから情報聞き出せたら、命を救ってくれないか?」
目の前で惨劇が開演の中、クロノスはぼんやりと尋ねた。
「いいぜ」
フリードが簡単に応じた。
「さてと」
三人の男を下がらせると、クロノスは柱に縛り付けられている男を解放し、見下ろした。
男だけに見えるようにフードをずらして言葉をかける。
「意識はあるか? 意識があるなら俺の声を聴け。声が聴こえないなら俺を見続けろ」
「殺せ……」
その言葉に、男は教育されたように言葉を続ける。
「……俺は話さない」
ここまでされたらどんな奴でも口を割る。肉体的制裁をここまで耐える精神力は賞賛に値する。
「お前はよく頑張ったよ。だから、もう休め」
クロノスは顔を近づけた。
「幻魔術――幻と光の天使」
最初、男は何の意思表示もしなかった。だが、やがてその顔が変化する。
「な、なんだお前は……」
この男には見えるのだ。
純白の翼の生えた人間が。
ここまでボロボロにされた自分に優しく語りかける瞳が。
「どうだ? 話す気になったか」
クロノスは尋ねた。何をどう、ということはない。それだけで男は涙を流した。
「イ、イシュラン王国だ。デュライ・イシュランが、俺たちに声を掛けてきた」
「おやすみ」
そっと傷に触れると傷口が塞がっていった。小瓶の一滴を男の口に入れると振り返りフリードの前に行った。
「お前が味方でよかったよ」
「そりゃどうも」
イシュラン王国はレプティレス王国と長年争いを続けていた魔術王国だ。レプティレス王国と国土が近いことや資源に関する問題で衝突を繰り返していた。
だが、八年前の事件以来そういったことはなくなった。中核をなす戦力が先の戦争で全員殺されたことにも関係する。
目の前では好戦的な作戦会議が行われていた。クロノスはその場には加わらず、窓際のこちらで壁にもたれている。
イリティスタが出現する可能性はわからないが、連日の異常行動から潜んでいるのは考えられる。イシュラン王国とレプティレス王国、停戦状態だったレプティレスとの均衡を壊したのだ、これでフリードが黙っていたら相手の勢いを増長させることになる。
現状の変化をマリアに報告しなければならないが、クロノスの予想ではレプティレス王国の護衛を続けろと言ってくるだろう。争いごとが嫌いなマリアに言わせれば、喧嘩を吹っ掛けてきたほうが悪いそうだ。そんな国の末路なんてどうでもいいとか言いそうだ。
こちらから仕掛けない以上、レプティレス国境付近に赤い花畑が出来上がるのは間違いない。その中にイリティスタがいれば御の字だ。
「……この国を狙う理由か。今だけは勘弁してくれよ」
他に聞かれないようにこっそり呟くと、寝ぼけた声が聞こえてきた。
首を向ければ見たことのない髪形の女性だろうか? おぼつかない足取りでこちらに向かってきた。
歩きながら髪の毛をリボンでくくると澄んだ碧眼が見えた。
「ベル?」
「おはようございます」
頭を振って気分を切り替えるとセリュサはクロノスの前に立った。
「いつもこの時間ですか?」
「どうでもいいけどその喋り方不気味だわ」
酷い言われようだが、この口調はクロノスも好んで使っているわけじゃない。何度舌を噛みそうになったことやら……。
「あっそ。なら、そうさせてもらう。それでこんな時間にどうした?」
「どうもこうも依頼中でしょ。昨夜は私を出し抜いてどこかに行っていたみたいだし」
セリュサは魔力感知も出来るらしい。自分の魔力を広範囲に放出する技術は個人の資質による。地下のことまで知れていれば上出来だ。
小首を傾げている時点でその可能性は消えたが、厄介な反面、助かることに変わりはない。こんな朝方から来られたらクロノスには対処できない。
「まあ、敵はすでに動き出しているようだから私は気にしませんけどね」
「時間が時間だ、戦闘はお前に任せた」
「そう」
聞き耳を立てているフリードたちが怪訝な顔をしている。
「それじゃあ、ルナはいまからどこかに逃げていなさい」
「なっ!」
声は窓の外、正面から聞こえた。
爆音と衝撃に窓が砕け散った。大門から流れ込むように人間が押し入った。階段を駆け上がる音が聞こえる。城内を破壊する魔術師たちにセリュサが向かった。
「相手方は切羽詰まっているのか?」
「どうだろうな……あの国王ならやりかねない」
フリードを残して部下がその後を追った。セリュサの後なので出番は少なそうだ。
「最低の国王は、な」
フリードの体から雷が迸ると一気に魔力質を変化させた。フリードの体が発光し、雷と化した。一つの高エネルギー体となったフリードは侵攻する群れを見つけると窓を突き破った。
雷となったフリードの出現に敵は騒いでいる。彼らは騒ぐことしか出来なかった。フリードの一方的な攻撃に身を焦がし、絶命する。戦いのやり方を専門的に受けているわけでもない。子供の喧嘩程度の浅知恵でやってきた。どんなに強い相手でもか数で圧倒すれば勝てると本気で思っている。だからこそ、彼らは負けるのだ。魔術によって灰すら残らない最後を送る。そして、この場所に来てしまった愚か者たちは自分たちの生活が豊かになるというだけで、その背後関係を理解せず、気付かず、逆に捨て駒として使用されているという可能性を思わなかった。
国落としが重罪だと知っている相手にフリードは手加減しない。
何人かが命乞いをして、助けを求めている。フリードは無情にも腕を振って、残酷な解放を提示した。フリードの扱う『神雷』による破壊活動は絶命するまで効果が続く。そして、雷に触れた他者に移る。悲鳴。怨むことなど筋違いだと思わせる暇も与えられなかった。
「ところで城下町壊していいのか?」
「構いません、国民は全て避難場所に誘導しています」
「護衛の意味がない」
部下の言葉にこの依頼の意味を考え始めたクロノスはため息を吐いた。セリュサの姿を捜したがどこにも見つからなかった。殺すことを躊躇うクロノスの考えを尊重して骨折の範囲で止めてくれている。
部下が消えると入れ替わるようにフリードが現れた。
雷化を解くと、球体に魔力を変化させ宙に放った。
轟音が死を運ぶ。一瞬の閃光の後には一瞬の静寂があった。建物は消えずに、人間だけが消滅した。
「先兵部隊のようだな、戦闘力は低いから数で圧倒する策だろう」
フリードは涼しい顔で遠くを眺めていた。肉体活性したその眼には多くの敵が映っているのだろう。いまの一撃で味方が消えたことにも動じず、向かってきているようだ。
「イシュラン王国か?」
「戦力低下中に消せって意味だろ」
実質フリードを消せばこの戦いは半刻も経たずに決着がつくだろう。クロノスも戦うならフリードを邪魔者と考える。
青い光沢の甲冑を着た男を先頭にクロノスにも見える場所まで敵は迫っていた。その一人にフリードは指差した。
「あそこにいるのが部隊長だ。デュライ・イシュランは王座で報告を待つ頭脳派でね、滅多なことでは出てこない。自分のことは棚に上げて失敗を許さない最低な国王さ」
隊長は屈強な肉体を有した男だった。手足がいように長く、獲物を探す瞳には暴れたくてウズウズしているようだった。
しかし、体に纏っている魔力は弱々しい。
「だがこれで、イシュラン王国だという確信が得られた。こんなにわかりやすい形とは予想外だったが、今後のやり方は決まったな」
フリードはナイフのように目を細め、子供のように笑った。細めた瞳は研ぎ澄まされた刃の雰囲気を放ち、視線の先にいる先兵部隊、その背後にいるデュライ・イシュランをどのように消し去るか考えているようだ。
その間にも手は休めない。部隊長を囲む部下が雷に倒れていく。空中を漂っていたフリードの雷が標的に向かって切りかかったのだ。雷の剣が突き刺さっては体の自由を奪い去る。筋肉が硬直した部隊は任務遂行前に取り押さえられた。
「戦争を始めるのか?」
「まさか、レプティレスにはそんな気持ちはない。一方的に落とす」
隊長が引きずられて視界から消えていく。
「デュライ・イシュランには俺も因縁がある。ちょうどいい機会と思うさ」
「友のためか?」
「……キーファ・イシュランはこの国で反逆罪を負わされた俺の親友さ。名前の通りイシュラン王国の王族だったが、問題があって戦争期に捨てられた。あいつの気持ちはいまでもわかる、復讐したかったとね」
「……そうか」
問題があった王族……自らの生い立ちをクロノスは重ねた。その問題の犠牲に多くの人間が犠牲になったのを知っているからだ。
「お前たちは護衛だ。復讐にまで手を貸せとはいわない。戦地へは俺一人で行く」
魔力密度を高めて雷の雨を落とす。フリードの意識はクロノスに向けられている。全身を覆い隠すその奥を見抜くような目で見つめる。
「お前もアルビノか?」
不意にそう訊いてきた。
「何のことだ」
「親友がそういう身分だったからか、敏感でね」
フリードが魔力量を増やしていった。その手から雷が放たれると人の気配が完全に消え去った。
「アルビノと呼ばれる人間は、人であって人でない。それは魔術師とはまた別次元の確立した存在とあいつは言っていた。特別な異能があるそうだな」
「殺すのか」
一瞬で首に短剣を当てながら呟く。クロノスの衣服でもフリードの魔術を防ぐことは難しい。決めるなら――
「その手を引け、俺はアルビノを非難する人間じゃない。お前を非難したら俺は親友を非難しなくちゃいけないだろ」
それを聞いて短剣を消すと、疑問を口にした。
「お前はアルビノが恐くないのか? 人間は自分たちとは違う存在を嫌い、異端として恐怖する。いまも昔もそうだった、俺たちは一方的に追い詰められた」
「そりゃけったいな話だ。まあ、最初は恐かったね。世の中にはアルビノってだけで始末される奴が多い。持て余す力の代償は破壊衝動に尽きるって意味だったか、アルビノはこの時代でもそういう分類にいる。でも、キーファと一緒にいればそうは思わない。笑いもすれば怒る、同じ人間だ」
「羨ましい話だ」
キーファ・イシュラン。その名をクロノスは知らないが、八年前の事件を起こした主犯、フリードの知る魔術師は、幸せだったのだろうか。
アルビノである彼はどうしているだろうか。
フリードの前に先兵の隊長が連れてこられた。
「復讐を始めようか」
宿敵を討てる口実が出来たことにフリードは楽しげに宣言した。
†
三日間。レプティレス王国に仕える雷将は自らが守護する領土に侵入する、異分子たちを潰していった。
レプティレス王国のシンボルである王城には、侵攻されたあの日から人の姿が絶え、フリードを除く人間はイシュラン兵の手の届かないところに消えた。
フリードは戦場を疾走していた。
その動きは、迅速で的確で激烈だった。
イシュラン王国はフリードの言ったとおり、一方的に数を減らしていった。フリードの攻撃は、正確にイシュラン王国の生命を削っていた。夜襲を狙い集まっていた者たち、イシュラン王国に加担している武器商人、賞金稼ぎ、牽制目的と思われる軍勢等にフリードが特攻し、轟雷の死神が命を狩っていった。その圧倒的な実力にイシュラン王国は対応できず、応援を呼び寄せても直後に死者に変えられてしまうという状況が続いていた。
「敵襲はなしか」
湖上に建つ古城の王間で、クロノスはそう呟いた。本国の王城から移動してずっと、この城の護衛をしていた。
最初はセリュサも傍にいたが、いまは戦場に行っている。
フリードの話ではこの古城はキーファ・イシュランが所有していた城らしい。姿を消す前にフリードに託された城には、キーファが仕掛けた複雑な複合結界が施されていた。クロノでもこの結界を壊すには一撃では難しい。
この城には多くの部屋、地下室が完備されており、驚いたことにレプティレス国民全てが避難しても余裕があった。対岸の林の中には畑があり、穀物や果実など食料も豊富に備えてあった。キーファ・イシュランがどういうつもりでこういった仕様にしたのかは、わからない。未来視の力でもあったのだろうか?
アルビノならそれも可能だろう。
王間の古びた木造のテーブルの上にはフリードが持ってきたこの大陸の地図が広げられていた。地形による不利が見受けられるが、こちらの戦力なら問題ない。フリードの機動力は『神』の名を宿すだけある・
神速。
彼もまた人の領域を超越した存在だ。
目視できない結界内に侵入を試みる輩を探す毎日。ここに来た時には、自分の事情から安心した。セリュサとフリードが魔力感知を行い、敵の位置を知り、そこに飛び込む。
これでも本気でないのが末恐ろしい。
「退屈か?」
魔狩りを終えたらしいフリードが帰ってきた。引き締まった肉体を曝け出した半裸、傷だらけの体は歴戦の戦士の勲章だ。空腹を満たすために置いてあった食べ物を端から胃に押し込み、酒を飲み干す。
年代物の上等な酒が空になっていく様は見ていて気持ちがいい。
「退屈は嫌いじゃないが、俺の連れはそうではないらしい」
「彼女なら別任務として避難させた国民の護衛に行ってもらった。当分は帰ってこない」
激化する戦場の被害が及ばないようにもう一つの避難場所(クロノスは知らされていない)があったらしい。つまり、この領土の大半をクロノスとフリードでカバーするらしい。
フリード一人いれば事足りるので、クロノス留守番は続くらしい。無論、夜になれば動きはする。
「うるさいのがいないのは上々、それで本題は?」
遠くを見つめるクロノスの隣にフリードが立った。
「考え深い奴だな、彼女に知られたくないことがありそうだから遠ざけてやったのに」
「お前にも知られたくないことがある」
「深入りはしない」
口だけでは何とでも言えること、フリードの視線は語る。クロノスの知られたくないことをこの男は直感で悟ったのかもしれない。護衛としてここに置いている筈なのに、セリュサとは違い、戦えない魔術師をこうして待機させておくことは常人ならありえない判断だ。
「……俺には二人心を許した奴がいた。でも、二人とも俺を残してこの世から消えた。別れ際の約束を果たすために俺はこうしている」
「約束を果たすには窮屈な制限付きだな」
「ほっとけ」
「そりゃそうだ」
制限。それだけでフリードが気付いたとわかった。
「この国が落ちぶれたのには理由がある」
どこから取り出したのか短剣を手の中で遊ばせながら、フリードは言った。
「その理由は語ることでもない、全世界の人間が知っているだろう。『氷水の反乱』と呼ばれる歴史的類を見ない殺戮劇だ。話したところでどうにもならない」
「そうかもな」
魔力を流すと、短剣の柄色が紫に変わった。フリードの視線は短剣の柄に埋め込まれた宝石に注がれたまま動くことはなかった。
「大きな戦争でもない。小国だろうと大国だろうと有権者は消されていった。アイツの目的は自分のような人間を見下すシステムの破壊にある。それが大げさになっただけだ」
氷水の反乱を調べると被害は次の通りだった。七大貴族の消滅、貴族特権の消滅、貧民の大陸移動、アルビノたちの自由の獲得。
それがキーファ・イシュランの全てであり、行った過程であり、物語の終着地点。
この騒動によってキーファ・イシュランの名は世界中に届けられた。同時に行方不明になった。戦争によって勝ち取った勝利とは裏腹に彼の壊そうとしたシステムは生きている。全ての人が望んだ世界は実現まで至らなかった。世界中で何百年と続いていた問題が一人の行動では変わらなかった。個の抑止力は強いが、影響力はなかったようだ。表の世界に名が残っていないのは混乱を避けるためだが、貴族によって苦しめられた全ての人は彼の存在を忘れることはないだろう。
有権者には悪として、無権者には正義として、残したものは大きい。名が残らなくても彼という魔術師の軌跡は生きる。クロノスはここにきて知ったことだが、裏の世界ではとんでもない懸賞金がいまもかけられているらしい。
「勇敢な行動、そんな歴史的事件が起きても世界に変化はない。それどころか、悪は増える一方だぞ」
クロノスの目の前で太陽が沈む。一日の終わり、夜の始まり。体内の中心から全身に満ち溢れる力を感じた。
「方法はなくもない」
「一応聞いてやるよ」
「お前が国に仕えればいい」
「ありえないね」
クロノスははっきりそう言った。
「忘れてくれ」
「そうする。俺をアルビノと知っても欲してくれることはありがたいが、どうだろう……言葉にできない。こういった扱いは初めてでね」
フリードのことだからアルビノでもそう思ってくれているだろう。この忌み嫌われた存在を受け入れてくれるだろう。
だが、クロノスにはそれが出来ない。
自分の心に自信がない。フリードただ一人が友としていてくれても、国民や王や姫はどう接してくれるだろうか?
自分はキーファ・イシュランではない。戦力としても問題がある。クロノスの体は自由に動けない。アルビノというだけで欲しているのか?
異端な存在として生きてきたクロノスには言葉がない。
争いは存在する。今回のような戦争も小さな小競り合いを含む戦闘も、ギルドメンバーが総出で事に当たるような作戦だって存在する。人的資源も物質資源も惜しげもなく投下される。人は争いを捨てられない。和平を望めない。生きるために力を欲する。恒久の平和を願う人々も本末転倒、犠牲の上でしか生きられない。
人の歴史は変えられない。
魔術師が生まれた理由は何だっただろうか?
お互いを傷つけ合うために授けられたものではなかった筈だ。それがこうして戦いの先頭を切っているのは人が定めた未熟な世界のシステムにある。戦いに勝ち抜くために、強い人間は欲しい。
「この城の防衛をこんな中途半端な俺一人に任せてくれる。その心使いはとてもありがたいと思うが、真に俺を理解し、俺の中身を知ることになればお前は同じ台詞を吐くことはないだろう」
「それでも俺はお前を望みたいね」
「冗談、俺にはすでに先約がいる。何年も前から、な」
フリードが酒瓶を後ろに放った。
クロノスも魔力を纏う。鉄壁の城塞を作り上げると、刀身の長い剣を生み出した。
「それは残念だ、ルナ」
「出会わなかったことを後悔しておけ」
フリードと共に水面に移る。波紋がゆっくりと対岸に広がりを見せる前に別の波紋と打ち合った。
大勢の出迎えに波が立つ。
『ルナ』
通信機からセリュサの声と爆音がした。
「イシュラン王国だが、近年不穏な噂が広がっていた」
「物騒ですね」
「魔力汚染によって能力制限の外れた暴走状態の魔術師を魔術によって洗脳し、特殊部隊を作っているらしい。うちだけじゃなく、各国へも侵略を広めることも検討中のようだ」
「馬鹿馬鹿しい話です」
魔力汚染によって起きる症状は画一的ではない。個人によって発症する症状が異なるために集団戦闘には適していない。場合によっては同士討ちを演出されることもある。そもそも、異常魔力によって暴走状態にある魔術師を長時間、操作するには骨が折れる。しくじれば、自身も汚染されてしまうからだ。
「相当精密な技術も完成してしまえば運用はいくらでもできる。相手国は裏で人体実験を繰り返してはそういうことをしていたようだ。完成するとは思えなかったが、現実は厳しい。俺一人消せば、この国は落ちることになる。こちらの牙を折るにはもってこいだろう。それを死守するのがお前の役目だ」
キーファ・イシュランが施した複合結界だが、魔力汚染者の中に特出した者がいるなら、発見されることはあるかもしれない。汚染者を洗脳するというとんでもない発想を考慮していなかったこちらの落ち度だ。相手は強い。傷を負う危険性もある。
そのためのクロノスということだ。
「なるほど、理解はしておきましょう」
剣に魔力を走らせ、風を起こす。見えない速度で薙ぐと結果だけが残る。
出迎え客の皮膚に刃が受け止められた。
汚染された人間に意思があるとは思えない。洗脳によってダメージを負う部位に魔力が集中するような術式を組み込んでいるのだろう。こちらの魔力よりも多くの魔力で固めた結果だ。
いままでとは違うらしい。
「どちらにせよ、私は後を追い回されるのが好きではないので消えてもらいましょう」
クロノスの言葉に客は吠えた。
「小物に用はない」
フリードは稲妻と撃ち出し、数名を灰に変えた。だが、意思なき者は声を上げない。奥のほうから男が歩いてきた。
「レプティレス王国に護衛がついた情報は手に入れた。こちらは女のほうを手元に置くと思っていたが、どうやら買い被っていたらしい」
「それは残念でしたね」
自信のある笑みにうんざりした顔で敵勢を眺めた。
「彼女はあなたたちのような非常識な人間を見るとすぐに手を出してしまうほど短気なので私が相手をしましょう」
剣が消えた。フリードは気付いたのか、上空に跳んだ。この姿の効果範囲を予測しての動きは見事だった。目には見えるかもしれないが、対処できるかどうかは不明だ。男は首を傾げたがやがて指示を飛ばした。
典型的な馬鹿には裁きを。
瞳を見れば重度の汚染だとわかる。クロノスでも助けられない。
「おやすみなさい」
腕を振るうと誰かの腕が飛んだ。
眠りに誘うように湖は口を開けた。
†
治療が済めばそこからはマリアの時間だった。
一般人の人を対象にした診療できる療養施設から自室へと戻る。
書類にサインをすれば、ギルドメンバーからの報告を待つだけなのがいまのマリアだ。クロノスが来るまでは、両立させるために身を削る日々が続いた。
だが、いまはその必要がない。
ここまで肥大化してしまい、創立した当初の面影はほとんど残っていないが、クロノスがギルド方面を担当してくれたこと、副産物として存在するこの場所には感謝している。重病や不治の病として生きることに絶望している問題を即時解決できることは、時間のなかった昔なら出来ない芸当だった。
怪我をすることもできない。不得意な攻撃魔術は通用しない。守りに徹する戦い方は成果を生むのに時間がかかった。精神的に心を痛めるときもあった。創立メンバーがまだこの場所を拠点に動いていた時だ。
その頃を懐かしいと感じてしまう。紅蓮や時空使い、水使い、瞬光の雷帝など毎日が騒がしかった。運営に困る懐かしい日々。
だが、あの日々をもう一度取り戻すことはできない。それだけ大きくなってしまった。遠征任務から帰ってきたとしても、すぐに旅立ってもらわなければ依頼は溜まる一方。消化不良になってしまっては、人々を不安がらせてしまう。もう一度、顔を合わせてお茶を飲みたいという欲求も何年目だろうか。今の自分に出来ることは、書類にサインをして一人この地で治療することだけだ。
どこかで考えたこと、恋をすることも忘れてしまった。淡々と過ぎる時間に流される毎日は自分から人間味を奪っている気がする。
人としての当たり前を犠牲にして、得た結果が本当に満足しているのか頭の隅で考えてしまう。
今朝届けられた情報誌の内容を目で追うと、大きな写真と大きく書き出された文章に焦点が勝手に合う。ギルドメンバーが赴いている世界中の情報誌の一紙、そこにはレプティレス王国とイシュラン王国の衝突が取りざたされていた。
「あの子は本当に容赦ないわね」
レプティレス王国とイシュラン王国の衝突のことは何年も前から情報としてあった。それだけなら、何も思わないがマリアが不審に思ったのはイシュラン王国で起きた謎の集団失踪だ。大人から子供まで、イシュラン王国に向かった旅人がどういった理由か、忽然と姿を消したらしい。この記事には衝突があったということしか記されていないが、多分、裏では激しく交戦が行われているだろう。仮にも歴史的事件が起きた場所だ。表沙汰にはできない情報なんて山ほどある。
失踪した人間が、イシュラン王国にいるのはあの国が“人を人と見ていない国”と理解していれば予想が出来る。大量の人間を捕獲してやることといったら、戦争に資源の補充か、条約で禁止された術式の構築か――
少なくとも、まともなことが行われているとは思えない。
貴族という連中はどうも、人間の命を楽観視する傾向がある。
過去に起きた大事件もそれが原因となっている。世間に知られていないのは、都合が悪いと権力で揉み消した者たちがいるからだ。一度得た幸福を手放すことが出来ないのが人間の悪いところだ。
レプティレス王国側には有名な雷将がいるから悪いようにはならないだろう。
予想以上にことが進んでいるのか、クロノスとセリュサに連絡が取れないことが少し不安だ。クロノスの体の秘密をセリュサは知らない。
「セリュサもいるし、何よりあの子がただの魔術師に負けるとは思えないし」
問題があるとすれば、クロノスのアルビノとしての力が暴走しないことに限る。
「時差のある場所だとどうなのかしら? タイミング悪いのは嫌よね」
イリティスタ。クリスタル王国の地下深くに封印されていた秘宝の一つ。前回の勝利は形だけの姿で、相手が本領を発揮できていなかったからだといっていた。クロノスの現時点での実力を含めて考えると、勝利を得るには力が足りないと思う。
「まったく……」
口から出るのはため息だけだ。
クロノスを拾ったデメリットは大きかった。世界を揺るがす舞台に自分が関わるなんて思ってもみなかった。不満があるとすればそれだけだ。自分にこの役目は重過ぎる。一介のギルドマスターの能力を超えている。
この五年でのクロノスの活動はどれも重度の問題を抱えたものだけを集中的に選んで渡している。魔力汚染による各地での被害に優劣はない。汚染されているというだけで問題になる。状態によっては命を救えるということに驚いた。クロノスが来る前にも数人、汚染患者がいたが助けることが出来ず悲しい思いをした。
汚染されている人間は自身が魔力に打ち勝つ以外、方法がないとされていた。本より人間に悪影響を与える魔力を治療する方法を知らない。だが、クロノスが打開策を演じてくれた。月属性の特性を利用して体内の残留魔力を取り除く。それから、自らの理論で同様の効果を得られる術式を構築し終わるのに時間はかからなかった。やり過ぎにクロノスに注意をされたのは意外だったが、未熟だったといまなら思う。
天才の名を持った世界を代表する魔術師。彼もまた一人の人間だと思うときがある。この地で何を考えているのかもわかる。
だが、それはクロノスが乗り越えなければならない事だ。
いつまでも背を向けることはできない。
「まったく……」
ため息がとめどなく吐き出される。
もしも、息子がいたらあんな風に育っていたのだろうか。
あるいは、セリュサのように真面目で自分のような仕事馬鹿かもしれない、
どちらであろうと、マリアはいまのこの生活を嫌いではなかった。
「少しは休んだらどうだ? 働きすぎだと下で聞いたぞ」
扉の音はしなかった。目を動かせば、そこには剣を携えた、老人が立っていた。
「ここまで肥大化してしまったからそれも仕方ないがトップが倒れれば下は混乱するだけだ」
「どうしてあなたがここに来るかな、アヴェロス」
「どうもこうもない。うちの若い者が世話になるからな、挨拶をしに来ただけだ」
手近にある資料の山を見ながら言う。年齢を感じさせない動きは流石といったところだろう、鋭い眼光に手が止まる。
「挨拶? まさか。あなたがそんなことのために私のところに来るなんてありえない。どうせ脅しにきたのでしょう」
反抗的な態度で応じる。自分勝手で後先考えないアヴェロスに会わないようにしていたのに、訪ねてくるとは考えていなかった。
「察しはいいな」
「……昔から、いや歪んでしまったあなたに言葉は不要ね。あなたの心にあるのは罪人を殺すこと、瞳に映るのは殺すべき敵だけ」
アヴェロスの指揮する三騎士に情けはない。どんな悪でも容赦をしない。都合など考えない。望むことは悪の根絶。
そして、常人を除く才能ある魔術師の保有にある。
「私の限界は一般人と同じ。肉体も精神もどれも一緒。それはあなたも一緒、意思一つ、意志一つで変わるものなんて何もない。凡人の私には理解したくもない思想……踏み越えたくない線をあなたは越えたのよ」
マリアが目の前に立った。自分の心を指してから、アヴェロスの心を指す。同じものを持っているはずなのに感じるものはここまで違う。
意思と意志。
所詮、他人だ。
「そんなこと忘れた」
背を向けて、アヴェロスが剣を抜いた。
「私は自分の正しい道を進むだけだ」
マリアは剣に映る瞳を見つめた。
「……まっすぐな言葉に瞳。不変こそいいことなのに、あなたには不釣合いね。そろそろ諦めなさい」
言い聞かせるようにマリアは続ける。
「あなたが望む世界は大量虐殺の末にある。どう足掻いてもそんな世界は誰も望まない。死に違えた世界に立ちたい人は誰もいない。過去は過去なの。人は絶対に死ぬのよ。それが早いか、遅いか、人の手か自分自身か、囚われているのはあなただけよ。私もゲイルもソニアも前を見ている。どうしてあなたはそこで立ち止まるの」
犠牲の上での恒久の平和。
この言葉は何度も言った。
決別を図ったあの時も、その前も、一人の人間として、一人の人間を救うために必死に説得を試みた。まだ救いがあると思ったから――
マリアの声は届かなかった。
戦場に生きるものの宿命として、彼もまた犠牲になった。正義を掲げて悪を断罪していくことで、人を救うと宣言した。志を理解してくれた多くの仲間がいた。創り上げたものもあった。それでまた多くの人が救われた。しかし、また奪われてしまった。
悪によって。
「お前にはわからないことだ。目の前にあるものが永久に失われることに対する喪失感、他者を憎まずにはいられない嫌悪感、自分の過ちがそれを起こした罪悪感……」
アヴェロスの瞳には真剣な光が宿っていた。
「その気持ちは永遠に分かりたくないわ。私は治す者であなたは壊す者。生きる世界が違う」
「それでいいさ」
「変な気分ね」
アヴェロスの様子に違和感がある。いつもの彼なら、激昂してもおかしくない状況でもあるにも関わらず、冷静を保っている。歪んだ黒い正義を持っている。
滅びを望む瞳。悪を切り裂く剣。不屈の意志から生まれ変わってしまった一人の魔術師は少しばかり変わったということだろうか?
それとも……
「ん?」
マリアの目がアヴェロスから離れて、開いた扉に向けられた。
視線の先には赤髪の女の子がいた。
成長途中か、背はそこまで高くない。髪の毛は赤く長い。綺麗な顔立ちで、魔力を全身から発していることから魔術師だろう。それも、相当腕が立つ強者だ。アヴェロスを見つけて笑顔で駆け寄るところ、親子だろうか?
いや、アヴェロスに現在、子供はいない。
彼は天涯孤独のみだ。両親も、妻も、子も過去に失った。それ故に、ここまで堕ちた。歪んで悪に対する感情の起伏が激しくなった。
混乱する頭を必死で落ち着かせると、マリアの視界にありえない光景が入った。
その瞳をマリアは過去に見たことがある。
そして、身近に一人彼女と、同じ瞳をしている者がいる。
「……その子、まさか」
「彼女が来たから話を始めよう」
次の瞬間、衝撃に室内が炎に包まれた。
燃え上がる建物に悲鳴が上がった。