第四罪 CRAZY CLOWN
第四罪 CRAZY CLOWN
人は売り物じゃない。
と、真っ当な思考が働いたのは何歳までだったかな。
多分、自分が売られる前までだったはず。
それが、クルタ=アッホァの少年少女を舐めるように見た時の、一瞬の脳内だった。
【常世の楽死】の劇団長にして、ただの変態、クルタ=アッホァが朝一番――AM三時――にした最初の大仕事は商品の確認をすることだった。
彼の中で朝とは、誰もが寝静まる深夜のこと。そんな夜中に[革命の島]の各所から誘拐もしくは、買って来た商品である少年少女を黒の紳士たちに起こさせ、自分のオフィスへ連れてくる。アーリは最初、ここが山中にあると予想していたが、実はアーリとアミが連れ去られた場所から徒歩五分のところにある高層ビルだった。もちろん各フロアは【常世の楽死】の関連企業がせしめている。
ならなぜアーリとアミが、小一時間もトラックに揺られていたかというと、クルタの趣味。麻袋の中、狭くて暗い場所に縛られ、放り込まれ、これから自分がどうなるのかわからない、明日をも知れぬ底の知れない恐怖をドライブしながら味わう。脅える子供の姿を想像するのも、間近で見るのもクルタの狂った趣味。たまらなくゾクゾクする。それはクルタが変態だから。異常なヤツとか、変態とか、気持ち悪いとか言われるのは快感。でもでもそんなヤツらを、めっためたのぎったぎたにしてスープにして飲むのは恍惚。
とにかく、イカレタヤツでいい。そうでなければ今のこの国のこの業界で生き残るのは不可能。商売のノウハウは、幼少の頃に自身が商品だった時に覚え、売られ巡った先の劇団を壊滅させ【常世の楽死】を立ち上げた。
初めて犯した罪は、その時だった。御主人様に命じられ、一緒に売られてきたトモダチダッタモノを壊した。ああ、自分もアイツらと同じになったんだな。そう思った時、踏ん切りがついた。その場にいた御主人様を含むモノ全てを壊して、自分の犯した罪を罪で拭った。
その日から、クルタはイカレタヤツになった。
流線型を描いてとんがる今のヘアースタイルはなかなか気に入っている。髪の根元の黒から先端の赤へのグラデーションも大好き。ナルシスト? と聞かれればそうかもしれない。別にどうでもいいけど。前に、オカマ入ってる? と聞かれたこともあったけど、その時は機嫌が悪かったからそいつをオカマにしてやったな。
「クックック……」
思い出し笑い。普通は人前でこんなことしたら恥じるだろうけど、クルタにとっては好都合だった。目の前で十分間身動き一つせず、クルタの発言を恐る恐る待っている少年少女には、今の笑いがさぞかし恐怖に感じただろう。イカレタヤツが急に一人で笑ったと。常に裏返ったかのようなこの声が、そっちの人と勘違いされた原因。
ピエーロのような意匠が施された特注のスーツも、イカレタヤツを演出するにはちょうどいい。開けた大口の袖から伸びる、男にしては細い手で卓に置かれた五人の資料を間近に寄せる。
「フィーん」
奇妙な奇声を放り投げ、資料を端から端までたっぷり時間をかけて読み漁る。どいつにどんな恐怖を与えてやろうかな。
たっぷり十分かけて資料を読み切った。そして小腹が空いていたので、パルプ百パーセントの紙資料を一枚ずつ、アーリ、アミ、デュラン、セアラ、セフと順に食べた。くしゃりくしゃりと小気味良い音をたてておいしそうに食べる。君たちも欲しい? そんな視線を投げかけて。
「……イカレテル……」
そよ風のように小さく呟いたのはアミだった。嫌悪の表情を満面に浮かべて、クルタをまるで汚いものでも見るかのように言った。もちろんその声はアーリたちにも聞こえていたし、クルタにも聞こえた。
「フェーん」
クルタは尖らせた口から奇声を飛ばし、虚空を彷徨わせていた視線をアミへと向けた。
「褒めてくれてアリガトさん。好きだよ、君のその目ぇ。フフん」
会話しているだけで病気がうつりそうだ。と悪寒を走らせたアーリをクルタは舐めるように見ていた。しかしアーリからしてみれば、その視線は実際に舐められているのと変わりないほどの恐怖であった。
「君の気持ちも、ワタシは好きだねぇ」
見透かされてる? アーリの思考にそんな考えが過った。
「まー、積もる話もあるでしょうが、まずは自己紹介させてもらうわね」
クルタの万年裏返り声が早朝の室内を走りまわった。
「ワタシの名前はクルタ=アッホァ。【常世の楽死】の劇団長ねん。ちなみに歳は二十九。性別はオトコ。趣味は君たちみたいながきんちょのキョーフに怯えた顔を見ること。あとはー、そうね、最近便通が乱れてきたことかしら」
以上を、長い爪の生えた細い手を頬にあてながら一つ一つ思い出すように言った。自己紹介終了。
「えーと、僕は――」
「アーリ! あなたは言う必要ないわよ!」
肩をぶつけてアーリの言葉を紡ぐアミ。ちなみに全員後ろ手に縛られてる。補足。
「そうよ、アーちゃん。ワタシは君たちのこと、何でも知ってるから」
妖艶な笑みを浮かべ、うっとりとした眼差しでクルタはアーリを見ていた。
「はあ……」
アーリのどこまでも普通な反応は、恐怖の真っただ中にある皆の心を少し和ませた。いつものことを、異常な時にできる強さ。
こつッと靴音を鳴らし、クルタから見て左端に立っていたセフが、一歩前に出る。
「ミスター・クルタ。あなたがボクたちを呼びつけた理由は何ですか。人身売買だけが目的なら呼び出す必要はないはずだ」
きりりとしたセフの初めて見る目。[革命の島]紳士の見せどころとでも言おうか。純白のスーツに身を包んだ少年は、凛々しさ満点で、世のお姉さま方を虜にしただろう。この場にお姉さま方がいたら。アミとセアラの彼を頼った眼差し。アーリとデュランの微かなジェラシー。
そんな周りの視線に気づくことなく、やるべきことをただやるだけと顔に書いてある白の紳士セフはまっすぐに毅然とした態度でクルタを見つめていた。
かわいい子。クルタは心の中で投げキッスし、尖らせた口で答えた。
「ちょっとー、さっきのワタシの話聞いてなかったの? 君たちみたいなかわいい子の怯えた顔を見るのが好きだからに決まってるでしょう」
ウインクで締めくくったクルタはどこか誇らしげだった。
やっぱりイカレテル。セアラ以外の全員が思った。セアラだけは感性が少し違い、変な人と思っていた。
「あ、ちょっと待っててねん。急にトイレに行きたくなってきたからー。それじゃあ」
座っていた回転式の椅子を百八十度回しぴょんと飛び下りる。五人の少年少女を置いて一目散に、部屋の隅にあるトイレットと書かれた扉へ駈け込んでいった。
「おかしなやつだな」
アーリが、静まりかえった室内に言葉を落とした。それが波紋のように、整列する少年少女に広まっていった。
「おかしいんじゃないわよ。アレはイカレテルのよ」
アミが「もう嫌!」とため息をつきながら言った。
「……」
「兄さん、もしかして寝てます?」
クルタがいなくなってから一言も話さず眼を瞑っていたデュランは、ここで初めてセアラに状況を知らされた。セアラの言うとおりデュランは眠っていた。ずっと。残念なのはデュランの木刀が黒の紳士に没収されていたこと。
「せめて、無事牢屋に戻れればいいけど」
男衆で一番期待されているセフは、紳士として皆の安全とこれからを第一に考えていた。
「戻れればイイのにねん」
「うわッ!」
セフの言葉が切れた直後に、背後からあのオトコの声が答えた。音もなくトイレットから帰って来ていたクルタは何時からそこにいたのかわからないが、イカレタ笑みを浮かべセフの肩を揉んだ。
「そんなに緊張しないでん。壊れるようなことはしないから」
皺一つなかった純白のスーツがくしゃくしゃになるくらい無茶苦茶に揉んだ後、クルタは付け加えるように言った。
「そう言えば、手を洗うの忘れてたわねん。いけない、いけない」
ひきつるセフの顔。うわー。かわいそう。アーリの同情の視線に気づいたセフは、項垂れるように肩を落とした。
「さーてと。君たちのかわいいところも見れたし、本題に入ろうかしら」
「何?」
気を取り直したセフが反抗の声を上げる。
「一体何をする気です」
密やかに睨みをきかすセフ。
怖い子ね。パンパン。クルタが肩口で手を鳴らすとどこからともなく黒の紳士たちが現れ、二人一組でアーリたちを拘束した。
「何する気だよ!」
張り上げるアーリの声に耳を貸すこともなく、黒の紳士はジタバタ暴れるアーリを床に押さえつけた。
「フィーん。元気な子ねー。じゃ、まずは君から」
ごそごそとデスクの下から小さめのアタッシュケースを取り出す。かぱっと軽快に開いたケースの中には五本の注射器が納められていた。
「な、何よ、それ!」
アミが悲鳴のように怯えた声を出した。
それを見てすこぶる気持ちの良くなったクルタは上機嫌に話す。
「これはねん。知り合いの医者が作った変な薬よ」
説明短!
「どういった薬なんです?」
セフの臆することのない質問。少し気に入らないような顔をしてから、クルタは注射器を一本取り出しながら答えた。
「最近発見された薬って言うか、因子? なんでも遺伝子の奥の方を書き換えて特殊な武器を扱えるようにするんだってー」
「まさか!」
「そうそう、ちなみに君たちの売買先は[革命の島]軍なのよー」
「そんな! この国が僕たちを買うのか!」
衝撃の事実。通常の三割増しの衝撃。鈍器で鳩尾を殴られた時の痛みと呼吸困難。
「だからー、大人しくしててねん」
キラリ、そしてぴゅぴゅと液体を飛ばす注射器の先端。クルタがもった注射器は、核兵器のような恐怖を全身の感覚という感覚から注ぎこんできた。
一歩ずつクルタが歩み寄るのはアーリ。釣り上げた唇の端が三日月のように湾曲している。
「怖がってねん。すこーし、ちくっとするだけだからー。その後どうなるか知らないけど」
前かがみになり、片手で注射器をアーリの眼前でゆらゆらさせて、もう片方の手でアーリの右手の袖をめくり上げる。こわばったアーリの男の子の腕には、はっきりと見えるくらいに青い血管が浮かび上がっていた。体にいくら力を入れようとも黒の紳士に抑えられた四肢はミミズほどしか動かなかった。
「う、うぅ……!」
怖い、怖い、怖い。
怖い!
誰かー、誰かー、誰かー。
誰か!
助けてよ、助けてよ、助けてよ。
助けて!
「あ……ッ!」
声にならない叫びが、からからに乾いた唇の端から嗚咽のように漏れる。
痛いほどに尖った注射器の針が、アーリの血管に刺さるのを待ち望むようにじわじわと近づいてくる。
刹那――。
アーリの視界の端で何かが放り投げられた。それは空中で一回転半し、頭から床に落ちた。黒の紳士。放り投げられたのはそれだった。一体どこから?
「ふん!」
アミ? 違う。デュラン? 違う。セアラ? そんなバカな。さっきの踏ん張り声は、白の紳士セラフィム=ノーヴェンのものだった。
「あらやだ」
困ったように曲げた腰を伸ばすとクルタは、くねくねしながらセフに向かって注射器を突き付けた。
「お仕置きしちゃうわよん」
「イカレ道化が」
別人のような声と表情で睨みをきかすセフに、黒の紳士たちが幾重にも折り重なって襲いかかる。しかしセフは、それをものともせずに風船を割るかの如く横に投げ捨てていく。後には白の紳士だけが立っていた。
「困ったわねん」
妖艶なイカレタ笑みを崩すことなく佇むクルタ。
「ホントーに怖い子」
目だけが、笑っていなかった。
「クルタ=アッホァ」
凛とした白の紳士の声が緊張感に包まれた室内に響いた。ほっと胸を撫で下ろすアーリは、目まぐるしく移ろいゆく状況に唖然とし、他の三人も状況が飲み込めない様子でただ呆然と突如開幕した演劇を静観していた。
「誘拐及び人身売買、拉致、監禁その他もろもろの諸犯罪を行い、世界司法の定める法律を犯した罪により――」
白の紳士の両目が、身に纏った純白のスーツと同じ白色の光を放ちだす。
「『晩刻の鉄槌』裁定者が一人、セラフィム=ノーヴェンの名において死刑を宣告する!」
ホントーに怖い子。
クルタは心の中で、笑った。