First contact
僕は星を観るのが好きだ。
数百光年、数千光年と離れた星の瞬きを観ていると『この星々の輝きが地球に届くまでの時間に比べれば、人間の一生なんて一瞬で終わるようなものだ』と思う。
ましてや数千億もある星のひとつの、更に『70億分の1』である自分の悩みなどちっぽけなことだ。
そう考えれば仕事で失敗して上司に叱られたことなんて大したことない。
彼女に別れ話をされたこと、通信販売で偽商品が届いたこと、自転車を盗まれてしまったこと、健康診断の結果通知に「要再検査」と書かれていたこと、スマートフォンの画面を割ってしまったことなんて、些細なことだ。
星を観るために箱根まで車でやってくる。ここで星を観た帰り道では、渋滞していても気分が軽くなる。
今日も星を観るために箱根にやってきて、芦ノ湖スカイラインのお気に入りの場所に車を停めた。
サンルーフを開け、シートを倒して星空を眺める。
「僕は毎日、何をしているんだろうなぁ」
日の出前に家を出て、バスと電車を乗り継ぎ会社に出勤する。上司に嫌みを言われながら働き、「ノルマを達成したら帰っていい」と手当のつかない残業をさせられ、終電時間間際に帰宅する。その頃にはバスが終わっているので駅から家まで歩く。くたくたに疲れ果て、帰ったらすぐに寝てしまう。
そしてまた朝が来て会社に行く、この繰り返しだ。
自分では仕事が遅いわけでも、要領が悪いわけでもないと思うのだが、上司には何かと叱られる。怒鳴られる。嫌みを言われる。
相性が悪いのかもしれない。
「親と上司は選べない」というが、会社を辞めればこの上司からは離れられるだろう。
ただ星を観ていると「あの上司も、もう少ししたら転勤するからそれまでは我慢しよう」と思うようになる。不思議なもので気持ちが大らかになる。
「今日は空気が綺麗だ」
幾ら山の上だと言ってもいつもはそんなに星が出ていない。夏に旅行した軽井沢では「天の川」が肉眼で観られた。あまりの迫力でそのまま後ろに倒れてしまいそうなくらい星が出ていた。星の海という表現も納得だ。
今日の箱根は軽井沢に負けないくらい星がたくさん瞬いていた。ゆっくり動いている星も観える。多分人工衛星だろう。
「こんばんは」
不意に声をかけられた。シートを起こして窓をみると女の子が立っていた。
「あ。こんばんは」
窓を開けてはいないが、サンルーフが開いているので声は通る。
「良い夜ですね」
「あぁ、綺麗な星空だね」
先ほどから車は1台も通っていない。この女の子は歩いてきたのか。
「ちょっといいですか?」
女の子が手招きした。ここは芦ノ湖スカイラインの途中にある車が停められるスペースで、呼ばれた先には崖があるだけだ。
怪しい。怪しいぞ、この子。もしかして美人局?
「いや、もう帰りますから」
『君子危うきに近寄らず』だ。ヤバそうな人からは逃げちゃおう。
「そうおっしゃらずに。少しだけですから」
顔の前で左右に手を振り「結構です」と意思表示した。そしてエンジンをかけようとイグニッションノブを回したが、セルモーターが回らない。バッテリーが上がっているみたいだ。
さっきまで運転をしていて、この状態だからオルタネーターが壊れて充電していなかったのかもしれない。6か月点検に出したばかりなのに。
ロードサービスに連絡をしようと、ホルダーに差してあったスマートフォンを手に取った。ケーブルを挿してシガーソケットから充電していたが、バッテリー切れのようで電源が入らない。電装系がすべて壊れてしまったようだ。
公衆電話でロードサービスを呼ぶしかないが、最近は公衆電話なんて見かけたことがない。料金所はもう無人だったが、あそこまで戻れば電話があると思う。
「どうかされましたか?」
女の子がにっこり笑って話しかけてくる。ドアロックを解除していないのに、いつの間にか助手席に座っていた。
星を観るため全開にしていたサンルーフから車内に入ってきたのかも。
高さ170cmについているんだけど、まさか攀じ登ったのか?
「え、え。い、いや・・・」
動揺した。近くで見たら巨乳の美少女だった。それに良い匂いもした。
薄いキトンのような服を着ていて胸元をはだけさせているので、ついつい覗き込んでしまう。どうやらノーブラのようだ。ますます美人局と疑わなくては。
「少しだけ、私と歩きませんか?」
「でも、真っ暗ですよ」
ここには街灯がない。スマートフォンもバッテリー切れで懐中電灯代わりに使えない。さっきから車も通っていない。余計な灯りがないから星がよく観えて好きな場所なのだが、歩くとなると暗くて危ない。
「大丈夫、私が手を引きますから」
「・・・。そうですか」
自分の車は動かない。連絡手段もない。他の車も走っていない。
もし美人局だったとしても、有り金すべてを盗られるくらいだろう。素直に金を差し出せば殴られることはないと思う。
公衆電話を使うために十円玉1枚だけは返してもらおう。それくらいは勘弁してくれるだろう。
こうなってしまったら逃げ場もないし、仕方がない。
「とりあえず、降りますね」
「はい」
ドアを開け、外に出た。いつの間にか美少女が外にいた。素早いな。
スマートキーから鍵本体を引き抜いて、ドアロックだけはかけておいた。
「では、参りましょうか」
「・・・はい」
美少女は左手を差し出した。僕は右手でその手を握る。
(あっ)
僕は気がついた。悪さに慣れた連中は、こうして利き手を塞ぐのだな。利き手を握られていると咄嗟のとき、直ぐに対処できない。凄腕スナイパーが握手をしない理由はこういうことなのか。
しかし薄着でノーブラ巨乳の美少女から手を差し出され、それを拒む勇気を僕は持ち合わせていない。
なるようにしかならない。覚悟は決めていたはずだ。
美少女は崖に向かって歩き出した。このまま進めば崖から転落してしまう。
「あ、あのぅ・・・」
声をかけたが美少女は僕の手を引いてグイグイと進む。思いの外、引く力が強い。
「あっ!」
目が回った。昔、遊園地で乗ったコークスクリューみたいだ。それを3回も4回も繰り返した感覚。もしも僕がテキーラなら、ホワイトキュラソーとレモンジュースを加えて『マルゲリータ』が出来上がっている。
三半規管が悲鳴を上げて、胃液が喉元まできている。崖から転げ落ちた?
「大丈夫?」
僕は倒れていた。
美少女が僕を覗き込んでいる。屈んだ拍子に胸元がガラ空きになったので、お臍まで見えた。あれ? パンツも穿いていないのか。
「あぁ、大丈夫」
慌てて立ち上がった。
いつの間にか部屋の中にいる。高い天井まで伸びた窓からは星空が綺麗に見える。
「ここは何処?」
「私の部屋です」
「へっ?」
夢を見ているのか。崖から転げ落ちたと思ったら家の中にいる。変な薬でも嗅がされたのかもしれない。
右手を握って、開いてと繰り返した。指が5本に見えるから目の焦点は合っている。
額を掌で何度か叩いた。頭もふらついていない。
背中から強い光が差し込んだので振り返ってみると、窓から青い半球体が見える。
(地球!?)
『月から見た地球』という写真を見たことがあるが、そっくりだ。いや、そのまんまだ。
「おかけください」
何もなかった床にいつの間にかテーブルと椅子が置かれていた。
頭が混乱している。星空を見ていて突然現れた美少女に手を引かれ、崖から落ちたと思ったら部屋の中。そして窓から地球が見える。
僕は椅子に腰掛けた。美少女に勧められたからというよりも、膝が震えて立っていられなかったからだ。
「ようこそ、私の宇宙船へ」
「う、宇宙船!?」
「私の話を聞いていただけますか?」
「・・・はい」
この美少女は僕を自力では逃げられないところに閉じ込め、自分の話を聞けという。聞きたくないなんて、言えるわけがない。
「私の名前はカリーナ・ヤクシニー。100パーセクくらい離れた星から、銀河連峰を越えてやってきました」
宇宙人だ。異星人だ。未知との遭遇だ。
100パーセクって聞いたことのない単位だ。カリーナさんの星で使われている距離の単位なのだろう。きっと。
「今、私はちょっとしたトラブルをかかえています。それを解決するお手伝いをしていただけませんか?」
「何で僕が!?」
「この星に暮らす人に手伝ってほしいと思って、いろいろな人を見ていたらあなたと目が合ったので声をかけました」
(そんな理由かよ!)
目が合ったってどういうこと?
芦ノ湖スカイラインで声がかかる前に目が合ったってことだよな。でも僕はずっと星空を観ていたから誰とも目が合っていない。
(あっ)
もしかしたら人工衛星だと思っていたのはこの宇宙船だったのか!?
だとしても、この美少女は何で地上と宇宙船を一瞬で移動できるのだろうか。
「あっという間に箱根から宇宙船に移動したんだけど・・・」
「私、転移と転送ができる装置を持っているのです」
転移と転送って何が違うのか、僕にはよくわからないがグルングルン目が回ったのは転移か転送装置の影響なのだろう。転送酔いとでもいうのだろうか。
「そいつで僕をこの宇宙船に拉致したのか・・・」
「『ちょっといいですか?』って声をかけて、車を降りたので了解をいただけたものだと認識しています。拉致ではないですよね?」
「じゃぁ、新手の逆ナンかな」
「そんなところですね」
舐められないように粋がってみたが、軽く流された。
※1 キトンとは古代ギリシャの女性が着ていた服装です。
※2 100パーセクは約326.2光年で、パーセク(pc㍶)とは天文学で使われている距離の単位です。
2015/12/15 誤字訂正
2015/12/22 誤字訂正