<暗雲>
月虹
―運命交叉―
in 6283 month
chapter 2 <暗雲>
-−Side Horus−-
旅宿屋の一室のベッドで寝転びながら、一人考えに耽る。
【触れている対象の思い浮かべているものを視る事が出来る】
それが自分に与えられた能力。
便利な事は便利だが、アウラの能力のように直接自分の取るべき行動を
指し示す指標にはならない。
自分の取る行動はあくまで自分の判断で決めねばならないからだ。
<もしかしたら自分のしている事は間違っているのではないだろうか>
そんな考えに苛まれ続けながら、今まで自分の使命を果たす努力をしてきたが、
少なくともこれからは争いを止める為に
本来【助けるべき者】を敵とする事は無くなった。
この街には今、アウラが居る。
もし自分が間違った行動を取れば、彼女がそれを止めてくれる事だろう。
―・・・そろそろか。
窓の外を見ると、既に月が昇り、
街の灯もまばらになり始めていた。
意を決し、立ち上がる。
先ほどの商人から得た男のイメージを頭の中で反芻し、
指先に魔力を集中させ、【転移】の印を紡いだ。
イメージする人間の元に一瞬で移動する事ができるという、
この【転移】の印は本来、相当な危険を伴う。
対象とするイメージに揺らぎがあれば、
それは転移効果に影響を及ぼし、全く見当違いの場所に飛ばされる。
何度も失敗(海に落ちたり、上空に転移して酷い目にあったこともあった)
しながら人をイメージする術を磨き、
何とか失敗する事は少なくなったが、
それでもこの術を使う時は慎重になる。
印を書き終えた後、もう一度集中した。
頭の中のイメージをより確実なものとし、
完成した印に手のひらを当てた。
視界が暗転し、回りの景色が急激に変わった。
―どこかの屋敷、か?
周りを見回すと、ベッドに寝ている男が目についた。
中年の口元に髭を生やした男。
格好は違うが夕刻に商人から得たイメージの男で間違いないようだ。
しばし安堵する。
―成功したようだな。
・・・さて。
問題はここからだ。
寝ていてくれたのは幸いだが・・・。
こいつに事実を追求しなくてはならない。
場合によっては・・・争いの元として殺す。
「・・・何者だ」
突如、ベッドから声がした。
―気付かれたか
どっちにしても寝ていた事自体想定範囲外であったので
仕方が無い事だが・・・。
『えーと何だ。怪しい者じゃない・・・ってのはダメ・・・だよな』
と、溜め息。
「・・・何者かは知らんが、この様な時間に
私の部屋に忍び込んだ以上、ただではおかん」
と、男は枕元に飾ってある槍をつかんだ。
『ん・・・衛兵とか呼ばないのか?』
正直意外な反応だった。
これだけの屋敷だ。護衛兵も雇っている事だろう。
叫ぶことで衛兵を招集されるかと思ったが・・・。
「必要無い」
次の瞬間、こちらに向かって襲い掛かってきた。
早い。それなりの手練なようだ。
―・・・ま、自分の力を過信しすぎちまう程度のレベル、か。
瞬時に目の前に印を思い浮かべる。
激しい金属音。
槍が【障壁】の印に阻まれこちらに通用していないのを見て、
男は目を見開く。
そして、一瞬の隙ができる。
こちらはその隙を見逃さず、相手の両手両足に【束縛】の印を念映する。
印が輝きだすと同時に男はうめき声を上げる。
「く・・・くそ! 何をした!」
―意外と・・・すんなり捕まってくれたな
ほっと溜め息を吐いた。
念映は便利だが、普通に指で印を描くより遥かに疲れる事と、
複雑な印は紡ぐ事が出来ない事、
それに何より素早く動いている相手には念映できないといった
欠点が多く存在する。
一定以上の使い手に使用するには、
今のようにここぞと言う時にのみ使用しなければ、
印は不発に終わり、無駄な疲労に襲われるだけである。
万能と言う訳ではないのだ。
―おっと・・・
部屋の外を確認する。
先ほどの槍の衝突音で誰かやって来なければ良いが・・・。
特に誰かが来る気配は無い。
ほっとして男の方に振り返る。
『さて・・・俺はあんたに聞きたい事があるだけなんだが・・・』
と、男をなだめる様に言う。
男はこちらには目もくれず、部屋の外に目を向けていた。
・・・兵士を呼ぶつもりだろうか。
『ああ。衛兵を呼んでもいいが、―その時は命の保証はしない』
そう釘を刺して置く。
なるべく余計な争いはしたくない。
「くっ・・・」
男は口惜しそうにこちらを睨み付ける。
『ま、とりあえず話を聞いてくれないか』
「・・・何だ」
と、不快そうにこちらに聞き返す。
何とか話を聞いてくれる状態にはなったようだ。
「えーと・・・まず・・・アンタは誰?』
そう、実際この男が誰だかはわからない。
ダシュタの御偉方とまでは解るのだが・・・。
「な・・・!」
男は目を見開いた。
「お前は私が誰かも分からずにこんな仕打ちをしているのか」
怒りを抑えるような口調でそう言ってきた。
まあ・・・当然の反応か。
『いやまあ、アンタが戦争発起の主犯って事はわかってるけどな』
正確にはその確証など全く無いが、カマをかけてみる。
それを聞いた男の驚きの表情を見ると・・・ほぼ間違いない様だが。
「貴様・・・マラノの者か・・・!」
―ん? マラノ?
確か・・・砂海の西地域を治めている小国だ。
『・・・そうか。マラノに戦争仕掛ける気だったのか』
「とぼけるな! 他に誰が私をこのような・・・むぐぐ・・・」
とっさに男の口を塞ぐ。
『うっさい。衛兵が来るだろうが・・・』
しかし一つの都市が小国とは言え一国に対して戦争を仕掛けようとするとは・・・
如何に最近のダシュタの発展が目覚ましいものとは言え、
少し無謀が過ぎるのではないか。
『ん・・・?』
そんな考えにふけっていると、一つ妙な事に気づく。
今、自分はこの男に触れている。
にも関わらず男のイメージしているものが【視え】ないのだ。
これは普通ならば有り得ない。
仮に本人が「何も考えていない」と言っている状態であっても、
人間である限り脳の中で何もイメージしない、
などと言うのは不可能なのだ。
考えられる原因はただ一つ。
この男は何者かに精神を支配されている。
ホルスの能力はあくまでその【対象】の考えているイメージを
読み取るものであり、何かしら外的要因で体の支配権が別にある場合、
もしくは精神を操られている場合は何も【視る】事はできない。
この男の現状で判断すれば、後者であろう。
前者の場合は正気ではない事が多い。
「むぐ・・・む・む・・!」
男が呻いている。考え事をしている間、
口を押さえっぱなしにしてしまっていた。
『っと失敬、とりあえずお前は・・・』
「ぷはぁっ! ・・・衛兵っ! 衛兵っ!
ここへ参れ! 不審者が私を殺そうとっ!!」
誰かに操られているな。解放してやる。と言おうとしたが、
耳をつんざくその叫びに遮られてしまった。
―ったく・・・
舌打ちをしながら指先に魔力を込める。
こうなれば、衛兵が来る前にこの男の支配を解放せねば。
七色の光で印を描き始めると、男の顔色が変わる。
「貴様・・・印術師かっ!」
男の言葉を無視し、【解呪】の印を紡ぐ。
【解呪】の印はあらゆる呪いや魔術による支配を解放するが、
複雑な印な為、念映による即時発動は出来ない。
『・・・うし』
後ろから慌ただしい足音が聞こえていたが、
気にせず男の頭上に描かれた印に手を触れ、発動を促した。
「やめろぉおおぉ!」
バタンッ
印を発動し終えた途端、背後の入り口から大量の衛兵がなだれこむ。
「ヨキ様から離れろ!!」
なだれこんだ衛兵達はこちらに槍の先を向け、
こちらを威嚇している。
―・・・ここは大人しくしとくか
『はいはい、と』
余計な争いはなるべく避けたい。
両手を上げ、男から離れる。
ついでに男に掛けられた4箇所の【束縛】の印を解除した。
拘束の解かれた男が倒れる所を、衛兵の一人が支えた。
精神支配から解かれた際に気を失っていたらしい。
衛兵達がこちらに駆け寄り、後ろ手に縄で縛られる。
『ってぇな・・・。んな強く縛んなくても逃げねえっての』
―ま、少なくともそこのおっさんが目覚めて話を聞くまではな
「ええい! さっさと歩け!」
ドスンッと背中を押される。
『はーいはい・・・』
こちらを囲む衛兵達は自分をどこかへ連れて行くつもりのようだ。
牢屋へぶちこまれるか・・・はたまた拷問でもするつもりか。
―さて・・・どうなる事やら
-−Side Sivilla−-
―!?
『っ!』
突然、頭に大きな痛みが走る。
―この痛みは・・・
「どうした?」
隣に居たゼクセルがこちらを覗き込む。
『・・・【傀儡】が何者かに解かれました』
「あ!?」
と、ゼクセルは後ろに居る者の姿を確認する。
「・・・そうは見えねえが」
『いえ、彼女の事ではありませんよ』
「・・・ああ、例の戦争起こさせようとしてた方か」
『そうです』
戦争が起こる事は【盗賊】にとっては都合が良い。
戦地への物資を運搬途中に強奪する機会が増えるし、
逃走兵、敗残兵をこちらに引き込み、勢力を拡大する事もできる。
あのダシュタの防衛総長に印を施す機会があったのは
紛れも無い幸運だったのだが・・・
「お前の印を解くってのは・・・只もんじゃないな」
『ええ・・・。私もそこが気になっている所です』
かの者に掛けたあの【傀儡】の印にはかなりの魔力を籠めた。
相当の光術の使い手か自分以上の印術師による
解呪でも無ければ決して解ける事は無い筈。
そこまで考えてハッとする。
―印術師・・・?
まさか・・・
『アウラ』
【傀儡】とした後ろの女に声を掛ける。
「なんだ」
【傀儡】と言っても単なる操り人形とする訳ではない。
こちらの命令、言葉には忠実に従うが、
本人の性格、外見等はあくまでそのままだ。
その為、一般人には操られている事を見破る事は難しい。
自分の扱える印術の中では最高位のもので、
魔力の消費は激しいが相応の効果をもたらす。
『あの印術師とはダシュタで別れたと言っていましたね』
「ああ」
『・・・では、あの男がダシュタに何を目的として来たか聞いていますか?』
女は少し考えるそぶりを見せた後、
「確か・・・【争いを止める】と言っていた」
と答える。
『・・・やはり、そうですか』
―あの男・・・
『どこまで私の邪魔をすれば気が済むのだ・・・』
あれだけの侮辱を与えただけでは飽き足らず、
こちらの計画まで邪魔をしてくれるとは・・・
「まぁ落ち着け。元々そいつを殺す予定だったんだろ?
なら、殺す楽しみが倍増しただけじゃねーか」
と、横からゼクセルがなだめるような言い方でそう言って来た。
まあ、確かに一理ある。
『ええ・・・。そうですね』
―絶対に・・・殺す。
「しかし・・・。まずくねぇか?」
『・・・何がです?』
「その姉ちゃんにそいつを殺してもらう予定だったんだよな?
操ってる事に気づかれれば術を解かれちまうんじゃねえか?」
それを聞いて口元を歪める。
『それについては問題有りませんよ』
【念映】さえ使いこなす印術師だ。
奴が自分の術を解呪できる事自体は想定の範囲内。
【念映】を使えない状況にし、
尚且つ普通の印を使わせる前に仕留める。
これが最善の策。
「・・・何か策でもあるのか」
『ええ、勿論です・・・』
-−Side Horus−-
―まだか・・・
ここに閉じ込められてからかれこれ3刻、
今の所なんの音沙汰もない。
先ほどの男が目覚めれば何かしらアクションはあると思うのだが・・・。
石畳に鉄格子、明かりは入り口近くにあるカンテラのみ。
まあ・・・どう見ても牢屋だ。
決して居心地の良い物ではない。
【転移】の印を使えばいつでも出る事は可能だが、
あの男から話を聞くにはここで待っているのが一番の近道だと考えた。
目覚めればこちらの処分はどうあれ、
向こうの方から直接話を聞きたくなるのは必定。
・・・だと思ったのだが。
『遅い・・・』
つい、ぼやいてしまう。
精神支配から解かれたショックにしても
気絶の時間が少々長すぎるのではないか。
そのまま寝てしまったのだろうか・・・
―可能性はあるな・・・
溜め息を吐き、石畳に寝転がる。
―なら、寝て待つ事とするか
カタンッ
遠くから扉の開く音がした。
―お出ましかね
足音が複数聞こえ、こちらに近づいてきた所で足音が止まる。
「お前達は外に居てくれ。あの者と二人で話がしたい」
・・・あの男の声だ。
「え・・・そんな! 危険です!
あやつは貴方を殺そうとしていた者ですよ!?」
「頼む」
少しの間。
「・・・わかりました。我々は入り口で待機しております。
何かありましたら叫んで下さい。すぐに駆けつけますので」
「すまんな」
―好都合だな・・・
相手は1対1で話をするつもりらしい。
足音が一つになり、こちらに近づいてきた。
「この様な所に閉じ込めて申し訳ない。
本当は目覚めた後すぐにでも自室にお招きしようとしたのですが・・・」
牢の前で男がこちらに頭を下げてきた。
『かまわない。話すなら、ここのが都合がいいわな。
・・・見たとこ俺以外に人は居ないようだし』
姿勢は変えないまま答える。
「はい」
『それに・・・ああなった結果はどうあれ俺はアンタの寝室に忍び込んだ。
ま、牢に入れるのは自然なんじゃないか』
「それです」
男がこちらの目を見る。
「貴方は何故あのような時間に私の部屋へ来たのですか?
暗殺目的であれば私は既にこの世に居ません。
それどころか私に掛かっていた呪縛を解き放って下さった。
私としてはそれが不可解で仕方がありません」
―ま、予想通りの質問だわな
起き上がり、座り込んだ体制を取る。
『その質問に答えるには・・・。一つ、聞かなきゃならん事がある」
「・・・なんでしょう?」
男の顔に目を向ける。
―答えによっては・・・殺さねばならない。
『マラノと戦争をしようっていう件、
・・・あれは、【アンタ自身】の意思か?』
「違います」
と、即答。
「私の使命はこのダシュタの街、そして何よりダシュタの民を守る事。
その民を危険に晒す行為など言語道断です」
淀みが全く無い口調。
嘘はついていないだろう。
『ってことは・・・アンタを操った奴に、そう命令されたわけか』
「はい。操られた後にただ一言、<マラノと戦争をするよう仕向けろ>
そう言われただけで私は何故かマラノを攻め取る事ばかり考えるようになったのです。
それ以来、もう一つの私の意識が勝手に体を動かし始め、
私自体は何故かそれを客観的に眺めながらも決してそれを止めることは出来ませんでした」
男はそう言って俯いた。
『命令を忠実に行う精神分離体を作り出したってとこか・・・
かなり高等な術だな・・・それは・・・。
んで? 今は、もうそんな考えは無いな?』
「はい、部下にも即刻戦争準備の中止を命じました」
溜め息。
とりあえずは無駄な争いは避けられた、か。
『それならば、俺からアンタにする事は何も無い。
俺の目的は戦争を止める事。それだけだからな』
こちらの答えに、男はどこか釈然としない表情で、
「・・・もし私が、【私自身の意思で戦争を推進した】
そう答えていたら貴方はどうなさるおつもりだったのですか?」
と質問してきた。
『んー・・・まずは、説得。
んでどうしても融通が利かないようであれば・・・』
―・・・まぁ、嘘をついてもしょうがないか
『殺す、予定だった』
そう言い放った。
男は特に驚いた表情もせず、
「・・・左様ですか」
とだけ返してきた。
カチッ
乾いた音がする。
男が手に持った鍵で牢の扉を開放したらしい。
『おいおい・・・。いいのか?
場合によっちゃ、俺はアンタを殺そうとしてたんだぞ?』
こちらの言葉に、男は首を振り、
「【場合】によっては、でしょう。
先程にも言いましたが、私は戦争などする気はありません。
むしろ言語道断だと考えています。
そしてそれはこれからも変わらない。
ですからそのような【場合】は有り得ないのですよ」
そう言いながら笑みを浮かべた。
『ハハハッ、なるほどな』
思わず笑いがこぼれる。
随分と聡明な男だ。今日までダシュタが自治を保ちながら
栄えていった理由、何となく分かった気がする。
「それに・・・鍵を開けずとも、貴方はいつでも出る事ができるのでしょう?」
『・・・バレてたか』
―まあ・・・操られていた時の記憶もあるだろうしな。
印術を用いればいくらでも脱獄する方法がある事ぐらい予測できても不思議ではない。
すっと立ち上がる。
「すぐに発つのですか?
夜も更けていますし・・・寝室を用意させる事も出来ますが・・・」
『ああ、ちっと用事があるんでな・・・』
そう、この件が片付いたらすぐにでも確認したい事がある。
―っと忘れる所だった
『最後にちと質問いいか?』
「どうぞ」
『アンタを操っていた奴の姿は・・・見たか?』
とりあえずは戦争を回避できたものの、
そいつを見つけ出さない限りは根本的な解決にはならない。
・・・まあ、あれだけ高度な精神支配を施せる者だ。
恐らく顔を見られるようなマヌケな真似はしていないだろうが。
「確か・・・全身を赤いローブで包んだ男です。
残念ながら相手は深くフードをかぶっていたもので、
顔までは見えませんでしたが・・・」
言葉の通り残念そうな顔でそう答えてきた。
この男としても自分を操っていた男の正体は突き止めたいのだろう。
『一応・・・見せてもらってもいいか?』
と、男の肩に手を触れる。
「・・・は?」
『そいつの姿を思い浮かべてくれ』
「は、はぁ」
男は戸惑いがちに目を閉じた。
―まあ別にそんなに本気で思い浮かべてもらわなくても
そいつの事を少し意識してもらうだけでいいんだけどな
【視え】た。
暗い赤色のローブで全身を包んでいる。
背格好から察するに男なのだろうが、
男の言うようにフードを深くかぶっているせいか、
顔はほとんど確認できない。
・・・何となく、既視感はあるのだが・・・。
思い出せない。
『悪い、もういいぞ』
男の肩から手を離した。
「・・・今のは?」
わけが分からないといった表情でこちらを伺う。
『んー・・・、俺は人の考えてるものを覗ける能力がある
・・・っつったら信じるか?』
男が目を見開く。
「・・・貴方は、一体・・・」
と、何か聞きたそうな表情をするが、
思い直したように頭を振る。
「・・・いえ、私を支配から解放して頂いた恩人に
野暮な詮索は止めておきますか。
それでは、出口まで案内しましょう」
『あーいや、その必要は無い。こっから直接行くわ』
え? と小さな驚きを見せる男をよそに、
指先に魔力を籠め、前方に【転移】の印を描く。
「なるほど・・・。私の部屋へ入った時も、その印術を使用したのですか?」
描かれた印を見ながら興味深そうに聞いてきた。
『ご名答』
そう言いながら、転移する【対象】の顔を思い浮かべる。
・・・決して忘れる事の出来ない【親】の顔を。
『じゃあな』
印に手を当てようとする。
「お待ち下さい」
呼び止めの声に反応し、振り返る。
「貴方の名前をお聞きしたい」
と、真剣な眼でこちらを見ている。
―ったはー・・・。参ったな。
今までのお堅い態度を見る限り、
アウラの時みたいにはぐらかせる相手じゃなさそうだし・・・。
『・・・アンタは?』
とりあえず聞き返してみる。
男はその言葉にハッとしたような表情をし、
「こちらから名乗るのが筋ですね。失礼しました。
私はダシュタ防衛総長のヨキ・グルヴェインと申します」
―・・・そんなにクソ真面目に答えられると困るんだが。
しばし悩む。
ヨキはこちらを見たまま次の言葉を待っているようだ。
―仕方ない・・・ダシュタの幹部であれば、いずれ何か縁があるかもしれないしな。
『・・・ホルステッド・ティルフェルム、だ』
その言葉に、ヨキが大きく目を見開き、呆然としている。
あの反応を見ると、やはりこちらの事は知っている様子だ。
無用な詮索を受ける前に・・・
―退散。
『んじゃそう言う事で』
と、そそくさと転移の印に手を当てた。
-−Side Yoki−-
「ホルステッド・ティルフェルム、だ」
目の前の男はそう言った。
余りの衝撃にしばし呆然としてしまう。
―何故、このような所に?
そう聞こうとした時には、既に彼の姿は無かった。
ホルステッド・ティルフェルム・・・
東の山岳地方に栄えるティルフェルム教国において
【生ける守り神】として崇拝されている者の名前だ。
文字通り実在し、200年もの間あの国の実質的な王を勤めているらしい。
不老不死だとか、あらゆる術を使いこなすだとか、
夜空に星々を操る力があるだとか神がかりな噂は絶えない。
中にはそれらはティルフェルムが他国牽制の為に用いているデマで、
本当は似た者を代わる代わる王位に乗せているのではないか、
などと言う噂もあるが、真相は定かではない。
そんな立場の者がこの様な所に何故・・・?
彼が偽りを言っている可能性もあるが、
あの場でそんな嘘をつく意義は感じられない。
というより・・・あの若い見掛けに反する独特の威圧感、
昨日見せたあの卓越した印術。
そして真実は定かではないが、
「相手の考えているものが見える」
そんなことも言っていた。
いずれにしても彼が只者ではない事は明白。
・・・だが。
『いかんな・・・』
そう呟き、軽く溜め息を吐く。
考えても判る事ではない。
彼が自分を救ってくれた事は純然たる事実。
それで良いのではないか。
そんな考えに至る。
それよりも、自分には山ほどやる事があるのだ。
操られている間に自分がしてしまった事の
後始末をしなければならない。
軍備の停止に、領主との会談、
緊張状態にあるマラノにも自ら弁明に赴く必要があるだろう。
―忙しくなりそうだな・・・
だが苦では無い。
自分の意思で行動する事。
たったそれだけの事が何と晴れ晴れしい事か。
そんな事を思いながら、外の方へと足を踏み出した。
-−Side Horus−-
【転移】の印が消え、巨大な樹の前に降り立つ。
左を見ても、右を見ても深い、深い森が目に入る。
だが、この大樹の周囲三十メートル程度には木々はおろか、
草の一本さえ生えていない。
まるで、植物達がこの大樹に畏怖するかのように。
400年程前、自分が初めてこの地に来た時から
・・・いや、恐らくこの樹がこの地に在ったその時から、
ここは何も変わらない。
大樹の【種】を宿した者にしか見ることすら適わぬ
結界を、【こいつ】が張っているからだ。
『よう』
目の前の【樹】に声をかける。
すると、樹の根本から丸く淡い緑の光が沸き、
目の高さまでゆっくりと上昇する。
その光は眩く輝きながら人型へと姿を変え、
次の瞬間、光が収まり、その姿がはっきりと現れる。
男とも女とも取れる中性的な顔立ちと、
鮮やかに光る緑の長い髪。
この大樹ユグドラシルの精神体である【白夜】もまた、
初めて見た時と何一つ変わらない。
<<お帰りなさい>>
頭の中に透き通った声が響くと同時に、
目の前の【モノ】が目を開き、
全て見透かすような真紅の瞳でこちらを見る。
前に見た時は、思わず目を逸らしてしまったものだが、
今回も同じなのは癪なので見つめ返し、
『アンタは・・・変わらねえな』
そう言い放つ。
<<貴方は――大分、成長しましたね>>
そう言いながら穏やかに目を細める。
『ハハッ、皮肉にしか聞こえね』
<<――そろそろ、来る頃だと思っていました>>
こちらの嫌味を無視し、本題に入ってくる。
『ま、そうだろうな。
・・・アウラを俺に会う様、仕向けたのはアンタだろう?』
<<そうです>>
―やっぱりか
『ってことは・・・【解禁】って事か?』
・・・以前この白夜と会った時、
万が一自分と同じ【種】を体内に宿した者を見つけても、
決して名乗ってはいけない。
そう、釘をさされていた。
<<はい。彼女は既に答えを見つけ、
一人で自分の使命を果たす術も身に付けました。
もうあなたに会わせても良いと判断し、
彼女の能力に【干渉】する事で貴方と会う様、導きました>>
『答えを見つけた・・・か』
【何故人を助ける】といった問いに、
【人を助けるのに理由などいるのか】
そう言い放った彼女の目に確かに迷いは無かった。
しかし・・・
『前の"月虹"は確か20年前くらいだったよな?』
<<・・・そうです。あの時に彼女を【再生】させました。
――その、強い想いに答えて・・・>>
『そうかい・・・』
複雑な思いで生返事をする。
あの見た目で判断する限り、ユグドラシルの【種】を
宿し、【再生】したのは20歳前後・・・。
彼女はたった40年であの境地に至ったのか。
自分が使命に対し迷いが無くなったのは、
100歳を過ぎてからだった気がする。
と、こちらの様子を見てか【白夜】が微笑みを浮かべる
<<あなたと彼女ではその【役割】も【意味】も違います。
代々―【調停者】の方は答えを見つけるのに時間がかかります。
何も、気に病む事はありません>>
『はいはいわーったよ・・・』
―この"樹"はちょくちょく人の心を覗くから困る
【白夜】はこちらの反応を見据えた後、表情を無に戻し、
<<では――【調停者】と【救済者】
対なるあなた達は、共に歩み、各々の使命を果たして下さい>>
と言い放ち、その姿を消していった。
『・・・ったく。相変わらず言いたい事を言って消えやがる』
樹に向かって文句を言う。
『ま・・・』
右手の指先に魔力を込める。
『そうするさ。言われなくてもな』
そう呟きながら、【転送】の印を紡いだ。
-−Side Aura−-
自分の中に二つの感覚が共有している。
目を開いている時と閉じている時。
それぞれで居る場所が全く異なる。
目を開けば、ただひたすら広いどこまでも続く暗闇。
本当に目を開けているのか分からない位、何も見えない。
いくら歩こうとも、いくら叫ぼうとも
自分が進んでいる事もわからない、
自分が何を叫んだかすら聞こえないそんな世界に身を置いている。
そして目を閉じると、
元々私が居た世界、広大な砂漠が見える。
砂が擦れ合う音も聞こえるし、
自分が何をしているかも思い出す事が出来る。
まるで元の世界に戻ったかのようだが、
たった一つ違うのは、私の意志では体を動かす事が出来ない。
ただ―【もう一人の私】がしている行動を見ているだけ。
「―良いですね? アウラ」
聞き覚えのある声が私の名前を呼ぶ。
『・・・分かった』
・・・私の声。
目の前の男に只忠実に従う、もう一人の私が発した言葉。
―何をさせるつもりだ・・・
もう一人の自分と共有した記憶を反芻する。
<ホルスという男を見つけ次第、正面から【縮地】で背後に回って下さい
恐らく奴はあなたが【縮地】を使用した瞬間、正面に【障壁】を張るでしょう
背後は一時的に無警戒になる筈です。その隙に――刺し殺しなさい>
薄笑みを浮かべながらそう私に命令する男―印術師シヴィラの姿が浮かぶ。
―なっ・・・
確かあの時私に「協力して欲しい」
あの男はそんな事をほざいていた。
先日自らが苦渋を舐めさせられた同じ印術師、ホルスへの
復讐に、だ。
私が正気であればどんな事をされても協力するつもりは無い。
だが・・・私の体の支配権が別にあるのならば話は違ってくる。
この男は私に直接手を掛けさせるつもりだ・・・。
『―何故【障壁】を張ると言い切れる?
奴は確か、【結界】という全方位防御の印術を使用していた。
あれを張られては私の攻撃は通用しないのではないか?』
記憶の中のもう一人の自分がそう言った。
ホルスが【結界】を使用していたのを見たのは紛れも無い、私自身。
もう一人の私も、私の記憶を継承しているという事か・・・。
シヴィラはそれを聞き、頭を振る。
<いえ、その心配には及びません。
【結界】はかなりの高等印術、如何な卓越した印術師といえど念映など不可能です。
従って貴女の【縮地】を確認してからの発動はできませんよ。
咄嗟の危険には【障壁】を張るしか術が無い筈です。
危険を察知した方向に向けて、ね>
と、嘲る様な笑いを顔に浮かべている。
同じ印術師という事でその特徴も弱点も心得ているという所だろうか。
そうなるとホルスが自分を返り討ちにする事に【期待】は出来ないかもしれない。
<万が一に備え、少し奴の念映を【使いにくい状況】にします。
貴女はただ、奴を確実に仕留める事を考えて下さい。――良いですね?アウラ>
『わかった』
無感情な声でそう答えた後、私は歩を進める。
向かう先は、砂都ダシュタ。
何とか【私自身】を止めようと足を動かす事を必死に拒否しようとするが、
どうにもならない。完全に体の支配権はもう一人の自分にある。
例え【不死】であろうとこんな事になっては何の意味も無い。
あのような男に操られてしまう事態を招いた自分への憤りと
自分の意志とは無関係に動くこの体に絶望感を抱きながら、
只ひたすらにもう一人の私に抗おうと足掻いていた。
-−Side Horus−-
再び砂の都へと視界が移り変わり、
自分の体が急激に下降する感覚に襲われる。
すぐに足元に【浮遊】の印を念映し、自分自身の体を空中に留めた。
地平線からは太陽が顔を覗かせていた。
転移先は【アウラの100メートル上空】とした。
相手がどこにいるかわからない状況で
【転移】を用いる際は対象の上空としている。
移転先が建物の壁で一時的に動けなくなってしまう、
といった事を避ける為である。
すでに上空へ転移すると判っていれば、転移後の危険は上空の方が少ない。
・・・最も、この方法は度重なる転移の失敗で、意図せず上空に
転移してしまった経験から得た物でもあるが・・・。
先のヨキの下へ行く時は、対象が軍部の建物と予想されたので、
上空に出れば見つかる危険性があった為、
半ば博打気味で本人の間近に転移をしたのだ。
今回はそのような事をする必要は無い。
―さて・・・
転移の結果は全く問題が無いのだが、
別の問題が発生した。
『どういうこった・・・これは・・・』
眼下の砂都は異様な事態となっている。
街全体に何かが覆っていて、アウラの姿を確認する事はおろか、
建物の高い部分程度しか見る事ができない。
『霧・・・か・・・?』
砂都ダシュタは文字通り砂漠の中の街である。
砂漠において霧が発生するなど、極々稀で、
まして都合よくダシュタ全体を覆うなどという事はまず有り得ない。
恐らくは、人為的なものだろう。
―とりあえず・・・アウラを探すか
【浮遊】の印の力を弱め、ゆっくりと高度を下げる。
地面に降り立ってみるとますますその視界の悪さが際立つ。
夜も明けているというのに、5メートル先すら見る事はできない。
―おいおい・・・
いくら近くに居るとわかっているとは言え、これでは案外探すのは骨かもしれない。
いっそ再度【転移】でアウラのすぐ傍へ転移してしまおうかと考えた矢先―
「―ホルス・・・か?」
前方の霧の中から聞き覚えのある声が響く。
『ん、ああ。アウラだな?』
「そうだが・・・私に何か用か?」
霧の中から淡白な声で答えが返ってくる。
―相変わらず・・・愛想わりーな・・・
思わず苦笑してしまう。
『ああ。とりあえずどこか入らないか?
この状況じゃあ・・・まともに話す事もできん。
しかし良く俺の姿が見えるなお前は・・・』
こちらからではわずかにシルエットが見える程度。
とてもじゃないが声を聞かなければアウラとはわからなかった。
「目は良い方なのでな・・・。今、そちらへ行く」
と、急激に肌がざわついた。
長きに渡る生の中で身につけた勘が危険信号を知らせている。
咄嗟に前方に【障壁】の印を念映する。
前方のアウラのシルエットが消えた。
直後、横に風が流れる。
―縮地か・・・!
そう思った時には既に後ろから鋭い痛みが走っていた。
-−Side Aura−-
声にならない叫びを上げる。
自分の中の時が急激にゆっくりとなり、
たった今感じたその感触が重く強く、のしかかる。
この感触自体は慣れたものだった。
私は必要があれば・・・いや、刺されても致し方ない連中に対してのみ、
この手で短剣を振るっていた。
最初の頃は、例え相手がどんな者にしろ、
"人"を殺した事に対する罪の意識に苛まれた。
だがいつしかこの砂海に巣食うそういった連中をどこか
"人"とは思わず、無機物として扱い、
それを壊しているような感覚に変わってきた。
だが今私は・・・
初めて"人"を刺した。
そんな気がする。
もう一人の私が突き出した短剣は、
目の前の男―ホルスの首筋を突き刺していた。
確実な急所・・・彼が助かる事は決して無いだろう。
短剣を抜き取ると、
黒衣の印術師は鮮血を後ろに噴出しながら地面へと体を埋めた。
もう一人の私はいつものように短剣に付いた液体をヒュっと払い飛ばした後、
倒れた体の状態を確認しようと手を伸ばす。
だが、私は腰を屈めた体制のまま動きを止めた。
そして何故か、もう一人の私の動揺が感じ取れる。
「っつぅ〜・・・いってぇ・・・」
―『え?』
意識だけの私ともう一人の私の言葉が初めて一致した。
有り得ない光景だった。
死んだ筈の男が苦い顔をしながらゆっくりと立ち上がり、
傷がある筈の場所を手でさすっている。
『馬鹿な・・・何故・・・』
出血が止まっている。
―何かの術、か・・・?
彼を刺した幻術でも見せられたのだろうか。
・・・否。
目の前の彼は確かに自身の血で汚れていた。
そしてあの苦痛を浮かべた表情。
確かに彼は一度致命傷を負っている筈。
となると・・・傷を瞬時に治癒した、という事だろうか。
この男の底知れない実力を考えれば有り得ない事ではないが・・・。
ホルスは首をさすっていた手を外し、私の方へ顔を向け、
「まさかお前も・・・か?」
そうため息混じりに言いながらこちらを諦めた様な表情で一瞥する。
『っく・・・!』
再度ホルスに攻撃を仕掛けようとするが、何故か途中で手が止まる。
もう一人の私の動揺がさらに広がって行くのが手に取るように感じ取れる。
視線の先にある自らの手が七色の光に包まれている。
どうやら、ホルスに何かしらの術を掛けられ、体の動きを封じられたらしい。
「ま、ちっとじっとしててくれ」
恐らく・・・勝負は決した。
先日の闇術使いに引き続き、
またもや捕らえられての敗北に複雑な思いはよぎるが、
この結果自体にはひとまず安堵する。
後は・・・
―ホルスが私をどうするか、だが・・・
自分が操られている状態にある事をホルスが気づき、
術を解除してくれる、という期待が無いと言えば嘘になる。
しかし自分の命を狙った者に対し、真っ先に"操られている"
などという考えに至る者はそうは居ない。
ましてホルスとは一日程度行動を共にしただけで
さして長い付き合いというわけでもない。
むしろ"裏切られた"、"最初から自分の命を狙う為に近づいた"
などと言う、負の考えに傾くのが普通だろう。
ホルスは正面に立ち、
「ちと、調べさせてもらうぞ」
とこちらに手を額にあててくる。
『何を・・・』
抗議しようとする私を無視し、
「やっぱりか・・・」
僅かに表情を曇らせながら呟き、額に当てていた手を下げる。
「解放してやる」
ホルスは指を立て、七色の光をその先から発した。
もう一人の私はそれを見て目を見開く
『や・・・やめろ!!』
動揺を大きくし、必死に束縛から逃れようと四肢を動かそうとするが、
ホルスの仕掛けた印は全くそれに動じる気配は無い。
―解放・・・
その言葉の意味する事がシヴィラによって
自らに仕掛けられた術に対するものだと
認識するまでしばしの時間を要した。
―気づいてくれたのか・・・?
安堵と同時に自己嫌悪に襲われる。
操られていたとはいえホルスをこの手で刺したという事は紛う事なき事実。
それが彼を死に至らしめなかったのはあくまで結果論だ。
一歩間違えば彼を殺していた。
正直、解放されたところでどの面を下げて接すれば良いのかわからない。
ホルスが目の前に印を描き始める
が、途中で何故か手を止め、眉を一瞬ぴくっと吊り上げた。
―そうか・・・"奴ら"が私の解放を大人しく見ているわけは無い、か
辺りの様子が急激に変わっていた。
ダシュタ全体を覆っていた霧―
私を印術で操ったあの男、シヴィラの【水術】によって
呼び出された霧が掻き消えていった。
そして・・・
「・・・誰だ?」
霧が晴れた後、ホルスの後方に闇術師ゼクセルの姿があった。
-−Side Sivilla−-
―よし!
指先に最大限の魔力を集め、印を紡ぐ。
突然上空から奴が現れたのも然る事ながら、
傀儡としたあの女、アウラが致命傷を与えたにも関わらず、
あの男が立ち上がった時には冷や汗を覚えた。
傷を負った瞬間に【治癒】の印を念映でもしたのだろうか・・・。
だが結果的にゼクセルがあの男の"影"を捕らえた。
奴の影を出す為に霧を晴らした結果、
奴の念映による危険性を高めたが、
朝陽の方向と高さが幸いしてか、
奴の背後、それも10数メートル程離れた所で
ゼクセルが奴に術をかける事ができた。
対象の影の上に立ち、数秒間足元に置いた相手の影に魔力を送る事で、
相手の動きを封じる。
【シャドウホールド】は闇術の基本ながら、
その汎用性は高い。
ゼクセルと組んで暗殺を行う時はこの術でゼクセルが動きを止め、
自らが印術により対象を仕留める、という事が多い。
奴が動けない事とこちらが奴の死角に位置する事。
この二つの条件から奴から念映による印の攻撃を受ける事はない。
念映はあくまで姿を確認したものに仕掛けるもので、
こちらの姿が確認できない限りそれを行う事はできない。
後は―自らが扱える中で最も強力な印【獄炎】を使い・・・
確実に息の根を止める。
例え【障壁】を念映をしたところで、
この印の威力であれば防がれる事は無い。
そして直撃すれば【治癒】の印などで延命等は出来ない。
完成した【獄炎】の印は強烈な赤い光と共に、
自らの体の倍程もあろう巨大な炎の弾を生成し、
影を捕らえられて動けないあの男の元へと飛んで行った。
-−Side Horus−-
正面の朝陽の姿を見て舌打ちする。
―シャドウホールドか・・・
いくら霧が掛かっていたとはいえ、
自分の影を背後に置いてしまったのは迂闊だった。
とはいえ、自らの生まれ持っての魔力属性は"光"である。
そして印術だけではなくその生まれ持ったものを生かした光術の方も
何年も前に大抵の術を習熟している。
頭上に光を発生させ、一時的に影を消し、拘束を解くことは造作も無い。
だが・・・間髪入れずに後方から強い魔力を感じる。
目の前のアウラが目を見開く。
恐らく【障壁】では防げない威力の魔法がこちらに向け放たれたのだろう。
拘束を解いて避ける事は容易いが、その場合アウラが魔法をまともに受けてしまう。
―周到な事で・・・
最も―まともに喰らった所で二人が死ぬという事は無いが・・・
死なないにしてもそれなりの"苦痛"はある。
『仕方ない・・・』
軽く溜め息を吐きながら背後に魔力を集中させた。
攻撃が"魔法"と分かっているのならば対処方法は他にもある。
それなりに魔力を消耗するので余り使用したくはないのが本音だが・・・。
魔法がこちらに達しようとする所で、
後ろに光の幕を張る。
【ディスペルフィールド】
光術の最上位魔法の一つで、光の幕を作り出し、
その場所を通過した全ての魔法を無効化する防御魔法。
後ろから放たれた魔法は炎系列の魔法だったのか、
少し熱を感じたが、すぐにそれも収まった。
魔法の無効化に成功したようだ。
「な・・・・・!!」
背後から声が上がる。
―ん・・・?
聞き覚えある声なような・・・
そういえばアウラの攻撃方法にしろ、どうにもこちらが印術師であり、
"念映"を使用する事と、その対処法に沿った奇襲を連発してくる。
・・・まぁ・・・心当たりが有り過ぎて誰が誰だかわからないが。
今まで自分に襲い掛かった者、争いを持ち込んだ者で
印術で脅して逃がした人間は数知れない。
『んじゃ・・・こちらから行こうかね』
二度目というのならば容赦はしない。
最も・・・アウラを操り利用した、という点で
例え二度目で無くても万死に値するが。
先ずは【シャドウホールド】の解除。
頭上に光を発生させるべく魔力を集中する。
相手の目を眩ます光術の基本【フラッシュ】は
闇術による影を利用した大半の術を一時的に無効化する。
頭上から眩い光が発生したが、
何故かその前には既に動けるようになっていた。
不思議に思いながら背後を見て、舌打ちする。
既に人影が無い。
『逃げられたか・・・』
追えば間に合うかもしれないが、
とりあえずアウラをこのままにしておくのは忍びない。
―ま、いいか
既に奴らの顔はアウラが見ているだろう。
アウラの意識が戻ればアウラから奴らのイメージを引き出し、
【転移】の印でどこに居ようが追える。
「く・・・離せ!!」
一通り事態が飲み込めたのか、再び拘束から逃れようと抵抗する。
『あーわーったわーった。【解放】するからちょっと待ってろ』
アウラを解放すべく印を紡ぐ。
『ま・・・今のお前にとっては【消滅】だろうがな』
完成した【解呪】の印に手を触れ発動させた。
「や・・・止め・・・!」
術によって形成された支配が解放されていく。
こちらを睨んでいたアウラの目付きが変わった。
解呪は問題無く成功したようだ。
それを確認すると同時にアウラの手足に仕掛けた【呪縛】の印を解く。
『・・・っと』
アウラが膝を地に落とし、倒れようとする所を支える。
「すま・・・ない・・・」
こちらに向けてそう一言だけ言うと、がくっと支えた手にもたれ掛った。
術が解かれた瞬間に気絶・・・先のヨキと同じ症状だ。
目を据わらせる。
『どうやら・・・同じ奴と思って間違い無さそうだな・・・』
ダシュタの防衛総長を操り戦争を助長しようとしたこと。
そして今回の件・・・。
もはや放置して良い対象ではない。
気絶したアウラに目をやる。
―とりあえずは・・・宿に戻るか。
「――さん!早く!!」
と、なにやら通りの奥の方からやかましい声が聞こえてきた。
声のする方に顔を向けると、
頭に三角巾を巻いた中年の婦人が
ダシュタを見回っている衛兵の手を引っ張り、なにやら騒いでいる。
「あの男です! 嫌がるあの女の子に無理やり怪しげな術を掛けてたんですよ!」
・・・婦人の指は、こちらを指していた。
『・・・・・・は?』
-−Side Zexel−-
ダシュタの北門近辺の一角。
この辺りは倉庫が多い為、この時間帯は大抵
市場への道を荷車が絶えず行き交っているが、
今日は見事なまでにその姿が無い。
砂漠の民はこと天候に関しての変化に敏感だ。
それは何よりも砂嵐を恐れての事。
砂嵐の日は必ず西の空が淀むという予兆がある。
そんな日は暗黙の了解で全ての商店は店を開く事無く、
皆それぞれの家で静かに砂嵐が過ぎ去るのを待つ。
今日は特に砂嵐の兆候も見えなかったが、
シヴィラが水術で呼び出したダシュタを囲う霧は、
ダシュタの民の警鐘を鳴らしたのか、
砂嵐の日の如く商売をしている者の姿など無い。
まあそれも計算の内ではあった。
その全く人影の無い倉庫の壁にもたれながら
切れた息を落ち着かせた。
ここまで全力で走ったのはいつ以来だろうか。
横に居るシヴィラもめずらしく息を荒げている。
―「んじゃ・・・こちらから行こうかね」
あの黒衣の印術師がその言葉を口にした瞬間、
本能が自らに死刑宣告を与えた。
光魔法を扱えるというのであればあの程度の拘束は意味がない。
迷う事無く逃げに入ったが、正直逃げ切れるとも思っていなかった。
だが・・・
『追って来て・・・ないのか?』
倉庫の壁の物陰から覗いているシヴィラに問いかける。
「ああ・・・」
奴も同じように感じたのだろう。
その口調からは普段の余裕が微塵も感じられない。
何故か後ろから追ってくる気配は無かった。
かわりにいつ奴の魔法が飛んでくるかと生きた心地もしなかったが、
その様子も無く、ここまで逃げてくる事が出来た。
どうやら"見逃された"らしい。
―・・・冗談じゃねえ
『なあ・・・シヴィラよ・・・』
「なんだ」
シヴィラは横で何か思いつめたような顔をしながら生返事をする。
奴には悪いが・・・
この仕事は降りる事に決めた。
当然、契約の不履行になる訳だから金は貰えず、
今までの労力も無駄となるが・・・。
正直二度と奴と関わりたくない気持ちの方が強かった。
『悪いが―』
それを切り出そうとした瞬間、
シヴィラの表情が一変する。
「降りる、というのですか?」
氷のような無表情でこちらに顔を向け、問いかけてきた。
―・・・まずいな
キレた時の表情だ・・・。
『・・・と言ったらどうなるんだ?』
背中を一本の汗が伝う。
シヴィラはそれに答えずに、
スッとこちらに手の平を向けてきた。
『オイ・・・正気か?』
シヴィラの手の平に魔力が集中する。
魔法で闘り合うというのであれば、
奴に手の内は全て知られている以上、こちらに勝機は薄い。
『待て・・・わかったよ』
両手を上げながら、はぁ、と大げさに溜め息を吐く。
その様子を見て、シヴィラは手を下げるが、
表情は依然として変わらず、無表情のままだ。
『だがよ・・・正直勝ち目があるとは思えないぜ?
奴の使う光魔法は俺と相性が悪いし、
何より奴の魔力量はケタが違う。
・・・おまけにあの女の術も解かれたんだろう?』
ただその現実を告げる。
先ほどシヴィラが強い頭痛を感じていた事から、
あのアウラとかいう女にシヴィラが掛けた術も解かれたと考えて良い。
印術師一人でも勝ち目が薄いのに、
あの女まで加われば余計にこちらの旗色は悪くなる。
だがシヴィラはその忠告も聞かずに
ただ前方の地面を無表情に見つめ、何かを考えている。
『まだ何か・・・策があるのか?』
そう聞きながらも余り期待はしていない。
奴に対抗し得る手段など有るとはどうしても思えない。
だが・・・
「奥の手を・・・使う」
策でも何でもない、ただの"無茶"をシヴィラは口に出した。
『おいおいおいおい! まさかアレを使う気か!?』
「・・・ああ」
シヴィラは淡々と答える。
"アレ"を使う意味はこの男にもわかっている筈。
確かにあの男も倒せるかもしれないが・・・
制御仕切れなければ自分達の命も危うい。
そして恐らく・・・この辺りは焦土と化す。
『・・・いいのか?』
ダシュタはこの男にとってもそれなりに思い入れのある場所の筈。
いずれは彼の地の支配権を得ようと画策しているようにも見えたが・・・。
「ああ。あの男を始末しなければどの道、私に未来はない」
あっさりとそう答える。
確かに・・・あの女から自分達の情報は奴に届くだろう。
そうなれば、これから奴に命を狙われ続ける危険性は高い。
ならば確かに、どのような手段を用いても奴を殺すべきだ。
『判った。んなら一旦アジトへ戻るんだろう?』
それに口では答えず、シヴィラは前を歩き出した。
こちらもそれに無言で後ろに続く。
"アレ"はダシュタ近郊のアジトの地下室に隠してあるらしい。
入手する際の仕事には携わったが・・・。
まさか自分がその使用にまで関わるとは夢にも思わなかった。
鬼気迫るシヴィラの背中を見ながら、ふと溜め息が漏れる。
―俺の人生もここまで――か?
と、独り天を仰ぎながら苦笑した。
-−Side Horus−-
「ですからー! そこの人が若い女の子がやめてぇ〜〜って嫌がっているのを
この男が女の子の頭を無理やりこう―」
婦人は片手を前に出してなにやら怪しい手つきを表現しながら、
一心不乱に"事情"を説明する。
―・・・・・何か――発言ごとに微妙に脚色されていくんだが・・・
眉間にしわを寄せ、両こめかみを片手で抑えた。
対面にはつい昨日に会ったばかりのダシュタ防衛総長ヨキと、
自分をここまで連行してきた衛兵が困ったような顔で婦人の"証言"を聞いている。
ダシュタ防衛部隊詰め所の一室。
いわゆる取調室といった場所だろうか。
思わぬ濡れ衣を着せられ、こんな所に連行されてきてしまった。
―迂闊だったな・・・
溜め息が漏れる。
あのような異常な霧が発生していて人通りは無いだろうと油断していたが、
考えてみれば霧が晴れたら外の様子を覗く住人が居るのは当たり前だ。
にもかかわらずあんな道端で騒ぐアウラに術を掛けていれば、
周りの目からは奇異の目で見られるのは至極当然といえば当然だろう。
連行される前に【転移】なりなんなりで逃げる事も可能だったが、
アウラを休ませる場所の確保もしたかったし、
ダシュタ防衛部隊にはヨキという"ツテ"もあった。
ついでに彼に今朝の霧の事を説明する必要もあるだろうと、
黙って連行されてきたものの・・・。
「しまいには怪しい術にかかって気絶した彼女に抱きついて――」
『いやまてそれはいくらなんでも違うだろう!!』
話がさらにあらぬ方向へ飛んだので思わず早口で突っ込みを入れる。
婦人はひっと驚くと、立っている衛兵の後ろに隠れ、
「脅しても無駄よ! 私はそんなものには屈しないんだから!」
と、衛兵の体から顔を半分出してこちらを睨み付けて来る。
―・・・このババ・・・
殴りたい心情を押さえ、ただ大げさに溜め息を吐き、
元の姿勢へと戻る。
「まぁまぁ・・・事情はわかりました。
後は我々の方で処遇を決定致しますので、ご婦人はお帰り頂いて結構ですよ」
ヨキがたしなめるように言う。
婦人は一瞬むっとした顔をした後、
「もっと厳重に見回りお願いしますよ!?
こんな男がうろついていたら安心して外を出歩けないじゃない!」
と、ヨキに突っかかっていた。
「申し訳ありません。警備の方は一層強化して参りますので。
おい、すまないがこのご婦人を家までお送りして差し上げてくれ」
彼はそれをさらりと流すと、立会いをしていた衛兵にそう声を掛けた。
衛兵は少し戸惑った顔をする。
「しかし、この者と貴方二人になってしまいますが――」
ヨキは無言で衛兵を見つめる。
衛兵はそれをみてハッと何か気づいたような顔をする。
「――いえ、要らぬ心配を致しました。ではご婦人、こちらへ。」
と、衛兵はまだ喋り足り無そうな風情の彼女を連れ、退出していった。
・・・しばしの無言。
なにやら少々気まずい雰囲気が漂う。
「―まさか、こんな形で貴方にまたお会いする事になるとは思いませんでしたよ」
と、半ば笑いながらヨキがこちらに顔を向ける。
『――俺もだよ』
片手でこめかみを抑えたまま小さく首を振り、大げさに溜め息を吐く。
ヨキはハハっと小さな笑いをこぼした後、
「さて・・・説明をして頂けますか」
と、少し表情を改める。
『ああ。 ・・・だがその前に』
もちろん説明は元々するつもりだったが、一つだけ気に掛かっている事がある。
「彼女なら、客室にて休ませてあります。ご心配なく」
と、聞く前にヨキはそう答える。
『ん・・・そうか』
―なら安心だな。
『ま・・・単刀直入に言うとだな―』
と、少し間を置いた。
ヨキは答えを促すように、こちらに視線を送っている。
『アウラは――ああ、今その客室に居る奴の事な。
あいつはお前と同じで精神を操られていた。
んで恐らくは――操った人間も同じだ』
そう言うとヨキは大きく目を開ける。
「―それで、彼女は術師の顔を見たのでしょうか?」
『恐らくな。少なくともその仲間の顔は見ている筈だ』
全員フードなどで顔を隠している可能性も否定できないが、
最後のあの魔法、あれは顔を隠したままなどで放てる魔法ではない。
操られていたとはいえ、外の景色は見えていた筈。
あの位置関係からしてアウラがその者の顔を見た事は間違いないだろう。
『ついでに今朝の霧も恐らく奴らの仕業だ。
目的は――多分俺の命を狙う為、だな』
「え・・・」
ヨキが不思議そうな顔をする。
"霧"を出すという事とこの身を狙うという事が結びつかないのだろう。
『―まあ、簡潔に言うとああいう状態だと俺の力は半減される
そういう状態で、わざわざアウラを操って襲わせた事から、
目的が俺の命にあるという事は明白だな』
なるほど、とヨキは深刻な顔で頷く。
『とにかく、野放しにして良い奴らじゃない。
アウラが目覚め次第記憶を引き出し、そいつんとこへ行って来る』
「―では兵を数名、急いで手配します。どうかお連れ下さい」
首を横に振る。
『いや、いい。奴らのアジトかもしれない場所へ直行するんだ。
万が一にも無駄な犠牲は出したくない』
それに正直いくら日頃鍛錬をした衛兵であろうと
魔法での戦いになれば、足手まといにしかならない。
「ならば私が・・・」
『おいおい・・・ダシュタの防衛総長がここを離れてどうする』
「そう――ですね・・・」
残念そうな面持ちのヨキ。
まあ、敵は先日まで自分を操っていた相手だ。
少しでも何かをしたいという気持ちはわからないでもないが・・・
悪いがこの件で彼らが力になれることは何もない。
『まあ奴らの事については任せてくれ。
とりあえず――アウラの居る部屋まで案内してくれるか?』
「わかりました。こちらへ」
そのヨキの促しで立ち上がると、
入り口の扉がガチャリと音を立てた。
-−Side Aura−-
―――うっ
急な光に目が眩み、右手を目の上に添えた。
その添えた右手を見てはっとする。
―戻った・・・のか?
視線の先の手を握ったり開いたりしてみる。
それは紛れも無く、自らの意思で動かしていた。
安堵に息を吐きながら、手から視線を外して周りを見回した。
『ここは・・・・・・?』
体を起こす。
部屋の造りからしてどこかの屋敷の寝室・・・だろうか?
―何故、私はこんな所で眠っている・・・?
改めて自分の置かれた状況を考える。
あの時ホルスが自分に向けて印を描いた後、
自分を縛っていた何かが壊れたのを感じた。
―「解放してやる」
彼は確かに意識の奥に封じられた自分に向けてそう言った。
ホルスが紡いだあの印は、恐らく私に掛けられた術を解呪するものだったのだろう。
だがそのすぐ後からの記憶が無い。
術が解放された反動か何かで気を失ってしまったのだろうか。
寝ていたベッドから離れ、立ち上がる。
こんな所で寝ている場合ではない。
まずはホルスに会わなければ。
あの男には・・・大きな借りが出来た。
彼が何かを為そうとしているのであれば
それを手助けする事で今回の恩に報いたい。
ある種決意にも似た感情で前を見据えながら扉に手をかける。
部屋を出ると、横に向けて広い廊下が伸びていた。
これだけの広さ、個人の所有する建物ではないだろう。
かといって宿屋という雰囲気ではない。
壁に装飾用の武器が立てかけてあったり、
天井際には青い旗が垂れ下がっていたりする。
人の気配は今の所しないのだが、
何か建物全体に熱が篭ったような覇気を感じる。
雰囲気としては"砦"という言葉が相応しいだろうか。
―何故こんな所に連れて行かれたのだろうか・・・?
首を傾げる。
罪人として預けられたのであれば、
そもそもあのような客室に寝かされているのはおかしい。
―まあ、考えた所で分かる訳も無いか
とにかく、人を探そう。
廊下を歩きながら人の気配を探る。
と、一つ奥の部屋の方から僅かに人の話し声が聞こえた。
話し声が聞こえた部屋に歩み寄り、
扉に耳を当てる。
念の為、気配は殺した。
<――ですね・・・>
壮年の男の声が何かを呟くように言っているのが聞こえた。
―現状の情報が何かしら得られるかもしれないな。
このまま話を聞いてみる事にした。
だが――
<まあ奴らの事については任せてくれ。
とりあえず――アウラの居る部屋まで案内してくれるか?>
―・・・!
聞き覚えのある声。
紛れも無くホルスの声だろう。
会話の内容を理解するよりも先に手が動いていた。
<わかりました。こちらへ>
ガチャ
目の前の扉を開ける。
ノックもせずに突然部屋の扉を開けてしまった事にはっとし、
『――失礼する』
と、咄嗟に声を付け加える。
扉を開ききると、少々呆然とした顔をした二人の男が
こちらに視線を向けているのが見えた。
-−Side Horus−-
ヨキが扉を開く前に何故か扉は自然に開いた。
「失礼する」
と、透き通った声と共に入ってきたのは
これから様子を見に行こうとしていたアウラだった。
『よう、起きたのか』
向こうから来てくれたのは幸いだったか。
とりあえず手を上げて挨拶をする。
「ホルス・・・」
と、アウラはそれに答えず、何か神妙な顔でこちらに顔を向ける。
『もう、体の方は平気なのか?』
人を操る系統の術は身体への負担が大きい。
場合によってはしばらく体が不自由になる場合もある。
最も、ある程度鍛えている者であれば、
大抵は数時間の眠りで問題なく元に戻る可能性が高いが。
「―ああ」
静かに返事をしながらこちらへ近づいてきた。
―ん・・・?
そのまま手が届くくらいの距離まで近づくと、
アウラはスッとこちらに頭を下げてきた。
『お、おい・・・』
いきなりの事で戸惑う。
「すまなかった」
続いて真剣な口調での謝罪。
こちらとしてはもう既に忘れかけていた出来事だったが、
それは恐らく自分に短剣を突き立てた事に対するものなのだろう。
実際にそれは彼女であって彼女ではなかったもので、仕方の無い事だ。
しかしそんな操られていた事実を言い訳ともせず、
何よりも先ずその事に対しての謝罪を優先させる姿勢は、
目の前の女性の誠実さを示している。
「―では私は勤めがあります故、失礼させて頂きます。・・・ご武運を」
横からヨキがそう言いながら礼をし、そそくさと部屋を出て行った。
彼なりに気を使ってくれたのだろう。
アウラは先ほどの姿勢のまま頭をずっと下げている。
その真摯な態度には微笑ましいものすら感じるが、
いつまでもそのままにさせておくのは忍びない。
『とにかく・・・アウラ、頭を上げてくれるか?』
たしなめる様に言うが・・・
反応なし。
―んにゃろう・・・
『お〜い・・・このままじゃ話もでき――』
「―手伝わせてくれないか」
こちらが言葉を言い終わる前に頭を上げた後、
こちらの目を見据え、有無を言わさぬといった口調でアウラがそう言った。
『・・・は?』
―手伝う?
「ホルス、確かお前は目的があってこの街に来たと言っていたな。
【争いを止める】、と。それを、私の持てる力の限りをもって手伝わせてもらう」
いきなりの事で思わず頬をぽりぽりと指でかく。
―手伝わせてもらう・・・って決定事項かよ
その強引さに苦笑してしまう。
とはいえ元よりそのつもりだ。
今回の事だけではなく、これからもずっと、
アウラには同行して貰わなければならない。
『ああ、んじゃあよろしく頼む・・・
―が、その前にアウラには一つ言っておく事がある』
「・・・なんだ?」
と、少し首を傾げながらそう聞き返してくる。
言っておく事。
即ち――自分の正体。
とは言え先ほど首を刺された際、その傷の治りを見ていた筈。
もしかしたら既に勘付いているかもしれないが・・・。
『ちと短剣を一本貸してくれるか?』
と、アウラに手を差し出しながら言う。
アウラは不思議そうな顔を一瞬するが、
腰にかかっている一本の短剣を鞘ごとその手に乗せてくれた。
短剣を鞘から取る。
ギラリと輝く刀身。刃こぼれ一つ無い。
それが相当な業物だと言う事は容易に想像できる。
その短剣を右手で持ち、鞘を持つ左手の甲に対し刃を立てて近づけた。
-−Side Aura−-
『な・・・何を―』
止める間も無くプスッと彼は刀身を自らの左手の甲に深めに埋めた。
赤い血が滲み出る。
「ま、見てろ」
とホルスは刀身を離す。
すると――滲み出ていた血がすぐに止まった。
『む・・・』
これは、あの時―私がホルスの首筋を刺した時と同じだ。
『それは・・・魔法なのか?』
とは言うものの印や光術の発動は見当たらなかった。
今更ながらに不可解だ。
ホルスはそう言う私に向かって露骨にため息を吐きながら、
短剣を鞘にしまってこちらの手に返す。
「おいおい・・・まだ気付かないのか。
これは魔法でもなんでもない。俺の【体質】だ。
―その意味、お前ならわかるだろう?」
その言葉に一瞬我を失う。
―え・・・・・・?
ホルスは【体質】と言った。
どんな傷も瞬時に直し、決して死ぬ事は無い。
私は、そんな【体質】を持つ人間を知っている。
それは――私自身。
『そんな・・・私と・・・同じ?』
辛うじて声を紡ぎだす。
「そうだ。俺はお前と同じ――ってのはちと違うな。
アウラ、お前が俺と同じ、【ユグドラシルの種を体内に宿す者】って奴だ」
ホルスは諭すようにそう言った。
―ユグドラシルの種・・・?
『どういう事だ・・・? お前はこの【体質】の根源を知っているのか?』
・・・少なくとも私は知らない。
―私はあの時、ただ必死に生きたいと願っただけ・・・。
「まあ、その事についてはおいおい説明するが、
とりあえず俺達をこういう体質にした【根源】はしっかり居るってことだ
最も、今この世に"種"を埋め込んだ人間は3人だけだが―」
『―ホルス』
私がこういった運命を辿る事になったことに
何かしら外部の力があった事はわかっていた。
だが別にそれが何か、などという事には余り興味はなかった。
それよりも・・・
「ん・・・、何だ?」
ただ一つだけ聞きたい事は・・・
『お前は、私と同じ時を生きる者・・・なのか?』
そう、ホルスの眼を見据えながら問う。
ホルスはその目を丸くするが、
すぐに何処か全てを理解したような表情で頷き、
「ああ、そうだ」
と答えた。
『そうか・・・』
それを聞いた途端、何か自分の中にある靄が晴れたような気分になった。
『―私はずっと、独りだと思っていた。
私と同じ存在が居たという事は、正直嬉しく思う』
ホルスが肩をすくめる。
「俺もだよ。 嬉しい以上に驚いたがな」
それを聞き、一つ疑問が沸いた。
『そう言えば・・・お前はいつ、その事に気が付いた?』
「ん? ・・・ああ、そりゃアウラの能力を教えてもらった時だが」
と、さも当然のように言う。
む、と眉を寄せる。
『何故、その時点で言わなかった』
と聞くと、ホルスは少し困ったような顔になる。
「んー・・・いや、ちょっと釘を刺されててな。お前と会っても自分の正体を明かすな、と」
そう言いながらホルスはぽりぽりと眉間をかく。
『・・・誰にだ?』
・・・聞かなくても大体の想像はつくが。
「まあ・・・俺とお前の、親ってとこだ」
―やはりか
『・・・要は、私達にこの能力を与えた者か』
「ああ」
ホルスはそう返事をした後、少し考えるような仕草をした。
『どうした?』
と聞くと顔を再度こちらへ向ける。
「いや・・・。 一度会うか? そいつに」
と、複雑な表情でそう言って来た。
私は首を横に振る。
『いや・・・必要無い』
嫌悪感というものまでには至らないが・・・。
何故か進んで会いたいとは思わない。
ホルスはハハッと笑いながら
「だよな」
と頷き、同意の意を示す。
彼も同じような気持ちなのだろうか。
まあ、その事はもう良い。
『さて・・・これからどうするのだ。
私は何をすれば良い?』
彼の目的の達成を助ける事、
今はそれを一刻も早く行いたい。
と聞くとホルスは少し表情を締めた。
「ああ、じゃあちっとじっとしててくれ」
『・・・? ああ』
ホルスは目を瞑り、こちらの肩に手を触れてきた。
-−Side Horus−-
『お前を捕らえた奴らの顔を見たか?』
アウラの肩に触れながら質問をする。
と、見覚えのある顔とそうでない顔が浮かぶと共に、
「・・・こないだオアシスで襲ってきた奴だぞ。
この近辺の盗賊を仕切っている印術師シヴィラだ。
もしかして・・・気づいてなかったのか?」
アウラが怪訝そうに訪ねてきた。
―あ。
『あー・・・あいつか・・・。どおりで聞いた事のある声だと思った・・・』
とようやく記憶を掘り出した自分に
アウラは少し呆れたようなため息を吐く。
「もう一人は奴の仲間らしい。 一見戦士のような風貌をしているが
その実、奴は闇術を使う。拘束系の術に長けているようだな」
そうアウラが敵に対する特徴を言っている間、
彼女からの記憶も同時に探る。
大男を切りつけた後、受けた返り血から魔力が広がり、
拘束されていく姿が浮かび上がった。
『ブラッドバインドか・・・。それなりに発動も早いな』
と言いながら目を開く。
目の前のアウラは目を大きく開いている。
「どういうことだ・・・?
確かに私は奴にその魔法で捕らえられたが・・・」
その反応に何となく満足し、少しにやけてしまう。
『アウラ。お前は不死という他にももう一つ能力があっただろう?』
助けるべき者を【視る】能力。
彼女にそういった能力があるのならば、
自ずとこちらにも同じか能力もじくは何か別の能力があると予想できるだろう。
案の定アウラは「あっ」、と声を漏らしながら何か気づいたような顔をし、
「そうか・・・。それがお前の能力なのか。
触った対象の記憶を探る・・・と言った所か?」
触れた肩に目を移しながらそう答える。
『ご名答』
肩から手を離す。
とにかく、どちらにしても奴らの顔はわかった。
ならばすべき事は一つ。
『さて・・・準備は良いか?』
そう聞くと、
アウラは少し首を横に傾け、
「構わないが・・・どこへ行くのだ?」
と、問いかけてきた。
『ん・・・? 奴らのアジトだが』
「・・・奴らのアジトの場所を知っているのか?」
少し怪訝な顔で聞いてくる。
アウラの前では【転移】の印を使った事はない。
確かに先ほどまで記憶にすらなかった連中のアジトを
知っているとなれば不思議に思うのも無理はない。
『ああ、【転移】の印を使う。
対象の顔さえ認識していれば一瞬でそいつの元へと飛べる』
アウラはそれを聞き、ほう・・・と感心した後、
「成る程・・・それであの時私の前に突然現れたのか」
と納得したように呟く。
あの時というのは彼女が操られた時の事を示しているのだろう。
『そういうこった。――んじゃ、つかまっててくれ』
というと、アウラは手を掴もうと言う所でそれを止め、首を傾げる。
「待て、何故奴らの所へ行く?
確かに許しがたい奴等だが、まずはお前の目的を優先させるべきではないのか?」
―ああ・・・そうか。奴等がやった事については知らないんだっけか。
俺の説明不足も多いが、意外と細かい事を気にする奴だな・・・。
一番奴等に怒りを覚えているのはこいつな筈なのにな。
と、そんな事を考えつつ事情を説明する事とした。
『んーと、だな。このダシュタが戦争を仕掛けようとしていたのは
ダシュタの防衛隊長――ああ、さっきここに居た奴な。
そいつが何者かに精神支配を受けててたせいであって、
それ自体は支配を俺が解呪した時点でほぼ解決したんだが・・・』
そこまで言うと、アウラも事情を察したようだ。
「精神支配・・・成る程・・・。諸悪の根源は奴等なのか」
そう言いながらあっさり納得するアウラ。
―諸悪の根源て・・・やっぱちょっと微妙に単純だなこいつって・・・
思わず笑みがこぼれそうになる。
『んじゃ、わかったならつかまってくれ』
と、再び手を差し出す。
「ああ」
差し出した左手をアウラが掴んだのを確認し、
右手で印術を描きだす。
―大体、上空五十メートル・・・ってとこか
あの男の顔を思い浮かべ、
相応の魔力加減をしながら印術を完成させた。
『じゃあ・・・行くぞ?』
左に顔を向ける。
アウラが無言で頷くのを見届け、【転移】の印に右手を当てた。
ここまで読んで頂いて本当にありがとうございます・・・




