海野珊瑚
身体測定の後、呼び出された私と凪風が保健室に向かうと、そこには先客――海野珊瑚がいた。
海野珊瑚は海原望夢ルートのライバルキャラだ。関係としては患者と先生といったところか。海野珊瑚は小さいころから体が弱く臥せがちだった。そのため保健室の常連なのだが、親身になって接してくれる海原先生が気になってくるという設定だった。
すでに先生のことを気になり始めているのか分からないが、少なくとも病弱なのは設定どおりのようだ。
海野珊瑚はやってきた私に気がつくと、ぱっと花が咲くように笑った。
「はじめまして! 一緒のクラスの海野珊瑚です。わたし、ずっとあなたとお話がしてみたかったの! だって体調が悪くて保健室に行くと、いつもあなたがいたから。私だけじゃないんだって思ったら、なんか元気づけられて。こうやって話が出来て嬉しい!」
「え……はぁ」
私はいきなりまくし立てられて目を白黒させた。そんなに保健室にいた覚えはないし、彼女とは毎回顔を合わせていたわけじゃない。保健室の常連が私のほかにもいて、それが海野珊瑚だということは知っていたが、彼女が私と話したがっていたなど知りもしなかった。
「隣のあなたは凪砂ちゃんね。はじめまして! あなたも病人の仲間入りしたのね。ようこそ! 私たちはもうお友達よ。病気友達! 訳して病み友!」
いやな訳し方をされてしまった。それではまるで心が病んでいるようではないか。
「あぁ、わたし、こういう友達がほしかったの。だってクラスのみんなは優しいけど、わたしに何かあると怖いからって積極的に関わってくれる人って少なくて。でも二人なら安心。誰が倒れるか分からないから!」
それ何の解決にもなってない、というのは指摘したほうがいいのだろうか。
そのとき海原先生がやってきて、楽しそうにしゃべる海野珊瑚を見て私たちが仲良くなったと思ったのか「盛り上がってるな」と笑った。
「先生、私たち友達になったんです! 病気仲間! 名づけて病人トリオ!」
さっきと名前が変わっている!?
そういえば、海野珊瑚はとてつもない天然キャラだった。
「できれば名前を変えてくれ。元気トリオとかにしてくれ」
「えぇ、ダサいですよ!」
病人トリオも元気トリオもどっちもダサいと思うのだが、海野珊瑚の中では大きな違いがあるようだ。ただ言っておくが、私は病気ではないし、凪風にいたってはすこぶる健康だ。
私たちは海原先生に促されて先生と向かい合うようにして座った。
「今日は、去年度大きな病気をしたり、入院した人に来てもらったんだけど……」
そう言って海原先生は持っていたクリップボードを一枚ずつ私たちに差し出した。
「海野さんは去年も書いたから分かると思うだけど、この紙に今の体調とか過去の病気とかを書いてほしいんだよね」
「喜んで!」
「喜ぶな。何かあったとき俺のほうですぐ対処できるようにしたいから。何もないのが一番だけど」
「分からないとこがあったら私に聞いてね!」
「分からないことがあったら俺に聞くように」
海野珊瑚は仲間ができて本当に嬉しいようで、始まりから終わりまでずっとしゃべり続けていた。最初は彼女の勢いに圧されていた私も凪風も、彼女のほんわかとした雰囲気にほだされて、終盤はだいぶなごやかな時間になった。
保健室を退出すると、教室まで一緒に戻る。
「なんか話してみてびっくり! 凪砂さんて孤高なイメージがあったから。でも、すっごい親しみやすかったんだね! これからはどんどん話しかけるね」
彼女は帰る途中も喋り続けていた。
「じゃあ、これからよろしくね! 何かあったら私が力になるから」
「ありがとう。私たちも珊瑚ちゃんの力になるから言ってね」
「はい、私もです」
支えが一番必要なのは彼女だと思うから。
珊瑚ちゃんは嬉しそうに笑うと、「またね」といって教室に入っていった。私たちも満花の元へ行く。
「おかえり。海野さんと仲よさそうに喋ってたけど、何かあった?」
満花に聞かれて、凪風が保健室であったことを説明する。満花は「ふーん」と興味なさそうな返事をした割にうれしそうに笑った。
「凪の友達だね」
「? 僕の?」
「うん、凪砂さんじゃなくて凪の新しいお友達。そうやってここは、凪砂さんじゃなくて凪の居場所になる」
満花と私が「凪風」を「凪」と呼ぶのは、彼が「凪砂」じゃないから。私たちの大切な友人は「凪風」だから。
凪は驚いた表情をしていたが、かすかに頬を染めると照れくさそうに笑った。
◆◇◆◇◆
帰りのホームルーム。担任に「今日の放課後、各部活動の集まりがあるから忘れずいくように」と言われて、私ははたと気づいた。
「ねぇ、凪。凪砂さんって何か部活動やってた?」
「いいえ、特に入っていなかったと聞きましたが」
「じゃあ、新聞部に入らない?」
「新聞部ですか?」
最近は活動がなかったため忘れていたが、私は新聞部でしかも部長だった。と言うのも私以外は幽霊部員か他と兼部しているため、必然的に私にお鉢が回ってきたのだ。
それより部活動は活動している人が三人以上いない限り、継続できない。一人は合唱部と掛け持ちしている満花がいるからいいが、去年唯一活躍してくれていた香織ちゃんはフランスに留学してしまった。
その為あとひとり活動者がいないと困る。
私が決死の思いで頼むと、凪は案外あっさりと頷いてくれた。拍子抜けしたとともになんだか不安になる。
「私が頼んだからって無理してない?」
「そんなことありません。もちろん友達が困っていたら助けたいというのもありますけれど」
「けれど?」
「そうすれば、ここが僕の居場所なるような気がするから」
「……そうだね」
「ありがとう」と感謝を述べると、私たちは新聞部に割り当てられた教室に向かう。満花は先に合唱部のほうへ行ってしまった。
結果を言えば新入部員は凪も含めて四人いた。でも活動する気はないようで、先輩方に凪を紹介するとみんな手放しで彼を歓迎した。いざとなればじゃんけんで活動部員を決めようとしていた彼女たちにとって、凪の存在は渡りに船だ。ちなみに去年もこの盛り上がりだった。これ幸いにと部長を押し付けられたわけだが。
もちろん今年も。
名簿に全員の名前を書き終える。六月までは仮入部の期間だが変動はないだろう。部員たちは凪に興味津々のようで、「どうして新聞部に入ったの」とか「病気で休学していたって本当なの」など口々に質問をし始めていた。
恥ずかしそうにしながらもみんなに囲まれる姿は、私の目指す道が明るいのだと証明してくれているような気がした。
◆◇◆◇◆
「羽柴フミ」
顧問の先生に名簿を届けに行く途中、名前を呼ばれて立ち止まった。
平常心。そう心に言い聞かせて、声のしたほうへ振り返る。
「何でしょう?」
十メートル先には深水英語教師の姿があった。
あの日、深水教師に絞められた首は、くっきりと跡になった。一晩冷やしても消えなかったので、次の日は病弱設定にかこつけて学校を休ませてもらった。
だが、それからというもの彼は私になにかと雑用を頼むようになった。明らかにクラス委員長の仕事だと思うのだが、ヒロインはやらなくていいのか? やらなくていいのか。
仕事は毎回、満花か凪が手伝ってくれた。
そのたびに深水教師は何か言いたそうにこちらを見ていたが、結局何も言わない、を繰り返していた。
廊下の先に立った深水英語教師は、何か言いたそうに口を開いた。しかし、躊躇ったように閉じてしまう。まただ。いったい何が言いたくて、何で言えないのか。
私たちの間につかの間の沈黙が降りた。が、深水教師は覚悟を決めたように再び口を開く。
「はし……」
「深水先生!」
「フミ!」
丁度その時、二人の人物が私たちそれぞれに駆け寄ってきた。
一人は凪で、もう一人は……。
「フミ、ここにいたんですね」
「どうしたの? 凪」
「僕も顧問の先生に挨拶に行こうかと」
「そっか。じゃあ、一緒に行こう」
私はちらりと深水英語教師のほうを見た。彼と話しているのは我らがヒロイン、青井真凜だ。
私は彼らに背を向ける。会話をしようとしていた事実なんてなかったように。
――ただ、前を向くほんの一瞬。ヒロインと目があった気がした。