馳間凪風
そこに立つ人物は本当は彼じゃないのかもしれない。それなのに、私はその姿を見た瞬間に彼が馳間凪風だと分かった。
隠しキャラ、馳間凪風(17)。性別は間違いなく男である。
本当は彼の双子の姉・馳間凪砂がここの学生なのだが、今から約三か月前に謎の失踪を遂げる。今までは体調不良の休学扱いになっていたものの、どれだけ探しても一向に見つかる兆しのない状況に焦れた両親は、このままでは外聞が悪く学歴にも傷がつくと案じ、彼に無理やり女装させてここに送り込むのだ。
もしシナリオ通りだとしたら、彼女は今頃どこかの劇団に飛び入り入団している事だろう。
彼の登場はヒロインと同じ始業式。HR後、友人キャラが登場するイベントがあるのだが、屋上で身を乗り出して学園を眺めていたヒロインのもとに、身投げをすると勘違いした友人キャラがランダムで登場する。
候補は凪風も含めて五人。もちろん他は全員普通の女の子で、サポートキャラも兼ねている。さらに彼女たちは攻略対象者の誰かと関係があり、攻略が進むとライバルキャラに変わる。
つまり攻略対象を気にしつつ、友人との関係も友好を保たないといけない訳だ。
凪風もそのランダム発生する友人キャラのひとりだ。実は彼の攻略は一番簡単といわれている。というのも彼は常に一緒に行動するので好感度もあがりやすいし、ライバルキャラがいないので、攻略の障害が少ない。
友人になれば攻略はエンディングまで一直線のキャラなのだ。
そう、友人になれば。
攻略は簡単でも、彼と出会うのはとんでもなく難しい。
前世ではとある物好きたちが彼の出現確率を、ひたすら電源を切ってつけてを繰り返して検証したところ、約百七十八分の一と結論付けた。
もはや、友達になる気ないだろう。
だがそれはあくまでもゲームの話で、ましてや私はヒロインではない。
ゲームに出ていないときの馳間凪風の交友関係などプレイヤーは知りもしないわけで。だから、私がここで彼と遭遇したことはなんらおかしなことではないのかもしれない。
「フミ、何してるの?」
私が遅かったからか満花が降りてきた。階段の途中で不自然に固まった私を見て訝しげに眉を寄せる。
私は階下を指差した。
満花は私の指に沿って下を眺め、得心したというように頷く。
「あの人、凪砂さんだよね。学校通えるようになったんだ」
「そう、みたいだね」
「でも凪砂さんって確か菊花寮だったはずだけど、引っ越してきたのかな?」
ゲームでは何寮に住んでいるか出てこないが、秘密を持つ身の上のため寮生が少なく、かつ他の寮と隔たっている鈴蘭寮に越してきたのは納得がいく。
現在、鈴蘭寮は全百室中、入寮者は六十三名だ。
彼は私たちに気づいていないようで、待ちわびたのか管理室から出てきた寮母さんを見てほっとしたようだった。
「待たせたねぇ。ほら、これが鍵だよ」
「ありがとうございます」
「それにしてもあんた、最近まで病気で入院してたんだって? ここに越してきて正解だよ。あんな肩肘張った寮にいちゃ、治るもんも治らんからね。ここの寮は……」
だが鍵を受け取るなり、いきなりまくしたてる寮母に彼は目を白黒させる。実は各寮の寮母さんたちは対抗意識からちょっと仲が悪かったりする。
「それと、この寮にもあんたと同じで入院してた子がいて、今日退院してきたんだけど」
そこまで言って寮母さんは私たちに気づいたようだ。
「あら、丁度いいところに! フミちゃん、満花ちゃん」
『こんにちは、かか様』
私と満花はそろって挨拶した。寮母さんは私たちにとって母親のような人で、寮生からは親しみをこめて「かか様」と呼ばれている。ちなみに挨拶は朝でも夜でも「こんにちは」だ。
「この子が今言った子で、羽柴フミちゃんって言うんだ。二人とも、こちら鈴蘭寮に越してきた凪砂さん。部屋は満花ちゃんの隣だから仲良くしてやっとくれ」
そして寮母さんは「出来れば荷物運びを手伝ってやっとくれ。でもくれぐれも無理はしないように」と言い残すと、来たときの勢いのままさっさと戻っていった。
一人取り残された凪風は呆然としている。口を開いたのは満花だった。
「えっと、蓮見満花です。で、こっちがさっきも紹介あったけど羽柴フミ。よろしくね」
「フミです。よろしく」
そう言うと凪風はようやく状況が呑み込めたのか、はっとしたように頭を下げた。
「え、えっと。ぼ……私の名前は馳間凪砂です。よろしくお願いします」
最後のほうは尻すぼみで、出来ればよろしくしたくないという思いがありありと感じられた。
だがそんなことには気づかない満花は「手伝うよ」といって、積み上げられた荷物を持つ。それを、慌てて凪風が止めに入る。
「だ、大丈夫です。私一人で運べますから」
満花はダンボールの山と彼を見比べて、口を開いた。
「この寮、エレベーターないけど」
「……」
◆◇◆◇◆
手元が暗くなっているのに気づいて、ふと顔を上げた。時計を見ればもう六時半だ。
段ボールを手分けして運んだあと、私たちは遠慮する彼を押し切って荷解きの手伝いを始めた。最初こそ戸惑っていた彼も途中であきらめたのか、部屋のほうを片付けるといって閉じこもってしまった。見られたくないものでもあるのだろう。
「フミ、凪砂さん。どう? 片付いた?」
その時、夕飯を作るために自分の部屋に戻っていた満花がやってきた。部屋の中が暗いことに気づいて電気をつける。
「…………ねぇ、フミ」
「何?」
「汚くない?」
「え?」
私は自分の周りを見渡した。そこには円を描くようにして物が溢れかえっている。それも当然だ。段ボールから出した物をそこらへんに置いていっただけなのだから。
「何言ってるの、みっちゃん。これから片付けるんだよ」
「……ごめん。凪砂さん」
「い、いえ。お気になさらず。……ははっ」
寝室の片づけを途中で切り上げてきたのか、彼はこちらを覗いてなぜだか顔をひきつらせていた。
「まぁ、整理はあとで私が手伝うとして。それより、夕飯できたから一旦切り上げて私の部屋に来て」
「分かった」
私は近くに置いてある物をどけて立ち上がる。「ほら、凪砂さんも」と満花が言えば、彼は目を丸くした。
「えっ! 僕もですか!?」
「当たり前でしょ。今日から春休みでご飯は出ないのに、見たところ夕飯の用意してないみたいだから。一緒に作っておいたの」
「え? そうなんですか。あ、いえ、でもご迷惑に」
「もう作っちゃったから遠慮しないで。っていっても、パスタなんだけど」
「でも、その……」
そのあと二人は、行く行かないで押し問答をしていたが、最終的に満花が「いい加減にして、パスタが伸びる」と真顔ですごんだことで、彼は「すみません」と言って降参した。
テーブルの上に三人分のパスタが並べられる。満花は料理が得意のためソースまで手作りだ。ちなみに私は満花からキッチン立ち入り禁止令が出されているため、手伝えない。
満花が「いただきます」と言ったのを合図に、私と凪風もいただきますと言って食べ始める。凪風は緊張しているのか、フォークは回しているが全然巻けていなかった。
「ところで、凪砂さんって兄弟いるの?」
凪風は悪戦苦闘している途中、満花に唐突に尋ねられてパスタを巻く手を止める。
「え、兄弟ですか?」
「うん」
彼は最初、答えていいかどうか迷っている様子だったが、答えないほうが不自然だと思ったのか、「います」と小さく頷いた。
「それって双子だったりする?」
「え、はい。……そうですけど」
「二人って似ているの?」
「えっと、まぁ、それなりに……」
なぜそんなことを聞くのか分からない、という顔をしながらも凪風はおずおずと質問に答える。私も意図が読めず不思議だった。
「で、それってお姉さん? それとも妹さん?」
「……? いえ、弟です、けど」
凪風がそう答えた瞬間、満花の瞳が見る見るうちに見開かれた。
「え! あなたって男の子なの!?」
私はパスタを吹き出した。