青井真凛
幼いころから、自分とは別の人物の記憶があった。その子は三人姉妹の真ん中で、どこにでもいる普通の女の子だった。
◆◇◆◇◆
〝「誠実」と「友愛」を胸に、次世代を担う自立した女性を目指して″を教訓として掲げる、私立『七海女子学園』。
世界で活躍する女性を多く輩出していることで有名で、偏差値も非常に高い。
また歴史も古く、八年前には創設百周年を迎え盛大なセレモニーが開催された。残念ながら当時小学生だった私はその様子をニュースでちらりと見ただけだったが。
学園はそれを機に中高共有して使われてきた校舎全体を中学校にあけ渡し、高校は新しく建設した今の校舎に移された。
都心から離れた立地上、通学時間を考え全寮制だ。
校舎からは海が一望できる。また敷地の一部が海と接しており、夏になれば海水浴も出来るらしい。
そしてここは乙女ゲーム『私立 七海乙女学園 ~それでもあなたに恋してます~』の舞台である。ゲームスタートはヒロインが二年生、この学校に編入してくることから始まる。シナリオはどこにでもある普通の内容で、女子高を舞台に教師や養護教諭といった大人たちと「秘密の恋」を繰り広げていくのだ。
物語の始まりは一年前にさかのぼる。外部受験だったヒロインは試験当日、酷い高熱を出してしまうも無理な体をおして試験に挑んだ。しかし結果は不合格。来年、この学園の編入試験を受けることを決意する。
だが、その前に憧れだった学園の内部を一目でも見たかったヒロインは無断で校舎に立ち入り、そして海へ行き、せり出した岩場の上で足を滑らせ転落してしまうのだ。
その日は不運な事に前日の大雨のせいで海は荒れており、泳げなかったヒロインは見る見るうちに波にのまれた。
必死でもがくが、手足を動かせば動かすほど沈んでいく体に、思わず自分の死を悟る。もうだめだと思ったその直後、逞しい腕によって引き上げられるのだ。
無事に沖へ引き上げられたヒロインは安堵と恐怖から気を失い、次には自室のベッドで目を覚ます。親によると若い男性に抱えられて帰ってきたらしいが、その男性は名乗らず帰ってしまったそうだ。
そして一年後。見事、難関である編入試験に受かったヒロインは再び学園の地をふむことになる。
学園への憧れと、自分を救ってくれたまだ見ぬ恩人を探すため……。
というような内容だ。
だが、もしここが本当にゲームの世界ならば現実との齟齬が生まれる。
本来ならヒロインがこの学園にやってくるのは一か月後の事だ。
しかし、私が見たヒロインはきちんとこの学園の制服を着ていて、攻略対象である深水英語教師と恋仲、あるいはそれに非常に近い関係に見えた。
なによりあの時目撃したスチルは、間違いなくエンディング寸前。確実に深水教師からヒロインへの好感度は最大。
ゲームすら始まっていない現段階で。
この学園がゲームの舞台なのは本当。登場人物も確かに存在する。
なら何が違うのか。
その鍵はゲームヒロイン――青井真凜が握っているような気がした。
◆◇◆◇◆
その後、私が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。どうやら一週間も眠っていたらしい。
ちなみにあの日渡り廊下で倒れていた私を見つけたのは卒業式をさぼっていた深水英語教師だそうだ。
まぁ、一番近くにいたのだから当然と言えば当然だが。
担任の先生には、私をひとりで返したことを何度も謝罪されたが、私の居た堪れなさは言いようがない。
倒れた原因はゲームの一場面に遭遇した事により溢れだした記憶を脳が処理しきれず、強制的にシャットダウンされるという突発的なもので防ぎようがなかったのだから。
もしかしたら今までの原因不明の体調不良は、ゲームに出てきた場所や人物を目にした脳が無意識に拒絶反応を示していたのかもしれない。
それなのに先生は丁寧に謝って、そして私が無事で良かったと笑った。
撃ち抜かれるかと思った……。
私の担任――櫻井真琴先生は小柄でちょっとふっくらした、とても可愛らしい先生だ。
新任の先生だったにもかかわらず、一年間、私の事を常に親身になって接してくれた先生には感謝してもしきれない。
願わくは来年も櫻井先生のクラスになれますように。
そうしてその後、体中くまなく行われた検査の結果、退院の許可がおりたのは一週間後、終業式の翌日のことだった。
退院当日、退院手続きを終えた私を親友――蓮見満花が迎えに来てくれた。
「やっほー、フミ。退院おめでとう。あ、荷物持つよ」
「やっほー、みっちゃん。ありがとう」
私は好意に甘えて荷物を半分渡す。
彼女との付き合いは中学校の入学当初からで、出席番号が前後だったのもあり私たちは自然と仲良くなった。今では唯一無二の親友だ。
私の入院生活のあれこれを用意してくれたのは彼女だった。
満花は同じ寮に住んでいて私の部屋のことをよく知っているので適任だ。それに私の部屋は……。
「ねぇ、フミ。あのフミの部屋どうにかならないの?」
「やめて、みっちゃん。私の部屋って書いて魔の巣窟って呼ばないで」
満花の呆れ声に私はごまかすように肩を竦めた。
寮について満花と別れた
私はまず寮母さんに挨拶をしに行った。寮母さんの話に少し付き合って早々に辞去すると、一階の一番奥にある自分の部屋へと戻る。
久しぶりに入った自室は満花の手によって綺麗に片付けられていた。
私は部屋へ戻るなり久しぶりの湯船にゆっくりと浸かる。長い髪を乾かすと、トートバックに必要なものを詰めて部屋を出た。
何かあったら心配だからと、しばらく満花の部屋に泊まるよう言い渡されたのだ。
体調不良の原因も分かったし、これからは徐々に回復に向かっていくだろうとは思ったが、せっかくの親友の申し出なので受けることにした。
部屋の鍵をポケットにしまうと、緑のカーペットが敷かれた廊下を歩く。
私の部屋が一階端で満花の部屋が二階中央にあるから、一旦玄関に戻って階段を登る必要がある。
玄関前のロビーに出ると、そこには数個のダンボールが積み上げられていた。私が帰ってきたときは置いてなかったから、さっき着いたばかりなのだろう。
それにしても新入生の入寮期間はもう少し先のはずだが、一体誰の荷物なのだろう。
階段を登る途中、気になって振り返ってみた……ことに少しだけ後悔した。
頭にズキッとした痛みが走って、一瞬傾ぎそうになった体を手すりに掴まることによってなんとか耐える。
段ボールの影で所在なさげに佇む彼女……いや彼は、ゲームの攻略対象者のひとりであり、隠しキャラである――馳間凪風だった。




