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校外学習02





 博物館は好きだ。昔のことを知るのは面白いし、説明を読むのも新しい発見があって興味深い。何よりこの厳かな雰囲気と、まるで水に浸っているような静寂は心地がいい。時間の波にたゆたって世界を旅しているような気分になる。


 凪も博物館は好きなようで、終始展示品の説明をみんなに向かってしていた。珊瑚と野上さんはそれを面白そうに聞いているが、満花は興味がないようで、一応相槌だけは打っている。



 七海女子学園高等学部御一行を乗せたバスは時間通り、博物館へと到着した。

 バスの中では高揚感ではしゃいでいた海野珊瑚も、さすが七海学園の生徒だけあって博物館の中では大人しく見物している。

 私はそんな海野珊瑚を気にしつつも、私たちの後ろをつかず離れずでついてきていた海原先生にこっそり声をかけた。



「海原先生。ちょっといいですか?」

「どうした、羽柴さん。具合悪い?」

「いえ、私じゃなくて。珊瑚ちゃんのことなんですけど」

「海野さんがどうした?」

「実はバスの中で、少し具合が悪そうにしていて」

「そうなのか? 今は見た限りそんなことはなさそうだけど」



 バスの中でもそんなことなさそうだったけど。

 しかし、海原先生に気にかけていてもらったほうが、もしもの時にすぐ対応してもらえると思うのだ。



「気を使っているだけかもしれません。あの、出来れば」

「分かった。俺のほうでも注意して見ておく。そっちも、なにか気づいたら言ってくれ」

「ありがとうございます」



 私は礼を述べると、そそくさと班に戻った。

 これで珊瑚ちゃんのことは海原先生が見ていてくれるはずだ。その間に私はヒロインの動きを少しでも掴みたいのだが。

 私は展示物を見るふりをして辺りをきょろきょろと見回す。



 といっても全校生徒が集まっているからそう簡単には見つからない。バスは同じはずだが、博物館に入るときに見失ってしまった。

 ちなみに私たちだけに海原先生がついていていいのかと思うが、この学校には学年に一人ずつ養護教諭がいるので問題ない。他の先生はもちろん女の方だ。




 帰ってからレポート作成があるので展示品はしっかり見ながら、ヒロインを探す。ようやく半分ぐらいに到達したところで、ふいに横から声をかけられた。



「こんにちは、フミさん。博物館は楽しんでる?」

「あ、櫻井先生。こんにちは」



 私に声をかけたのは櫻井先生だった。今年は四組の担任だが、他の生徒にも声をかけているようだ。なんて素晴らしい先生なんだ。自分のクラスなのに、姿さえ見せないどこかの誰かより……まぁ、それはいい。



「フミさんは、どこか面白いところあった?」

「私ですか? 私は土器が興味深いと思います。形がすごくきれいで。土の中にあって他の土と同化しない土って面白いですよね」



 しばらくの間、櫻井先生と感想を話し合いながら進む。次のフロアは何だろう、と考えながら私は足を進めた。


 ……はずなんだけど。

 私の体はそこに縫いとめられたかのように動けなくなった。冷や汗がどっとあふれてくる。全力疾走した後のように呼吸が乱れて苦しい。

 私の目に映る、見覚えのある光景。 

 私はなんて迂闊なんだ。



 イベントのことばかり気にしていて忘れていたが、私の体調不良の原因はゲームスチルに対する脳の拒絶反応からきているって、分かっていたはずなのに。

 でも、分かったところでもう遅い。

 体は重みを増し、立っていることさえ辛い。視界もぼやけて、一度閉じてしまえばどこまでも落ちていきそうだ。

 気を抜けば沈みそうになる意識を歯を食いしばってつなぎとめる。

 せめて迷惑がかからないよう、外に出たかった。



「フミさん、どうしたの? フミさん?」



 異変に気づいた櫻井先生が声をかけてくれたが、それに答えることも出来ない。



「フミさ……」



 櫻井先生の手が私の腕に触れる。ただそれだけの行為で、限界だった私の体は糸が切れたかのようにバランスを失った。

 倒れていく体は、そのスピードに反してやけにゆっくりと感じる。私の目は、傾いでゆく視界をまるで他人事のように捉えていて。


「フミさん!!」



 床にぶつかると思われた背中は、予想に反して柔らかい何かに受け止められた。



「フミさん!? 海原先生! 大変です! 海原先生!!」



 近くから櫻井先生の声がする。私を受け止めてくれたのも先生だろうか。私よりずっと小さい彼女に、私は重いだろうに。

 櫻井先生に感謝を述べようとして口を開くけれど、肝心の声が出てこない。


 掠れる意識でどうにか手足を動かそうとしてみるけれど、それも上手くいかない。

 するとふと隣に誰かの気配を感じた。

 浮遊感がして、首を無理やり上向ける。視界を必死に凝らせば、目の前に苦虫を噛み潰したかのような顔の海原先生が映った。



「せ……ん、せ」

「無理してしゃべんな。辛かったら眠っていい」

「で、も……そ、と」



 でも外に行かないと、と伝えたかった声は途切れ途切れ。海原先生は首を傾げたが、それでも櫻井先生は私の言いたいことを分かってくれた。



「大丈夫、海原先生がすぐに外に連れて行ってくれるから。安心して眠って」



 そうか、自分で歩かなくても誰かが連れて行ってくれるなら楽ちんだ。私は目を閉じる。

 眠りが訪れるのは、すぐ。





  ◆◇◆◇◆





 目を開ければ、青い空を背景に二人の人物が私を覗き込んでいた。海原先生と櫻井先生だ。



「目が覚めた? 辛かったらもう少し眠っていていいのよ」



 櫻井先生が心配そうな顔をしながら、そう言ってくれる。体はまだ少しだるいが、私は「大丈夫です」と言うと体を起こした。起こして気づいたのだが、私は今まで櫻井先生に膝枕をしてもらっていたようだ。なんて贅沢な。


「羽柴さん、脈はかりたいんだけど、腕出してもらっていい」


 私はさっと腕をさしだす。

 海原先生は慣れた手つきで脈をはかると、「大丈夫そうだな」と頷いた。



「具合、どう? どこか辛いとか、苦しいとかない?」

「大丈夫です。良くなりました」

「無理してないか? 気ぃ使わずに、辛いところがあったら言えよ」

「本当に大丈夫です。ありがとうございます。櫻井先生もついていて下さってありがとうございました」

「ううん、私は何もしてないから気にしないで」



 櫻井先生はそういって微笑む。そうは言っても、櫻井先生にもやることがあったはずなのに、つき合わせてしまって本当に申し訳なく思う。

 それを口にしたら優しい先生は怒るから、心の中だけの謝罪でとどめるが。



 それよりも私は気になることがあって、「あの、ところで……」とおずおずと切り出した。


「珊瑚ちゃんは?」



 そう聞けば、海原先生は呆れたようにため息をつく。


「あのな、他人を気にするのもいいけど、まず自分を気にしろ。お前が倒れて、みんな心配していたんだぞ。海野さんだって、お前が起きるまでついてるって聞かなくて」



 ……ということは、珊瑚ちゃんは倒れなかったということだろうか。これってイベント回避成功?

 やはりヒロインは転生者でもなんでもなくて、イベントを起こす気がなかったのか? でも、転生者じゃないなら尚更、強制的にイベントが起きそうなものなのだが。

 じゃあヒロインはやはり転生者で、あえてイベントを起こさなかった?



 いや、もしかしたら私が倒れることで、私が海野珊瑚のシナリオを肩代わりしたのではないだろうか。そう考えて、それもありえると思う。

 あの場で倒れる人間は一人でよかった。なぜなら海原望夢は一人しかいないのだから。

――何はともあれ、海原望夢ルートの特別イベントは起こらずに終わったらしい。




「羽柴さん、どうした。すこし言い方はきつかったかもしれないが、みんなが心配してたのは本当だぞ」


 私が考え事をしている姿を、怒られてうなだれていると思ったのか、海原先生が覗き込む。目の前に端正な顔が現れて、私ははたと気がついた。何も特別イベントがあるのは彼だけではない。



「すみません、今何時ですか?」

「は? 今は十二時をちょっとすぎたあたりだな」

「みんなお弁当を食べ始めた頃だと思うから、みんなのところに行く?」



 櫻井先生に聞かれて、私は首を横に振った。



「私、もう少し展示品が見たいので戻ります」

「え、でも、これからお弁当の時間で」

「そうだぞ。何言って」

「ごめんなさい。すぐ戻りますから!」

「おい、ちょっと待て!」



 私は彼らの制止を振り切って急いで博物館へと舞い戻った。

 館内を急ぎ足で回る。お昼のためか人はほとんどおらず、探し人はすぐに見つかった。その瞬間に頭を走る、つきっとした痛み。



 まるで恋人のように寄り添う後姿は、画面越しに見た姿と同じようで違う気がした。


 ヒロインの右手が彼の左手に触れる。恥ずかしそうに引っ込めたそれは、途端、大きな手によって包み込まれる。



 ……誰が見ているかも分からないのに、堂々といちゃつきやがって。

 私は無言で踵を返した。ゆっくりと来た道を引き返す。



だけど、どこまで行っても――ここは彼女の世界。







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