山岡の失踪
大学生・山岡が失踪する。
大学生の失踪など珍しくもない。その内ひょっこり顔を見せるか、でなければ、そのまま中退するか、慌てる必要はない。が、探せと言われれば仕方ない。惚れた弱みだ。「ブチョー」にしてみれば私は、使いでの良い知り合いの一人なのかも知れないが。
彼女が出来た口ぶり。「ゆい」を待たせてる、やら、「ゆい」が喜ぶんだよね、やら。「ブチョー」が彼女かどうか尋ねると知り合いだとか腐れ縁だとか答えたそうだ。とりあえず、その彼女か友人か知らないけれど「ゆい」さんに事情を聞いてはどうだろう。何か知っているのでは。
聞き込みを始めて半日経った。思いつく限りの知り合い、友人にあたってみた。何も掴めていない、ゆいさんに関して驚くほど情報が集まらなかった。ただでさえ山岡は人見知りの内向型人間で情報が少ないのに。
評論実習、話に聞いた限りでは趣味の悪い実習だった。一人ずつ持ち回りで50~80枚の短編小説を書いて、それを肴に評論の実践をしよう、との授業だ。若者の自負心は揺るがない、むしろ名うての書評家に批評を貰えるチャンスであると、腕に覚え有る若き芸術家らは、勇敢に執筆し、勇敢に酷評された。
その実習へ山岡は出ていた。同じ実習を取っていた学生らから話を聞いて回る。ほとんど彼の存在を覚えておらず手がかりになる話は聞けなかった。が、山岡の書いた小説が手に入った。
小説は二編あって、実習に提出した物と、もう一つは実習に出ていた何人かで同人を作っていて、そこへ寄稿した物だった。
どちらも少女「ユイ」の物語であった。メルヘンティックなシンデレラストーリーが一本、日常生活で感じたこと思った事を徒然に記した手記が一本。「ユイ」は夢見がちな少女からたくましい女子大生へと成長していた。
しかしまた感心する。よくまあ婦女子の腹をここまで活写できるものだ。物知らずで我儘でそのくせナイーブな少女「ユイ」、強欲で傲慢で貪欲な女子大生「ユイ」。男性なのだからもう少し女性をデフォルメしても良いんじゃないかと思う。
予測できる山岡の人物像は、複数人の姉から何かにつけて「可愛がられ」て去勢済みか、父親あるいは自身を含む男性への執着が薄いか、度の過ぎた濃い執着を抱いている。「ユイ」にモデルが居るなら、幼馴染に近い人物。
もう一度確認して時系列を整理すると、同人小説の執筆時期と口数の減ったのは同時期。そして徐々に「ゆい」に関する言動が増えて、執筆後一ヶ月で失踪に至る。「ゆい」との甘い生活を見せびらかし牽制し承認して欲しかったのか、いや、男性は自分から何も言わない人が多く、こう云う場合、愚痴を吐き出したかったのかも知れない。
私の推理はこうだ。小説「ユイ」のモデルとなった女性「ゆい」の尻に敷かれていた山岡青年は、小説を書く事で彼女の傲慢、貪欲な性格を再認識し、嫌気がさして、之を殺害、遺体は山中に埋め、本人は目下のところ失踪中。「ブチョー」のお言葉は一言「ありえない」だけ。まぁ、殺害、工作、逃亡は冗談として実際は多分彼女と距離を置く為に蒸発した、と云った所だろう。束縛の強い女性、疑い深い人。疲れるタイプ。
小説に一面の真実が含まれているなら「ゆい」は、そうとうの悪女である。我儘で自分の欲望の為なら山岡青年を拉致監禁電流罵詈雑言など涼しい顔でやってのける様な面を持っている。そう、監禁の線も確かにあった。何かしらの理由で山岡青年が大学へ通う事を許さず、いっそ監禁してしまえ、と。失踪から五日目だ。衰弱している可能性は高い。
山岡のアパートは探したのか尋ねると、何度もドアをノックしたし、チャイムを鳴らした、電話も掛けた。けれど返事はなかったとの事。なら、管理会社か大家さんに事情を説明して、一部脚色した事情だが、語って鍵を開けてもらって「ゆい」への手がかりを捜してはどうか。と言うと早速向かう事になった。
301号室。大家さんに十五分ぐらいの時間を貰って家捜し開始だ。生活感の無い玄関、靴が三足。バス・トイレを覗くと其処には血まみれの山岡青年が横たわっていない。何も無い、石鹸と歯ブラシくらいだ。
リビングの戸を開けると居た。「ブチョー」が「こら、山岡」と怒鳴って後頭部をはたいた。山岡は振り返り私と「ブチョー」と大家さんの姿を確認して再びパソコンに向き直った。黙殺。
とりあえず大家さんに御礼を言って一階のバルコニーまで見送ってから、引き返し、カーテンを開け、窓を開け、PCから引き離し、お茶かコーヒーか無かったので白湯を入れ、話を聞く事にした。
山岡はPCの傍を離れる事に抵抗したが、「ブチョー」が後頭部へ2・3発も説得すると大人しくなる。手が小刻みに震えているのはパソコンの禁断症状か、あるいは「ブチョー」への感謝の為か。
「ゆい」の暮らしを追うだけで手一杯、この五日間は「ゆい」に付きっきりだった。今も「ゆい」を待たせている。「ゆい」とは何者なのか。アイドル? 萌アニメ?
山岡の小説であった。山岡は五日間「ゆい」を書き続けていた。山岡自身の言葉によれば「書かされ続けていた」らしい。「ゆい」は作者山岡の統制を離れるのみならず、産みの親をコントロールし、文章として顕現する手伝いをさせていた。山岡本人曰くだが。
憔悴しきった若者は、安堵に肩を落とし、不安のためボールペンをカチカチ鳴らしていた。ペンはちゃぶ台を塗って行く。その二人は誰。ユイは不機嫌を隠そうともせず山岡へ詰問した。山岡は時計細工師の如く慎重にユイの問いへ答えた。だ、大学の、人でね、何でも無いんだ、ちょっと様子を見に来てくれたんだよ、大丈夫だよ。その女は。彼女かい、勿論さ、ただの知り合いさ、心配してくれてありがとう。と、山岡のボールペンは言った。
他人の恋を邪魔する奴は刺されて死ぬ、と諺にある等と言って「ブチョー」をひったくる様にしてアパートを脱した。面倒見の良いのも時と場合による。二人で大学の学生課を訪ねて、事情を説明して山岡の実家へ連絡を入れた。初めは訝しんでいたが、ひとまず息子の様子を見に行くと母親はそう言って電話を切った。
鏡花だったか芥川だったか、文のたたりをを恐れていた。文が人を恨むのではなく人が文に恨まれるのだ。人の頭は自動的に文を読み勝手に人格を改変する。将来あなたが急に体調か精神かの失調に襲われたなら、若気の至りで手を出して途中で放棄した昔の連載小説の恨みと云う線を一考してはいかがだろうか。人は弱い。水子を供養しなければ、バランスを失って、慮外のスランプに悩まされる。文が来る。倫理を失調した者に手加減はしない。弱ったサイコパスはサッカーボールだ。本人だけはスランプだと思い込む。文からは逃げられない。
「ブチョー」はコーヒーを飲み干してから言った。
「モルグ街も、狗神家も、ポートピアも、牡丹灯篭も、同一犯って訳ね」
山岡は、文が書かれたから、失踪した。犯人は文。
初めは、ゆいの実家が奈良で葬式に山岡が付き添って、克服したゆいは落ち着いて、食事の事で喧嘩して、それでも山岡は二人の生活に愛に執着して、ゆいは諦めて泣いて、山岡が栄養失調で死ぬ予定(連載の予定)でした。が、この通り失踪で落ち着きました。殺人教唆で恨まれたくないので。いやメタのシャレじゃなくて、闇岡がゆいに報復されて、これ以降なろうに投稿できなくなるので、劇外劇の制約を逃れる為に渋々です。ルールを無視すると折角育てたピエロが死にます(劇外劇のもう一つ外劇で信用を失う)ので仕方なく。推理小説はめんどくさいですね。