8話
頑張るよー
司令部内に、どんよりとした重たい静寂が降りた。
その場にいたレイザーもまた、目の前が歪むような錯覚を覚えていた。
訓練を重ねた正規軍のメンバーがあっけなく無力化され突破された、ただそれだけではない。こちらも刃は向けていないが、あの少年に至っては本当にただの徒手空拳。それに対して、武装した正規軍5人が敗れるというのはあまりに意外な出来事であった。
そのまま少年はグールにその脚を向ける。どんどん縮まる距離に、レイザーは叱責を飛ばすことも悪態をつくこともかなわず、ただ、今起こらんとしている蛮勇を見ていることしかできなかった。
ナイフを逆手に構えた少年が、グールの壁に接触する。その数は50弱。相手はこちらを一度噛むだけで無力化してくる。本来ならば囮を使い数匹単位に分断した後に包囲殲滅、など時間をかけなければならない、十二分に警戒する必要のある相手だ。
しかし少年は怯まず、考えなしともとれるスピードで肉薄し、まず相対した人型のグール――――クリーチャーと呼称されている。特徴はそのアンバランスに長い腕と鋭い爪――――の胸を一突き。続いて首に浅い斬撃、最後に大きく胸を分かつ一太刀。殺し切れこそしなかったものの、クリーチャーは倒れ伏す。少年は迷わずそれを踏み越え、次なる獲物に短い刀身を閃かせる。
派手な技はないものの、有効打を素早く複数回当てて行動不能に追い込むという、手数の多さを生かした戦い方で、少年は見る見る内にグールの壁へと食い込んでいく。
レイザーは息を呑んだ。
(ば、馬鹿な……一度攻撃を受けたら終わりなんだぞ!? だから俺たちはわざわざでかい防具で身を固めているというのに……)
「……一つ、よろしいですか?」
そう問うたのは、隣のクシナ。
「あの子、何かおかしくありませんか?」
「そんなことは見れば分かる。あいつの頭は間違いなくおかしい」
「そういう話ではありません。馬鹿ですか? そんなことをわざわざ報告する必要はありません。誰もが分かることを私が報告するものですか、この脳活動停止野郎」
脳活動停止野郎はむ、と言葉を詰まらせた後、気まずそうに視線を下げた。
「……ごほん。それで? どこがおかしいんだ?」
「……はぁ。思考すらも放棄するとは、ますます脳活動が停止してますねあなたは。とりあえずそれは置いておいて、まず、ここまで長く戦闘を継続していることに、あなたは違和感を覚えたはずです」
「それは、誰もが思うことだろう」
今なお少年は、グールに正面切って飛びかかり、モニタの中でナイフを振るっている。
「しかし正規軍に正々堂々と挑みかかり、翻弄するような奴だぞ? 何か裏で、俺には想像もつかないようなテクニックが張り巡らされているとか」
「……時間がないので罵倒を止めて、いい加減話を続けますが。この愚図」
「……しっかり言っているではないか」
「おや、失礼。気を抜いておりました」
そう真顔で飄々と言ってのけるのだから困る。
「何故、我々は奴ら……グールに苦戦を強いられているのか。思い出してください」
「……それは、その攻撃だろう。一度捉えられたら終わりなのだから」
「そうです。少しでも出過ぎれば、その物量で押しつぶされて、一瞬で喰われてしまう。ですが、あの子は未だに動き続けている。我々は囲まれないように苦悩しているというのに、あの子はグールの群れのど真ん中を突き抜けている。それでいて、全く攻撃を受けていない。
ありえないことです。それこそ極東の忍者のように、グールの我々を探知する手段を潰すか、我々から発せられているかもしれない気配のような物を遮断しない限り」
「それは、そうだろうが……だが、その忍者の部隊でさえ、奴らには感づかれ、絶滅したのだぞ!?」
「叫ばないでくださいつばを飛ばさないでください気持ち悪いそれに私に聞いた所で分かるものではないでしょう」
「……すまん」
「謝罪の前にやることがあるでしょう。……しかし、戦況は動きました。あなたが待っていたのは、このような出来事ではないのですか?」
にやりと、化け狐のような顔をして、クシナはこちらを見て笑っていた。
レイザーはハッとした。まさに、あの少年こそが、戦場に落とされた一石ではないのか。
一人のうら若い少年に便乗する、というのはどうにも情けないが、この際勝ちに繋がる一手と考えて、頭を切り替えよう。
「全体に連絡! 班員の欠けた班は同武器の者で集まり再編成! あの少年に続き、カルガードドーム奪還を目指す! 魔法隊の風魔法、剣士隊を中心に少年の開けた風穴を埋めないよう食い止め、その間に遊撃隊を戦闘に全軍突撃! 時間がない、全力でドームを目指せッ!」
「「「了解!!」」」
オペレーターの声が司令部に響く。
それは部屋全体にずんぐりとわだかまっていた暗い雰囲気を吹き飛ばすようで、レイザーは知らずの内に強く、拳を握りしめていた。
……グールが消える時に発生する黒いモヤのようなものが、少しずつノドカに吸収されていることに気付いた者は、その場にはいなかった。
むー、クリーチャーの説明ってしたっけなあ。また確認しないと