5話
色々と悩みつつ
ノドカは裸足のまま、とにかく爆音が近づくような方向へと走っていた。
逃げ遅れていたのか、それとも戦場から武器を捨てて逃げ出してきたのか、何人もの人間とすれ違う。それぞれ背格好は当然違うが、等しく表情は闇の底を見てきたように、悲痛に歪められていた。
焦げ臭い匂いが、強く鼻をついた。
混じって漂う血の匂いが吐き気を誘う。
息を絶えさせ、途切れ途切れの悲鳴を上げる者と、途中ですれ違う。
この街全体の歯車が狂い、また跳梁跋扈に覆われて、人々を恐怖へと追い立てる条件が次々と揃っていく。
しかしそれが、ノドカの足の回転を加速させた。心の疼きを強めた。
漠然とした予感と確固たる戦意が一体になって、ノドカを走らせる燃料へと変わる。
陽気、というには少し淀んだ、ねっとりとした怖気を孕んだ、温い空気を切り裂いて、ノドカは地を蹴り先を急いだ。
しばらく走った。だが、未だに最前線にはたどり着けない。剣を持つ人の姿も、倒すべき敵の姿も捉えられない。
その道すがら、一人の少年を発見する。
「……ひぐ、えっぐ、う、うぅ……」
「…………」
ノドカは、そこで足を止めた。
少年は絶えず流れる水滴を拭おうともせず、拳を悔しそうに握り締めて震えていた。白地に青のラインが入った長袖のシャツ、深緑の半ズボンが擦り傷の血か、それとも返り血かは分からないが、赤黒く滲み、汚れている。
肩からは、少年にはおよそ不釣り合いなナイフが、ホルダーと共に吊り下げられていた。
「……どうか、した?」
いい事が起こっていないことは、間違いないはずだ。
ノドカが声を掛けると、しゃくりあげながら少年がこちらに向いた。
子供らしい童顔をくしゃくしゃに歪め、ずっと泣いていたのか、目元を真っ赤に腫らしている。嗚咽をこらえようとしているのか、それに失敗し何度も咳き込んでいた。
「えぐっ、お、おねえちゃん、おねえちゃんが……!」
「お姉ちゃん、が、どうした、の?」
「おねえちゃんがね、おねえちゃんが、ごほっげほっ、ぼくを、にっ、にがし、て、のこっちゃった……!!」
「どっちに?」
「む、むこう……」
そう言って指を向ける先はちょうど目指していた方向、最前線であった。
一つ頷いて、ノドカは言い聞かせるようにゆっくりと、質問を続ける。
「向こうの、どこ?」
「むこう、に、ね、おっきなたてものが、あって、そこにのこっちゃったの。ぼくに、これを、わたして、に、にげてって、いって……」
少年は首から下げるナイフを見せる。通りで不釣り合いなはずだ。それなりの刃長を持っていて、厚みもある。あの少年の腕では振ることは出来ても、ナイフとして生かすことはできないだろう。
しばらく泣き続けた続けた少年が、勢いよく瞼の辺りを擦り始める。
さらにひどく腫れ上がった目をして、ノドカを見上げる。
目には藁をも縋るような悲愴感に溢れている。
濡れ滲んだ声色で、少年は続けた。
「おにいちゃん、おねがい、おねえちゃんを、たすけて……!!」
それを受けて、
「……」
唇も、瞼すらも微動だにさせず、笑顔を見せないまま、ノドカは少年の頭を撫でた。そして軽く周りを見回した後……何かを発見したのか、軽く視線を絞った。
その後寸暇をおかず、ノドカは少年の提げているナイフを突如抜き取る。
「……えっ、お、おにいちゃん?」
「ちょっと、借りる。それと……安心して。お姉ちゃんは、これから、助け、に行く」
「ほ、ほんと!?」
言葉を聞いた少年の顔は歪んだままだったが、僅かに、年頃らしい混じりっけのない笑顔が浮かんでいた。
ノドカは一つ頷く。
「うん。後は、お兄ちゃんに、任せて。……一つ聞くけど、お姉ちゃんって、いうのは、どんな人なの?」
「たっ、たぶん、みたらすぐにわ、わかると、おもうよ。おねえちゃんアイドルして、るから、キラキラしたいしょー、きてるはず、だから」
衣装、というと、アイドルと言っているし、ステージ衣装のことだろう。それからすると、確かにすぐに見つかりそうだ。
同時に、おそらくこの少年のようにその場の人間は皆避難しているだろうから、そこにいるのは『お姉ちゃん』含め少ない人数だろう。無駄な時間をかければどんどんと追い詰められて、いずれ死に至ることになる。
(――――そうと決まれば一分一秒が惜しい)
ノドカは視線の先、走ってくる人影に指を向けた。
「今、強そうな、人が、来てる。君は、その人に、守ってもらって」
「……おにいちゃん、ホントに大丈夫? 僕が言うのも、な、なんだけど、身長、変わらないか、ら」
「うん。心配いらない。だって、なんて、いったって」
「……僕は、ヒーロー、だから」
ノドカはあくまで無表情に、そう言い放った。
すぐにノドカは体を翻し、走り出す。
入れ替わるように、背の高い男が駆け寄ってくる。腕にはオレンジの腕章をつけており、黒文字で『避難誘導』と書かれている。防衛隊でも正規軍でもない、市民の避難誘導を担当する、文字通りの『避難誘導隊』の人間であった。
「おい、そこの君! 早く避難するんだ!」
叫ぶ声に従って、少年は歩き始める。
少年が未だに送る視線の先にはノドカの背中が映っている。
相当なスピードで走っているのか、みるみる内に距離は遠くなり、後ろ姿は小さくなって、路地の中、柱の影にそれは消えた。
まばらになってきた人の間をすりぬけて、ノドカは騒動の中央へと走っていく。
それと同時に、病院の窓から見た、空にかかる暗雲のような闇が近づいていた。
ザワザワザワザワ!! と無数の羽音が重なりノドカの耳朶を掻くが、まるで気にした様子を見せない。握る一本のナイフを握り直すこともせず、表情一つ変えず疾走し続ける。
流れる景色の中でノドカは、今度は数人が固まっているグループの中で、一人突出している男と遭遇した。
「カァッ、ハッ、ハァッ……畜生、いつになったら終わるんだ……!」
男は盛大に息を切らしており、彫りの深い顔には疲労が滲んでいる。
手にはやけに分厚い、革張りの本を持っている。また、おとぎ話に出てくる魔法使いのような、大きなとんがり帽子をかぶっていて、全身を覆うローブを着込んでいた。総じて黒色であったから、腕に巻かれた青の腕章――正規軍の証――がやけに目立っていた。
ローブの裾を翻しながら、ノドカに気付いた男は苛立たしげに眉を寄せる。
「おい、坊主! そこで何ほっつき歩いてんだ! さっさと家のカーチャンの所に帰り」
そこまでノドカの耳には聞こえていたが、ノドカはそれを完全に無視。
「お、おい!」と男があげた慌てた声も無視を決め込み、尚ノドカは走り続ける。そのまま、端からそこには誰もいないように男の脇を抜けようとする。男は咄嗟に手を伸ばすも、重い本を持っていることもあるだろうが、何よりそのノドカの足の速さについていけず空を切った。
風を切る音が聞こえてきそうな勢いで、ノドカの姿は遠ざかっていく。
ノドカとしては、ここで止まる訳にはいかない。
ただ、男も遊びでここに来ている訳ではなかった。正規軍のお仕事は、ただグールと戦うだけではない。本来は、無力な民を守る為に設立されたものであり、男も目標にそれを掲げて行動していた。
避難誘導隊は何をしていたんだと愚痴をこぼしそうになるが、男はそれを我慢して、耳に手を当てた。
「報告、司令部に報告! 前線に子供が迷い込んでる! パーカーにジーパンひっかけてる、黒髪純血種のガキだ!」
なんかこう、周りの環境の描写が苦手で
描写不足が今のところの課題です
眠気をこらえて書いたからかなり文がグズグズかも……っていつもどおりだね!