Section 1 -Part.4-
九月半ばの原宿は三連休の真只中というだけあって人も多く、僕ら三人は今にも雨が降り出してきそうなどす黒い雲に覆われた竹下通りを、周囲と何度も肩をぶつけ合いながら東へ向かって歩いていた。武史は以前に店で話していたことを覚えていて、未央の希望を最大限に聞き入れながら、三人でこの都心にある雑然とした街に繰り出してきたのだ。
「それにしても、やっぱり人が多いな」
「当たり前じゃない、原宿なんだから。あっ、あの店テレビで見たことある。ねえ、行ってみようよ」
僕の見たとおりの感想を無視するかのように、未央は一人先陣を切って早足で歩き出した。必然的に僕と武史はその後を金魚の糞のようについていくだけとなり、ひとしきり時が流れた頃には彼女の背中を目印に歩くだけで精一杯になっていた。
「なあ、雨も降ってきそうだからどこかで休もうぜ」
そうして、僕の気持ちを代弁するように武史が放った言葉を、未央がようやく受け入れて近くにあった喫茶店に入った頃には、我慢しきれなくなった雲から大きな雨粒がアスファルトの路面を濡らし始めていた。
「とうとう降り出したな」
「残念だわ。もっと見たい所がたくさんあったのに」
窓際の席から悔しそうな表情で外を眺める未央を見ながら、僕は武史と目を合わせて心の中で雨を降らせてくれた神様に感謝していた。
「あっ、俺トイレに行ってくるわ」
店員が注文を訊きに来る前にそそくさと席を立った武史に、僕は少しの不自然さも抱かなかったが、そうして二人きりになった空間には、テーブルの上の氷水だけが所在なさげに佇んでいた。
「それ、とてもよく似合ってるよ」
「えっ、そう?」
何を話したらいいのか急にわからなくなった僕は、とっさに未央の着ていた服を褒めることでその場を繕った。未央は薄いピンクのTシャツにデニムのショートパンツのラフなスタイルで、秋の始まりを告げる原宿の街に見事に溶け込んでいた。僕は改めて未央に対する自分の気持ちと向き合うことになり、その後の沈黙が重なっていく中で想いは加速度的に強まっていった。もう抑えることはできなかった。それは本当に自然な流れとなって僕を突き動かした。
「武史ったら、いつまでトイレに行ってるのかしら?」
「なあ、話したいことがあるんだ」
「えっ、何?」
心臓がはちきれそうだった。体中の血液が顔に集まり、未央の顔以外には目の前にあったに違いないアイスコーヒーさえ見えなかった。
「俺、未央のことが好きだよ」
その後に起きたであろう未央の表情の変化を、僕は怖くて見ることができなかった。時の流れはそこで凍りつき、周囲の光景どころか自分の心臓の鼓動さえ止まってしまったかのように思えた。激しさを増しているであろう雨音も耳には届いてこなかった。
「ごめんなさい」
ばつが悪そうに頭を下げる未央の姿を、やはり僕はまともに見ることができなかった。予期していたこととはいえ、一パーセントの確率さえ否定されてしまった現実は、僕を奈落の底へ突き落とすのに十分なものだった。
「付き合っている人がいるの。尚希の気持ちは嬉しいけど、本当にごめんなさい」
「いや、いいんだ。あっ、武史が戻ってきたぜ」
未央の口からさらに放たれた新事実に対するショックで言葉を失った僕にとって、ようやく視野に入ってきた武史の姿はせめてもの救いだった。自分で作り出してしまったとはいえ、止まっていた時間が再び流れ出したことを確認した僕は、この数分間を切り捨てるかのように無理なハイテンションで武史に話しかけた。
「おい、トイレに一体何分かかってるんだよ」
「いやあ、悪かったな。トイレの前にも行列ができててさ、本当に参ったぜ」
武史はわざとらしい言い訳をすると、既に目の前に運ばれてきていたコーラを半分まで一気に飲み、それから一息ついたかのように椅子の背もたれに寄りかかった。
「これからどうしようか? このまま雨が降り続くようだったら帰るしかないかな」
「えっ、もう帰るの?」
「仕方ないだろ。また来ればいいじゃないか」
残念がる未央を一緒に説得してもらおうと、隣の武史に顔を向けたところでその異変に気がついた。武史はついさっきまでのくつろいだ表情とは一変して、うつむき加減で何かを真剣に考えているようだった。
「どうしたんだ、武史?」
「いや、もしこれで帰るんだったら、尚希に話しておきたいと思ってさ」
「何だよ、改まって」
「実は俺と未央、付き合ってるんだ」
武史の発言はあまりに突飛だった。そこには、身構える前に技をかけられたような唐突さがあった。明らかな反則行為だった。だから僕は、それに対する言葉を用意していなかった。模範的な回答を出すまでに数十秒の時間を要した。
「……そうか。何だよ、水臭いな。そうならそうと早く言えばいいのに」
「付き合い始めてからまだ何日も経ってないからさ」
武史の言い訳を横で聞きながら、同時に僕は正面で顔を赤くする未央を見ていた。恥ずかしいのは僕のほうだった。知らなかったこととはいえ、僕はそんな未央に不覚にも自分の想いを伝えてしまったのだ。誰かに助けてほしかった。窓の外に降りしきる雨粒にさえ救いを求めたかった。でも僕にはわかっていた。誰も手を差し伸べてはくれないことを。自分の気持ちは自分自身で決着をつけるしかないことを。