Section 1 -Part.2-
「一体どうしたの? 今日の尚希、ちょっと変よ」
「そうかな?」
怪訝な表情を浮かべながらこちらを覗き込む未央に対して、僕は曖昧な言葉を返すことしかできなかった。午後六時を過ぎた店内には、彼女がかけた「セント・エルモス・ファイア」が訴えかけるように流れていた。それはチャートのトップ目前までランクアップしていて、同じく映画の主題歌だった、ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの「ザ・パワー・オブ・ラブ」を今にも追い落としそうな勢いだった。もっとも僕は、そんなジョン・パーの勢いとは正反対に、未央に対してなかなか自分の気持ちを伝えられずにいた。二学期の始まりを口実に意を決して未央と向かい合ってはみたものの、いざとなると口の中がからからに乾いてしまい、まともな会話さえままならないほどに緊張していた。
「この曲、やっぱりいいわね。きっと映画も最高なんだろうな」
「じゃあ、今度一緒に見に行こうか」
「何言ってるのよ。まだアメリカで公開されたばかりじゃない。日本で見られるのはせいぜい半年後よ」
「そう、だよな」
「やっぱり今日は何か変よ」
それで僕との会話を諦めたのか、未央は新譜のレコードを棚に陳列すべく、カウンターを、そして僕の傍を離れていった。彼女は僕よりもひとつ年下で、本来は中学三年生なのだが、いじめに遭ったことがきっかけとなって学校に行かなくなり、その代わりにこの店でバイトをしていた。茶色がかった髪はポニーテールにまとめ上げられ、小ぶりな顔には均整の取れた目鼻が並んでいた。背丈が小さかったことも相まって、彼女はどう見ても可愛い部類に入る女の子だった。そしてかく言う僕も、彼女のことがたまらなく好きな男の中の一人だった。
「なあ未央」
でも、僕の声は音楽に掻き消されて聞こえないようだった。僕はレコードの針を一旦上げると、今度こそは聞こえるような大声で叫んだ。
「未央!」
「えっ、何?」
「来年になってもいいから、セント・エルモの火を見に行こうな」
きょとんとした目でこちらを見る未央にそう告げた僕は、改めて最初から曲をかけ直してみた。アップテンポに歌い上げるジョン・パーが、僕に切ない想いを植え付けていた。焦らなくてもいい、と思った。でも必ず言おう、きっと伝えようと、その時僕は自分の胸に固く誓っていた。
彼女がやって来たのは翌日の午後五時過ぎだった。その日は一時間ほど前から突然の雨が降り出し、傘を持たなかった僕は駅から全速力で走って店内に駆け込んだ。おかげでバイトの開始時刻には余裕で間に合ったが、体全体が濡れ鼠のようになり、制服がまとわりつく嫌悪感を存分に味わうことになった。
「おっ、水も滴るいい男ってやつだな」
既に来ていた武史に奥のロッカーで冷やかされた僕は、とにかく裸になると、見かねた店長が貸してくれたグレーのスウェットを上下に着込んでカウンターの前に立った。
「なかなかよく似合ってるぜ」
そうして、武史が放った一言に僕が言い返そうとした時、彼女はまさに現れた。一昨日借りていったブライアン・アダムスをこちらに向かって無言で差し出すと、いつもと同じように洋楽の新譜コーナーに行き、五分ほどでダイア・ストレイツのLPを抱えて舞い戻ってきた。それは、現在ヒットチャート急上昇中の「マネー・フォー・ナッシング」が入っているアルバムで、何を隠そう今店内にかかっている曲そのものだった。
「一昨日は急に声をかけたりしてすみませんでした。つい口が滑っちゃって」
そんな僕の謝罪にも、制服姿の彼女は何の反応も示さなかった。相変わらず眉間に皺を寄せながら、僕の胸元をじっと見ているだけだった。何もかもを諦めた僕はそのまま素早く会計を済ませると、早口のありがとうございましたとともに彼女の後ろ姿を見送るしかなかった。
「お前相当嫌われたな」
「別にいいよ、嫌われたって」
「とか何とか言って、本当は結構ショックなんじゃないか?」
武史の指摘は見事に的を射ていた。彼女を好きなわけではなかったが、自分と同じ嗜好を持っていそうな彼女からの冷たい態度は僕の胸を鈍く抉った。そう、僕は単純に彼女と友達になりたかったのだ。ヒットチャートに並ぶ音楽を共有し、彼女が通う学校や一緒に暮らす家族のことを訊きたかったのだ。二人の間には、同じ価値観を共有できる要素があるような気がしていた。だから哀しかった。彼女から嫌われたかもしれないその事実が。