Section 4 -Part.1-
気がつくと「ティーンエイジ・ウォーク」は終わっていて、カーラジオのFMからは再び害のない音楽が流れていた。五月の物憂げな青空を見ながら海岸通りを走るシビックは確実に目的地に近づいていたが、それとは反対に僕の心は戸惑いと不安に満たされていった。九年ぶりの千雪からの手紙は、一ヶ月ほど前に僕の住むアパートの部屋に無造作に放り込まれていた。その日は会社での残業が夜遅くまで続き、僕は辛うじて間に合った終電に駆け込むと、疲れた体を引きずるように部屋のドアを開けた。手紙など見られる状況ではなかったが、幸運にも足元に生じた違和感で拾い上げた薄いブルーの封筒の裏面に書かれていた名前が、僕にその日一日で最後の、でも最高の気力をもたらした。
手紙はひどくシンプルなものだった。今は日本にいる、会いたいから来月のあの日、ちょうど九年前に行った砂浜で待っている、それだけの短い文章だった。僕は久しぶりの千雪との出会いに胸が躍ったが、同時に今の自分の姿を見せることに躊躇いを感じていた。あれから長い時間が経過したが、僕は自分自身の新しい世界を見出すどころか、ささやかな箱庭から抜け出すことさえできずにいた。ひたすら自分の殻に閉じこもり、決して千雪以外の誰かを好きになろうとしなかった。かつて感じていた自分への愛情も次第に薄くなり、僕はすっかり大人の女性になったであろう彼女とどう向き合ったらいいのかわからずに途方に暮れた。でも、だからといって彼女に会わないわけにはいかなかった。何故ならそれこそが、僕がこの九年間ひたすらに待ち望んできたことなのだから。
平日の昼間とあって道が空いていたこともあり、約束の正午にはまだ間があった。僕は車を駐車場に入れると、近くにあった自動販売機でジュースを二本買ってから砂浜に降り立った。
目の前に広がる風景はあの時のままのように思えた。彼方に佇む水平線も、打ち寄せる波の音も、そして頬を撫でる風の歌も、何もかもが九年前と同じだった。僕は懐かしさに目を細めながらも、必然的に自分自身が変わっていない現実と改めて向き合うことになったことでかすかな胸の痛みを覚えた。おそらくこの中で変わったのは、これから姿を見せる千雪だけだろう。それが僕をどうしようもなく切なく哀しい気持ちにさせた。
「失礼ですが、塚本尚希さんですか?」
右横から聞こえてきた声に振り向くと、そこには背が高くほっそりとした男性が立っていた。白いカッターシャツにストーンウォッシュのジーンズ姿は、おそらく二十代前半だろうという以外には全く情報を与えてくれなかった。
「そうですが、あなたは?」
「やっぱりそうでしたか。姉さんの言ってたとおりの人だ。俺、崎谷千雪の弟です。今日は姉さんの代理でやってきました」
唐突に現れた男の話はやはり唐突だった。千雪の弟を名乗るこの男は一体何者なのか? 大体弟の存在は嘘ではなかったのか? いやそもそも何故千雪はここに来ないのか? 僕は次々と湧き出る疑問の渦に巻き込まれないように踏みとどまるだけで精一杯だった。