Section 3 -Part.1-
「今日は日差しが強そうだな」
大きく伸びをしながら武史が気だるそうに目をやるその向こうには、午後二時を過ぎた五月半ばの日曜日の雑踏が広がっていた。眩い日の光を浴びて、皆一様に活き活きとした笑顔を浮かべながら窓越しに僕らの前を行き交っていたが、それとは対照的に店内はほのかに薄暗く閑散とした雰囲気に包まれていた。客足は相変わらず鈍く、僕は三位をピークにビルボードチャートを下降中ではあったが今の自分の気持ちにぴったりな、バングルスの「マニック・マンデー」をここぞとばかりにかけた。
「『マニック・マンデー』ならぬ、『マニック・サンデー』だな」
少し前に髪を黒く戻していた武史の呟きが、僕を切なくも物憂げな記憶の渦の中に陥らせた。この冬から春にかけては、本当にいろいろなことがあった。無限の荒野に行き着くかと思われた僕と周囲の状況は、少なくとも表面的には以前と変わらなかった。日常という圧倒的に退屈な流れの中で僕は高校二年生となり、武史とのバイト生活も同じように続いていた。でもそこに、少し前まで無邪気な笑顔で僕らの横に佇んでいた未央の姿はなかった。風前の灯に見えた武史と未央との仲は年明けに程なく解消され、明らかに居心地の悪くなったと思われる未央は一月一杯でバイトのシフトから名前を消していった。
「他に好きな男ができたらしい」
意外にさっぱりとした口調の武史に、その真偽はともかく、僕は男としての潔さよりもいじらしさを感じていた。と同時に、儚く移ろう男と女の関係を、この時ほど現実的に重く受けとめたことはなかった。もっとも、それを理解しきるほど大人ではなかった僕は、何より自分自身に降りかかった予測不可能の事態に深く動揺していた。不安定さを抱えながらもお互いにわかり合えたと信じていた千雪との関係は、クリスマスイブの夜を最後にぷつりと途絶えてしまった。彼女は僕の前から忽然と姿を消し、年が明けても店に姿を現すことはなかった。一ヶ月が過ぎてついに居たたまれなくなった僕は、彼女のアパートに行き何度も部屋のブザーを押したが、目の前の扉が開かれることは決してなかった。僕はそれを何度か試みた末に、理由はどうあれ千雪はどこか遠い場所に行ってしまったことを確信したが、その原因が何なのかはわからなかった。あの夜に取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと、記憶の糸を手繰り寄せるように懸命に思い返してみたが、抱き合って唇を重ねたとはいえ、そこから先に進むことのなかった自分に非があるとはどうしても思えなかった。あるいはそれこそが、僕が犯した決定的な過ちだったのかもしれなかったが、いずれにしてもこの冬ほど心も体も寒い季節はなかった。
「おいっ、何ぼおっとしてるんだよ? 久しぶりに彼女が来たじゃないか」
武史の声はどこか宙に浮いているように響いていて、僕の目の前に広がる世界が現実味を帯びるまでにしばらく時間がかかった。でも、彼女……千雪は確かにそこにいて、カウンターの前で五ヶ月ぶりの笑みを浮かべていたのだ。
「今までどこで何してたんだ?」
「ねえ、明日空いてる?」
僕の問いかけを全く無視した千雪は、これまでにない表情の豊かさで逆に尋ねてきた。しばらく見ない間に肩までの髪はほのかに茶色く染められ、軽いウェーブがかけられていた。限りなく素に近かった顔には薄く化粧が施され、目が痛くなるほどに白いカッターシャツとかすかにチェックの入った水色のスカートが彼女に生じた明らかな変化を象徴していた。
「明日は学校だよ」
「どうしても付き合ってほしいところがあるの」
「一体どこなんだ?」
「それは行ってのお楽しみよ。じゃあ、詳しいことは後で電話するから」
言いたいことだけを全て言ってしまうと、僕の様々な疑問を置き去りにしたまま千雪は足早に店を出て行った。その後に残されたのは、彼女が身にまとっていたかすかなコロンの香りだけだった。
「彼女、しばらく見ない間に変わったな」
「ああ」
「でもよかったな。お前と千雪ちゃん、もう駄目かと思っていたけど、今日の感じならまたやり直せるんじゃないか?」
僕以上に武史のほうが素直に喜んでいるように思えた。いや正確に言うと、僕は喜ぶ前の段階でまだ立ち止まっていた。千雪の出現があまりに唐突だったこともあり、二人の間に横たわる距離感をうまく見定められていなかったのだ。だからともかく、僕は千雪と話をする必要があった。今までのこと、そしてこれからのことを含めて彼女と語り尽くさなければならなかった。