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(60) 頑張れ~!

 堤防の土手道を小さく移動する物があった。谷岡が目をらすと、それは、一人の子供が懸命に自転車のペダルをぐ姿だった。一瞬、谷岡は、そんなはずはない…と、目頭めがしらこすった。だが、その子は疑うべくもなく、遠い自分の姿だった。いや、そんな馬鹿なことはない…と、もう一度、谷岡は子供の姿を凝視ぎょうしした。やはり、その子は遠いおさない頃の自分だった。ふと、谷岡にその頃の記憶がよみがえった。確かに、この光景に似た記憶が谷岡にはあった。

 季節は丁度、青葉が芽吹く今の時節だった。そのとき俺は…と、谷岡は記憶を辿たどった。そうだ…、母ちゃんが倒れたと小野先生に言われたんだ。俺は学校を早退し、病院へ向かっていた。この堤防の道だった…。徐々(じょじょ)に谷岡の追憶は鮮明になっていった。あのとき…、そうだった。あと五分、早いとね…と、医師の富沢は言ったのだ。両眼を閉ざした母の顔が幼い谷岡の目に焼きついていた。それが今、甦ったのだった。

 陽炎かげろうで堤防が揺らいで見えた。その中を幼い谷岡は、懸命にペダルを漕いでいた。見えるはずがないまぼろしの姿を、谷岡は今、見ていた。谷岡は、思わず叫んでいた。

「頑張れ~!」

一瞬、ペダルを漕ぐ子供の谷岡が谷岡を見た。いや、谷岡にはそう思えた。そして、谷岡の意識はゆらゆらと陽炎のように遠退とおのいた。目を開けたとき、辺りにはすでに夕闇が迫っていた。谷岡は堤防の草叢くさむらで眠っていたのだった。不思議なことに、違う記憶が谷岡に甦った。谷岡は、亡くなる前の母に会えたのだった。母は、二コリと幼い谷岡を見て笑っていた。


               THE END

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