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さらさらさらさ:一期一会……ではない!  作者: 帆立
1章――雨の日の過ごし方
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第6話:曇りのち晴れ――のち雨

 夕食の食材を買って帰宅した後、更紗(さらさ)の尋問は始まった。

 浮気を問いただす妻さながら、千里(せんり)卯月(うづき)の関係を延々問い詰めてきた。

 関係、と訊かれても、卯月とは高校三年生でクラスが同じになったのを機に知り合って、偶然にも大学までもが同じになって今に至るとしか言いようがなく、千里は弱るばかりであった。

 卯月は、親しい友達相手には過剰なほどのスキンシップを仕掛けてくる。

 距離の近い接し方をしてくるのは千里相手に限った話ではない。

 そう説明しても更紗はなかなか腑に落ちない様子で、夕食を食べて風呂に入るまでへそを曲げていた。

 窓の外には夜の闇が満ちており、家屋の明かりがぽつぽつと灯っている。雲が空を覆っているせいで月明かりは届かない。

「夜遅くまで勉強か」

 千里が風呂から上がると、居間で更紗が本を読んでいた。

 朝顔の模様が印刷された涼しげな寝巻きを着て、ソファに腰掛けて熱心に読みふけっている。風呂から上がった千里には目もくれず「アイス食べるか?」という声かけにも応じない。千里が彼女のそばへ近寄った際に本の上に影を落として、それで更紗はようやく彼の存在を認識した。

「あら、兄さま」

「更紗、その本は」

「今月のお小遣いで買いました」

 少女漫画か何かだろうとたかをくくって手元を覗き込むと、本の両ページにびっしりと活字が並んでいて千里は目を丸くした。

「小難しいもの読んでるじゃないか。どんな話なんだ」

「兄さまのようなだらしのない男性が主人公のお話です」

 本の内容はともかく、暗に千里を揶揄しているは本人も理解できた。

「兄さま、大学では国文学を専攻されているのですよね。兄さまはどのような文学作品がお好きなのでしょうか。更紗は知りたいのです」

「い、いや」

 一心に見つめてくる更紗から目を逸らして千里は口ごもる。

 大学生は皆立派な志を胸に抱き、博識で、先人たちの叡智を我が物にせんと日々勉学に励んでいる――それが更紗の大学生に対する印象だった。

 娘に英才教育を施さんとする祖父と両親の影響か、もしくは小学校の教師の受け売りか、はたまた彼女が愛する数々の本から得た知識か。いずれにせよ、更紗が抱いている大学生像と千里が知る実際の大学生はほとんど別物である。千里本人も『比較的』勤勉であるものの、どちらかというと後者に属する。

「ところで更紗、どこか行きたいところはないか」

 返答に窮して話題を逸らした。

「行きたいところ、ですか」

「せっかく遠いところからはるばる来たんだし、二人で外出しようじゃないか」

「兄さまと、ですか」

「不満か?」

「い、いえ!」

 あれほど夢中だった文庫本を慌てて閉じ、首をぶるぶる左右に振る。そして食い入るように千里の顔を覗き込みながら「本当ですよね」と念を押してきた。次こそ約束を守らねば鬼と化して襲いかかってきてもおかしくない迫力であった。

 気おされながらも千里が二度首肯すると、更紗の顔がほっこりと上気した。

 ――兄さまとデート……。

 高鳴る心臓に手を当ててこっそりつぶやく声が千里の耳に届いた。

「更紗は『檜扇苑(ひおうぎえん)』に行きたいです!」

 夜中にもかかわらず大きな声を上げてしまうほど興奮を隠せない更紗。

 遊園地や水族館でも挙げると思いきや、予想だにしなかった名前が出てきて千里は呆気に取られる。それから、なるほど彼女らしい場所かもしれないな、と納得し直した。

 檜扇苑は日本有数の観光名所として知られる日本庭園である。隣には復元された江戸時代の城もあり、休日になると多くの観光客が訪れる。

 とはいえ、遊び盛りの小学生が楽しめる場所とは言いがたい。

 ――いや、この子にはおあつらえ向きだ。

 更紗の話を聞くところによると、テレビで檜扇苑の風景が放送されるたび自分と千里で檜扇苑を巡る姿を夢想し、箱根家に赴けたあかつきには必ず檜扇苑にも足を運ぼうと決意していたという。

「帰りには真白神宮(ましろじんぐう)にも是非参拝したいです。マシロ様に日々の平穏と旅の無事を感謝しないといけませんので。あっ、あとスピカでお買い物もしたいです。都会のお洋服やご本を買いたいです。ご心配なさらずとも、駄賃は父からたっぷりせしめてきました。お父さまったら、毎年『将来のために貯金してやる』って私からお年玉を取り上げるんだから。そのような子供だまし、私にはもう通じません。兄さまもそう思いませんか?」

 念願が叶うと知った更紗はいつになく饒舌であった。微笑ましいくらいに。

 夢いっぱいの輝きを宿した瞳は歳相応の、家族との行楽を喜ぶ子供のそれであった。

 二年間も待ちぼうけにさせてしまった償いとしてはまるで足らないが、これが千里にできるひとまずの埋め合わせであった。

「檜扇苑に真白神宮、それにスピカね。強行軍になりそうだ。明日は早いぞ」

「は、はい。更紗はもう寝ます」

 半分ほど垂れ下がったまぶたを擦りながら更紗は「おやすみなさい、兄さま」と就寝の挨拶を述べる。ずっと本を読んでいたせいで首より上の部分に疲労が偏っており、不安定によろけながら居間を後にした。

 ふらふらと夢遊病者の足取りで更紗は廊下を歩く。あてがわれた客間に入っていくのを見届けてから、千里も自室のベッドに潜り込んだ。


 仰向けになって天井を仰ぐ。

 ――とんでもなく慌しい午後だったな。まさか、更紗の方から出向いてくるなんて。

 家の呼び鈴が鳴ってからの怒涛の展開を振り返り、疲労のこもった息を吐いた。

 二年前の約束を原動力に遠い場所から押しかけてきた従妹の少女。彼女の小さな身体のどこにそんな力が宿っているのか。プリンを食べながら大学のレポートを打っていたときは、千里はまさかこのような展開が待っているなど夢にも思わなかった。

 意志が強く自我の確立した少女だ、と千里は下宿時代にもたびたび感心させられていた。彼女の意志と自我の強さは二年間でますます成長していた。

 満腹になるまで食べた更紗手製の肉じゃがが、胃袋の中から眠気を促す。

 しょうゆの味が染み込んだじゃがいも、甘いにんじん、やわらかい豚肉。濃すぎず薄すぎない上品な味付けを千里を充分に堪能した。具体的には、ご飯お代わり三杯分。『一番の得意料理』と見得を切るのに相応しい出来栄えであった。更紗がもう十年ばかり年を重ねていたら間違いなく惚れていただろうと千里は確信した。

 携帯電話が一瞬、身悶える。

 手にとって画面を開くとメールが一通届いていた。


  受信日:2006年4月29日22時40分

  送信者:占部卯月(うらべうづき)

  題名:『イイナズケ』って言葉、辞書で引いたらさ。

  本文:キミも隅に置けないねぇ。


「く、くだらねぇ……!」

 返信する必要は皆無と判断し、携帯電話の画面を再び閉じた。

 ――更紗は兄さまの許婚です!

 卯月のせいで昼間の出来事が脳裏によみがえる。更紗に申し訳ないと思いつつも笑いがこみ上げてくる。

 礼儀正しく真面目な更紗、さびしがりやな更紗、臆病で泣き虫な更紗、やきもち妬きの更紗。

 二年前に別れたときと比べて全部、二年分成長していた。さらに十年後の姿を想像して「いいじゃないか」と独りごちた。

 明かりを消して目を閉じ、睡眠欲に身を任せる。間もなく意識が遠退き、千里は深い眠りに落ちた。


 その夜、千里は夢を見た。妙な夢であった。

 夢の中で千里と卯月とが隣り合って歩いており、二人の後ろを更紗が必死になって追いすがる、抽象的で不思議な構図であった。

 精一杯の力を振り絞って走っているにもかかわらず、更紗はゆっくりと歩く二人に一向に追いつけない。遠退くことはなくとも、到達することもない。常に一定の速度と間隔を保ったまま、三人は何処かへと向かっていた。


 翌朝。

 目覚めた千里は窓の外から届く雨音を耳にした瞬間、夢の内容をすっかり忘れてベッドから飛び起きた。

 慌ててカーテンを開け放つ。

 曇天から数多の水滴が降り注ぎ、人間たちの住まう地上を容赦なく濡らしている。

 屋根を打った雨水が軒先を伝って庭に落ちる。庭先の紫陽花がしずくを受けて花弁を揺らす。ガラスの窓も雨水に濡れて外の世界を歪ませている。そして、室内の湿った空気。

 早朝の六時。見紛いようのない雨天。あいにくの雨。

 気の滅入る天気だ。

 更紗の部屋を尋ねると案の定、彼女は寝巻きのままテーブルの上のビー玉を転がして独りさびしく遊んでいた。

 透き通った赤や青のビー玉を指の腹で転がしたり、指先ではじいたり。

 部屋のカーテンは開け放たれ、外の様子がはっきりと映っている。

「雨は――」

 千里が慰めの言葉をかけるよりも先に、更紗が口を開く。

「雨は嫌いではありません。しずくに濡れる紫陽花も、軒を打つ雨音も、いずれも梅雨特有の(おもむき)があります。ですが、今日は降ってほしくありませんでした」

 がっくり肩を落とす。青のビー玉をはじくと赤のビー玉にぶつかって、赤のビー玉はテーブルから転がり落ちた。

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