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さらさらさらさ:一期一会……ではない!  作者: 帆立
1章――雨の日の過ごし方
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第5話:夕食の買い物へ

「お茶も頂いて一休みしたことですし、お夕飯の買い物に行きましょう、兄さま」

 飲み干した湯飲みとガラスのコップ、ういろうの菓子箱をお盆に載せて、更紗(さらさ)は腰を上げる。汚れた食器を手早く洗ってエプロンの紐を解いた。

「兄さま、お夕飯は何を所望されますか」

「何でもいいさ」

「『何でも』ですか。ならば更紗一番の得意料理を披露いたします」

 長旅の疲労などものともせず、更紗は「よしっ」と両手を固く握り締める。

 すべては『兄さま』のため。

 仕事の都合で千里の両親の帰りが遅くなることを知ってから、更紗は手作りの料理を千里に振舞おうと意気込んでいた。

 彼女の闘志たるや、燃え盛る火炎の幻影すら千里(せんり)に見せるほどの勢いである。本人の意気込みとは裏腹に、力みすぎてまた大失敗をしでかして泣きべそをかかないか千里は心配でたまらなかった。

 千里は洗面台で顔を洗って目やにを取り、ブラシで髪を適当に整える。更紗の顰蹙を買いそうだが、近所のスーパーに買出しに行く程度でいちいち気合を入れてめかしこむのも億劫だった。

 千里の身だしなみが大分マシになった頃には更紗もすでに準備万端で、昭和時代を思い起こすガマ口の財布をポケットに、竹で編んだ買い物かごを右腕に提げていた。本人は新妻を気取ったつもりでも、傍目にはお母さんにお使いを頼まれた女の子そのものであった。

 スーパーへ買い物に行く道中、更紗は上機嫌に鼻歌を歌っていた。鈴が鳴るような可愛らしい少女の歌声であった。

 更紗にとって料理を作ることはもちろん、何よりも千里と一緒に買い物に行くという過程の方が重要らしい。家を出る間際、必要な食材を聞いてスーパーまで自転車でひと走りしようとする千里を彼女は断固阻止していた。

 ――いけません!

 ――な、なんでだよ。

 ――とにもかくにも、駄目なのです!

 兄さまと一緒に買い物をしたいから、と決して口にしなかったのは、二年も待たされた身の意地か。約束を忘れ去られた恨みがあるというのに兄への想いが勝ってしまう。そんな矛盾を恥じている。更紗はそういう堅物な少女であるのを千里は知っていた。知っていたから、知らないふりをしていた。


「ハイカラな町並みです」

 更紗は珍しげに住宅地の風景を見回す。

「北欧の町を参考にしているらしい」

「ではやはり、魔女もいるのでしょうか」

「魔女はいないんじゃないかなぁ」

 更紗は真剣なまなざしで空を見渡し、箒にまたがる魔女の姿を一生懸命探していた。

 箱根家の住むこの町は県の『近未来都市化計画』の一環としてつくられた新興住宅地で、景観を害する電線を地中に埋めたり、公共施設の外観を古めかしい日本風から洒落た西洋風に建て替えたり、著名な彫刻家の前衛的オブジェを街路のいたるところに設置したりと、さまざまな試みが施されている。

 山の奥のさらに奥の寒村の、わらぶき屋根の家で暮らしていてもおかしくない更紗からすれば、千里の住む都会を異世界と呼ぶのも当然だった。更紗の住む田舎なら、魔女やら天狗やらが出没したところで千里は動じない自信があった。

「これからこの町で兄さまと暮らすのですね」

「ゴールデンウィークの間だけ、な」

 夢見る乙女の瞳をする更紗に千里は補足した。

 更紗は依然として鼻歌を歌い続けている。鞠つきをするときによく歌っていた、お気に入りの歌だった。

 思い込みの激しいこの少女がこれから何をやらかしていくのか、千里は先が思いやられた。

 上機嫌に歌われていたはずのメロディがふいに途切れる。

 歌うのを中断した更紗がそそくさと千里の背後に隠れる。

 何事かと前方に目をやると、中年の男性がシベリアンハスキーを連れてこちらに向かって歩いてきていた。

 男とその飼い犬が通り過ぎるまで、更紗はずっと千里の背中に隠れ震えていた。

 怖気づく更紗を目の当たりにし、いたずら心がくすぐられる。

「かわいい犬だったな」

 更紗はなおも千里にしがみついており、激しく首を振っていた――当然、横に。

「まだ犬嫌い克服できてなかったのか」

「今も昔もこれからも、犬は苦手なのです」

 更紗はかたくなに千里の袖を離そうとしなかった。

 更紗の災難はそれだけに止まらなかった。スーパーにたどり着くと、入り口前の自動車除けポールに秋田犬がつながれており、彼女の前に立ちはだかっていた。

「お、お願いですからどいてください」

 犬はびくともしない。

 更紗の存在を無視し、開閉を繰り返す自動ドアを一心に見つめて飼い主の帰りを待っている。

「兄さま」

「イタズラしなきゃ噛まれも吠えられもしないさ」

 千里が手を引くと、更紗はしっかりと両腕で彼の腕を抱きしめた。

 すり足、忍び足を駆使して、更紗は千里の陰に隠れてやり過ごそうとする。

 それでもやはり気になって半分だけ顔を覗かせる。

 運悪く、その瞬間に犬と目が合って、さらに運悪く「わんっ」と吠えられた。犬にとっては軽い挨拶代わりのつもりでも、更紗からすれば地獄の底よりもたらされる咆哮に他ならなかった。

「ひゃあっ!」

 更紗は目をつぶって全速力で逃げだす。

 が、店内に向かって走り出したせいで、自動ドアに思い切り頭をぶつけてしまった。

 反動で床に尻餅をついた拍子に、ポケットから色とりどりのビー玉(ビー玉・おはじき集めと鞠つきが更紗の趣味である)がこぼれ落ちる。

 床にこぼれたビー玉は四方八方に転がっていく。

 尻餅をつく少女に散らばったビー玉という、居たたまれない光景。

 更紗の瞳がみるみる涙に潤む。

「ありゃりゃ、大丈夫かな」

 涙がこぼれ落ちる寸前、買い物客らしきポニーテールの少女が手を差し伸べてきた。

「このビー玉、お嬢ちゃんのだよね」

「あ……ありがとうございます」

 ひょいひょい、とポニーテールの少女は手際よくビー玉を拾っていく。こぼれ落ちた八個すべてを拾うと、更紗の手にそれらを握らせた。涙の引っ込んだ更紗が礼を述べると「お安いご用さ!」と大げさな動作で胸を叩いた。更紗がくすりと笑みをこぼした。

「悪いな卯月(うづき)

「あれ、箱根くんじゃん。奇遇だねー」

 千里の姿を認めるなり、卯月と呼ばれたポニーテールの少女の顔に満面の笑みが咲いた。

 卯月は千里の前に駆け寄ると、両手を包み込んで握ってくる。卯月の肩越しに、ふてくされる更紗の姿が覗けて千里は冷や汗をかいた。

 とっとと離れろ――と目配せするも、卯月はちっとも気づかない。

「う、卯月は高校からの知り合いで、大学も一緒なんだ」

「高校からの知り合い、ですか」

 更紗の返事が露骨に不機嫌さを帯びる。

「更紗の田舎の高校に通ってたから、顔見知りじゃないのか?」

「ぜんぜん知らないのです」

 眉間にしわを寄せた上目遣い。

 浮気の疑いを晴らす旦那の気分を千里は一足先に味わう羽目となった。

「やだなーもう『知り合い』だなんてよそよそしい表現は。親友でしょ、親友。いや、むしろもはやラブな関係。なんて、ジョーダン冗談」

「大学も一緒、ですか。ラブな関係、ですか」

 ビー玉を砕かんばかりに両手を握り締める更紗に、千里の垂らす冷や汗の量が増す。

 更紗の放つおびただしい殺気にも千里のめまいを伴う狼狽にも、卯月はそ知らぬ顔。もう三年近くの付き合い(無論、友人としての)になるが、卯月の底抜けに明るい性格がこの瞬間ほど裏目に出たことはなかった。

「そのお嬢ちゃん、箱根くんの妹さん?」

「まぁ、そんな関け――」

「更紗は兄さまの許婚です!」

 更紗は言い放った。衆目の前で、堂々と、高らかに。

 彼女の瞳には強固たる意志、使命感、そして卯月に対する嫉妬が宿っていた。生鮮コーナーは店の奥にあるというのに、千里は頭から血の気が失せて涼しくなるのを感じた。

「更紗ちゃんっていうんだ。ところで『イイナズケ』ってなんぞ? 漬物の漬け方?」

「あ、ああ……大体合ってるぞ。さて、俺たちこれから夕飯の買い物だからさ」

「そっか。んじゃまたね。勇丸(いさまる)、帰還命令だー!」

 卯月は限界まで膨れたレジ袋を重そうに揺らしながら店を後にする。入り口の車除けポールにつながれた秋田犬のリードを手にし、一人と一匹は走り去っていった。

「あの方は、兄さまをほだす魔女です」

 卯月の背を見送った更紗が忌々しげにつぶやいた。

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