第1話:ふつつか者ですが(A)
玄関の呼び鈴が鳴って、彼――箱根千里はうたた寝から覚めた。
昼食のデザートを食べながら大学のレポートをパソコンに打ち込んでいたはずが、満腹感からくる眠気によりいつの間にやら眠ってしまっていた。
時計に目をやる。
午後の二時。最後の記憶から一時間ほど経過している。
ピンポンピンポンピンポン……。
呼び鈴は絶え間なく押され続ける。やかましい音が家の中に鳴り響いている。
千里は身体を起こす。足元のプリンを蹴倒してしまったが、それに一瞥をくれるだけで構わず玄関に向かった。彼にとってこぼれたプリンを片付けることよりも、このやかましい音をどうにかするほうが目下の優先事項であった。
サンダルを履いて玄関のドアノブに手を回す。
ドアノブをひねって扉を開け放ったそのとき、風と共に桃色の花弁が舞い込んできた。
千里は咄嗟に腕を正面にかざして風を遮る。砂埃から目を守ろうと視線を足元に向けたとき、小学校の運動靴を履くか細い足が視界に入った。
風が止むのを待ってから腕を下ろす。
視界が開けると、目の前に幼い少女が立っていた。
青い花のアクセサリーがあしらわれた帽子をかぶり、茶色のリュックサックを背負った少女。背丈は千里の胸辺りまでしかないので、自然と彼を見上げるかたちになっている。左手は肩にかけたリュックサックのストラップを固く握っていて、右手の人差し指は玄関の呼び鈴に添えられたまま。つま先立ちする脚は小刻みに震えている。
幼い顔立ちの少女は、怒り心頭に発した形相をあらわにしている。眉間には何本ものしわが寄せられ、鋭い双眸は千里をきつく睨んでいる。不機嫌さを隠そうともしない。ところが本人の気持ちとは裏腹に千里は「かわいらしい」と思ってしまった。
「久しぶりです、兄さま」
少女の声に再会を喜ぶ気配は微塵もなく、むしろ溜まりに溜まった怒りを静かにぶつけるかのような声色であった。
「もしかして、更紗か」
「もしかしなくても、更紗です」
少女が千里に詰め寄る。りん、とリュックサックにつけられた鈴が少女の挙動に合わせて鳴った。
「久しぶりじゃないか」
戸惑いながらも千里は挨拶する。少女を刺激しないよう、さりげなく、愛想よく。
ぎろり。
帽子を被った少女――更紗が恨めしげな眼差しで睨んできて千里はたじろいだ。