第4話 オアシスへ
突然の腹の音に沈黙していた二人だったが、カイトが恥を忍んで話始める。
「実はこの数日、碌に食事していないんだ。申し訳ないけど、君の住んでいる集落が
この近くにあるのなら、そこで食べ物を恵んでもらえないかな?」
「申し訳ございません。私の住んでいる村は順調に行っても、ここから三日はかかる
場所にあるんです……」
非常に申し訳なさそうにアルテナは答える。
思わず顔を上げて、空を見つめるカイト。
なけなしの体力を振り絞って可能性に賭けたのに、実にアッサリと頼みの綱が切れて
しまった。カイトは体から力が抜け出ていくような感覚に囚われていく。
(……空…青いなぁ……)
空腹のあまり、つい現実逃避じみたことを考えてしまう。
もっとも困っているのはアルテナも同じだろう。何しろ手足を縛られた状態で馬車か
ら落ちたのだ。食料や飲み水の持ち合わせなどある筈がない。
(アレ…食べられるかなぁ……?)
ゆっくりと首を動かし、肩越しに後ろを見つめる。
視線の先にあるのは、今し方カイトが屠った七体の豹もどき。
見た目は動物のソレなので肉は食べられないことは無いだろう。味と衛生状の問題は
どうだか分からないが。
(ちゃんと焼いて、火を通せばいいかなぁ……?)
考えていることが少し怪しくなってきている。
空腹も限界なのだろう。気のせいか、目がすわり口元が不気味に歪んできている。
気の弱い子供なら泣いて怯えてしまいかねない、そんな顔だ。
そんなカイトの不穏な空気を察したのか、アルテナは慌てて代案を口に出す。
「だっ、大丈夫ですよカイト様!! 村までは確かに三日かかりますが、ここから南東
へ六時間程歩いた所にオアシスがあります!!そこへ行きましょう!! そこには水
も、食べられる果実もあります。私が案内しますので、そこまで頑張りましょう!!」
アルテナの言葉が効いたのか、カイトは凄いスピードで前に向き、彼女の手を掴んで
顔の前まで持っていく。
「オアシス!? 行こう! さあ行こう! 今すぐ行こう!! 二人で行こう!!」
アルテナの言葉に勢い込み、返事を待たずに歩き出す。
考えている事がおかしくなり掛けた矢先に、まともな食事が出来ると分かったのだ。
そのせいか、テンションがハイになっている。
もっとも、あっけに取られるアルテナの手を掴んだまま、反対方向の北西へ向かおう
とする様は滑稽の一言だ。
「待って下さいカイト様! そっちは北西でオアシスは南東! 反対方向です!!」
「えっ!? ごめん」
アルテナはカイトの奇行に驚き、慌てて静止を願う。
この間のカイトの動きは、急発進・急停止・急回転・更に急発進。実に忙しい男であ
る。
「それではっ! オアシスに向けて出発っ!!」
「だから待ってくださいっ!! そんなに慌てなくても、オアシスは逃げたりしませ
ん!!」
再度、奇行に走ろうとするカイトを強い口調で止めるアルテナ嬢。
出会って、一時間も立っていないのにこの有り様では、彼女の苦労がしのばれる。
「どうしたの?アルテナさ…じゃなくて、アルテナ?」
「どうしたのじゃありません。全く……」
カイトの奇行に頬を膨らませて怒るアルテナ。
言葉遣いが気になったが、カイトはわざわざ良い直したので、それについてはとりあ
えず追求しない。
カイトが話を聞く気になったのを見て、本題に入る。
「カイト様、カイト様は【魔石】を回収なさらないのですか?」
「【魔石】? 【魔石】って何?」
「……【魔石】をご存じないのですか?」
質問に質問で返したところで、カイトは自身のマヌケさ加減にようやく気が付く。
自分は、この世界の常識を何も把握していないのだ。警戒心をなるべく抱かせないよ
うにしたつもりなのに、食糧を得られると思ったことで、つい舞い上がって奇行に走っ
てしまった。
結果、アルテナ嬢から少なからず不信がられている状態だ。自分で掘った穴に落ちれ
ば世話はない。
かと言って、こんな処でお見合いに興じるわけにもいくまい。
とりあえず、彼女の知る常識すら知らない、隔絶された状態で暮らしていたことにし
て、話を進める。
「すまない。僕はアルテナが知ってる常識すら分からない、そんな場所で暮らしてい
たんだ。わけあって旅をしているけれど、実はここがどんな場所なのかさえ分からな
いんだ」
「そうなのですか!?」
「うん。だからアルテナが知っていることだけでも、教えてくれると嬉しい」
「承知しました、カイト様! そういうことでしたら、この私にお任せ下さい!!不
肖、このアルテナが世界の知識について親切丁寧、ゆっくりじっくり、ゆったりねっ
とり、たっぷり、とっぷりとお教えして差し上げますっ!!!」
「ア、アリガトウ……」
本当の事を言っていないが、嘘もついていない。
それでも、とりあえずは誤魔化すことが出来たようだ。それに、アルテナからこの世
界の知識を教えてもらえるようにもなった。
ただ、彼女の最後の部分の意気込みに、カイトは何故か一抹の不安を感じた。
「では改めまして。【魔石】とは【魔物】の額や眉間など主に頭部に存在する石の事
をいいます。【魔石】は文字通り魔力の結晶体で、魔物は【魔石】の魔力を力の源と
し、自身の体を構成しているのです。」
「じゃあ、あの獣は【魔物】だったわけか。それで【魔石】の魔力で体を構成してい
るというのは?」
「それについては、カイト様が倒しましたあの魔物、『ブラデパノサ』をご覧下さい」
「?」
言われて後ろを振り返り、先程倒した豹もどきの死体を見てみる。
何だろうと思って見ていたが、そのうちにある変化に気づく。
カイトに体を両断された豹もどきの魔物、すなわち一、二、七頭目の体が不自然に欠
けているのだ。
一頭目なら、右肩から左脇腹より下の部位が、
二頭目なら、上顎より下の体が、
七頭目なら、下半身が消失している。
「先程申し上げました通り、魔物の体は【魔石】の魔力によって構成されています。
【魔石】の魔力を受けられなくなった魔物の体は崩壊し、霧散するのです。」
「だから、こんな不自然に体がかけているのか。それで【魔石】を回収するというの
は一体何?」
「【魔石】は武器や防具の材料として売る事が出来ると聞いています。強い魔物程、
強い魔力をもった【魔石】を持っており、強い魔力をもった【魔石】程価値があるそ
うです」
「成程、それで【魔石】を回収しようって言ってたのか。分かった、路銀の持ち合わ
せもないし、今後の為にもさくっと回収しようか?」
「はいっ!お手伝いします!」
早速二人がかりで【魔石】の回収を行う。
魔物が死んでいるからなのか、たいした力を入れることなく簡単に取れていく。
【魔石】を取り外された魔物の体は、アルテナの説明通り崩れて霧散していった。
その様子を見て、数日前の事を思い出す。
(あの巨大ミミズも魔物だったのか……)
あの時、巨大ミミズの頭部に【魔石】を見つけられなかった(そんな暇はなかった)
が、状況から察するに間違いないだろう。巨大ミミズの頭部と一緒に【魔石】を吹っ飛
ばしてしまった訳だが、もし回収できていれば、どのくらいの値が付いたのだろうか、
少し気になる。
ともあれ、二人は問題なく【魔石】の回収を終わらせる。
「回収も終わったね。それじゃ……」
グウウゥゥ~~~~~~~
お相変わらずカイトの腹は自己主張が強い。
その様子に、思わずアルテナは微笑む。
「フフッ。お待たせしました、これからオアシスへご案内いたします」
「お願い。とりあえず南東の方角がどっちか分かればいい良いよ」
「? 南東は向こうですが……キャッ!」
オアシスの方角を示すアルテナをいきなり両腕で抱きかかえるカイト。
俗にいう『お姫様抱っこ』の形だ。突然、抱きかかえられたアルテナは困惑する。
「あ、あの……カイト様?」
「歩いていくより、こっちの方が早いよ。
『我が求めるは翼。その羽ばたきにて天を舞い、空を駆ける。|天翼飛翔《フラテ
ス・ペタノ》』」
カイトはアルテナを抱きかかえたまま、再び空を舞う。
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突然、カイトが自分を抱きかかえた状態で、空を飛び始めたことに困惑していたアル
テナだったが、徐々にその顔は驚きから歓喜に変わっていった。
「カイト様すごいです! 空を飛べるなんて……!」
「有難う。アルテナ」
「私を助けて下さった時も、空を飛ばれていたのですか?」
「うん。あの時は本当にギリギリだったけど、間に合ってよかったよ」
「重ねて有難う御座います、カイト様」
「どういたしまして」
カイトに改めて礼を述べたアルテナは、そのまましばらく眼前の風景を鑑賞していた。
「私、小さい頃から夢だったんです。こうやって、空を飛ぶの……」
「ははっ。それじゃ夢が叶ってよかったね? アルテナ」
「はいっ!」
アルテナは、自分の腕をカイトの首に回し、さらにカイトの体と密着する。
その結果、アルテナの母性の象徴がカイトの顔に近くなる。カイトも健全な男の子に
は変わらない。顔を真っ赤にしながらオアシスへ飛んで行く。
そのまましばらく飛んでいる内に、前方に植物が生えている場所をみつける。
植物が生えている場所の中心には泉らしきモノが見える。どうやら、目当てのオアシ
スに到着したようだ。
「もしかして、アレ?」
「はい、そうです。 カイト様」
ゆっくりと速度を落としオアシスの外周部に着地する。
カイトに降ろしてもらったアルテナは、そのまま食性の果実のある所へ案内を始める。
「こちらです。カイト様」
「うん」
二人はオアシスの中心へ歩いていき、程無くして赤い果実を実らせた樹にたどり着く。
「このミポルの実などはどうでしょうか?」
樹の背はあまり高くなく、果実も腕を伸ばせばすぐ採れる高さの所に実っていたので、
カイトはその内の一つを手に取って見てみる。
彼が知る果実の中で一番似ているは林檎だろうか。ただし記憶の中の林檎と比べると
やや小振りで、形も細長い。
アルテナも実を一つとり、カイトの前で一口齧る。問題なく食べられる事をカイトに
自分の身で示しているのだ。
「僕も戴くよ」
手に取った果実を軽く掲げ、そのまま齧りつこうとするが何かを思い出したのか、直
前で動きを止める。
「ごめん。ちょっと持ってて」
「?」
食べようとしていたルポルの実をアルテナに手渡し、胸元からペンダントを取り出す。
それを目の高さまで上げ、瞑目して言葉を紡ぐ。
「『此度も糧となりて支えてくれる命に感謝を。願わくば、この命が次なる命の糧と
成らんことを』」
「お祈りですか、神様への?」
「ううん、食べ物になった動植物、命へ感謝の祈り。食事の際にはやるようにしてい
るんだ」
「命へ感謝の祈りですか……」
ペンダントをしまい、アルテナから先程渡した果実を受け取る。
「そう。では改めていただきます」
思い切りよくミポルの実に齧り付く。
それからは一口齧りついたのを皮切りに、凄いスピードで食事を行うカイト。この数
日食事をしていなかった為か、次から次へと新しい実に手を伸ばしては、果実の芯だけ
を量産していく。
ミポルの実は、地球の林檎と比べると若干酸味が強くパサパサしていたが、空腹は最
高の調味料だったのだろう、カイトは気にせずむさぼり続ける。もっとも、こと食事に
関しては好き嫌いを言わない男だが。
それも、一頻りミポルの実の芯を大量生産したところで、一息つく。
「ごちそうさま。やっと落ち着いたよ」
「お粗末さまでした」
「アルテナのおかげで助かったよ。もし会わずにいたら飢え死にしていただろうから
ね」
「いえ、私の方こそ。あの時カイト様に助けて頂いてなければ、魔物に食い殺されて
いたでしょう」
アルテナの言葉を聞いて、ある事を思い出す。
「いま気になったことがあるんだけど、聞いてもいいかな?」
「はい、構いません。何でしょうか?」
「魔物に追われていたあの時、どうしていきなり縛られた状態で馬車から放り出され
たの?」
「それなら、たいした理由はありません」
「というと?」
「最初からお話しします。私は元々、五日程前から修行も兼ねて狩りの為に村を出掛
けていました。このオアシスに着いた後はここを拠点に活動し、狩りも順調にいって
いたのですが……」
「何かあったの?」
「今日の明け方の事です。野宿しているところを襲われました」
「襲われたって…もしかして、あの馬車に乗っていた人達に?」
「はい。私を襲ったのはどうやら奴隷商人とその護衛のようでした。その時の私は直
前になって彼らの気配に気づきましたが、不意をつかれた事と昨日の狩りの疲れもあ
って、為す術なく捕まってしまったのです」
「………」
カイトは渋い顔をしたまま、黙ってアルテナの話を聞く。
「縛られた状態で馬車に乗せられ、そのまま近くの町へ連れて行かれるところだった
のですが、その途中でブラデパノサの群れに遭遇したのです。彼らもこれにはかなり
驚いていました。逃げ切る為に馬車速度を上げたり、弓矢で射かけたりしていました
が、あまり効果はありませんでした」
「それで、アルテナを囮にして逃げ切ろうと思った訳か……」
「ええ。彼らが言うには私の部族、特に女性は高い価値があるとの事でした。最初の
内は渋っていましたが、命には代えられなかったようです。後の事はカイト様もご存
知の通り」
「最悪の結果にならなかったとは言え、人を誘拐して売り買いするなんて……」
一連の経緯を聞いて、アルテナに深く頭を下げる。
「いえ、もう気にしてはおりません。ブラデパノサに襲い掛かられた時は流石に死を
覚悟しましたが、こうして生きている訳ですし。カイト様には本当に感謝しています」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「それで……図々しいのは承知しているのですが、ひとつお願いしてもいいでしょう
か?」
「何?」
「出来ましたら私を村まで送って頂けませんでしょうか? 見ての通り武器は勿論、
水も食糧も奪われていまして、とても自力で村に帰れそうにありません。お礼は村に
着きましたら必ずしますので……」
「いいよ、それ位」
「有難うございます」
カイトに対して深々と頭をさげるアルテナ。
(僕も何処かでちゃんとした旅の準備をしなくちゃと思っていたから)
アルテナの頼みはカイトにとって渡りに船でもあった。
「ただ、今日はこのオアシスに一泊して、明日の朝出発しよう。それまでの間、アル
テナが知っている限りの事でいいから、この世界の事を教えてもらえるかな?」
「はい!私で良ければ喜んで!!」