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この世界より大切なもの。





 シオンがヴェナートに出逢ったのは、幼い頃だ。侯爵家の娘であったシオンの家に、街へ下りてきていたヴェナートが迷い込んだのが最初である。その頃からすでにヴェナートは冷めた瞳でものを見ていて、口数も少なければ表情が変化することもなかった。その原因は、すぐに知れることになる。庭に迷い込んだヴェナートを見つけたシオンの父が、シオンの目にもわかるほど険しい声で、ヴェナートを叱責したからだ。ヴェナートが自国の皇子であることを知ったのもこのときだ。


『おうじさま……?』

『……そうらしいな』

『らしいって……』

『おれは要らぬ異分子だ』


 幼いながらも、だからこそ、ヴェナートはおとなをよく見ていた。望まれていない存在なのだと、理解していた。なぜと理由を訊ねれば、自分には刻印がないからと、淡々としていた。


『こくいんって、なに?』

『皇帝国主の天恵……おれは只人だ』


 天恵とは、神の恩寵だ。それは属性を持ち、精霊と契約することで能力を増幅させ、国では天恵術師と呼ばれる。

 シオンには天恵がない。だから、ヴェナートのその言葉はいまいち理解できなかったが、それは年齢を重ねるごとに解釈できるようになった。

 皇帝国主の天恵は、つまり国土という大きな存在との契約であり、神からの祝福であった。


 シオンがそれを理解できるようになった頃、再びヴェナートに逢う機会ができた。


『わたしが……ヴェナートさまの、妃?』

『いやなら断れ』


 政略的であり、またヴェナートに対する牽制を意味する縁談が、再会の機会を与えた。


『……側妃でしょうか』

『は?』

『ヴェナートさまは皇子でいらっしゃいますし……』

『気にするところはそこなのか?』


 シオンとしては、貴族の娘に産まれた限りは、政略的な婚姻など当たり前だと教えられているので問題はない。ただ、できればその相手がヴェナートであればと、そう思ったことは一度や二度ではない。

 つまるところ、シオンは出逢った当初からヴェナートの素性に関係なく好意を抱いていたわけで、いろいろと知ってからもその気持ちが変わることがなかったのである。


『わたし、ヴェナートさまをお慕いしておりますし』

『……正気か?』

『能天気だとはよく言われますが、正気かと言われたのは初めてです』

『……頭だいじょうぶか』


 暢気だとか、能天気だとか、もう少し頭を使えとか、それは家族によく言われることだった。シオンとしてはよく考えて慎重に考えて行動しているのだが、傍から見るとそれは危機感を煽られるものであったらしい。

 だが、ヴェナートのことは別だ。


『一目惚れの初恋ですもの』


 そうさらりと言えてしまえるくらいには、ヴェナートが好きだった。

 このときのヴェナートの顔は、よく憶えている。


『変な女……』


 顔を引き攣らせていたヴェナートは、それからすぐ、腹を抱えて笑っていた。なぜ笑われているのかシオンにはわからなかったが、そんなヴェナートを見たのは初めてだったので、そちらのほうが嬉しくて一緒に笑った。


『そなたでよいか……いや、そなたがよいな』

『はい?』

『シオン』

『? はい』

『余に娶られろ』


 笑っているヴェナートには、とても心惹かれた。おれ、という一人称から、余、と言うようになったその姿は、とてもかっこよかった。


『余の妃になれ、シオン』


 差し伸べられた手のひらに、シオンは幸せを噛みしめながら、手を伸ばした。


 シオン・ウェル・アルファロイが、ヴェナート・ヴィセイズ・ヴァリアスの正妃に迎えられたのはその年の中頃のことになる。







「シオン、起きろ。腹が減った」


 夢を見ていたのか、と思いながらシオンは目を覚ました。傍らには、いつもはないヴェナートの起きがけの姿がある。それは珍しく、しかし、しばらくの謹慎を言い渡されているために、その場所をシオンの居室に勝手に決めたがゆえのことだ。ヴェナートに「起きろ」と言われて目覚める日々が、このところの日常である。


「どうしていつもわたしより早いのかしら」

「……皇太子とやらは忙しいのでな」

「それはお疲れさまでございます」

「ああ」


 素っ気なく返事をしたヴェナートは、椅子の背にかけていた上着を羽織ると寝室を出ていく。少しして侍女のユマが寝室へ入ってきた。


「おはようございます、妃殿下」

「おはよう、ユマ。今日もお願いね」


 薄茶色の髪を揺らしながら、にこりと微笑んだユマに支度を整えてもらう。隣接している衣裳部屋から礼装(ドレス)を選んでもらっていたとき、早くも着替えを済ませたヴェナートが顔だけ覗かせた。


「シオン」

「きゃっ」

「? なにを驚く」

「まだ着替えの最中です!」

「……今日は藍色にしろ」


 なにかと思えば、礼装の色の要求だった。言ってすぐ、ヴェナートは顔を引っ込めて扉を閉める。ヴェナートがそういった要求をするのは、たまにあることだ。


「……ユマ」

「聞こえておりました。藍色でございますね」


 衣裳部屋から、ユマが藍色の礼装を持ってくる。艶やかなそれは、久しく袖を通していないものだ。


 ユマに手伝ってもらって支度を整えると、シオンは漸く寝室から出る。シオンの定位置となっている椅子に座ったヴェナートが、先に朝食を摂っていた。


「どうして待ってくださらないのかしら」

「忙しいからな」

「それはお疲れさまでございます」

「ああ」


 先ほども同じような会話をした気がする、と思いながら、シオンも朝食をいただくべく椅子に腰かけた。食事はすぐに運ばれてくる。今日の麺麭は柔らかそうだ。


「失礼いたします、ヴェナート殿下、シオン妃殿下」


 ヴェナートが食事を終え、シオンも食べ終わろうという頃、居室の扉が叩かれてヴェナートの側近、ガラン・オル・アークノイルが入室してきた。時間が時間なので、なにごとかとシオンは食事の手を休める。


「お食事中、申し訳ございません。至急お伝えしなければならないことが……よろしいでしょうか」


 ガランの唐突な来訪を気にした様子もなく、ヴェナートは無言でちらりと視線を投げた。ガランはそれを了承と受け止め、深呼吸ののち真っ直ぐとこちらを見つめてくる。

 ガランのその双眸に、シオンはなにか危機迫るものを感じた。


「皇帝陛下が崩御なさいました」


 それを聞いた瞬間、シオンは瞠目する。すぐにヴェナートを見たが、彼は落ち着き払ったかのように食後のお茶を飲み、そうして窓の向こうを見やった。


「そうか……」


 一言、それだけで、ヴェナートは父である皇帝の死を受け入れた。


「本日このときより、ヴェナートさまが皇帝でございます」


 ガランの言葉に、ヴェナートは振り向く。その顔に表情はない。淡々と、現実を受け入れていた。


「ヴェナ……」


 シオンはそっと、ヴェナートの腕に手を添える。ヴェナートは身動ぎもしなかったが、シオンは、その手のひらがきつく握られているのを見た。やはり動揺していないわけではないのだと、知る。


「ガラン」

「はっ」

「議会の招集だ」

「御意、ヴェナート皇帝陛下」


 ガランが踵を返して足早に出ていく。

 ヴェナートは、しばらく動かなかった。


「……シオン」


 呼ばれたとき、ヴェナートはシオンの手を、ぎゅっと握りしめていた。


「シオン」


 声は震えていない。けれども、痛いくらい強く、手を握られた。


「世界が、狂う……な」

「……そうね」

「余も、狂わねばならぬ」

「わたしも一緒よ」

「……そなただけだ、シオン」

「ええ、わかっているわ」


 椅子を立ったヴェナートは、その手もシオンから離した。くるりとシオンに向けた背は、もはや言うまでもなく、上に立つ者となる。


「ではな、シオン」

「気をつけて」


 ヴェナートは振り返ることなく、己れの身にこれから起こることと戦うために、部屋を出て行った。


 これからどうなるだろう。

 否、結末はすでに決まっている。

 ヴェナートは自ら狂い、シオンはそれと共に生きていく。

 その未来しかない。


「ひどいことをするのね……」


 呟きは、誰に聞こえることなく、空気に消える。しかし、恨みごとを聞き届けたかのように、シオンの耳には幻聴が届く。

 僕だけなんて寂しいからね、と。

 僕にはこの世界より大切なものがあるからね、と。

 だから一緒にいようよ、と。


 いったい誰がこの顛末を知っているだろう。これが仕組まれた未来であり、そうなるように初めから動いていたなど、誰が知り得ただろう。


「ひどいわよ……イデア」


 シオンは、未だヴェナートのぬくもりが残る手のひらをぎゅっと握り、額に押しつける。

 ヴェナートを狂わせる未来が、憎いと思った。

 ヴェナートが狂うしかない未来を、忌々しいと思った。

 いったい、どうして、世界はこんなふうになってしまったのだろう。







*この物語の題名は、『がらのこうてい、れいたんのひ。』と読んでいただければ幸いです。


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