第26話:在庫処分の知略 ―AIが算出しない不合理(ノイズ)―
かつての魔都・九龍は、今や世界で最も「合理的」なスマートシティへと生まれ変わっていました。
争いはなく、格差は是正され、AI『ロゴス』がすべての人に「最適な幸福」を配給する社会。
そこには、不確実な未来を予測する「軍師」の居場所など、どこにも残されていませんでした。
時代遅れの在庫となったゼノスは、自らの存在を「完全消去」するための最後の一仕事に着手します。
窓の外には、かつての雑多なネオンの代わりに、効率的に配置された淡いブルーの街灯が並んでいた。
かつての英雄、九条蓮が設計した「ロゴス」は、人々の呼吸、購買意欲、そして寿命に至るまでを完璧に管理している。
「……ゼノスさん。もう一度言います。この事務所を畳み、ロゴスの一部として『歴史アーカイブ』に登録してください。それが、あなたにとって最も合理的な余生です」
一ノ瀬凛の声は、かつての震えを失い、完璧な「指導者」としての平坦さを帯びていた。
彼女の瞳には、かつての冒険心ではなく、統治者としての「義務」が宿っている。
「合理的な余生、か。……凛、お前も随分と『定価』で自分を売るようになったな」
ゼノスは、もはやインクの切れた万年筆を指先で弄んだ。
机の上には、一通の依頼書がある。それはデータ上には存在しない、物理的な紙の封筒だった。
「九条。ロゴスはこの依頼をどう判断した?」
背後に立つ九条蓮が、空中をフリックしてホログラムを表示させる。
「……案件番号9982。九龍の最下層に住む老人が、亡くなった妻に『もう一度だけ、昔の不潔で騒がしい九龍を見せたい』という要望だ。ロゴスの回答は――『再現コストが幸福期待値を下回るため、却下』。……合理的だ」
「ああ、極めて正しい判断だ。……だからこそ、私の出番だ」
ゼノスが、埃を被った白銀のコートを羽織る。
その姿は、今の磨き上げられた街の中では、あまりにも「異物」だった。
「ゼノス、やめろ! 許可なく街の環境設定を書き換えるのは、今の法では重罪だ! せっかく手に入れた平和を、君一人の『美学』で壊すつもりか!?」
九条が制止するが、ゼノスの足取りは止まらない。
「九条。お前が作ったロゴスは、100点の正解を出し続ける。……だが、100点を出し続ける人生に、誰が『感動』という名の投資をする?」
ゼノスは地下、ロゴスのメインサーバーが眠る中枢へと向かう。
警備ドローンが彼を包囲するが、ゼノスは戦わない。かつて神々をも圧倒した魔導を、彼は「自分自身の存在をデータとして削除する」ためだけに使い始めた。
「――【次元連結・在庫処分】」
ゼノスの存在そのものが、ロゴスのシステムに巨大な「エラー」として流れ込む。
それは攻撃ではない。
ゼノスがこれまで培ってきた「伝説の軍師としての記憶」と「知略の全データ」を、たった一人の老人の『不合理な願い』を叶えるためのリソースとして、すべて「無料配布」したのだ。
――ガガッ、ガガガガッ!!
九龍の空が、バグのように点滅した。
完璧なブルーの光が消え、一瞬だけ、かつてのあの汚くて、臭くて、熱気に溢れた「魔都・九龍」の幻影が街を包み込んだ。
最下層で一人、死を待っていた老人の瞳に、かつて愛した女性と歩いた騒がしい街角が映る。
老人は涙を流し、「……ああ、これだ」と微笑んで息を引き取った。
その瞬間、ゼノスのデータはロゴスの中から完全に消滅した。
「……バカな。……たった一人の老人の、たった数秒の思い出のために、自分の全キャリアを……存在そのものを投げ打つなんて……!」
九条が膝をつき、モニターを見つめる。
システムには、ゼノスの最期のログが残されていた。
『――市場に需要がないのではない。……お前たちが、市場の価値を忘れただけだ。……軍師、これにて廃業』
光が収まった九龍は、再び完璧な静寂に戻った。
だが、凛の頬には、ロゴスの計算にはなかった一筋の涙が伝っていた。
第26話をお読みいただきありがとうございます。
かつて世界を救った英雄が、AIの時代において「たった一人の不合理」のためにすべてを捨てて引退する。
コンサルタントとしての最後の仕事は、自分という巨大な「在庫」を、一銭の得にもならない「感動」に変えて処分することでした。
「ゼノスの最期が切なすぎる……」「効率の向こう側にあるものを感じた」
と思ってくださった方は、ぜひ
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物語は、コンサルティングが消えた後の「余韻」を描く、第27話へと続きます。
次回予告
ゼノスが消えてから、九龍の街に小さな「変化」が起き始める。
ロゴスの計算を外れる「不合理な行動」をとる人々。
九条と凛は、ゼノスが遺した「負の遺産」の中に、ある暗号を見つけ出す。
「これは……、新しい市場の開拓計画じゃない」
第27話:『無用の長物 ―万年筆が描く白紙の未来―』




